「「行き先」ではなく「行く先」を知らない 秀逸な日本語ネーミング」君は行く先を知らない マツドンさんの映画レビュー(感想・評価)
「行き先」ではなく「行く先」を知らない 秀逸な日本語ネーミング
イランからトルコへの不法出入国のためのドライブ。幼く天真爛漫な次男だけがその事情を知らない。
なぜ、不法出入国の選択をしたのか、は描かれない。検閲?のため描けないのかもしれないけれど、そこはあえて描かなかったようにも思える。描かなかったことによって、家族にあてた焦点が鮮明となっている。
父母と、子の関係。
幼かった時には、ちょっと大人をハラハラさせるおやんちゃさを、愛情深く包み込む父母の存在。大人になった時には、根底にあるその愛情は変わらないながらも、膨らみ切ったズレに足をとられて、愛情は素直に表現できない不器用さ。
長男と次男は、もしかしたら2人とも監督自身かも。2つの時間を同時に描いた、と考えられなくはない、かな。
「自分は、二十歳の時にはすでに、一人前に家庭を築いていたのに」というような嘆きを父親がもらす。できが良いとは言えないこの息子は、家を抵当に入れてもらい、借りた金を不法出入国の支払いに充てるという、ふがいなさ。
愛する子を心配しながらも、複雑な心境が会話の随所に表れる。
親子関係って、積み重ねた時間にこんがらがったものが見えない壁となって、その向こうとこっちでやり取りするような、ちょっとめんどくさいもの、じゃないですか。
ただ、長男のふがいなさは、イランの歴史・社会・経済状況を抜きにとらえてはいけない、とも思います。1978年に親米政権が倒されたイラン革命。アメリカによる長期にわたる経済制裁。最近のインフレ率は約50%。10%前後の失業率。
スカーフを強制する風紀警察にも問題ありですが、経済制裁によって民衆を苦しめる政策を続ける国際社会はどう?
そうした現実をバックボーンとして踏まえれば、長男をふがいないというのは、ちょっと理不尽かな。誰も行く先を知らないんです。
次男の可愛らしさとパワフルさ、ロングショットで描くクライマックス。それらの装置で楽しませることで、けっこう重い題材をそうとは感じさせない監督の感性。嫌いじゃありません。
お父さんの映画『熊は、いない』も見逃しちゃいけないかな。