MONSOON モンスーンのレビュー・感想・評価
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風化されない感傷
印象的な作品には、得てして幾つかの特徴がある。カメラワーク、最小限の台詞、演者の眼差し… 引きで長回しなアングルには、街の空気感をも閉じ込める要素があり、それが現地の温度感を運び込む。人生の季節が移ろいゆく時、忘れ難い記憶は蘇り、取り戻せない過去を“今”が知らしめる。しかし、画面に映し出される現実は、後向きでネガティブな感情が支配する画では有らず、近代的な様式にゆっくりと覆われていきながらも人の温もりを残していた。忘れられない風景に再び触れに行くこと、それは行動とは裏腹に前向きな思考なのだから。
自分の故郷は消えてしまった……ヘンリー・ゴールディングにとって半自伝的物語!!
ベトナム戦争のときに混乱を避け、国外に避難したボート難民であるキットが、6歳のころの脆い記憶を辿りながら、故郷に30年ぶりの帰還。
ベトナム人でありながら、母国語よりも英語しか喋れない。ホーチミンは自分のあやふやな記憶にある頃とは、全く違うほど経済発展を遂げている。
今作はキットの自分のルーツを探求するロードムービーであると同時に、異国から見た、現在のベトナムを映し出している作品ともいえる。
唯一の知り合いである従兄のリー。英語が少し話せるとはいっても、ときどき会話がままならない。一番近い人物とのコミュニケーションもままならないことから、自然と話しをする相手は、英語の話せる観光客やグローバル企業なとに努める若い世代。
故郷であるはずなのに、疎外感や喪失感を味わうキット。子どもの頃に遊んだ池は跡形もなくビルになっていて、そのビルさえもすでに過去の産物になりかけている。 ノスタルジーに浸れるような場所がどこにもない。
戦争に限らず、何かしらの理由で、母国を離れた移民の人々には、少なからず共感できるような作品ではあるが、何よりもキット役の ヘンリー・ゴールディング 自身がその経験者だ。
ヘンリーは7歳から、イギリスで育っているが、生まれはマレーシア。大人になってから、自分のルーツを探しに20代の頃にマレーシアに帰国していることもあって、半自伝的要素も感じられる役どころである。
ヘンリーのいつもとは違った、繊細な演技をみられるのも、自分の経験を重ね合わせながら演じているからなのだろう。
混沌と、踊りながら
監督の前作の「追憶と、踊りながら」は大好きな作品でした。観ない選択肢はないだろうと・・・ 映画館に駆け付けました。
確かに監督も、主役のキットも、東南アジア出身であり、社会的にも戦争や難民としての生きづらさ等、描きたい内容は盛りだくさんだったろうと思われ、トップ画面の膨大なバイクの縦横無尽な車列同様混沌(カオス)に始まり、混沌に終わったという印象は拭えない。
前作から5年、ホン・カウ監督自身は変わらなくても世界は変わってしまった。捲土重来が期待できる優秀な監督だと期待しながら、ベトナムの美しい景色には見とれてしまいました。
カメラワークが良い
タイトルのモンスーン=季節風
人も時代もそこにとどまることなく次々と移り変わりゆく。風のようにサラリと人生の流れに沿って、その土地、時代や人々と共に生きていくという意味なのかなと。ベトナムの湿気を帯びた風が過去の過ちも悲しみも包み込み連れ去ってくれるのだろうか。
私はまず本作のポスターのベトナムのバロン湾をイメージしたかのような鮮やかなエメラルドグリーンに惹かれた。いつか訪れたいベトナム、ハノイやサイゴンの街の雰囲気、市井の人の様子が見れてベトナムへの思いが募った。
そして冒頭の無数のバイクと車が行き交うシーンが印象的。
ベトナム系イギリス人のアイデンティティを探す旅の中様々な“多様性”とベトナム戦争の爪痕、ベトナムの伝統や急速に経済発展を遂げたベトナムの様子が描かれている。
全体的に会話は少なく、主人公キットを務めたヘンリー・ゴールディングの目や表情で語る演技が巧みだった。
自分探しの旅。
難民として母親とともにイギリスに逃れた主人公キットが、母親の遺灰を祖国に埋葬するため、30年ぶりにサイゴンを訪れる。
街は変化し、自分の記憶も頼りないものになっているが、従兄弟のリーの助けを借り、自分の過去をたどっていく。
そして、キットはベトナムという地の混沌とした経済発展を目の当たりにしながら、自分のアイデンティティを確かめていくことになる。
