劇場公開日 2021年12月4日

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「ヤバい、行きたくなってきた! まだ見ぬ「日本国領土」の現状を垣間見せる、稀少なドキュメンタリー」クナシリ じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5ヤバい、行きたくなってきた! まだ見ぬ「日本国領土」の現状を垣間見せる、稀少なドキュメンタリー

2022年1月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

当たり前だが、国後島には行ったことがない。
海を挟んで、眺めたことはある。
高校生の頃から全国の天然記念物を行脚している僕にとって、それはタンチョウとオオワシとオジロワシに逢うための旅行であり(遭遇率95%というから、余程いるのかと思ったら、ものすごい勢いで餌付けされていたw)、実際には海の向こうに国後島を見たことより、その手前の海で、人生で初めてクロガモを実見した喜びのほうが数等倍大きかったわけだが。
とはいえ、一応は日本の領土でありながら、一般人が足を踏み入れて様子を見ることができないというのは、やはり癪なことではある。正直、政治的な関心云々より、「一体どういうところなのか」という純粋な興味と関心から、映画館に足を運んでみた。

僕が尖閣と竹島に領土問題があるのを知ったのは、お恥ずかしながら成人してからであった。
でも北方領土に関しては、それこそ幼稚園・小学校の頃から、さんざん立て看板やビラや広告を目にしてきたし、逆にそう簡単には解決できない問題なのだろうな、と幼心に思っていた。
実際、歴代の政権にとっては、長く平和条約の締結とセットで懸案となってきた重いテーマだ。

うちの祖母ちゃんは、83歳で死ぬまで「アメリカさんは強かったから勝ったんやし、うちらは負けたんやから何されてもしゃーない。でもだまし討ちではいってきて火事場泥棒しくさったロスケだけは絶対に許せん」とずっと申しておりました(笑)。
まあ、獲られ方があまりに理不尽で筋が通らないぶん、日本としてもこれだけは諦めちゃいけない感が強いんだろうね。一方で、すでに入植者の歴史が半世紀以上積み重ねられていて、今返してもらったとすれば、それはイコール今度はロシア人の皆さんに出て行っていただくという話であり、土地の収奪の問題は常に厄介である。

いざ映画を観てみると、当たり前のことではあるが、植生が北海道のそれとほとんど変わりなく、まんま「日本の島しょ部の一風景」を見ている気になってくる。
地面からはアキタブキのフキノトウが芽生える。
ササ藪の奥には、豊かなブナ林、トドマツ林が広がる。
庭先には、ヤマザクラが花を咲かせ始めている。

だが、そこに日本人はいない。ロシア人がいる。
いかにも日本という自然景のなかで、筋骨隆々の白人がスコップをもって徘徊し、日本ではおよそ見ることのない「犬橇」(というか犬車)が疾駆する、その強烈な違和感。
ああ、日本がロシア人に獲られるってこういうことなんだな、と視覚的に納得させられる。

日本建築とは根本的な概念の異なるバラック建ての住居。
軍事兵器を模しているらしい奇異な公園の遊具。
暗い街灯、海岸に打ち捨てられた戦車、原色重視の住民のファッション。
日本の風景の上層に、ロシアの文化が上書きされている。
その象徴的なアイコンが、友好の証として寄贈された船にかつて描かれ、ロシア旗に「上書き」されてしまった日の丸だろう。

いちばん、今の日本と異なるのは、「軍事」の香りだ。
軍事博物館構想を熱く語る若い軍人さん。日本人に扮装したモンゴロイドの兵隊が白旗を上げる占領時を再現する一大ページェント。そして、おそらく町最大の祝典なのであろう、毎年行われる祝勝パレード。
要するに、ロシアはいまでも「軍部」が国の中枢にあって、領土拡張によって民が自尊心を満たし、それを祭ることで軍国少年を再生産している、われわれとは異なる「戦勝国のロジック」をもって現在進行形で膨張しつづけている国なのだ。
いっぽうで、住民のインフラや環境保全に向けた意識は、極めて希薄だ。いまだに整備される気配のない上下水道。打ち捨てられたゴミ、ゴミ、ゴミ。文明化されていない超大国に典型的な「病」がそこにある(ユーラシアにはもう一つあるよね、そんな国)。
ちっぽけな国後島をちょっとのぞいただけで、ロシアという国のありようが伝わってくる。
おそらくなら、それこそが監督が本作を企画した意図なのだろう。

