マイスモールランドのレビュー・感想・評価
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改正出入国管理法、6月より施行を前に。
正直に告白すると、観ていて居たたまれなくなり、配信を何度も何度もストップさせながら、なんとか最後まで観た。
それくらい苦しい映画だった。
「取材に基づくフィクション」とうたいながら、描かれている内容は、どの場面を切り取っても、鮮血が滴るように「リアル」だからだろう。
主人公サーリャは、身内にも地域からも、通訳としての役割を期待されていることが描かれる。頼む方は「彼女のできること」のみに目を向けているので、「彼女がそこに割かなければならない時間や労力や心理的な負担」には思いが及ばない。
それはまるで、昨年末、NHKで放映された「デフ・ヴォイス」で描かれた、ろう者の家庭でただ1人聴者に生まれたコーダの草彅剛が、当たり前の役割として、父の余命宣告を手話通訳をさせられていたのと同様に映った。
仲の良い友達にも、自分の出自を話せない。
クルド人であることに誇りが持てず、手のひらについた染料を隠してしまう。
ちょっとした誤解からドイツ人と思われたことを訂正できず、自分からも名乗ってしまう。
等々…。
これらも、出自や自分に付随する何かを理由に差別されることを恐れる気持ちからくる自己防衛ということでは、とても普遍的な反応で、誰しも何かしら思いあたることがあるだろう。
国から、「不法入国者」という扱いを受けなければ、努力家で、家族思いで、大学推薦を勝ち取る力のある彼女は、小学校教師になるという夢に向かって、まっすぐ進める道が開けていたかもしれない。
大学進学の経済的な問題は生じるかもしれないが、実際彼女は3か国語を操り、ボランティア精神にも富み、実体験を持っているということから、小学校の外国籍支援や、日本語教室の教諭としては、またとない人材になりうることは間違いない。
けれど、それも難民申請の不受理で、水の泡。
調べてみると、元々、日本の難民認定率の低さは、世界の中で飛び抜けて低く問題視されてきたが、トルコ出身のクルド人に関して言えば、これまで認定者は0人。つまり、0%なのだそうだ。
(NPO法人 難民支援協会のHPより)
「本日よりこの在留カードは無効になります。」
と言って、パンチで穴を開ける田村健太郎演じる職員の無慈悲さ…。
仮放免されても、移動の自由は制限され、働いて稼ぐことも許されない。
これが人権侵害でなくて、なんなのか。
金をちらつかせて欲望を満たそうとするパパ活おやじの醜さ。
「日本語お上手ね」と話しかける老婦人の悪気のなさ。
事情を知った聡太の叔父や母も、結果的に「聡太とはもう会わないでやってくれないか」と、関わりを断つことで問題から目を背ける方向に動こうとするのは、こうした問題解決の経験の乏しさから来るのか。
大家の「こっちは善意で住まわせているんだから」発言の押し付けがましさも、「支援=思いやり」の利己的な満足感を想起させて、あっという間に相手が自分の思い通りに感謝の様子を見せなければ、怒りへと豹変しそうな危うさを感じさせる。
そんな中で、最初から最後まで、聡太とのシーンが本当に救われた。
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外国人の難民申請3回目以降は「強制送還の対象」とすることなどが盛りこまれた改正出入国管理法が、4月の閣議決定で、6月から施行されることになったそうだ。
日本は、本当に人権を大切にする国と、胸を張れるのだろうか?
国土はその小さな心の中に
正直、この作品について語れる知識がない。
どの程度リアルだとか、どれほどの苦しみかとか、どこに問題があるのかとか、何も知らない。
でもだからこそ、観てよかったと思う。
在留資格が失われた理由や、どうすれば取り戻せるかは最後まで明かされない。
もちろん誰でも彼でも受け入れていては国が立ち行かなくなることくらいは分かる。
だが、就労を禁じられてどう生き延びればいいのか。
せめて何の落ち度も選択肢もない子どもたちにだけでも、保障や援助はないものか。
主人公であるサーリャは、推薦がもらえるくらい勉学に励み、夢のためにバイトもこなし、家事も手伝う。
父も、兄弟のことのみならず「他のみんなのことも頼む」なんて、どれだけ重責を負わせるのか。
彼女がいなきゃ、もっと状況は悲惨だったろう。
美しさも相まって魅力的ではあったが、彼女がしっかり者すぎて問題がマイルドに見えてしまっていたかも。
友人2人は描写が薄いため、立場の違いの対比としての機能よりもパパ活への導線の印象が強い。
ロナヒや担任、恩師、許婚、聡太の母なども記号的。
コンビニ店長の葛藤や、「これからは好きなように食べろ」と言うまでの父の心理なども描写が足りない。
聡太も、現実的ではあるが無力なまま何も出来ず終い。
妹を残して崎山家を訪れたことや、みんなで旅行に行ったことなどのきっかけが描かれず、唐突な場面も多い。
そもそもこの作品自体、何も好転せず何の結論もない。
ドキュメンタリー以上たり得ないという意味で、映画としての評価は高くない。
しかし、映画だからこそ触れるきっかけとなる側面もあり、作品自体の価値は高いと思う。
同じ人間なのにな
クルド人というだけで自国がなくなり日本に移住して住んでいるのに難民認定されなくなって、働くことさえできない。
島国で居住面積のアッパーが見えている日本では、どこかで線引きをしなければならないのだとは思うけど、同じ人間じゃないかよぉ…と虚しくなる。
主人公のサーリャが責任感が強くて、友達にも元先生にも好きピにも本当の自分を見せないし、相談もしないし弱みさえ気取られないように振る舞うのがまた泣ける。
好きピも、ぐいぐい突っ込んで聞くタイプじゃないけど、それくらいの方がサーリャには心地良かったんだろうな。
そんで妹の反抗期よ、私だったらお前も家賃工面するの手伝ってよーー!って言っちゃうだろうなー。あんな大人な対応できん。
最後はパパンが国へ帰る代わりに子供がビザを取得できる…ってところで終わるけど、ほんとに取れるのかな。
ビザを取得できても学校のお金とかどうするんだ…。もう養子にしたい。
そんでもって池脇千鶴の役作りすごくない?