ゲイであることの描写も、自己のアイデンティティという意味で必要だったのだろうか。
題名のモンスーンは風を感じるように、ベトナムの移ろいゆく空気を感じてほしかったということなのだろう。
劇場で確かめてほしい。
1/17追記:監督のホン・カウ氏はカンボジア出身で、自身もゲイということのようです。主人公キットは自己の投影と考えていいと思います。
フィクションながらも現代社会の実情を描いた映画
親の死をきっかけに生まれ故郷・サイゴンに戻ってきたキットのアイデンティティを巡る物語。キットは6歳でベトナム戦争の混乱の中、家族と共に国を脱した経験を持つ。
市内をバイクタクシーで移動する際の様子、従兄弟のリーの家で彼の母が話すベトナム語が理解できない様子など前半の描写は彼が故郷にいながらも「よそ者(ストレンジャー)」である様が巧みに表現されている。
監督の半自叙伝的な映画と聞いていたが、監督のみならず、このグローバル社会に溢れる移民二世のアイデンティティや実状をリアルに映し出している。フィクションでありながらも、まるでドキュメンタリーを観ているような感覚にさえなる。
後半はキットが放浪のさ中に出会ったアメリカ人ルイスとの関係性の描写に重点が置かれている。
アメリカ人である彼はベトナムでは「よそ者」、ベトナム人だけれども「よそ者」であるキットとの共通点がそこにある。一方で二人の関係性はベトナム戦争の要因とするアメリカに対するベトナムの遺恨の存在をほのめかす。個人としては共通点がありながらも、生まれ故郷の歴史ゆえにキットの感情を探りながら接していくルイス。自分はただその国に生まれただけなのに、国の歴史も背負わされる現代、ここの描写もとてもリアル。
「移民二世のアイデンティティ」、「越境」、「よそ者(ストレンジャー)」などをキーワードに文化人類学、もしくは、社会学あたりの書籍を読んだら、よりこの映画を楽しめそうかなと思った。
そこに愛はあるんか?
政治的な理由でベトナムからイギリスへ亡命した男性。
亡くなった両親の遺骨を祖国へ戻すと共に、自身のルーツを辿るという物語。
あらすじと予告編はかなりエモかったのだけれど…
両親や自身のアイデンティティに対する想いや行動が、どうにも薄〜く描かれているようで、一向にエモくない…
それに加えて、このストーリーに同性愛を持ち出す必然性があったのかなぁ…
相手が、亡命の一端となったベトナム戦争の敵国であるアメリカ人というのが味噌なんだろけど、どうもイギリス出国前からマッチングしてたみたいだし…
ハノイでのワンナイトの相手といい、そこに本当の愛情があったと感じられない所為もあって、あの長〜い絡みのシーンはとても鑑賞に耐えられず目を瞑ってやり過ごすしかなかった…
私の性的マイノリティへの理解が足りないのだろうか…
正直、とてもとても不快だった…
6歳まで交流のあった友人やその家族の、主人公に対する何か喉の奥に引っかかったような表情もモヤモヤして…
【タイトルに込められた意味】
最近のベトナムの経済発展は著しい。
冒頭のバイクの群れが交差点で交錯する様を上空から撮った場面を見ると、渋谷のスクランブル交差点の比じゃないなんて思ってしまう。
僕は、この作品の主要な登場人物4人が、ベトナム戦争で大きく運命が変わってしまった人々と、経済発展が著しいなか、伝統と新しい価値の間で揺らぐ人々を象徴的に表現しようとしているのではないかと思った。
ただ、やはり、ベトナム戦争の傷跡を改めて認識することなしに、この作品を理解するのは難しいように思う。
ベトナム戦争では南北ともに甚大なダメージを負った。
おおよそだが、南ベトナム側の軍関係の死者は30万人、行方不明者が150万人、民間人の死者が160万人。
北ベトナム側は、軍関係で120万人、行方不明者の60万人、民間人の300万人が亡くなったと見積もられている。
そういう意味で、簡単にアイデンティティの映画だと片付ける事が出来ない大きな苦悩が根底に横たわっているのだ。
それは、移住した人々と残った人々、戦争で対峙したそれぞれの側の人々、そして、戦争を知る世代と知らない世代の間に横たわっているはずなのだ。
一部のキャッチフレーズに、”僕たちは戦争を知らない”とか、”アイデンティティを探す旅”とか見かけたけれども、それほど簡単ないものではないと感じる。
(以下ネタバレ)
