ラーゲリより愛を込めてのレビュー・感想・評価
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泣きすぎて泣きすぎて。感動しました。
死ぬ覚悟より生きる覚悟を
忘れてはいけない、伝えていかなければならない大切なことを、若い人に人気のあるキャストで映画化することはとても評価したい。ありがたいことである。
最初の夫婦、親子が引き離されるシーン。あの状況で夫を置き去りにしないでしょ。掴みからひっかかったので、ずっと批判的に観てしまった。残念。
多分、脚本が悪いんでしょう。時々演出もよくないんでしょう。
松坂桃李の回想みたいになってるナレーションがあまり生きてこない。
シベリア抑留の希望のなさ、寒さ、飢えがあまり伝わってこない。
獣でなく人間だって訴えるシーンがあったけど、獣扱いされてるシーンが少なくて、なんなら水浴びしたり野球したりしてるシーンの方が長かった。
着ているものがすべて洗い立てみたいにきれいだし、顔も汚れていない。髭は伸びてるけど。
ノートや鉛筆も新品みたい。
南極物語か、犬で泣かさないで。
登場人物が泣きすぎ
いつまでもダラダラ終わらない。映画じゃなくテレビドラマを見ているみたい。最後に伝えたいことがあったんでしょうが、映画はエンドマークでパッと終わって欲しい。
テレビで見た抑留体験者の実録・ドキュメンタリーの方がずっと胸にくるものがあった。
期待が大きかっただけに残念。
劇場から出て来た女性の方たちはみんな目を真っ赤にしてました。
タイトルは「ラーゲリから来た遺書」のままの方がよかったと思う。
間違いなく涙腺崩壊です
二宮くんには泣かされる
人間の醜さを深く掘り下げてこそ、その美しさが際立ったのではないだろうか?
確かに泣ける。
だが、それは、遺書を暗記することによって日本に持ち帰った4人の男たちの熱い思いに胸を打たれたからであって、主人公の生き様に感動したからではない。
主人公が、そこまで仲間から慕われたのは、過酷な状況下でも人間性を失わず、周りの人々に希望を与え続けたからだろう。
とは言うものの、主人公は、上官やロシア兵にあからさまに反抗するだけの無鉄砲な人物にしか見えず、その心の美しさのようなものを実感することはできない。
また、抑留者たちが希望を見い出すシーンとして印象的なのは、皆で野球をするところと、日本との手紙のやり取りが許されるところだが、主人公は、野球をするきっかけは作ったものの、結局、いつものように独房送りにされただけに過ぎない。
皆が、ハンガーストライキをしたり、遺書を暗記したりしてまで主人公を慕う理由が、今一つ腑に落ちないのである。
収容所の過酷さも、劣悪な環境下での重労働ばかりが強調されているが、本当に恐ろしいのは、同じ日本人でありながら、軍隊の階級を笠に着て威張り散らす上官たちや、共産主義教育の名の下に同胞を吊し上げる転向者たちなのではないだろうか?
当たり障りのない娯楽作を目指したためか、そこのところはさらりと触れられているだけだが、人間の持つそうした暗くて重たい側面をしっかりと描いてこそ、主人公の高潔な人間性や希望を失わない精神性が、より明確になったのではないだろうか?
「戦争の酷さ」を描く以上、人間の本性が剥き出しなる戦争の実態を、避けて通ることはできないのではないかと思うのである。
人に勧めたい映画
ただ、生きるだけじゃダメなんだ。
展開が読めてしまうノンフィクション映画の難しさ
見応えあり
◯◯と◯◯が繋ぐ戦後の話。
初めて誰かにおすすめしたいと思った
それぞれの想い
第2次世界大戦後のシベリアの収容所(ラーゲリ)に捕虜になってしまった日本人(軍)の話。
映画という作品で観る限りではロシア兵から日本人への仕打ちはまだキレイに映されてるがリアルはかなりヒドイ仕打ちを受けてたんでしょうね。
10年近く捕虜されて、なれない他国、自由も許されない、許されたのは唯一日本への手紙。
映画観ながら、それぞれの想いが書かれてる手紙はちゃんと日本へ届けてくれるの?!と思いながら観てました。
今はネット当たり前の時代で世界中の人とコミュニケーションがとれるけど、この時代は手紙というツールしかない。
手紙出して相手からの返事が届くまでどの位の期間がかかるんだろう?!