特殊メイクなのかな…声は池脇千鶴なのに顔と体が別人でビビった。
小さな島国日本、の更に小さな埼玉県
に閉じ込められた。
ただこの映画の問題点として、埼玉県に閉じ込められているのにも関わらず、滅茶苦茶東京に行くことが挙げられる。どうした?この勢いのまま、神奈川まで行く勢いじゃないか。日本の東京至上主義を感じるね。良くないよ本当。
今の日本に存在する見据えなければならない問題
(ネタバレですので鑑賞してから読んで下さい)
幾たびもの死者などを出している日本の入管(出入国在留管理庁、かつての入国管理局)のひどさは、もっと日本の国民にも知られる必要があります。
そして入管による強制収容の判断は、現在は入管の単独で決めることが出来ますが、その判断は刑事裁判と同じように、裁判所の公判で判断される必要があると思われます。
日本の一方的で独断的な入管の判断は、どう考えても難民であると思われる人々を難民認定することなく排除しきっていると、この国の難民認定の絶望的な割合の少なさからも個人的には思われます。
(欧米の難民認定率が約63%~25%の中で、日本の難民認定率は約0.7% ※難民支援協会より)
また真っ当に働いていると思われる外国人労働者への独善的な排除も数多く感じられます。
この映画は、そんな入管から(個人的にも現実にある不当と思える)難民認定されない家族のストーリーになっています。
しかし一方で、フィクションの映画として存在するには、テーマ主義で描いてはいけないとは思われます。
なぜならフィクションの映画では、描くのは人間であり、決してそれを利用したスローガンプロパガンダになってはいけないと思われるからです。
この映画は、そういう意味でテーマ主義から脱して、主人公のサーリャ(嵐莉菜さん)の普通の日常がきちんと楽しく描かれています。
このことはどんな立場の人であっても、地続きの同じ人間であることを私たちに伝えてくれます。
その上で、だからこそ入管の独善のひどさが際立ってくるのだ、とも思われてきます。
主人公のサーリャの家族は、サーリャ役の嵐莉菜さんの実際の家族というのを後で知りました。
その自然な演技は、とても初心者の演技とは思えず、みな自然で輝いていたように思われました。
この自然な演技を引き出した監督にも素晴らしさを感じました。
クルド人達の周りからあるいは彼らへの日本人の住民からの伝達に、日本語の出来るサーリャ1人に役割が押し付けられているなどの個々のエピソードもリアリティがあって良かったです。
惜しむらくは、サーリャと家族以外のクルド人達やサーリャの恋人になる崎山聡太(奥平大兼さん)の家族親戚などとの関係性が、サーリャの友人も含めて、(家族と恋人になる崎山聡太以外)一方的なワンターンの関係性で終わっているところに、映画としてのドラマ性にまだ改善の余地があったのではないかと僭越ながら思われました。
またカットの撮り方もまだま工夫の余地があるようにも思われました。
個人的にはその点が傑作になりえなかった点ではと思われながら、その点を差し引いても秀逸な映画となっているとは思われました。
私たちの未来に光がありますように
クルドって何処…?
