スワンソングのレビュー・感想・評価
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ウド・キアの意外な一面!!ちょい悪でかわいい!!
ウド・キアと言えば一癖も二癖もある極悪人のイメージ。
「異端の鳥」と「バクラウ地図から消された村」の怪演で
強烈な印象を受けました。
狂気の独裁政権の権力者みたいな人間離れした役が多かった。
いつもヤバイ人だった。
しかし今回のゲイのヘアメイク・アーチストはチャーミングだった。
こんなウド・キア、
想像もしていなかった。
それも老いて老人ホーム暮らし。
隠れタバコに規則無視のアウトサイダー。
ある日、親友だったリサの遺言で死に顔のヘアメイクを頼まれる。
リサにはある確執からどうしても許せないことがあった。
それでも思い出を辿ると愛した恋人デヴィッドの顔がチラつくのだ。
パットは施設を抜け出す。
それからのたった2日間の旅は濃密だ。
その中で思い出の断片がフラッシュバック。
パットの人生が浮かんで来る構図だ。
カリスマ美容師として成功。
土曜の夜はドラァグクィーンとしてステージに立つ。
デヴィッドという美しい青年と愛し合い、
家を構えて幸せな日々。
そしてデヴィッドが20年以上前にHIVで死亡する。
仕事では弟子のディーディーがなんと向かい土地にサロンを開き
パットの顧客を引き抜いて行く。
デヴィッドの死後は虚しい悲しいことばかり。
ウド・キアの姿と雰囲気が映画「プリシラ」の
テレンス・スタンプと重なるのです。
事実、見た目がとても似ています。
性格もプライドがとても高く人を寄せ付けない所。
孤独で人と群れないところ。
死んだ恋人を今も思っていること。
全て重なるのです。
ウド・キアの見たこともない繊細でロマンティックな一面を
見せてもらいました。
かなりのちょい悪親父でしたが・・・。
まるで生まれた時からゲイのカリスマ美容師だったと聞いても
なんの疑いも持ちません。
それ位自然でなりきった演技でした。
老いても輝く根っからの役者魂。
リサの死に顔そしてヘアスタイルそして衣装。
最高の出来上がりでした。
ごめんなさい。それはさすがに、カツラにしか見えないです。
ウド・キアのゲイ役ってのが軽く衝撃。名優に不可能無し、なんだろうなぁと期待はしてましたが、実際、不可能無しだったw
主役は、ゲイにして頑固な偏屈ジジイです。ここにウド・キアをキャスティングした発想に拍手したくなります。だって、この年代の男優さんって「男くささ」が濃いい年代だと思うんですよ。今の若手なら、ちょっと女性的だったり中性的な顔立ちだったり、そういう表情を見せる人は少なくないと思うんですが。この役が似合う老男優って、あまり思い浮かばないw
我が国風に言うと、結果的に「終活映画」って事になります。イーストウッド、バート・レイノルズ、ジョニー・デップ(まだ若いのにw)等々、名優主演の終活映画が、ここ数年で公開されてますし、一種のジャンルになってると言えると思います。
でですよ。
自らを縛り付けていた、過去の重りだったり、自己呪縛だったり、単なる意地だったりから、自己を解き放ち、ココロを軽くして旅立つ。つまりは自己解放で安息だったり、自由を得る。と言う、終活モノの流儀通りのストーリーです。主役がゲイで、職業が美容師さんと言う、現代なら「当たり前に見える設定」なんでしょうけど、それを60歳ほど(だったか?)遡ってロードムービーにしています。
爆笑個所は無いし、途中、展開がかったるいと感じるとこがない訳じゃありませんが、そこはロードムービーですよ。行く先々で出会う、と言うより待ち受ける人々が、いい塩梅に深入りして来ないんで、ウド・キアの当初目的の成就やいかに!と言う本流から外れることなく、最後まで楽しめました。
AIDSと言う死因。それを見る・聞く人々の嫌悪の感情。それが怖くて、友人の恋人の葬儀に出かけられなかった有名女優。偏見の目で見られた事。友人だと思っていたのに軽蔑されていたのだと言う思い込み。を、男が抱くのは当然であったろうと。男は、彼女の死後、なぜか彼の名前を知っていた彼女の孫の口から、真実を知ることになります。彼女は、15歳になった孫のカミングアウトにうろたえることなく、かつての彼女の親友だったゲイ・カップルの恋の素晴らしさを語って聞かせていました。偏見で目を曇らせることなく、彼女には、彼らの恋の美しさが見えていたのだと、男は知ることが出来ました。
ゲイの終活映画は、ゲイへの偏見の歴史が主題。でね。繰り返しになるけど、そのゲイを演じてるのがウド・キアって言う。逆にですよ。もしも孫がゲイをカミングアウトしたら、ライフルで頭を撃ち抜きそうなウド・キアですけどねw
いつもとは、顔つきがちょっと違うw
良かった。
結構。
これは本当に歩ける距離なんだろうか?と心配になるロードムービー?
