「予言と力」デューン 砂の惑星 PART2 sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
予言と力
パート1の復習をしないままの観劇だったので、思った以上に前回の内容を忘れてしまっていた。
それでも冒頭から一気に視覚的な面白さとシナリオの面白さに引き込まれる。
ポールは本当にフレメンが求める救世主なのか。
彼自身は救世主であることを否定するものの、やがて彼の英雄的な活躍によってフレメン側は反撃の狼煙を上げる。
採掘場を強襲するシーンや、ボールが初めて試練としてサンドワームを乗りこなすシーンは大迫力で見応えがあった。
全宇宙を思い通りに支配しようとする帝国側に、独自の目的で行動するベネ・ゲセリット、そして皇帝と結託して砂の惑星アラキスを手中に収めたいハルコンネン家と、それぞれの思惑が交錯して前作以上に重厚感が漂っていた。
やがて予言通りにポールはフレメンを導いていく力を得るのだが、彼が求心力を持てば持つほど違和感を覚えた。
おそらく観客に近い感覚を持つのが、彼に密かに想いを寄せるチャニだろう。
砂漠の民のリーダーであるスティガーが、ポールを救世主であると盲信するようになるのに対して、チャニは何もかも予言の言葉を信じようとするフレメンに反発を覚えるようになる。
それでも次第にポールは彼女の手の届かない存在になってしまう。
使命を背負ったボールよりも、このチャニの切ない想いに共感するシーンが多かった。
果てしない苦しみが続き、先が見えない極限の状態が続くと、人は予言や救世主の存在に頼りたくなってしまう。
そして確証はなくても、もしこの人なら何かを変えられるかもしれないと望みを託すことが出来れば、それにすがってしまう気持ちも理解できないではない。
しかし、誰か一人の人間にすべてを託すことは危険なことでもある。
強大な力を手にしたことで心変わりする人間もいる。
一貫してこの映画で描かれるのは暴力としての強さだ。
ハルコンネン家の跡取りフェイド=ラウサなどは全く慈悲の心を持たずに、自分の気分次第で平気で人を殺す。
それが強さであると信じている。
そして皇帝はアトレイデス家が滅ぼされたのは、ポールの父親レトが弱い人間だったからだと言う。
しかし強さと暴力は全く異なるものだ。
真に人の心に寄り添うことこそ本当に強さが必要なものだ。
何故か繊細であることや優しさは弱さであると勘違いする人間が多い。
それでも少しずつ世の中は変わりつつある。
パート2の後に続編があるのかは分からないが、最後まで武力で闘うことでしか勝利を得られない展開は悲しかった。
そこに映画としてのテクノロジーは最先端なのだが、何となくこの作品自体の古さを感じてしまった。