多分ほとんどの人が、劇中で奥平大兼演じる青年と同じく思うだろう。
国を持たず、主にトルコ、イラク、イラン、シリアなど中東地域に分布。人口数は4600万人以上と言われている。
我々はそんな基本情報すら知らない。
ましてやその歴史、日本の入管の実態、彼ら個々が何を思うのかーーー。
こうやって映画を通じて知り得たのも何かの縁。
意欲的な作品で、意義ある作品。
かつてはオスマン帝国の領内に存在していたクルド人。が、第一次大戦でオスマン帝国が敗れてからは中東各国に分布。それぞれの国の情勢、武力抗争などにも翻弄され、難民としてあり続け…。
迫害を逃れ、日本にやって来たクルド人たちも少なくない。主に埼玉県の蕨市や川口市に暮らし、その数は2000人以上と言われている。
争いは無く、平和な日本。ようやく見つけた安住の地…ではなかった。別の不条理が彼らを襲う。
日本で難民申請が認定されるのは1%未満。1%未満って…。じゃあ、残りの99%は…? “仮放免”って場合もあるらしいが、要は不法滞在の身。故に仕事をする事も出来ない。驚いたのは、県外に出る事も出来ない。もし、違反したら…。
ある日突然、認定ビザが失われる。ずっとここで暮らしていたのに…。
入管で身柄拘束。行く行くは強制送還…。
自由を求めて平和な日本にやって来たのに、そこで遭う過酷な現状…。
逃れてきた国に居るのと日本で暮らすのと、どちらがいいのか…。そんな疑問すら浮かんでしまう。
日本の入管が厳しいのもそれなりの理由があってだろう。実際、悪質な不法滞在者も少なくない。
だが、そうなってしまった事、せざるを得なくなってしまった事、彼らをそう追い込んでしまった事、本当に苦しんでいる難民たち…。
どうすべきか、何とかならないのか、今一度見直すべきではないのか。
本作を通じて、一人でも多くの人たちに届いたら…。
作品は一人のクルド人少女の視点で描く。
17歳の高校生、サーリャ。幼い頃日本にやって来て、以来ずっと日本で暮らす。
母親は亡くなり、父、妹、弟の4人暮らし。
将来の夢は小学生の先生。日本に来たばかりで日本語も分からなかった幼い頃、よくしてくれた先生に憧れて。
その夢の為に、父親に内緒でコンビニでバイト。
ごく平凡な女の子。
そう、ごく平凡な女の子なのだ。学校では友達と遊んだり、バイト先の男子の事が気になったり…。
では、何が違う…?
やはりそこに、“クルド難民”という壁が立ち塞がる…。
ある日突然、難民申請が却下。一家を支えていた父は働く事も出来ず、県外に出る事も出来ない。サーリャのバイト先は埼玉と東京の県境。
働かなければ生活出来ない。一家の生活はやっとの事。
サーリャもこっそりバイトを続けていたが、父親が入管に身柄を拘束されてしまう。
突然一家を襲った理不尽な現実…。
幾ら法とは言え…。
法というものは、国民一人一人の尊厳を守る為にある。よりよい国家にする為にある。
しかし、時としてそれが、弱者を苦しめる。
法を盾にされたら、どんな理不尽でも抗う事は出来ない。ずっと日本で暮らしてたのに、突然不法滞在者と言われても…。
入管の他人事のような事務的対応。さすがご立派なお偉い管理側だ。人一人の事、営みなどどーでもいい。法なんだから法に従え、とでも言うように。
そう言い渡された側は…
収入がストップ。貯金でやりくり。でも、それも微々たるもの。
友達の紹介で“パパ活”をする。外国人ならではの容姿と美貌を活かすも、寄ってくる男どもは下心見え見え。
バイト先にも認定却下が知られ、居られなくなる。
いつか行こうと約束したバイト先の男子との大阪旅行も行ける訳なく、抱いた夢すら…。
何の見通しすらままならない。
辛いのは直面する数々の現実もあるが、これを機に改めて知る、自分が外国人である事。
バイト先の老女客の一言。決して差別や偏見や悪意があって言った訳ではないが、チクチク突き刺さる“ガイジン”扱い。
確かに自分はクルド人だ。でも、ずっと日本で暮らしている。これからも日本で暮らしたい。日本が故郷だ。
ここに居たいと思うのは、ダメな事なのか…? 違法で罪なのか…? そんなにも許されない事なのか…?
彼女の眼差し一つ一つが、切ない。
本作が商業デビュー作。いきなり難しいテーマを取り上げ、徹底した取材の下、問題提起しつつ、一人の少女の青春、成長、アイデンティティー、家族や民族の物語として纏め上げた川和田恵真監督の手腕は、また一人凄い新人監督が現れたと唸らされる。監督自身も日本人とイギリス人のハーフ。だからこそ、よりメッセージが響く。
サーリャ役は実際のクルド人ではない。もしクルド人を起用して、いつぞや認定が却下された時、問題から守る為起用を断念したという。
この難しい主演を射止めたのは、まさしくフレッシュな逸材!
嵐莉奈。モデルで、本作で女優デビュー。
ドイツ、日本、イラン、イラク、ロシアの5つのルーツを持つ。
一目見ただけで吸い込まれるその圧倒的な美貌は、彼女こそ“千年に一人”に相応しい。
加えて、劇中で繊細な演技まで魅せるのだから恐れいった!
今後の活躍に本当に期待!
この二人の若く才ある監督と主演女優の出会いがあってこそ、本作は生まれたと言って過言ではない。映画に存在する奇跡の瞬間。
サーリャと惹かれ合う男子、聡太役の奥平大兼。
藤井隆、池脇千鶴、平泉成ら実力派がサポート。
でも特に印象に残ったのは、サーリャの家族。知って驚き! 嵐莉奈の実の家族だという。
それを知ると、自然体なやり取り、家族でラーメンを食べるシーンのささやかな幸せ、じわじわしみじみほっこり滲み出すものに納得。
お父さん、いい味出してたなぁ…。本来は日本語ペラペラで、劇中の片言の日本語は演技だとか。これまたびっくり!
サーリャを突然襲う不条理と理不尽。
しかし、日本での事全てが嫌な事、悪い事ではない筈。
友達や淡い初恋…。
夢を抱いた。
勉強もバイトも頑張った。
私はここに、存在した。
自分は何者か…?
