ベネシアフレニアのレビュー・感想・評価
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どうしたアレックス
今まで見た映画すべて満点だった天才監督がどうした?まあもともと緻密な映画を作るタイプじゃないから細かいところはいいんだけど、主役グループだけでさえいまいちキャラ分けができてなくて、一人結婚を控えてるって何度も言うけど別に重要なファクターじゃないよね。あの腰抜け彼氏の登場シーン丸ごとカットできたし。殺されるのと殺されないのの境界もよくわかんないし、特に犯行声明に同席した二人が殺されない理由が全くわからなかった。ジャコモの過去も完全に置いてけぼり。冒頭のバカ観光客で観客がせっかくイライラしたんだからドカドカ観光客が死んでいく映画で良かったのでは?とおもっちゃいました。そのへんは得意そうだしこの監督。
鑑賞動機:あらすじ10割
「オーバーツーリズムをネタした社会派要素もあり。という体でグロゴアバイオレンス一点突破ー!」という映画と勝手に予想してたら…、意外とまじめでちゃんとしてたね。オープニングのおどろおどろしいビジュアルとか前半の少しずつ不穏な雰囲気になっていくとことか、良い。白昼堂々…は、カーニバル中で仮装で周り観光客だらけの状況だからギリギリ成立しそうとは思った。
ただ後半のあちらはあれでいいのかがかなり引っかかる。
「あ、あれ『ミッション・インポッシブル デッドレコニング』のとこ?!」
65点 何かを考えさせられる映画
なぜピエロみたいなやつが観光客を殺すのか?理由は単純ですがなるほどなぁと考えさせられます。殺し方が他の映画よりも凄いです。残酷。
しかしイタリア人ってあんな喋り方なんですね。。。しかも下品すぎる。(あれはあれで好きですが)
少し監督の悪意を感じるなぁ。でもこの他の監督の作品が観たいし期待している。
ヴェネチアの謝肉祭で跳梁する「道化師」殺人鬼! ありそうでなかったザ・王道ジャッロ。
あれ? 意外と世間的な評判はイマイチなのかな?
個人的には、くっそ面白かったけど!!
いやー、マジで最高でした。
鬼才アレックス・デ・ラ・イグレシア、健在なり。
予備知識は、映画館HPの簡単な紹介文のみ。
あらすじを見る限り、あの凄まじい個性派監督も、小金稼ぎに安易な低予算スラッシャーとかお仕事で撮るようになったのかと思わず嘆息したくなったが、いざ実際に観たらそんな適当な代物では全くなかった。
ヴェネチア。マスカレード。リゴレット。ペスト医師。
秘密結社。水没した劇場。跳梁する殺人鬼……。
何だよこれ、イタリアン・ジャッロ映画への熱いオマージュじゃないか!
監督個人の偏愛をぶちまけた、超マニアックな趣味的変態ワールド。
イグレシア監督×ジャッロ。
面白くないわけがない。
もともと僕とアレックス・デ・ラ・イグレシアの出逢いは、東京国際ファンタスティック映画祭のオールナイトで観た『ハイルミュタンテ! 電撃XX作戦』だった。
ブサイクゆえに虐待されてきたフリークスのミュータントたちが、富豪の結婚パーティに乗り込んで美男美女たちを片端からブチ殺したうえに、ヒロインを誘拐して宇宙まで逃亡するというぶっ飛んだ映画で、その尋常なからざる過剰さと際限ない悪ノリに僕は大いに打ちのめされた。
次の『ビースト獣の日』もたしか東京ファンタのANで観たのではなかったか。敬虔な神父が黙示録の研究からアンチキリストの再臨を知って、「自分で呼び出して倒す」ためにヘビメタ悪魔崇拝者と組んで街中で「悪行」の数々を重ねていくという、ひねりのきいた風刺コメディ。終盤は結構なアクションに変ずる。
最高に素晴らしかったのが『13サーティーン みんなのしあわせ』。死んだ大家の隠し財産をネコババしたヒロインと、長年財産目当てで大家が死ぬ日を待ちわびていたアパートの住人たちが繰り広げる命懸けのバトルロワイヤル。これだけ面白い映画に出逢えることはそうそうないと断言していい。
一般的な彼の代表作としては、お笑い芸人二人組が主人公の『どつかれてアンダルシア(仮)』や、ヴェネチア国際映画祭で監督賞を獲った『気狂いピエロの決闘』などもある。
何を言いたいかというと、
●監督はキャリアの初期から「正義の名のもとに暴走するテロリスト」をメインテーマに据えていた。
●彼が描く「闘争」と「対立」の背後には、つねに「差別」「宗教」と「排他主義」がある。
●彼の映画で「血みどろの惨殺劇」を繰り広げるのは、大半が欲か正義によって常識から逸脱した「市井の一般人」である。「はみ出し者」の象徴として頻繁に「ピエロ」が登場する。
●彼は社会悪の弾劾や政治的主張を交えながらも、タランティーノやバートンに近い「ジャンル映画愛」を前面に押し出してくる。
●彼はつねに「恐怖」と「笑い」を並置して呈示してくる。その源泉は、過剰さと悪ノリとサーヴィス精神であり、本質的にイグレシア監督は「稚気」の人である。
『べネシアフレニア』をご覧になった方は皆、本作が上記の条件にびったり当てはまっていることをご理解いただけるはずだ。
