「「きのくに子どもの村学園」はきっと挑戦的で素晴らしい学校なのだと思...」夢みる小学校 etoroさんの映画レビュー(感想・評価)
「きのくに子どもの村学園」はきっと挑戦的で素晴らしい学校なのだと思...
「きのくに子どもの村学園」はきっと挑戦的で素晴らしい学校なのだと思う。
この堅苦しい国の学校教育制度の「外側」ではなく「内側」に入り込みながら
実験的な取り組みを何十年もし続けてきた。
このこと自体に光が当たることは素晴らしく、
映画として取り上げる価値のある学校なのだと思う。
しかしながら、監督オオタヴィンによる切り取り方があまりに残念であって、
ドキュメンタリー映画として低評価を付けざるを得ない。
まず、本作品は100分近くあるのだが、
子どもの生の姿が映っている場面が意外と少ない。
学校の映像はもちろんあるが、その合間合間に評論家諸氏によるダラダラとした
ありきたりな公教育批判と、きのくに実践の礼賛を連続的に何度も聞かされる。
何か事情があるのか、それとも監督の美的センスなのか、
白飛びした映像で見ているのが辛い。
明治学院大学教授による、きのくに卒業生の行く末も、あまりに薄い描き方で
きっとこの卒業生が抱いてきたであろう思いにまったく迫れていない。
そして、伊奈小と桜丘中学の入れ方がまったく不必要なつまみ食いであって、
何のために入れたのか意味不明。
私立だけでなく公立を入れておけば文科省公認が下りるとでも思ったのか。
実際、文科省のお墨付きを得ているので作戦成功なのかもしれないが、
どちらもそれはそれとして興味深い素材だけあって、
実に表層的な紹介に使われていて
まったくもって両校にも失礼だし、これのせいで
きのくにに割く時間が削られたかと思うと
きのくににも失礼だと思える。
伊奈小と、西郷校長のファンでも取り込みたかったのだろうか。
堀学園長のライフヒストリ―や、英語の授業の映像もあまり必要に思えない。
学園長がとにかく全国に散らばるきのくにグループを
毎日パジェロでめぐっているのは
とても大変なことだなと思うけども、この映画で伝えたいのはそこなのか。
きのくにの子どもたちも、自然なやり取りをただ撮って行けばいいのに、
わざわざ不自然なインタビュー映像をことあるごとに挿入し、
きのくにはスバラシイというメッセージを視聴者は押し付けられるかたちになる。
この素晴らしさは子どもたちの自然な姿から観ているものが
感じ取ればいいだけであって
監督の押し付けがましいメッセージ性に利用される子どもたちが可哀そうである。
もちろん子どもは悪くない。一生懸命語っている。
しかし語らずとも感じ取れるものを、ドキュメンタリストなら見出さねばならない。
しかしながら、先生とは呼ばず大人と呼ばれるこの学校の「大人」たちに身を預ける
子どもたちの信頼感を感じとれる場面もあるにはある。
この映像の肝は、そうした子どもたちと「大人」との
学校生活を通じた信頼関係の構築にあって
そこに迫れていないのが何とも残念なのだ。
「大人」の膝の上に乗る子どもたちの姿を、監督はなんと見たのだろう。
その前後にあったであろう様々なドラマを私たちは想像するしかない。
また、点数評価を拒否し、いわゆる通知表をやめてきたきのくにを評価するために
卒業生の平均的成績順位が高いと言わせるのは、なんとも自己矛盾を感じる。
まぁ桜丘の西郷校長が言うように、自由にやって成績が高けりゃ文句ない、
ということなのだろうが、きのくにの教育理念を否定するものになりはしないだろうか。
この作品は、しばしば無音になったり、白黒になったり、スローになったりする。
監督の演出センスなのだろうけども、何とこすい演出であろうか。
そのようなものは不要である。きのくにの日常をただ描けばよいのだ。
監督の自己陶酔的なものを感じてしまって、ノイズ以外の何物でもない。
オープニングとエンディングの大音量の音楽も何とかならなかったのだろうか。
まったく内容とマッチしていない。
子どもたちの姿にしみいるような気持になっているところに
ドカンと音が重ねられて、耳をふさぎたくなる。
とにかく、もったいない!の一言だ。
マーケティング的に成功しても、ドキュメンタリーとして失敗している。
そんな映画である。