日本人ではない。が、ずっと日本で暮らし、これからも日本で暮らしたいと切に願っている。
クルド人ではあるが、日本以外で暮らした記憶は無い。自分たちのルーツも人伝えぐらいにしか…。
だから時々、クルド人の儀式にもうんざり。だけど、彼女たちを囲む同胞たち…。
クルド人である事も忘れてはならず、誇りであらなくてはならない。
クルド人と日本、二つの恩恵を受けて…。
ラスト、父親のある決断。
それを受けたサーリャの選択。
受け入れなければならない現実。この問題は続いていく。
いつか、訪れるだろうか。
この“スモールランド”が、彼女たちにとっても“ビッグカントリー”になる日が。
そんな日を願って、努力して。
クルド人と日本人。私たちの未来に光がありますように。
島国根性
この国を如実に物語っている、まぁウルトラライトな人達からのエクスキューズが聞こえてきそうなストーリーである。
前述の所属者からすれば、『こんな不良外国人共は早く国に帰れ』と宣うであろうし、上から目線で『住まわせてやってるんだ』とばりに、糾弾することが容易に想像出来る。
今作品を観て、直ぐに頭に思い浮かべたのは、小松左京著『日本沈没』。こんな国、早く沈んでしまえばいいんだと思っている自分とすれば、どうせ他の国に亡命したって上手く世渡れない矮小な民族感に打ちのめされて、ざまぁみろとほくそ笑む妄想に駆り立てられる自分がいるw
主人公の女の子は強かにこんな腐った国でも生きていける。弟妹も面倒みれる。それだけのポテンシャルを充分表現した演技だからだ。
さて、周りの日本人達はどうだ。他国へ難民として行くにはそれなりの持参金が必要だぞ。全部没収だけどねw
それならば、地球が隕石に衝突する、その瞬間迄、家族と過ごした方が幸せなのかもしれないね・・・
県境の南、荒川の西
つらい映画である。
出てくる日本人が皆浅薄で、理不尽で、非道に見える(一人を除いて)。難民ひいては移民問題は、日本のみならず世界的な課題であり、島国の日本よりもヨーロッパやアメリカの方が深刻だろう。ほかの国がもっと直接的で苛烈な反応をしているのに比べて、日本は真綿で首を絞めるようなやり方でじわじわ追い詰めていくというか…。
この映画で描かれたような個別のケースに着目すれば、在留資格を剥奪して就労を禁じ移動の自由を制限するなどというのは、義憤に駆られるしかないが、国家は大局をかざして建前を貫こうとするのだろう。最近の北欧2カ国のNATO加盟をトルコが頑なに渋った件などもこのへんの事情が影を落としている。
映画を見ている間中ずっと不安だった。どう考えても、日本の現況からすればハッピーエンドになるとは思えなかったから。案の定主人公は強い意思を示して終わるものの、収入の道が閉ざされた未来は暗澹たるものだ。
主人公の家族役が本当の家族というのは、あとで知って驚いた。主役の女の子は好演。相手役の少年が描くジャクソン・ポロック風の絵はナゾだ。妙に禁欲的で、時折公共広告機構っぽい空気が漂うのが少し気になった。
“わたしの”スモールランド
主人公は日本に暮らすクルド人の高校生、サーリャ。
彼女は、母国での政治活動に対し弾圧を受けていたクルド人の父親に連れられて日本に来た。
クルド人は、トルコを中心に何ヶ国かに居住し、“クルド人国家”というものを持たない。
まだ幼いサーリャの弟が学校になじめず、サーリャと父親は、弟の担任から呼び出しを受けた。その帰り道、父は幼い息子に、「俺たちの国はここにある」と、力強く自分の胸を叩いて見せる。
国はないが、自分のスモールランドは心の中に確かにある、と父親は言うのだ。
サーリャの家ではクルドの習慣を守り、食事にはお祈りを欠かさない。周囲にはクルド人のコミュニティがあり、彼らは同じ仕事に就き、休日には集まっていっしょに食事をする。
だが、生まれた土地の記憶も曖昧で、幼少期から日本で育ったサーリャは、父親とは違う思いを持っている。
このあたりの主人公の心情を表す脚本が巧い。
例えば、「ワールドカップ で日本を応援したかったけど、そう言ってはいけない気がした」、というサーリャのセリフは、子どもながらに友人たちの中での彼女の微妙な立場、複雑な心情を表していて秀逸。
ドキュメンタリーで事実をきちんと説明されるよりも、観る側の想像力を刺激し、共感が引き出される。
そう、サーリャには日本での生活のほうが当たり前になっている。父親には、ほとんどクルド人同士の付き合いしかないが、サーリャには同世代の日本人の友だちやボーイフレンドとの交流があり、むしろ、クルド人との付き合いに違和感を覚えることも多い。
そして彼女は、将来は小学校の先生になりたいと思っている。
そう、サーリャにとっての“スモールランド”は、むしろ、日本での暮らしや身の回りにある日常なのだ。
だが、そんな決して派手でもなく、どこにでもいる高校生の“スモールランド”は、突然乱される。
一家の難民申請が却下され在留ビザがなくなってしまったのだ(つまり不法滞在となる)。
ビザのないサーリャは大学の推薦を受けられなくなり、将来の夢を断たれてしまう。
ビザがなければ就労は認められない。サーリャがバイトを続けられなくなりばかりか、父親は仕事をしていたことが法に触れ、入管に収監されてしまう。
家族の中で、感覚の違いが表れる場面がある。
家族4人でラーメンを食べるシーン。
妹がラーメンをすすって食べていると、父親が「音を立てて食べるな」と注意する。ご存じの通り、日本人はラーメンや蕎麦うどんを、すすって食べる。
妹と弟は「すすって食べる派」だが、その場はサーリャがあいだに入って収めた。
だが、映画の終盤、収監された父親にサーリャが面会に行くシーン。
「親が入管法に従って帰国すれば、子どもたちには難民申請が認められる」という判例を知った父親は、逮捕や迫害を覚悟して、ひとりだけ母国に戻ろうとしていた。
父親は、「ラーメンは好きなように食べなさい」と告げる。そして、サーリャが使っていた自転車の置き場を教える。
サーリャは自転車に乗ってバイトやボーイフレンドとのデートに行っていた。サーリャにとって自転車は、自由の象徴だった。
父親は自分を身代わりの心に、サーリャの“スモールランド”を守ろうとしたのだ。
国や制度は、人びとが大切にしている“スモールランド”を奪っていいのか?
