母性のレビュー・感想・評価
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湊かなえが書き続けてきた“母と娘”。その破滅的な愛のミステリーを映画化
思い起こせば湊かなえのデビュー作「告白」は、勤務先の学校のプールで命を落とした幼い娘のために壮絶な復讐を仕掛ける女性教師の話だった。実生活でも作家になる前に結婚し長女を出産しており、育児をしながら執筆に取組んだことが影響しているのか、湊かなえの小説は母と娘の関係が重要な要素になっている話が多く、映像化されたものだけでも、WOWOWのオムニバスドラマ「ポイズンドーター・ホーリーマザー」(6話中の「ポイズンドーター」と「ホーリーマザー」)や、菊地健雄監督の映画「望郷」(2編のうちの「夢の国」)などがある。そして本作「母性」もまた、母と娘の“愛”をめぐるディスコミュニケーションを「藪の中」タイプのミステリーに仕立てた小説であり、映画化では超売れっ子の廣木隆一監督(今年の公開作は5本!)がメガホンをとった。
1988年生まれの戸田恵梨香と1999年生まれの永野芽郁、11歳差の2人に母娘を演じさせるというのも思い切ったキャスティングだし、ドラマ好きならさらに興味のポイントが加わるのではないか。というのも、戸田は2019年の「スカーレット」、そして永野は2018年の「半分、青い。」と比較的最近のNHK朝ドラで明るく元気なヒロインをそれぞれ演じたし、2021年のコミカルな連ドラ「ハコヅメ~たたかう!交番女子~」では先輩後輩の婦警役でW主演を務めていた。そんな2人が母・ルミ子と娘・清佳、しかも愛情のねじれや心の闇を感じさせるキャラクターで共演するのだから。
戸田と永野による、ドラマでお馴染みのポジティブな役柄とは大きく異なる複雑な演技に加え、ルミ子の実母(大地真央)とルミ子の義母(高畑淳子)、それぞれの子への思い入れが絡み合い、観客も改めて“母性”って何だろう、と考えさせられるはずだ。
役者の演技の上手さという視点で見ると面白い一方、物語としては期待し過ぎずに見るのが良さそうな作品か。
本作は、「告白」という名作映画の原作を書いた湊かなえの同名小説を映画化した作品です。
「告白」(2010年)は中島哲也というノリに乗っていた鬼才監督によって映画化されたこともあり、「R15+」指定を受けながらも第34回日本アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀編集賞と、文字通り総なめの状態になるくらいのクオリティーでした。
そんな背景もあり、本作を原作者の湊かなえが「これが書けたら作家を辞めてもいい」とまで語っていたため、否が応でも期待値が上がってしまいました。
さらには、「母の証言」「娘の証言」と、それぞれの視点で描かれていくため、勝手に「どんでん返し」的な物語なのだろうと思っていました。
ただ、個人的に「どんでん返し」的なものは、思っていたほどには感じませんでした。
「告白」のようなものを期待して見ると、やや肩透かし状態になるのかもしれないので、見る際には役者の演技の応酬を中心に見るのがいいかと思います。
中でも戸田恵梨香の演技の使い分けは注目に値します。
また、義母役の高畑淳子の怪演ぶりには、場内からたびたび笑いが飛び出すほどの状態になっていました。
個人的には、本作が中島哲也の監督・脚本バージョンだとどうなるのか興味を持ちました。
ネタバレ要素になり得るため詳しくは書きませんが、時代設定がやや分かりにくいのかもしれません。
見る人によってはタイトルの「母性」というキーワードにハマって、より物語に入り込めるのかもしれませんし、癖の強い、割と極端な登場人物たちが多く出てくるため、そのセッションを楽しむのが良いと感じました。
女優さんたちの演技が好き
母親がこわい
そして母になる
こわい
【愛に慣れ過ぎた母と愛を求め過ぎた娘】
湊かなえ先生の『母性』。原作小説は既読です。
先ず小説を読み終わった時は、こんな濃密な359ページを2時間に纏められるか。と勝手に危惧していました。
それが当たったか外れたかはわかりませんが、やはり大作小説を2時間に纏めるのは難しかったのかな、という印象です。
勿論、映画自体の質は良く、高畑淳子さんの演技力には凄くシビれる物が有りました。個人的になってしまいますが、「あ、ここ削るんだ」等の、もっと表現して欲しかった部分に欠けている印象を持ちました。