結局、入院したから一泊二日なのか、時間の感覚はよくわからないが、やたらと歩く距離が長く、鼻から血を流すほどの病気なのに大丈夫かとストーリーとは関係ないことが心配になってしまう映画ではある。
どこまでが実話なのかもわからないが、主人公パットは昔ヘアメイクドレッサーとして名を売ったオハイオの町に現れ、彼のお客であり友人であったリタの遺言により、彼女に死化粧を施すことになる。
華やかな昔が忘れられないパットは古い友人や昔の自分の姿を妄想として見ながらも、なんとかリタに死化粧を施すための準備を整えようとする。…が、万引きしたり、人の好意で衣装を着せてもらったり、昔の弟子であったディーディーに"ビバンテ"という名前だったと思うが化粧品のようなものを恵んでもらったりと、かなり破茶滅茶だ。
パットは最愛のパートナーをエイズで亡くしている。このあたりは時代を感じることができるが、ゲイバーの文化はすでにアメリカでも廃れているらしい。
パットにとっても、リタへのヘアメイクと死化粧が最後の花道だったということなのだろう。
その報酬2万5千ドルも受け取らず、パットは逝ってしまった。
#154
灯滅せんとして光を増す
かつて街一番のヘアメイクドレッサーであり、週末はバーの舞台でスポットライトを浴びていた主人公パトリックは仕事と愛する恋人を失い、いまや抜け殻のように老人ホームでの日々を送っていた。
無気力にペーパーナフキンを折りたたみ続け、陰でタバコをふかすだけの日々。
ただ黙ってこのまま朽ち果ててゆくしかないのか。ホームで唯一心を許していた老婆の衰えぶりを目の当たりにして彼は決心する。
かつての親友が亡くなり死化粧の依頼にこたえるために着の身着のままでホームからぬけだすのだった。
彼の人生の輝きが凝縮された街へと戻り、死に別れた最愛の人や友人との再会に浸るパトリック。
彼を知る街の人たちの援助や万引きで得た化粧品を携えていざ葬儀場へと向かうが、親友との確執からドタキャンしてしまう。最愛の人の葬儀に来なかった親友を彼はどうしても許せなかった。
ドタキャンしたその足で彼が向かったのはかつて彼がスポットライトを浴びたバーだった。そこで舞台に出るショウガールのためにヘアメイクをする。そして彼も思い出のシャンデリアを自身にヘアメイクしかつての舞台に躍り出る。彼のショウは電流が流れるほど痺れるものだった。
輝かしい過去の時代に戻った彼は電動車椅子に乗り多くの車たちを従えて葬儀場へと向かう。
かつての愛弟子でさえ匙を投げるほど衰えた親友の亡骸にパトリックも断念しかける。しかし親友との魂の会話で確執を解消し、人生最後のヘアメイクを完成させた彼はその瞬間息をひきとるのだった。
まさに灯が消える寸前に最後に強く輝くようにパトリックは自身の人生最後の輝きをみせて天寿を全うするのであった。
映像のクオリティだけが惜しい
非常に面白かったです。
脚本、音楽、演技、最高でした。
結構ありがちな「不自由な老後をテーマにして人生の本質を訴える」という話と、LGBTの葛藤という、どちらか一つでも映画が出てきてしまうものを見事に描いていました。センスも良かったですね。
実話を元にしているようですが、切り出し方が上手かったです。
老人ホームでの美容師のころを忘れられずタバコを吸いながら女性の髪をいじっているシーンと、クライマックスのスタイリングのシーンの対比がとても気持ちよかったです。
やはり人生、最後まで自分らしく生きたいと思わせてくれる良い脚本でした。
演技も良いですね、老人ホームでは非常に男性的だったんですが、外に飛び出してジワジワと本当の自分である「お姉」に戻っていく様は素晴らしかったです。