そして、その国は、僕が暮らす国なのだという現実が苦しい。
翔んで埼玉リアル版
川口市在住の人間として地元がロケ地ということで思わずチェックリスト入り。
川口と言えばクルド人以外にも外国人が目立つ土地柄であり、これを機に外国の文化や諸々の問題を勉強しておきたい。
いざ、MOVIX川口へ。
難民として日本で苦しい生活を余儀なくされているクルド人がテーマの作品。
文化や法律と言った様々な困難に直面するクルド人を知ることで問題の真相に迫ることができるのではと期待していた。
作品としては印象通りやはり重苦しい雰囲気で、所々笑いを誘う小ネタがあるもののシリアスな展開である。
しかし肝心のストーリーは主人公である長女の恋愛がメインであり、あまり民族問題に踏み込んだものではなかった。
コインランドリーのマナーが悪いとか。
ラーメン音を立ててすするかすすらないかとか。
隣のトトロみたいに幼い弟が行方不明になったりとか。
別にクルド人じゃなくてもいいエピソードばかり。
生活が苦しい日本人の女の子でも成り立つよなぁと。
いい話だとは思ったがどこかテーマとのズレが否めない。
非常にもやもやとした気分でエンドロールをぼんやり眺めていると…
フィクションかぁ…
なぜ避難先に日本を選んで今の境遇に追い込まれているのか、という肝心の部分が全く見えない。受け入れた政治家が悪いのか、支援者はどこに行ったのか、ただビザが切れたので帰って下さいでは困るのは当たり前である。
そういえば何故難民申請が取り下げられたのか、という理由も説明がなく謎のまま。
日本で生活を続けていたとしても肝心の問題は解決できないのだが。
クルドに誇りを持っていて今でも自分の国を想うのであれば、ただ目先の生活に縛られているだけでは何も解決しないと思う。
こと日本については外国の紛争について積極的に首を突っ込んで解決しようと考える人は皆無に等しくまさに触らぬ神に祟り無し。事なかれ主義である。
単純に帰化申請して下さい、ちゃんと納税して下さい、嫌なら出ていって下さいで終わってしまう。
そもそも難民という立場でありながら子供を3人も産んで生活が成り立つわけがないし、日本人ですら現代では結婚すらできない層が増えつつある。
生活が苦しいにも関わらずお金になるかわからないようなアーティスト指向の男と付き合っても地雷にしかならない訳で、切実さが全く伝わってこない。
まさにスモールランドというか、抱えている問題に対してあまりにも世間が狭すぎる。
果たして作り手はクルド人問題に対してどれだけの興味があるのだろうか。
と我に返ったところで「バンダイナムコ」のクレジット…
ああ…やっぱりなと。
まあバンナムが関わっているならそれこそアニメにしてアイマスのキャラにクルド人として登場させたほうがまだウケたんじゃないでしょうか。
生活苦で堕ちていくアイドルなら同人誌でも人気が出るでしょう。
正直お花畑でした。
この作品を観る人たちに、日本にいるクルド人のことをできる限り柔らかく伝えようとしている、クルドを知るための入口のような作品かと思います。奥はとても深そうです。。
クルド人という言葉は知ってはいるのですが
実際のところは全く知らないと言って良いです。
日本で暮らす彼らをどう描くのか気になり鑑賞。
日本に逃れてきて生活を始めた親子。
埼玉の高校に通うサーリャ。
小学生に編入した際の担任にあこがれて
日本で教員になりたいと願う。
東京のコンビニでバイトをするサーリャ。
バイト仲間で同級生の聡太とも仲よくなり
夢を語り合うほどに親しさを増していたが…。
父の出していた難民申請が却下されてしまう。 むむ。
「働くことも認められず、
県外に出てもいけない」 えぇ… どうやって暮らせと…
隠れて働くしかない父。 だが…
父は捕まり、収監されてしまう。
大学への推薦も取り消されてしまうサーリャ。
…
とまあ
難民の実態を、なるべく暗さを抑えながら
描いている作品。 というイメージ。
クルド人。クルド民族。 彼らのことを
ほとんど知らないということを知る作品でした。
◇
ウクライナ難民が受け入れられている今
クルドや他の地域の難民たちの扱いは
何か変わったのかどうか。
民族の問題 って
奥は深く、理解が難しいことが多いのですが
考えることは、止めちゃいけない …とは思います。
そうそれはそうと
この作品、フランスとの合作なんですね。
ちょっとびっくりしました。
プロデューサーにフランス風の名前がありましたが
どういう関わり方なのか
ちょっと興味があります。
◇ あれこれ
記憶に残った場面
収監された父に面会に行った際
空調が効かず、冷えた食事。 それらを
「 素敵な 「オ モ テナシ」 」
と皮肉るサーリャの父の言葉が印象的。
なんかこう 哀しい…。
クルド人
現在では4つの国に別れてしまった地域に
もともと住んでいた人びと。
「中東の火薬庫」 とも言われている地域とか。 …
