「家族愛を描いた傑作」コーダ あいのうた タブローさんの映画レビュー(感想・評価)
家族愛を描いた傑作
今から十数年前、とあるきっかけで両親は聾者だが本人は聴者である人の講演を聞く機会があった。彼曰く、いわゆるCODA(Children of Deaf Adultsの略、本人は聴者であるが、両親は聾者であることの略称)は、生まれた時から、両親と外部の人とを繋ぐ「翻訳者」としての立場を担うことが運命づけられているとのことだった。
まさにこの映画のルビーそのものである。
この映画を見て、児童虐待だとか、支配的な両親であるといった意見も見受けられるが、CODAの実態をよく理解していないと思う。
聾者の両親にとって、CODAは外界と自分たちを繋ぐ唯一の存在、自分の半身のような存在なのである。
そこには、一般的な親子関係では想像のつかないような強い関係性が存在している。
しかし、この映画はその強い関係性を超えてまで主人公が夢を追うのと同時に家族をものすごく大切に思っていること、つまり家族愛が大きなテーマとなっている映画だと思っている。
そのような常識では考えられないくらいの強烈な、宿命づけられた関係性を断ち切ってまで自分の人生を生きていこうとするルビーの姿に心が打たれる映画なのである。
よく話題になる、コンサート中の無音の演出だが、私からすればこれは表面的な演出・テクニックにすぎないと思っている。
この映画は、難聴者の疎外感をテーマにしているわけではなく、ルビーとその家族たちの絆を描いているのだ。
絶賛すべきは、ジョニ・ミッチェルを歌うオーディションのシーンと、何といってもラストの家を出ていくシーンであろう。
一度家族に別れを言うのものの、いざ車を動かすと耐えがたい寂しさが込み上げてくる。
そこで、「ちょっと待って」と車を止めて、家族と抱擁を交わしに行く。
残された家族からすれば、ルビーがいなくなることは自分たちの半身を失うのと同じようなものだ。
しかし、彼らは「行ってこい」とルビーの背中を優しく押す。ルビーを愛しているからこそ彼女を送り出し、別々の生き方を選んだのである。
お互い、自分の半身である、かけがえのない存在との別れなのだ。
このシーンがこの映画のすべてであると感じた。
ルビーと家族が本当に大切に思い合っていることがすごく伝わる名シーンだと思う。
映画のパッケージにも使われている「本当に愛している」のサインを送るルビーの姿から、家族愛と青春、夢や希望を一度に感じられる、稀に見る傑作であると感じた。