「猫の生る木、ピストルを撃つ鼠……夢の論理で組み立てられたストップモーション×実写の無声作品!」ほらふき倶楽部 じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
猫の生る木、ピストルを撃つ鼠……夢の論理で組み立てられたストップモーション×実写の無声作品!
ほら吹き、というと、ほら吹き男爵を思い出す。
カレル・ゼマンは1961年に『ほら男爵の冒険』を発表している。実写とストップモーションをごちゃまぜにした賑やかな作品だ。
テリー・ギリアムも同じ題材に『バロン』(1988)で挑んでいて、こちらもあらゆる特殊効果を用いた元アニメーターらしい仕上がりだった。
古くはジョルジュ・メリエスも、『ミュンヒハウゼン男爵の幻覚』(1911)という短編を撮っている。
何やらよく似た傾向の映像作家が、こぞって「ほら吹き」という題材に感応し、実作に挑んでいるのは面白い。
無声映画時の1920年代後半に、ストップモーションとスラップスティックを融合した作品群を送り出したチャーリー・バワーズにとっても、きっと魅力的な題材だったのだろう。
本作にはほら吹き男爵こそ登場しないが、いかに面白い「ほら」を吹くかで競い合っている団体が登場し、そこに若手のホープが台頭する。まさに「ほら吹き」話の王道といってよい。
出だしと終盤で、主人公のチャーリーが大砲に首を突っ込んでるのも、もしかするとほら吹き男爵へのオマージュかもしれない。
現実との境界が定かでない、誇大妄想の夢物語。
まさに、実写とアニメーションの境界を越えて踏み出していった上記の面々にとっては、最適の題材ではないか。
スラップスティックとしては、正直かなり間延びしているうえに単調で、『たまご割れすぎ問題』同様、あまり良い出来とは思えない。
一方で、散発的に挿入されるストップモーションの部分は、いずれも愛すべき仕上がりだ。
イタリアの国会議事堂に行列を組んで入っていく巨象たち(まさにテリー・ギリアムによるモンティ・パイソンのアニメーションの先取りのような感じ)。
万物の生る木(汚い野菜がチューブみたいなのでつながってて、結構怖い造形)。
そこから採られたエキスを撒くことで生成される、さまざまな事象。
とくに、「靴紐の生える木」と、「猫の生る木」(中世の絵画に出てくる「羊の生る木」みたいで、これも結構「怖いとぼけ方」してる)は出色のアイディアだ。
いきなり小銃を出して猫を狙撃する鼠や、明らかに傷病兵の格好をしている敗残の猫といった擬人的な表現も面白い。
なんでもありの話であるぶん、多少取っ散らかった内容ではあるとはいえ、全編悪い夢でも観ているようなイロジカルな世界観には、たしかに中毒性がある。
なお、チャーリー・バワーズ本人も、パンフによれば相当の虚言癖の持ち主だったらしく、「ジプシーにかどわかされて、巡業のサーカス団で育てられた」とか、「馬車に轢かれたけど下がやわらかい砂地で助かった」とか「シカゴの高層ビルで両手にオイルランプをもって綱渡りした」とか、言ってたらしい。となれば、本作はまさに「自分を題材にした」映画でもあったわけだ。
そういや昔、会社にいた人で、若い頃はカーレーサーだったとか、元首相のテニスコーチだったとか、従軍記者してたとか、捕まって電気ショックされたとか、ケツに銃弾が残ってるとか、毎日まことしやかにマジで語ってた先輩がいたなあ。……会社でも噓つきすぎて、なんか馘になっちゃったけど(笑)。
現実と非現実の区別がつかないのは、映画くらいにとどめておきたいものです。