惜しむらくは映像で、画質が低いのもありますが、画角自体ももっと色々と変化があっても良かったかなと思います。
ちょっと似た様なシーンが多く、単調な印象がありました。
【”これが、私の人生・・。”彼(彼女)は自分の人生を遡りながら、自分がゲイカルチャーを謳歌した町一番の金持ち女性の死化粧をする旅に出る。鬼才ウド・キアー、遂に名優の域に達したと思った作品である。】
ー ウド・キアーと言えば、私にとってはどんな映画のどんな役でも引き受ける顔の怖い超脇役というイメージがあった。
近年で言えば「アイアン・スカイ 第三帝国の逆襲」である。他にも、彼の経歴を見ると、”絵、この映画にも出ていたっけ?”と言う程の出演作品選択の幅広さである。
で、今作で彼は見事にゲイの老ヘアドレッサーとして主演を張り、演じきったのである。-
■老人ホームで余生を送っていた元ヘア・ドレッサー、パトリック(ウド・キアー)の元に、ある日弁護士が現れる。町一番の金持ちで町の発展に寄与してきたリタ(リンダ・エヴァンス)が亡くなり、遺言書には”死化粧はパトリックに・・”と記されているという。
多額の報酬(2万5千ドル)も提示されるが、パトリックはその申し出を断る。
何故なら、リタは長年パトリックの顧客だったが、パトリックの一番弟子ディーディーが独立し、パトリックの店の反対側に店を出した時に、ディーディーの店に鞍替えしたのだ・・。
◆感想
・それでも、パトリックは悩んでいたのだろう。施設の煙草仲間の女性のヘアーセットをしてあげて、腕が落ちていない事を確信した彼は、施設を抜け出し町の中心部に向かう。
ー 途中では、且つて深く愛したデヴィッドの墓に詣で(その墓には、パトリックの名も刻まれている。)蹲り抱くように墓を抱く・・。ー
・更に、既に死んでいる筈のゲイ仲間の男を呼び出したり、且つて頻繁に通っており、金曜日の晩にはステージにも立っていたゲイバーに立ち寄ったり・・。デヴィッドと暮らしていた家を訪れたら、更地になっていたり・・。
ー 且つて、彼が愛した町の風景は激変し、ゲイカルチャーは風前の灯。ショックを受けながらもリタの家に辿り着くが・・。
印象的なのは、パトリックの事を町の年老いた人達の殆んどが知っており、温かく迎える姿である。彼に衣装一式を与える服飾店の且つて彼にヘアードレッサーをしてもらった女性、ディーディーも驚きつつ、彼に年代物の美容用品ヴィヴィンテを差し出す姿。
彼が、如何に皆に愛されていたかが、良く分かる。-
■白眉のシーン
・ディーディーが諦めたリタの死化粧をパトリックが見事にやり切り(ここの美術が凄い。)、リタの孫の口から出た言葉。
”悩んでいた事があるんだ・・。そしたら、お婆ちゃんが”そんな事、何でもないわよ、私の親友だってゲイなんだから・・”と言ってくれて、僕は救われたんだ・・。”
その言葉を聞きながら、足を組み、悠然と紫煙を燻らすパトリック。
そして、その手から煙草が落ちる・・。
<劇中流れる歌の艶やかさに合わせたかのような、ウド・キアーの口から出るお姉言葉や、身のこなし・・。
鬼才、ウド・キアー。今作にて遂に名優の域に達したなあ、と思った作品であった。>
ウド・ギアが演じた「ベニスに死す」
ラストシーンは、「ベニスに死す」のリドの海岸で誰にも看取られず死んでいくダーク・ボガードを彷彿とさせる。この作品は、ウド・ギアが演じた「ベニスに死す」だった。最晩年に、老いた人間が夢みる事は、未来への希望ではなく、過去の清算なのだろうか。
ウド・キアの軽妙洒脱で、人生の重みをズッシリと感じさせる存在感は、この作品の生命線。色気すら感じさせる77歳だった。
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