元住んでいた土地を取り返したい人もいれば
たどりついた新しい土地で暮らしたい人も。
この作品は後者のお話な訳ですが
やってきた人を受け入れる - それだけの事が難しい。
という、その現実が悲しい。 う~ん。。
それにしても、クルド人って3000万人もいるそうで。
ちょっとした国家ひとつ分。 びっくり。
クルドの星
という漫画のタイトルで ※(作:安彦良和)
クルドという名前を知っていましたが
読んだことがありませんでした。
フィクションなのかもしれませんが
読んでみようと思い立ち購入しました。
ヒロイン役
の、嵐莉菜さん
顔だちの整った美人さんです。
ハーフなのかと思ったら、ルーツが
日本・ドイツ・イラン・イラク・ロシア
の5カ国だそうで。
なんとインターナショナルな。
同級生との会話での 「マジか」 というセリフが
なぜか記憶に残ってます。
(顔だちは外国人、会話は日本人的 …だからか?)
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
見ようか迷っていたが友人の勧めで鑑賞。既に三週目ながら新宿ピカデ...
見ようか迷っていたが友人の勧めで鑑賞。既に三週目ながら新宿ピカデリーはほぼ満席で客層も幅広い感触。
映画は評判通り閉鎖的な日本の難民認定問題を取り上げている。声高ではない分主人公家族への同情、制度への違和感が避けられず湧いてくる。並行して描かれるのはクルドとしての生活を守ろうとする父親と日本で育つ子どもたちのすれ違い。中でも主人公は学校の勉強もバイトも、翻訳などコミュニティでの役割も引き受けている本当にいい子だ。父親の収監などどうしようもない逆境にも、多少迷いこそすれ道を大きく外れることがないのが救いだった。貧しくも正しく育っているのは父親の教育の影響も大きいだろう。反対に、よりドラマチックに描こうと思えば落ちていくストーリーにもできるのをそうしなかったところ、監督の節度を感じる。
役者は嵐莉菜はそのシーンでの立場により違った表情を見せて素晴らしい。彼女の家族も良かったが、奥平大兼が自然な普通の高校生で好感。
ストーリー重視のマタゾウ的にはラストに何らかの展開をもって終劇としてほしかったところもある。
切ない
難民申請のクルド人の物語ということで、東京クルドの焼き直しかもと思って見に行きましたが、全く違っていました。こちらは、母国から難を逃れて来日したディアスポラのクルド人を父に持つ高校生のサーリャにスポットを当てた切ない物語でした。外国人に対する差別の強い日本という国で、在留資格もなく生きることがいかに大変なことかがとても良く描かれていました。
物語は、日本に住むクルド人新郎新婦の結婚式から始まりますが、そこにはクルド人新郎新婦を祝福する親戚・知人らしきクルド人がクルドの歌を歌っているという、クルドてんこ盛りの映像で、ここが日本であることを一瞬忘れてしまいました。
そして、この結婚式の際に、サーリャは自分よりもかなり年上らしき男性が自分の将来の夫になると告げられるわけですが、本人の意思などまるで無視した、なんともマッチョな考え方に驚かされます。もちろん、父親として娘の結婚と幸せを考えてのことなのでしょうが、現代日本に生きる私たちからするとねえ……。日本に住みながら、日本人と交わることなく、クルド人同士でクルドの伝統的な考え方を守ろうとする姿は、日本社会から排斥されているのか、自分たちの方から日本社会と距離を置いているのか判断に少し悩んでしまいます。ラーメン、音を食べていいじゃんって。
ただ、このようなクルド人であることにアイデンティティを求める移民第一世代と違い、日本で生まれたわけではありませんが、学校教育等を日本で受けたサーリャはやはり第二世代的で、クルド人ということにアイデンティティを求められないのだろうなと見ていて感じました。コンビニでのバイト中に自分がドイツ人だと言うあたりにも、それが現れている気がします。もっとも、そこには、ヨーロッパの人たちは偉いけれども、アジアやアフリカ等の欧米でない人たちは自分たちよりも下だと思う、日本人の嫌らしさの影響もあるのかもしれませんが。クルドって言っても、「なにそれ? 美味しいの?」って反応ですからね。
そしてこのコンビニのバイトの同僚である聡太と互いに意識し合うようになり、自分のクルド人としてのルーツを話すサーリャ。小学校の先生になりたいという夢を持つサーリャと、大阪の美大に通いたいという夢を持つ聡太。この二人には是非とも夢を叶えてもらいたいと思っていた矢先に、サーリャの父の難民申請が不認定になり、在留資格のない仮放免許可での生活を余儀なくされる訳ですが、どうして彼女がこれほどまでの苦労を強いられるのか、見ていてとても辛くなりました。特に、父親が仮放免の条件に違反して働いていることがバレて入管に収容されるようになった後には、大好きな聡太と距離を置こうとするなど、実に切なかったです。埼玉から出てはならず、バイトもクビになり、聡太の母親についても、自分のことが原因で聡太の心配をしていると聞かされ、自分には居場所がないと感じていたことでしょう。