特に田所(夫)の醜悪さと脆さはもう少し描いて頂きたかったです。彼の所為とは言いませんが、彼処まで母娘が壊れてしまったのは、義母だけの所為では無いと。
これは映画自体の感想ではなく、原作にも通ずる物なのですが、小説を読んでいた時にも気になったのは、「何故ルミ子は田所(夫)に文句や不平不満を漏らさないのだろうか。」という点です。それは義母の家に住まわせて貰っているからという簡単な理由は付けられますが、映画を見た時にふと思いました。それはルミ子の母が勧めた婚約者だからでは無いか。
結局ルミ子は結婚相手でさえも、母の勧めに乗っ取り、全てを自分で決定していないのだと。
母と子と言うのは安易に語れませんが、愛を他人に要求すること無く、自分で保持し続けられる事こそ、幸せになれる方法なのかもしれませんね。
原作は読んでないが・・・
祖母と母と娘‼️
☆☆☆★★ 嗚呼惜しい!そして勿体ない。 原作読了済み。少しだけの...
☆☆☆★★
嗚呼惜しい!そして勿体ない。
原作読了済み。少しだけの感想…そしてどうでも良い話し。
やっぱり…と言うか、どうしても製作側としては感動作品として作りたいって事なのだろう。
しかしながら、原作自体が【名うてのイヤミス】でもあるだけに、、、それはどうなんだろう?と。
原作の構成としては実にシンプルには一見して見えた。
6っの章仕立てによって母親目線で語られる話は、直ぐに娘目線の語りによって真実が暴かれて行く。
それを章の最初に導くのは、謎に満ちた(おそらくは)学校の先生による、〝 ある場所 〟での話し合いだ。
読み進めて行くに従い、シンプルに見えた構成だったのだが。実に強かで大胆な構成であったのに、次第に気付かされる内容だった。
それだけに映画本編で、【憲子と英紀】の話を完全にカットしているのは、尺の都合上だったとは言え〝 母性 〟を巡る内容としては、どうしても不完全に思えてしまったのです。
この母親にとって、何よりも1番に愛していたのは、〝 自分にとっての母親 〟である。
その1番愛する人を《自分から奪った者》を、心の中ではどうしても赦す事が出来ない。
この気味の悪さが実に半端ない。
だがこの母親は、それを周りに気付かれない様に振る舞って居るのだけれど。その想いを中和させるに値する強烈な存在の人物を、原作は登場させる。
とにかく、義母のキャラクターの強烈具合は最高で。この義母の存在感の強さゆえに、母親の《娘に対する要求》の気味の悪さは増幅される。
その増幅感を更に倍増させる存在だったのが、【憲子と英紀】により、この母親が味わう《流産》であり。その《流産》がキッカケとなり、ママ友との交流が生まれる。
【 愛 能 う 限 り 】
しばしば原作でも語られるこの言葉。
母親は事ある毎に「神父様…」と語り、自らの回想に入る。
何故に「神父様…」だったのか?
映画本編では、最初と最後に神父が登場していた。
何故母親は神父に悩みを訴える事になったのか?
原作でのママ友との交流によって、この母親が《新興宗教の餌食》になって行く過程が、すっぽりと抜け落ちてしまっている為。映像化での、この神父が〝 登場する意味 〟が薄まってしまっているのです。
更に言えば〝 ある場所 〟でのこの男女の会話。
この会話自体が、《新興宗教の餌食》になっているのが【この母親だけではない!】とゆう事実。
静かに、そして日本中に深く進行している…とゆう事に結び付いているのを、読者に悟らせて締めくくっている。
この気味の悪さのイヤミス感。
嗚呼!なのに映画本編でのこの無理矢理な《押し付けによる母娘の感動作》に、ちょっとだけイラっとしてしまったのでした。
その後の義母への介護であったり。最後に自分もやがて母親となる…と言った、確執が有った母親との関係性の修復等。この辺りの(確か)原作には無かったと思う無理矢理な展開が、感動作品としての押し付け感に思えてしまい。観ていてどうも、、、と言った感じではありました💦
ここから先はどうでも良い話しなんですが、、、
映画本編を観終えてから丸1日以上が過ぎてしまった。
普段は鑑賞し、なるべくその日のうちにレビューを書き留める。
本当は帰宅して直ぐに書こうとしたのですが。テレビを点けたら何と生放送での【鈴木軍解散8人タッグマッチ】
もう涙でテレビが見れねえじゃねえかよ〜!
