ロシアン・ソルジャー 戦場に消えた18歳の少女兵士のレビュー・感想・評価
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『Зоя』が原題である。
『僕の村は戦場だ◯た』であらわしたソ連のナショナリズムを60年経過した現在でも蒸し返している。タルコフスキ◯はあの作品で、少年までもが自国のナショナリズムの犠牲になって、命を落とす事の異常さを描いたはずなのに、未だにそれを学習していない。ソ連はこの戦争で2000万人も亡くなっている。さて、この映画の中で、かつてのナポレオンのロシア行軍の失敗について語る部分があるが『戦争と平和』の中でのクトゥーゾフ将軍のモスクワ逃亡作戦について語っている。モスクワを守る為にモスクワから人間を退去させる作戦である。果たして事実かは分から無い。また、クトゥーゾフは腰抜けと揶揄された。しかし、トルストイはその行為を大いに評価している。さて、僕もその作戦を大いに評価する。
特殊工作と言うものも重要だと思うが、特殊工作は高度な技術を伴う。やはり、『アルジェの戦い』の様な民間人の中に対抗意識を根付かせて、生活の中から組織的に抵抗しなければならないと思う。その一番の具体的な勝利は、ベトナム解放戦線だった。アメリカの近代兵器が藻屑と化した。
所が、近年になってそれが、また『自爆テロ』と言った人名を無視した抵抗運動に退化し始めている。その原因は兵器が更に近代化された事が影響していると思う。
こうしてAIが兵器に採用されれば、人間の命は、肉体の強さのみと化す。感情も無く肉体の強さのみで、戦いの勝敗は決まるのだ。従って、こう言った話が未だに通用するのだ。
この場合、ドイツの国内まで分け入り、諜報活動と共にドイツのクーデターを工作するべきなのだ。
逃げる。逃げて安全を確保して、余裕を持って敵を壊滅すべきなのだ。この映画を見て、改めてそう思った。感情的になっては駄目だ。
『臆病は嫌われる』僕は嫌われて良いと感じる。ベラルーシのスレトラーナさんの著者に、『戦争は女の顔をしていない』と言う著書が在るが、ソ連の女性兵士の話を集めたもので在るが、その中に後方から敵を狙撃する女性兵士の話が出てくる。この女性兵士は悪魔と恐れられたそうだ。彼女は戦後まで生き残る。
しかし、
『ロシア人のナショナリズムの勢い』は日本人の付け焼き刃と違って計り知れないものがあると再認識した。
立派なプロパガンダ映画である。
『同士よナチスを倒せ。
焼き払え。毒を漏れ、
二億人の私達全員は吊るせない。
さらば同士。恐れられな。
スターリンは必ず来る』
僕はゾーヤの言葉はプロパガンダに利用されていても、忘れたいとは思わない。そうでなければ、彼女は犬死になる。どうか60年後にはこんなク◯戦争映画は無くなってもらいたいものだ。
なお、これを見て、ウクライナに対してロシア人としてのアイデンティティやナショナリズムを煽ると考えるのは西側諸国(?)の考え方だと思う。また、なぜこのタイミングで配信されるのかは理解出来ない。そして、ゾーヤ・アナートリエヴナ・コスモデミヤンスカヤの死はウクライナ侵攻とは全く無関係である。あるとすれば、パルチザン活動がナチス・ドイツに加担したフィンランド国軍に対する抵抗活動であったことだと理解している。従って、この活動に参加したウクライナ出身兵士はいたし、スターリンはグルジア共和国の出身である。スターリンを批判したフルシチョフやブレジネフもウクライナとは切っても切れない人物である。
祖国のため従軍した女性とスターリンの関係性の強調するもの
最初に述べておくとこの映画はプロパガンダ映画に等しい。愛国心を掻き立てるストーリーもさることながら、指導者スターリンが戦争に対してやむなく強硬な手段を使っており、ソ連人民を気遣うような描写がある為である。しかしながら、こう述べて仕舞えば戦争を題材にした映画なんて、ほとんど愛国的義侠心を祖国のために捧げることを良しとした映画ばかりなのだが。
