「音のある世界と無い世界をつなぐもの」コーダ あいのうた TSさんの映画レビュー(感想・評価)
音のある世界と無い世界をつなぐもの
映画を観るときは、できるだけ原作や事前情報を頭に入れずに観るようにしている(この情報洪水社会では意図せず情報がインプットされてしまうことも多いのだが・・・)。
しかし、このように身体に障害がある人々が登場する作品だと、事前情報を入れていなくても、「健常者としての自分」をどうしても意識してしまう。従って、映画を正当に評価できるかどうかというとそれは疑わしい。
もし、ルビーの家族が健常者だったら、この作品はここまでの支持を勝ち得ただろうか?サンダンス映画祭で見いだされ、オスカーを獲得しただろうか?恐らくそうはなっていないだろう。ありふれた家族愛と成功を描いたストーリーだ。
しかし、だからといって、この作品が過大に評価されているとは思わない。
主人公ルビーは、この一家にとって音のある世界と無い世界を繋ぐ役目を果たしている。家族もそれを頼りに生活している。しかし、彼女は家族が最も理解しがたいであろう「音楽」の世界へ進もうとする。これを宗教や価値観の違いを乗り越えて互いを理解をする、応援する物語だと読み替えるとどうなるか?とても困難な話のように思う。
それを乗り越えたられたのは、家族の愛の力だ、と言ってしまえばそうかもしれないが、そんな単純なものではないと思いたい。家族も、ルビーのことを理解しようという意思を持ち、行動しなければ、わかり合えることはなかったはずだ。
ルビーのステージでの歌唱シーンは、この作品の表現手法の素晴らしさを堪能できる。
高校生の娘の晴れ舞台。その澄んだ歌声が一転、無音のトーキー映画の世界になる。我々は父や母と同じ世界に、束の間、入り込む。周囲の人々の反応を確かめる父母。音がなくとも、娘の声が人々を感動させる本物だと知る。そして、彼女の本心を理解する。
バークリーの入学試験。手話を交えて歌う娘。音は聴こえなくても、その声は家族に届く。
父は、娘に言う。俺におまえの歌を聴かせてくれ。もっと大きな声で歌ってくれ。
そして、首を、頬をさわりながらその歌声を手触りで、感じ取る。
娘の歌を聴きたい。この身体で感じたい。その強い意思が伝わってきた。
父親を演じたトロイ・コッツァーの演技は、際立っていた。
愛があればわかり合えるなんて、そんな簡単なもんじゃない。理解しようという意思と心がなければ。
この家族を繋いだもの。それは、ルビーの歌。そして、互いを理解し、支えよう、応援しようという家族の前向きな意思の力だったように思う。
「青春の光と影」いい曲ですね。