号泣ですよ旦那!
流れの中で生まれた4人対4人が、いっの間にか1対7に。
最後は 「thank you SUZUKI」 からのザックドライバーの終止符。
オマケのオマケで〝 あの登場曲から【あの人】まで登場。《iron finger globe》をひったくって行ってしまった。
「身体仕上がってんな〜!」(by ミラノ)
理屈じゃないんですよ!
無理矢理に作った訳じゃあなく、11年に渡る〝 絆が導いた結果 〟があの結末だったんですよ!
もう号泣しちまってしまい、レビューどころじゃ〜有〜馬温泉!
こちとら、人生に於いて大事な事は。全〜部プロレスから学んで来たんですよ旦那!
…って事でレビューが遅れた理由で有〜馬温泉!
2022年 12月23日 109シネマズ木場/スクリーン6
母と娘、特有のなにか
結構引き込まれて見てしまう。
自分の母との関係を「私はどうだったっけ?」と自然と振り返ってしまう。
ここまでじゃないにしても、
自分の母にもそういう部分はあったのかもしれないな、とか。
愛してもらった記憶、というのは曖昧でもある。
ただ自分が忘れただけなのか?
母と娘特有の、なにかってある。
同性だからこその、距離感。
近いのか、どうなのか。
戸田恵梨香さんの、
違和感あるセリフ、心がこもってない感じの言い方、
なんか掴めない母親役、絶妙に不気味さもあり、
残酷さもあり、引き込まれた。
弁当を落としたところ、ひやっと、こわくなった。
子どもにとって、母親って「全世界」なんだよな
そんな母親に嫌われたかも、と感じるのって
全世界から拒絶された気持ちになるんだよな。
それに多分、「ひやっ」とするんだと思う。
なんかそれを、思い出した。
***
高畑淳子さんの姑役、本当に嫌気がさした。笑
なんか既視感、、、と思ったら
ドラマ「オリーヴ・キタリッジ」のフランシス・マグドーナンにそっくりだ。
うるさい姑感も同じだしね。
高畑淳子さんのパワー、
大地真央さんのエレガンス母、
ベテラン女優たちの演技をしっかり感じれた
湊かなえにしては
本当の親子って
日本を代表する作家の一人、湊かなえ原作の本作。「娘を愛せない母」と「母に愛されたい娘」それぞれの観点から、とある一つの事件に至るまでの同じ時系列を辿っていくという、新感覚を味わった映画です。よくある心温まる家族物語ではなく、水と油のような母親と娘の物語で、一言では言い表せないような複雑な感覚を覚えました。まるで、10種類くらいの色の絵の具を混ぜて真っ黒にしたような、そんな印象です。
物語の構成自体が複雑なので、見ている途中で混乱した人もいるかもしれません。過去と現代のシーンの切り替わりが多く、母視点と娘視点では世界観が180度違います。戸田恵梨香演じる母親は、「娘を愛せない母」で、なかなか狂気的な部分も垣間見えたと思います。決して正常な思考の人間ではないですね。一方で、永野芽郁演じる娘は、「母に愛されたい娘」であり、一見すると躾がきちんとされているしっかり者の真面目な女の子ですが、彼女が受けていたのは果たして本当に母親の愛情といえるのか、というところであり、ある意味では歪んだ人間性を持ち合わせているのかもしれません。そして何より、母視点と娘視点では、同じ時を回想しているはずが、起きることが異なっていきます。全体的にミステリーを織り交ぜつつ、真相にたどり着く着地点では綺麗な落とし前をつける、湊かなえの見事なストーリー構成でした。母娘を演じた戸田恵梨香と永野芽郁を素晴らしかったです。なかなか難しい役どころだったように思いますが、よく親子間の歪みを表現してくれています。
湊かなえ原作の映画だと、僕は「白ゆき姫殺人事件」が好きです。数年前に見ましたが、驚きつつもスッキリさせてくれる映画でした。これからの湊かなえ作品も楽しみですね。
