「ラーヤーン・サルラク君を愛でる」君は行く先を知らない 正山小種さんの映画レビュー(感想・評価)
ラーヤーン・サルラク君を愛でる
題名の「jādde-ye khākī(土の道)」が示す通り、両親と長男、二男の合計4人が荒涼としたイランの大地をトルコとの国境に向かって車で旅する「fīlm-e jāddeī(ロードムービー)」でした。
最初は旅の目的も目的地も明らかにされないのですが、だんだんと旅の目的地がトルコとの国境付近であることや、旅の目的が長男のイランからの出国、それも違法な形での出国ということが分かってきます。ブローカーの村で村人が主人公らに「mosāfer(旅人)か」と尋ねるセリフがとても印象的でした。密航を斡旋するブローカーをghāchāgh bar以外に、ādam parān(人飛ばし)やmosāfer parān(旅人飛ばし)と言っていたことを思い出します。ただ、長男のトルコ渡航の目的や動機は最後まで語られることはありませんでした。
動機が語られることがないとはいっても、道中の会話からは、この旅が長男との今生の別れとなることを、二男を除く家族全員が感じていることが伝わってきます。長男との約束に従い、別れの悲しみを表に出さないよう、無理に明るく振る舞い、革命前の懐かしいメロディーを口ずさんだりする母親たちと、最初から最後まで明るく悪戯っ子な二男が見事に好対照な存在となっていました。
長男との別れの旅という悲しいテーマのはずなのですが、この能天気な二男の存在によって、また二男と家族との会話によって、コメディー映画として十分に楽しめました。
そういえば、初めて見たイラン映画はアッバース・キアーロスタミー監督の「友だちの家はどこ」だったのですが、そこで見た主人公のネエマトザーデも非常に魅力的なキャラクターでしたし、その他、運動靴と赤い金魚など、イラン映画には魅力的な子供が多いということを改めて感じました。
さて、長男のトルコ渡航の動機が劇中では語られないと書きましたが、普通に考えたら、就労目的や移民目的なのだろうということは分かると思います。ここで、昨年のマハサー・アミーニーさん殺害事件後のデモを絡めて、亡命と考えるのは時代錯誤ということになるだろうと思います。というのも、映画はそれよりも以前に作成されているのですから。
イラン出国の目的については、新しい統計をもとにしますが、例えば2022年から2023年にかけての冬の15歳以上の失業率が約9.7%であり、同じ期間でも18歳から35歳のグループに限ると約24.2%の失業率ということを考えると、やはり就労目的だろうと想像してしまいます。そういえば、日本もバブル景気と言われた頃にはイランから沢山の方々が観光ビザで出稼ぎに来られていたようですし、実はお父さんもかつては日本等に出稼ぎに行っていた過去があったとか……は、さすがに想像力を働かせすぎですね。
物語の筋は以上の通り、とても分かりやすいものなのですが、映画を見ていて、どう受け取っていいのか分からないシーンもありました。例えば、ブローカーの村に入る手前のところで、羊の毛皮の代金を支払うシーンがあったのですが、このシーンが良く理解できませんでした。ブローカーへの手数料を毛皮代名目で支払うということなのでしょうが、なぜ羊の毛皮代?と頭にクエスチョンマークを浮かべながら映画を見ました。帰宅後、不思議に思ったのでググってみたところ、面白いブログの書き込みを見つけました。
このシーンは、バハマン・アルクとバハラーム・アルクの双子の兄弟のショートフィルム「けもの(AniMal)」のオマージュではとのことでした。このショートフィルムはカンヌのシネフォンダシオンにも出された作品ですが、人が羊のようなけものに変身し、ある区画から逃げ出そうとするも、最終的には狩人に狩られるという作品で、羊の毛皮繋がりでは、そうなのかもと思いましたが、そうすると、長男はイラン出国時、あるいはトルコ出国時(YouTube等にアップしているイラン人移民たちの動画を見ると分かることですが、イランを密出国したイラン人はその後ギリシアに向かい、そこからドイツなどのヨーロッパの国々に密入国する人が多いのですが、トルコからギリシアに密航する際には、粗末な作りのボートで向かうことになり、途中で命を落とすということがあるそうです)に亡くなってしまうのでは等と想像してしまいます。物語の最後でペットのジェシーが亡くなってしまうのも、ファリードの死を想像させてくれます。
ファリードとお兄ちゃんの名前を書いて思い出しましたが、物語の終盤で二男が父親にお兄ちゃんの今後について尋ねたシーンで、お兄ちゃんは結婚するんだよと言ったことに続けて、お兄ちゃんはオフロードバイクに乗ってレース云々と話していましたが、この台詞の最初の部分が、ファリードはパリード(飛んだ又は跳んだ)と言っており、駄洒落かよと突っ込んでしまいました。字幕は英語訳からの重訳だからか訳者の怠慢からか、「ファリードはバイクに乗って」という感じに訳されており、少し残念でした。まあ、駄洒落を活かして翻訳するのは本当に大変でしょうが......。
このように、笑えるだけでなく、見ながらいろいろと悲しいことも考えてしまいますが、ラーヤーン・サルラク君の無邪気な演技に和まされ、彼の演技を愛でる自分がいました。また、劇中で革命前の懐メロが沢山聞けるのも良いですし、エンディングでエビーのシャブ・ザデがかかった時には、イラン人はやはりエビーが好きなんだなと改めて感じてしまいます。