そんななか、本作には不思議な魅力をたたえる「日本びいき」の老人やアウトローが登場する。
どうせ人生もう残り少ないからなのか、プーチンを怖れもせず、長年たまったソ連時代のうっ憤もふくめて、いいたい放題国のありように文句をいう老人たち。彼らには日本人が島に居た記憶がまだ残っていて、ある種の郷愁と憧れをもって、過去と、日本人の美徳(と花街の追憶)が語られる(ちなみに、本作で監督が老人ばかりにインタビューをとっているのは、日本のことを覚えている年代だから狙い撃ちにしたというわけではなく、若者に対する取材については国からNGを食らったかららしい)。
土を掘って日本の遺物を探し、仲間と野外考古学と野風呂にいそしむ、ガタイのいいオヤジも登場する。趣味でやってるのかと思ったら、パンフを見ると「チョルナカパーチェリ」(黒い発掘人)と呼ばれるれっきとした(非合法の)職業らしい。彼らは、日本人の墓を探し、日本人の村を探し、日本人が植えて野生化したゴボウ畑を発見し、野湯で泥パックに興じる。ああ、なんて楽しそうな!

彼らのように、日本人が観光に帰ってきてくれたり、インフラの整備を手伝ってくれたりすればいいのに、と考えてくれているロシア人もいるというのはうれしいことだし、よくぞカメラの前で語ってくれたとも思うが、現実はなかなかにシビアだ。
結局は、あの観光局だか交通局だかのジョージ・クルーニーみたいなおじさんが語っていた、「第二次世界大戦の結果の再検討はしない。島を返還する理由などない。ロシアになんの益もないのに、なんでそんな必要がありますか?」ってのが、ほぼロシアの立場から見た「ファイナル・アンサー」だからだ。
だって、俺がロシア人だったとしても、そう思うもの……。

実効支配ってのは、それを長期にわたって認めさせてしまった段階で、もう事実上手遅れであり、それをひっくり返すには、結局は「武力」以外残された手段がない。
本当にそう口にしたら党を辞めるはめになった議員がいたが(笑)、別に「口にしてはいけない」だけで、それ自体は紛うことなき真実である。
ソ連邦崩壊のときがおそらく唯一のチャンスだったのだろうが、もはや問うても詮無いことだ。

きっと国後島は、「領土紛争地の島」として、(日本人にとってだけ)宙ぶらりんの状態のまま、これからもずっとあり続けるのだろう。決して返ってこないことは分かっていてもなお、「言い続ける」こと、「主張しつづける」ことにも、大きな意味はある。逆に「返してくれ」と言うのを辞めたら、国としては本当におしまいだ。僕個人は二島返還論者ではないので、北方領土がある以上、ロシアとの平和条約も、結ばれることは未来永劫なくていいと思う。「中途半端」と「宙ぶらりん」を受容する胆力こそが、本当の政治の力、国民の力なのであって、今の状況を安定的に引き伸ばし続けることもまた、一つの戦略だ。
いや、そもそも、両論が対立するような政治的課題の大半は、もやもやした状態のままで「解決しない」ことこそが、実は専ら「最適解」だったりするものなのだ。

でも、ここで出てきたおじいさん、おばあさんや土掘り屋のオヤジを実際に見て、何らかの形で――たとえば「観光」としての交流だけでも、復活していけたらいいんだろうな、とは思った。
てか、実際にあの土掘り屋と会って、国後島をぜひガイドしてほしい! そして一緒に野湯に入りたい(笑)。……まあ、無理だろうけど。

どうしてもこういう国境紛争地みたいなところの話になると、思考や意見が戦略的になったり空理空論に走ったりしがち(いっそのこと滅ぼしてしまえ、的な)なのだが、そのときに「実際に見てみる」「実際の住人の生活ぶりに触れる」「できれば話をしてみる」ことは、大変に重要だ。
奪われた土地ではあっても、そこには奪った行為とはもはや直接関係のない入植者とその子孫が生きて、彼らの生活を日々営んでいる。それを見て、知り合いになって、なんなら一緒に酒でも酌み交わしてみて、なお出て行けと言えるのか(いや、言っても全然かまわないんですが)。

なんにせよ、「まず相手を知るのが重要」だということは、断固返還論者であろうがなかろうが認めていただける、普遍性な共通認識であるはずだ。
その意味で、こうやって「実際に国後島で生活する人々のようす」を目にすることができたのは、日本人である僕にとっても大変意義深い体験だった。日本人には到底不可能で、おそらく英米仏の人間にもできないことを、「パリのロシア人」であるコズロフ監督が成し遂げてくれたことに、感謝の念を表したいと思う。

ちなみに、ラストで遠く海を眺めるショットってたぶん、続編『NEMURO』で同じショットで終わる布石だよね(笑)。

じゃい