でもこういった過去の積み重ねで、何不自由無く今生活出来てるんですよね。
感謝の気持ちです。
あと松坂桃李さん色んな作品に出て活躍されてますが作品ごとの色に染まって素晴らしい役者さんだなと思って観てます。
ラストの安田顕さんの記憶した遺書をモジミ演じる北川景子に発するシーンは泣けた。
戦争終わってからの方が長い
もっと感動的な映画にできたはず
原作は未読である。シベリア抑留は、第二次世界大戦の終戦前後、武装解除され投降した日本軍捕虜や民間人らが、ソ連によってシベリアなどソ連各地やソ連の衛星国モンゴル人民共和国などへ労働力として連行され、長期にわたる抑留生活と奴隷的強制労働により、多数の人的被害を生じたことに対する日本側の呼称である。男性が多いが女性も抑留されている。
シベシア開発は 19 世期末のロシア帝国が開始したものをソ連が継承したもので、豊富な資源の開発とこの地域の重工業化を図って国力増強を目論んだ政策の一つであったが、厳冬期には -40℃ 以下にもなるという過酷な環境のため労働者が集まらず、1920 年以降は囚人が強制労働を強いられ、10% 以上が死亡するという凄惨な結果を招いた。
スターリンは、このシベリア開発の遂行のために、囚人の代わりに捕虜を用いたのである。当時、国交のなかった日本からの賠償は、外貨や正貨支払いではなく、役務や現物による支払いで行われることを当然と考えていた。この役務賠償の考え方は、捕虜の強制労働を正当化する理由ともなった。ソ連は 1929 年のジュネーヴ条約に加わっていなかったため、1931 年以降独自規定として戦時捕虜の人道的な扱いを定めていたが、実際にはほとんど守られなかった。
1945 年8月9日のソ連対日参戦によってソ連軍に占領された満州、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島で戦後にかけて抑留された日本人は約 575,000 人に上る。厳寒環境下で、満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約 58,000 人が死亡した。
このソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言に反するものであり、国際法違反であった。国際的にそれが指摘されて、1947 年にソ連は一部の抑留兵を開放して帰国させたが、残りは諜報活動などの言いがかりをつけて戦犯として抑留が続けられた。戦犯であれば当事国の法律によって量刑が決められるので、25 年もの長期刑を言い渡される者が多かった。結果的にシベリア抑留が終わるのは、日ソが国交を回復した 1956 年まで待たなければならなかった。終戦から 11 年後のことである。
シベリア抑留者の集団帰国は 1956 年に終了し、ソ連政府は 1958 年12月に「日本人の送還問題は既に完了したと考えている」と発言した。だがソ連占領下の南樺太で逮捕されるなどしてソ連崩壊後まで帰国が許されなかった民間人もおり、ソ連政府は日本政府による安否確認や帰国の意向調査を妨害し続けた。
ソ連の継承国であるロシア連邦のエリツィン大統領は 1993 年に訪日した際、「非人間的な行為」として謝罪の意を表した。ただし、ロシア側は、移送した日本軍将兵は戦闘継続中に合法的に拘束した「捕虜」であり、戦争終結後に不当に留め置いた「抑留者」には該当しないと言い張っている。
以上のような戦前戦後の状況が、この映画では一切述べられていない。終戦間もない日本人には身内に抑留者のいる家庭も多く、身近なこととしてある程度常識的な話であったが、それは今から 50 年以上前ならではの話であって、2022 年の観客にこうした説明なしに話を進めるのはあまりに雑であると言うべきである。
スパイ容疑で収容されている者には文書の持ち出しが厳しく禁じられていたことや、収容所で行われていた共産主義化教育なども、もっと執拗で容赦ないものであったはずだが、非常にあっさりとしか描かれていないのが非常に不満である。シベリアの酷寒の描写もまた甘口で、「八甲田山」の恐怖を感じさせるような描写の足下にも及んでいなかった。
抑留者たちの飢えに苦しむ様子を描く一方で、日本の家族の暮らしぶりの描写の中で、サンマを焼くのに失敗するのはともかく、それを地面に落とすという無神経さには腹が立った。この映画の制作陣の限界を見た思いがした。映画のテーマが感動的な話であるからこそ、そういうところをいい加減にして欲しくなかった。
もっといくらでも練り上げることのできるはずの脚本と演出だったと思う。俳優陣の頑張りには敬意を表するが、上辺をなぞっているだけの音楽と、場違い感の酷いエンディングの歌謡曲には神経を逆撫された。クリント・イーストウッド監督にでも頼んで撮り直して貰ってはどうかと思った。
(映像4+脚本2+役者4+音楽1+演出2)×4= 52 点。
ハンカチ必須の泣かせる映画
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