イギリスに移住したキットの両親は、母国を離れて以来、一時的な帰国はおろか、母国について、そして、母国を離れたことについて口にすることはなかった。
リーの両親は、自由主義国に移住を模索したが叶わず、ベトナムに残り、肩身の狭い貧しい生活を余儀なくされた。
ルイスの父は、ベトナム戦争に従軍し、負傷し除隊したが、おそらく戦闘で人を殺害したことや自身の負傷もトラウマとなって、最終的に自死を選択してしまう。
こうした両親世代の抱えた苦悩と、自分達が抱える苦悩。
リンは、発展し変貌するベトナム社会にあって、伝統的な家業と自らの希望するキャリアとの間で揺れ動いているが、キットやルイスがノン・バイナリーであることも、世代間の価値観の違いを表しているのだと思う。
僕は、この作品は、アイデンティティとは何かというより、ベトナム戦争を知る世代も、直接的に関わることがなかった世代も、知らない世代も、様々な苦悩を抱えながら、生きていくのだと伝えたいのではないのかと考えた。
時には、モンスーン(季節風)に逆らい、時には流され、生きて行くのだ。
静か進行する物語のなかに様々な示唆がある佳作だと思う。
2世と1世と残された人
6歳の頃両親と共にベトナムからイギリスに亡命した男が、30年後にサイゴンを訪れる話。
ベトナムの事情に詳しくないけれど、ベトナム戦争が終わって10年以上経っている頃ですよね?
大切な少しの用事とバカンスを兼ねて2週間の帰郷をした男が、親戚やかつての住居を訪ねて、アイデンティティを探すストーリーだけど、早々に、ん?恋人?そういうのいらないよな~と。
親父がやろうとしたこと、そしてその後の展開を知りというのは悪くなかったけれど、最後は結局又…スッキリとは入ってこなかった。
ディアスポラの物語ではあるが
ベトナム系英国人の主人公が、亡くなった両親の遺骨を納めるため、6歳以来初めて故国を訪れる。地元のいとこと回る発展した故郷ホーチミンも、親の出身地ハノイもしっくりこない。いとこを含め他者とのコミュニケーションは控えめ、他人行儀または刹那的で(ベトナム語もあまりできない)、居場所のなさが感じられる。
そんな中、最初は一夜限りと思われた現地でビジネスを営む米国人との関係が、とても慎重に進展してゆく。
主人公は父が南ベトナム官吏で、統一後にボートピープルとして一家でサイゴンを逃れ英国に渡った。差別的な経験も受けたのだろうが、ベトナムに残った(逃げられなかった)親族からは裕福になったことも含めやっかみ半分で見られている。米国人の父はベトナムで戦った退役軍人で、父のトラウマの影響を子も受けている。
ラストシーンは疎外感を抱える者同士が相手の心の内に触れ、互いに居場所ができた(そして日々は続く……)ということと解釈した。ストーリー(納骨にふさわしい地を探すこと)上の明確な収束がないので尻切れ感が半端なかったが、本題はそこではないのだろう。
戦争で故国を離れた100万を超える人々を始め、戦争の影響を受けた米越双方の人々の体験が背景にあることは確かだろうが、本作はあくまで個人の物語であり、さらに言えばルーツや民族的アイデンティティよりも個人としての共感が優先されている点に新しさを感じた。
映像は美しく、通過者としての居心地の悪さも含む、旅行している気分が味わえた。特に東南アジアのメガシティとしてのホーチミンの発展具合に驚かされたが、このコスモポリタン的雰囲気、文化的均質性が、上述の共感の共有に繋がるのかもしれない。
ベトナム行きたい
2022年1月6日
映画 #MONSOON #モンスーン
(2020年)鑑賞
6歳でベトナム難民としてイギリスに渡った青年が、両親の遺灰を埋葬するため30年ぶりにベトナムへ帰郷
昔の記憶を辿りながら、急速に変化する現在のベトナムがよく分かる
#ヘンリー・ゴールディング いいね
@FansVoiceJP さん
試写会ありがと
タイトルなし
難民として家族でイギリスに亡命した青年
30年ぶりに訪れた故郷
サイゴンで自身のアイデンティティを探す
旅の中での出会いや
亡命にまつわる真実を知り
自分を見つめ直す
サイゴンの景色・空気を
感じられる
ロードムービー
主演は
少年時代の大半をイギリスで過ごし
'08に自分のルーツを探しに
マレーシアへ戻り俳優デビューしたという
ヘンリー・ゴールディング
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