「砂漠に語らせる星の歴史」デューン 砂の惑星 PART2 Uさんさんの映画レビュー(感想・評価)
砂漠に語らせる星の歴史
◉揺れる者たち
スペースオペラとか言うよりは、目を離せなくなる歴史のいくつかのシーンを見せられたような感覚です。エモーションを極力抑えて、砂との対話を力に変えたポール。そして何の躊躇もなく言霊に身を預けてしまった母レディ・ジェシカ。この二人の転身で続編は始まった。
顔に微かに発光する文字? 文様? を浮かべたレディ・ジェシカの美しさにドキドキしました。彼女はやがて1冊の予言の書になるのだ。
ところが二人に引っ張られて、フレメンとハルコンネンの戦いが燃え盛ったりはしなかった。力に目覚めたはずの男子と、その男子に恋することで明日が見えてきたはずの女子は、内なる何かを求めて揺れ続ける。
◉揺るぎない砂漠
一方で、砂漠は急いて変わることなどしない。砂は事実をありのままに述べる「叙事」の象徴であり、もう一つ、悪夢もその中に身を置いてじっと息継ぎしていれば、どうにか道は開けると言う「忍耐」を表していたとも思えました。
それから、瞳の青は遠い彼方の空を思わせる色だと思いました。心ではなく予言に我らの運命を委ねる…みたいな言葉が出てきたけれど、長い年月を経て心は弱り、そんな身構えに陥っているフレメン。救いの光に見えたポールも、いきなり真っ直ぐに闇を照らすことは出来ない。故に気丈なチャニの苛立ちは日に日に募る。
ところが、ゼンディヤのぶっきら棒さが、なかなかの魅力で。
◉重たい戦争
サンドワームの参戦によって、何もかもがストップモーションのような、睨み合うような戦闘になった。重さのため、戦闘もアクションに見えない。一瞬が生死を分けるはずなのに、兵士たち何かに憑かれたようにさまよう。力を与えられるはずのサンドワームは戦士を潰しかねない。強力な武器は常に諸刃の剣と言うこと。
予測された統率者ポールが繊細なのか、傲慢なのか分からなくなり、しかしその不透明さのために、話の面白さは倍加したようです。
◉燻んだ薔薇の花
日が昇り日が沈む砂丘が、柔らかな薔薇の花叢のようで、度々見惚れました。前線の殺し合いも銃後の戦略も間違いなく物語にはあって、でも、この物語のテーマはそれだけじゃないと、気持ちよくはぐらかされているうちに、時間が有無を言わさず流れてしまった感じです。
いや、単に私の理解力が追いつかなかったのです。膨大だな! と言う感覚だけがしっかり残りました。ここが終わりではない、全てじゃない、星の歴史は更に重たいステージを用意しているのでしょう。
気持ちよくはぐらかされているうちに…
↑ 素晴らしい表現力に納得です。
確かに映像も役者さんもみんな凄いし、素敵だけど、ストンと腹に落ちる展開がないまま、物語だけが進んでいくような感覚がありました。
次作を見ないわけにはいかない!
これも監督の計算のうち?
あちゃー、間違えました。
スターウォーズはエピソード4が1977年。
「砂の惑星」の方が12年も早かったですね。
すみませーん。
それでジョージ・ルーカスにパクられたって、フランク・ハーバートが
ぼやいたと聞いてました。
デヴィッド・リンチの「デューン/砂の惑星」が1984年だから、
20箇所もパクられた・・・って。
書けば書くほどボロが出るのでこの辺にします(笑)
デヴィッド・リンチのは、ほんとに「スターウォーズ」に似てたし、
「猿の惑星」にも似てた気がします。
コメント・共感ありがとうございます。
アクセスの良いところに新しい映画館が出来まして、IMAX初鑑賞なのです。
かなりの没入感で3割マシ(?)に思えました。
原作が1965年から書かれていて膨大な叙事詩(?かな)
考えてみれば、フランク・ハーバートは「スターウォーズ」も「猿の惑星」も、「エイリアン」も何もかも知った上で書いているんだと、、ふと思いました。“スターウォーズ」を観た上で、砂に特化した惑星デューン。
砂虫もフレメンも後付けできるんですよね。
ハルコネン家とアトレイデス家と戦いと、ポールというカリスマ救世主という
大スターを中心に添えて大大スペースオペラを書き進めた。
後付けと思えば書けば書くほど複雑になったのは当然かもしれません。
「デューン砂の惑星」の唯一無二のスター・ポール。
独裁者になり、二転三転して(Uさんの予想では?)そして、
まだ生まれてもいない妹アニャ・テイラー=ジョイに殺される・・・
との予想している方が多くて、妹の成人を経て、どうなるのでしようか!!
原作はもう関係なくて、ドゥニ監督の思い次第???でしょうか。
楽しみですね。