「ディアスポラの物語ではあるが」MONSOON モンスーン LSさんの映画レビュー(感想・評価)
ディアスポラの物語ではあるが
ベトナム系英国人の主人公が、亡くなった両親の遺骨を納めるため、6歳以来初めて故国を訪れる。地元のいとこと回る発展した故郷ホーチミンも、親の出身地ハノイもしっくりこない。いとこを含め他者とのコミュニケーションは控えめ、他人行儀または刹那的で(ベトナム語もあまりできない)、居場所のなさが感じられる。
そんな中、最初は一夜限りと思われた現地でビジネスを営む米国人との関係が、とても慎重に進展してゆく。
主人公は父が南ベトナム官吏で、統一後にボートピープルとして一家でサイゴンを逃れ英国に渡った。差別的な経験も受けたのだろうが、ベトナムに残った(逃げられなかった)親族からは裕福になったことも含めやっかみ半分で見られている。米国人の父はベトナムで戦った退役軍人で、父のトラウマの影響を子も受けている。
ラストシーンは疎外感を抱える者同士が相手の心の内に触れ、互いに居場所ができた(そして日々は続く……)ということと解釈した。ストーリー(納骨にふさわしい地を探すこと)上の明確な収束がないので尻切れ感が半端なかったが、本題はそこではないのだろう。
戦争で故国を離れた100万を超える人々を始め、戦争の影響を受けた米越双方の人々の体験が背景にあることは確かだろうが、本作はあくまで個人の物語であり、さらに言えばルーツや民族的アイデンティティよりも個人としての共感が優先されている点に新しさを感じた。
映像は美しく、通過者としての居心地の悪さも含む、旅行している気分が味わえた。特に東南アジアのメガシティとしてのホーチミンの発展具合に驚かされたが、このコスモポリタン的雰囲気、文化的均質性が、上述の共感の共有に繋がるのかもしれない。