心からの共感があれば、或いは
湊かなえ原作の映画は結構好きで、どれも面白く観ているのだが、「母性」はちょっとハマらなかった。
つまらないわけじゃないんだけど、究極言うと「母に気に入られようとする娘」という存在が、理性的には理解できても心から共感できなかったからだ。
私は母と仲が良かった。母に勉強をみてもらい、母の描いてくれた絵で塗り絵をし、母が仕立ててくれたワンピースはお気に入りだった。
大人になってからも母の服を貰ったり、会えばお喋りに花を咲かせているが、やはり独立した大人同士なのであまり頻繁に会うことはない。
思い返せば成長の過程で、だんだん自然に独立していき、自分のしたいことをするために結構勝手に行動していくようになっていった。
そこに「母に褒められたい、認められたい」という気持ちは微塵もなかった。大好きだが、母は一人の大人の女性で、私も未熟者だが一人の大人の女性なのだから、互いの意思決定はあくまで互い自身が持つもの、という意識がそこにはある。
「母性」の主役2人、ルミ子と清佳のように、「まず母有りき」な関係にならなかったのだから、なんでそんなに母ちゃんにこだわるのか、わからん!という気持ちにどーしてもなってしまう。
理解はできるよ?でも共感できないんだよ!
最低限母ちゃんに怒られないくらいは、お手伝いするしかないかぁ、とか思ってた娘には「母の希望に叶う」ことなんてどうでもいいわけで…。
心の底から共感できなかったとはいえ、戸田恵梨香と永野芽郁の演技からは「母」の愛を巡るやるせなさが伝わってきた。
私には響かなかったが、最も近しい存在であるがゆえの距離感と感情のドラマは見応えがあったと思う。
女性心理
戸田恵梨香の母親に対する想いは理解が出来なかったが、きっとそう思う...
映画用のキャラクター
母と娘の関係性を両視点から描いた映画。
大きな問題点は、これが宇宙物のSFファンタジーでもなく、稀代のシリアルキラーを描いたサイコスリラーでもなく、あくまでも身近な人間(母と娘)を描いた人間ドラマなのにもかかわらず、全く共感もできずリアリティも感じられないところである。
それはほぼ全ての登場人物のキャラクター造形に起因していて、この映画が今まで自分が生きてきた中でも未だかつて出会ったことのないような特殊過ぎる価値観を持つ奇異なニンゲン(女性)を作りだしており、「こんなニンゲン(女性)いるか?!」という正に“映画用のキャラクター”を中心に据えてストーリーを紡いでしまっているためである。
あまりにも現実離れし過ぎた主人公(戸田恵梨香)が何を言おうが、“ニンゲンではない何か”が喋っているようにしか聞こえず、納得も共感も何もない。
そしてその娘(永野芽郁)も大概見たことのない女性像であって、その二人が絡むと余計に「何この会話?」「何今のリアクション?」状態となって、果ては一体何が伝えたい映画なんだ?という思いに早々に至ってしまう。
母性などという小難しいテーマを描くのであれば、こんな地に足のつかないフワフワしたキャラクター造形では話にならないし、人間そのものの理解すら足らないのではと感じる。
これなら大岡越前の本当の母親を決める名裁きを5分くらいでサクッと見せられる方がよっぽど母性とは何かグッとくるものがある。
いくら映画とはいえ、現実味の全く伴っていない人間を使って「母性ってこうだよね」って言おうとしても無理があり過ぎる。
映画なのでキャラクターに少々の味付けは当然必要だしむしろあった方がいいが、これはやり過ぎてしまった結果、全体をブチ壊しにしてしまった悪例である。
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