「【”行かないで、傍にいて。”今作はイランの文化、言論統制に対しパナー・パナヒ監督が様々なシーンで暗喩の形で、抗議の意思を表明し、イランを憂う想いを綴った作品ではないかと思った作品である。】」君は行く先を知らない NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”行かないで、傍にいて。”今作はイランの文化、言論統制に対しパナー・パナヒ監督が様々なシーンで暗喩の形で、抗議の意思を表明し、イランを憂う想いを綴った作品ではないかと思った作品である。】
■ご存じのように、レビュータイトルでも記した通りイラン政府は、様々な文化、言論統制を民に強いている。
そのターゲットは、当然の如く映画にも向けられて来た。
有名な所では、イラン映画の巨匠、故アッバス・キアロスミタ監督であり、彼は政府の干渉に対し、”何を撮れば許されるのか。”と表明し、”子供ならば・・。”と言う回答を得て制作したのが、私が好きな”ジグザク道三部作”であり、”名作「桜桃の味」である。
更に言えば、パナー・パナヒ監督の父、ジャファル・パナヒ監督は度重なる拘留の末「これは映画ではない」を作り上げている。
そのような、イランの映画製作事情を知っていると、今作の見方は大きく変わって来ると思う。
◆感想<Caution!内容に触れているとともに、当方の勝手な類推を記載しています。>
・映画は、前半は左足を骨折した父ホスロと、妻、余り口をきかないハンドルを握る男と旅行に興奮している幼い男の子の旅の風景から始まる。
・だが、見ていると妻は何者かに追われているかのように、苛苛しているし、運転しているのが男の子の年の離れた兄である事が分かって来る。
・会話の中で、長男をイランの外に逃がすために、家族が車を走らせている事が徐々に分かって来る。トルコ国境近い、山岳地帯に入ると、覆面をした道案内の男がバイクで現れ行き先を指示する。
その通りに走って行くと(ここから、遠方から映されるシーンに代わる)待合場所が有り、長男は家族と離れて行くのである。
■印象的なのは、長男が居なくなった後に、騒々しかった幼い二男が、第三の壁を越えて見る側に大人の声で歌い掛ける切ないメロディの曲である。
”行かないで、傍にいて・・。”
<今作は、父ジャファル・パナヒ監督がイラン政府との闘争を重ねて来た事を、間近で観て来たと思われるパナー・パナヒ監督が、イランの文化、言論統制に対し、様々な暗喩のシーンで、抗議の意思を表明している作品ではないか、と私は思ったのである。>