サーリャ目線からすると、コンビニの店長のおじさんも聡太のお母さんも酷いとは思いますが、サーリャを雇い続ければ不法就労助長罪で捕まる可能性もありますし、お母さんも聡太には在留資格に問題のある人よりは、問題のない人と付き合ってもらいたいでしょうから、親としては当然の愛情なのでしょうね。親の愛情という点では、自分が帰国することで、サーリャにビザが出るのかもしれないと、その可能性にかけて、帰国を選択しようとするお父さんも、やはり娘を愛しているのだなと感動しました。ラーメン、音を立てて食べていいよって。ラーメン食べるシーン、このシーンのためのフリだったんですね。
親の子に対する愛情、子の親に対する愛情、女の子と男の子の恋心。色々と愛に溢れる映画でした。途中、パパ活のシーンで、サラリーマンのおっさんが金を払ってハグしようとしてましたが、家庭の中でちゃんとした愛のある環境が築けていないのかもしれませんが、見ててキモイの一言でした。勘弁してほしいものです。
最後に、父の難民申請について不認定の結果が告げられるシーンですが、裁判ができるというくだりを最後に持ってきたかったからでしょうが、結果の告知の段階で、不認定の理由を告げてない上に、審査請求ができることや、裁判所に訴えることできることを教示しなかったのは、有り得ないことだと思いました。
ところで、お父さん、最後のシーンで入管の面会室から出ていく際、ペルシャ語しゃべってませんでした? なんかペルシャ語だった気がするのですが。
困窮者を切り捨てる日本が目指す未来は?
祖国を失い難民として
日本で生活していたクルド人が
在留資格を失い行動の自由と仕事も奪われる。
事務的な手続きでサーリャ達の未来を
あっさり奪う場面に滲む日本像。
日本国民も含め困窮者切り捨てが
常態化した今の政府が目指す未来は?
本作ではあまり描かれていませんが
国連が避難するレベルの人権侵害が存在する
入管の問題も気になります。
話が少し逸れますが
入管や技能実習生に対する
理不尽な人権蹂躙のニュースを聴く度に
日本が本当に嫌いになります。
希望を胸に借金してまで来日した
何人の命が奪われたのか…。
身の回りのささやかな善意では
乗り越えることの出来ない高過ぎる壁に
絶望させられますが
多くの人に知って欲しい作品です。
映画を通して現代社会の問題を可視化する
難民問題は遠い国の話ではない
日本に住みながら難民申請が通らない人たちがいることを知らなかったし、知ろうとしてこなかった
どちらの国の人?なんて悪気のない言葉も無神経な質問に受け取られることもあるんだ
観賞後、このような家族に自分ができることはなにかないか、考えずにはいられない
【帰る国の無いクルドの民に対する、出入国在留管理庁の体質、法制度の仕組みを背景に、日本で生きるクルドの民の心情を綴った切なき作品。”弱き者に視点を置く、”分福”の映画製作の姿勢には頭が下がります。 】
ー 私が、法務省管轄の出入国在留管理庁の、腐り切った隠蔽体質及び仕組みを知ったのは、名古屋出入国在留管理局で、小役人の杜撰な対応により命を奪われたウィシュマ・サンダマリさんの事件を知り、その後、昨年秋「東京クルド」というドキュメンタリー映画を見たことが切っ掛けである。(お時間のある方は、「東京クルド」のレビューも、記載したので飛ばし読みして頂けると、当方の想い(鑑賞直後に書いたので、怒りの余り日本語がオカシイ所もあるが、敢えてそのまま記載。)
”これで、良く法治国家等と言えたものだ!”。と可なり憤慨した事を覚えている。
だが、ウクライナ情勢と同様に、出来る事と言えば僅かな応援資金提供位で、何も出来ていないという事が恥ずかしい限りである。ー
◆今作の感想
・「東京クルド」で描かれた多くのクルドの民の生き様を一つの物語にしたように感じ、法制度も理解していたので、今作は冷静に観る事が出来た。
- 出入国在留管理庁の若き職員が淡々と、在留資格証を使えなくする様が、現実味を帯びて見えた。-
・難民申請が不認定となり、デモに参加した事でサーリャ(嵐莉奈)や妹、弟が幼き頃、日本に来た父が入管監獄に入れられ、サーリャ達もの行動も制限されてしまうシーンは、切ないし、申し訳ないという気持ちになる。
・サーリャが淡い恋心を抱く”東京にある”コンビニバイト仲間のソータに2度、”クルド式出会いと別れの挨拶”をするシーンは彼女の苦しい日々の中、少しだけリラックスしている彼女の”人形の様な”美しき表情が印象的であった。
・入管の面会室にて、父に対して涙の講義をするサーリャ。
”私達をこの国に連れてきて、自分だけ国に帰るの!”