観ていて印象的だったのがスターリンが主人公のことを思うことや実際に会って会話するというシーンから、スターリンと純真無垢なソ連人民という構図も読み取れなくもない。第一次世界大戦のセルビアを主眼に作成された『セルビア・クライシス』にも同様の関係性が表れているのは興味深い現象だ。
史実に基づいているとはいえ、フィクションであるからスターリンが「ソ連人民の父」のように優しい印象で描写されていても一つの表現として許容されるべきなのかもしれない、しかしながら、その美化されたスターリン像は残忍さを微塵も感じさせない(むしろ正当化しているような)姿は「スターリンだからナチスを打ち任せ、彼に人民が答えたのである」といったようなメッセージを暗に示しているのではないかと思えた。
旧日本軍にも軍神はいました。どこの国もしているのですね。
独ソ戦でナチスに捕らえられた少女の過酷な運命を描く物語。
先の大戦時に、プロパガンダで『軍神』と祭り上げられた少女を描く映画ですから、プロパガンダを覚悟しての鑑賞でした。
確かにその色の強い映画でしたが、それでも思いのほか良い映画でした。
恋人の戦死を受けて軍に志願する少女。その少女を、主演のアナスタシア・ミシナが良く演じ切りました。
軍神でも、ヒロインでも、特別でも何でもない少女。
最初の作戦で人の死を目の当たりし、苦悩する少女。
拷問に耐え抜き、でも恐怖と苦悶の声を上げる少女。
スターリンによる閲兵シーンの彼女の表情が秀逸でした。覚悟と使命感と恐怖と・・・そして高揚と。そんな入り混じった表情がとても印象的です。
非戦闘員がいる村を焼く描写をしっかりと入れるなど、プロパガンダ映画に留まらないところは好感が持てました。
ただ、やはりプロパガンダ映画でもあります。特にスターリンの描写。粛清で何千万人と殺し、スターリングラードやレーニングラードでは、市民を退避させずに犬死させたスターリン。辺境の村人が焼き出されることを躊躇するとは到底思えません。その彼が逡巡するシーンを描くのに、どのような意図があるのでしょうか?
映画全体を通してみれば、4や4.5を付けたくなる映画でした。しかし、このようなシーンがあると、高い評点は付けにくくなります。ウクライナ侵略戦争の情勢も、このようなプロパガンダ描写に大きな不快感を覚えてしまいます。とても残念な描写でした。
評点は3.5にしました。
無謀過ぎる。
ロシアン・スナイパーと違って、大して能力が無いのに、戦士になるなんて無謀すぎる。弟のためと言っていたけど、結局のところ弟も志願して死亡しているし、親が泣いているよ。ここもウクライナが舞台ですね。どんだけ戦争に蹂躙されているのか、純真無垢な若い人を洗脳して、戦地に送るの辞めてほしいです。結局戦争を始めるのは、後方にいるしじいなんですから。
タイトルが違うと探すのに苦労します。
映画のタイトルとしては、ロシアンソルジャー戦場に消えた18歳の少女兵士なんですね。
同じにしてほしい、ですね。
それにしても恋人が戦死したことと、弟の代わりにということもあるにしろ、18歳で自ら志願して戦場に行く。なんと無謀な。冒頭のダンスのシーンの可愛らしい表情とラストの拷問された挙句の絞首刑の場面のボロボロだけれど信念を貫いた強い表情の違いが悲しい。
女性初のソビエト連邦英雄の称号を与えられたらしいが、母親からしたらそんなものはいらないから普通の女の子として、幸せに暮らして欲しかったでしょうね。でもゾーヤが自ら選んで信念を持って命を捧げたのだから仕方ありません。
それにしても拷問のシーンは辛い。女の子だから裸にされて吊るされるだけでも、兵士が総動員で見学に来る。それでもゾーヤは口を割らず、耐え抜きます。
どうやら、絞首刑になったのはゾーヤではないという説もあるそうで、ゾーヤはドイツ軍のいる別の村に移されたという説も。でもゾーヤでないとしても別の少女だとしても絞首刑になった少女がいることは事実。
いつの時代もどこの地でも戦争は辛いもの、あってはならない。ロシアよ、はやくウクライナから撤退しろ〜😤
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