それに対して、父は穏やかな表情で言う。
”お前が生まれた時にオリーブの木を植えたんだよ。お母さんが亡くなった時もね・・。見て来ておくれよ。”
・父が身の危険を顧みず、脱出して来た国に戻る決意をした理由。それを彼女らを守る人権弁護士(平泉成)がサーリャに語るシーンも沁みる。
“数少ないんだが、親が帰国する事で、子供に在留資格が発行されるケースがあるんだよ・・。”
<切ないし、申し訳ない限りだが、この作品で語られた事は、現代日本で起こっている現実である。私達には今、何が出来るのだろうか・・。と考えさせられた作品である。>
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<以下、「東京クルド」のレビューです。>
ー 名古屋出入国在留管理局で、小役人の杜撰な対応により命を奪われたウィシュマ・サンダマリさんの無念さや、ご家族の怒りに対し、日本人であり、愛知県に住む者として心からお詫び申しあげます。
法務省管轄の出入国在留管理庁の、腐り切った隠蔽体質、人権を尊重する欠片もない体質は、民主主義を謳っている日本に住む者にとっては、”恥”意外の何物でもなく、あのような行政を野放しにして来た責任は、選挙権を持つ私たちにもあると思います。ー
◆感想(鑑賞中から余りに腹立たしく・・。レビュートーンがオカシイです。)
・名古屋出入国在留管理局で、ウィシュマ・サンダマリさんに、今作でも描かれた様態が悪くなったラマザンの叔父メメットさんの妻からの救急車要請を断った東京管理局の姿勢と同じように、適正な対応をしなかった“殺人致死罪”に問われてもおかしくない行為を行った小役人達は、今作を正座して5回鑑賞すべし。
・出入国在留管理庁の本来の責務を、今一度、研修により学ぶ事。
ー 法務省のHPに分かり易く、書いてあるだろうが!ー
・”難民条約”を端から端まで、キチンと読む事。
ー 描かれているように、オザンやラマザンやその家族は、命の危険がある歴史的に迫害されてきたクルド人に生まれたため、難民として遥々日本に来たのではないか。
フセインが、且つて、クルド人に行った蛮行を知らないのか!
”難民鎖国”などと、諸外国から呼ばれている事を”恥”と思え!ー
・ここで、伺えるのは日本とトルコの良好な友好関係である。
1890年に和歌山県沖で座礁したエルトゥール号海難事件に端を発した友好関係が、関係しているだろうことである。
ー この事件は映画「海難1890」で描かれている。
ちなみにこの映画は日本・トルコ合作である。つまりは、トルコにとっては厄介な存在であるクルド人と、日本の関係性を、入管が”忖度”したとも見て取れるのである。ー
・2カ月に1回、わざわざ仮放免許可期間延長に来る方々への言葉遣いを、日本人に対して話す言葉と同じように、丁寧語にする事。
ー 至極、当たり前の事である。
他の役所の方々の言葉遣いは、ここ数年で格段に向上している事は敢えて記載します。
殆どの役所の方々は、頑張っているのである。ー
<今作は、クルド人として生まれ、日本に辿り着いた将来に夢を持てないオザンと、苦しい中、夢を諦めずに努力するラマザンの聡明な姿を中心に描かれる。異国で助け合う二人の姿。
だが、徐々に日本の、出入国在留管理庁の建前と本音が見えてくる。
そして、その腐敗し切った体質と、人権侵害どころではない恐ろしい実態が見えてくる。
流石に、入管法改正案は廃案になったが、そもそもあのような法案が出てくること自体がおかしいのである。
日本が、”難民条約”に批准しながらも、国際的な役割を果たそうとしない姿勢。
”日本は、大和民族単独の国なので、多民族国家にはしたくないのです・・。”
と、どこかから聞こえてくるようだ。
微かな救いは、ラマザンが無事に大学に入学したシーン。ご両親の姿にも涙腺が緩んだし、メメット叔父さんが530日振りに、少し元気な姿で、何の罪もないのに勾留されていた入管監獄から、外界に出て来て、大きくなった長男と奥さんと再会するシーンが観れた事であろうか。
今作をきっかけに、日本国内でイロイロと大きな問題が発生する懸念(かつてのフランスの様な難民受け入れ反対運動。)は十分承知しつつ、日本が、国際的な難民支援の役割をきちんと果たす成熟した多様性を認める国に、一刻も早くなるように願っています。
それには、私の様な一般市民がカントリージェントルマンの如く、現在の政府の動向を注視し、選挙の際に正しい行動を取る事なのである・・と思った現代日本に生きる我々に、多大なる警鐘を鳴らす作品であります。>
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