監督がここで展開している手法やテーマは、今回限りで採用されたものなどではない。
30年来、彼が追求しつづけてきた手法とテーマが繰り返されているのだ。
彼は何本も血みどろの映画を撮ってきたし、闘争やテロリズムも彼の映画には付き物だ。
だが、実は明快にジャンルホラーといえる作品を自ら手掛けたことはなかった。
なんとなくびっくりだが、これはイグレシアにとっては「初」のホラー映画なのだ。
今回新たな冒険に参入したのは、ソニーやAmazonの口車に乗った部分もあるのかもしれないが、何より自分の愛してやまない「イタリアン・ジャッロ」をイタリアの地で撮るという魅力的アイディアに抗しきれなかったからだろう。
この映画は、中身うんぬんをさておいても、
「ヴェネチアで、カーニヴァルの仮面舞踏会を舞台に、殺人鬼ホラーを撮る」
このアイディアを実現しただけで、大変な価値がある気がしている。
じつは、これだけド直球の「いかにもありそうな」アイディアなのに、僕の知る限りでは誰もやったことがないのではないかと思うのだ。
仮面の怪人といえばおそらく元祖としては『オペラ座の怪人』がいるし、仮面をつけた疫病(ペスト)そのものが登場する作品としては『赤死病の仮面』がある。
イタリアン・ホラーにおいても、劇場が登場する作品としては、ダリオ・アルジェントの『オペラ座血の喝采』、弟子のランベルト・バーヴァの『デモンズ』、同じく弟子のミケーレ・ソアヴィの『アクエリアス』(スラッシャーの傑作!)などがある。
一方、ヴェネチアを舞台とするジャッロは数本が知られているが、そこまで有名な作品はない。なんといってもホラー要素の強い作品としてはニコラス・ローグの大傑作『赤い影』があるが、あれもカーニヴァルや仮面舞踏会をメインでは扱っていない。
ヴェネチアのカーニヴァルといえば、『007』の小エピソードや煙草のCMを思い出すが、「あれだけホラーと相性がよさそうなお祭り&舞踏会」なのに、正面切ってそれを題材にしたホラーはなぜかなかったような気がする(あったらぜひコメ欄で教えてください!)。
アレックス・デ・ラ・イグレシアは、ひょっこり「ジャッロとしてはこれしかない」という大ネタを引き当てたのだ。
オープニングからして、もう最高だ。
60~70年代ジャッロのポスターアート(というか、それがモロに影響を受けている50年代のパルプのカバーアート)の影響下にある、あざとくも美麗な絵柄と色彩。グロテスクに誇張された顔、顔、顔。妖しげなヴェネチアン・マスクの数々。
観ているだけで、もうわくわくがとまらない。
ジャッロが何かをわかってらっしゃる!
冒頭に出てくるツーリスト殺し、大型クルーズ船から30代の5人組が下りて来て、水上タクシーで「道化師」と出逢うまでの躁的なテンポ感も素晴らしい。
息つく間もなく、本題に突入する、いきなりアクセル全開の疾走感。
(水上タクシーといえば、このあいだ観たイオセリアーニの『月曜日に乾杯!』でも、水上タクシーの船長との友情が描かれていた。)
ちなみに、カーニヴァルの開催時期は例年2月。みんな着こんでいる感じもないわりに、海に落ちた弟が死ぬほど寒がっているのはこれが「冬の海」だからだ。このあたりの描写で、船長がわざと落ちるように操船したのでは?とか、乗り込んできた「道化師」とグルなのでは?と思わせるやり口がいかにもジャッロらしい。
チェックイン。街ブラ。仮装ディナー。
道化師や、ペスト医師や、亡霊の仮面をつけた人の群れ。
夜の街。酒場。黒い扉。謎のサイケデリック・パーティー。
イグレシア監督は、きわめて巧みにヴェネチアの風俗やカーニヴァルの細部を映画内に取り込んでいる(扉の上に刻まれた謎の紋様とか、合言葉とか、薬酒とかは『サスペリア』への目配せだろう)。
たとえば、ツーリストがいきなり刺し殺される「仮面の扉」。
ヴェネチアン・マスク店の扉は実際にあんな感じになっているし、そこに何食わぬ顔で殺人鬼が顔を出して、トタテグモのように獲物が通るのを待ち構えていると思うとドキドキする。
そのあと、スラッシャーショーが始まるかと思いきや……
まさかの『ヴァルカン超特急』展開!
ナイトパーティーのあと失踪した弟を探して、官憲とヴェネチアの街を回るが、誰も「弟が存在したことを認めない」という不可思議な事態に。
この場合、そもそもSNS陰謀論者の弟が写真に写らないよう生きてきた人間だとか、直前に海に落ちてスマホを無くしたとか、特殊な要素が絡んで成立している不可能要素なので、ヴェネチア側の誰かが「仕組んだ」現象だとはいいがたいのだが、それでもヴェネチアという「魔界都市」の妖しさ、異界につながっているような怖さを強調する演出としては面白い。
そして、ついに殺人鬼の本格稼働。
リゴレットの道化師の扮装をした殺人鬼は、『復讐だ、すごい復讐だ』と叫んで人を殺すが、これは実際に『リゴレット』第二幕でリゴレットが唱える「Sì, vendetta, tremenda vendetta」から取られている。
道化師(ピエロ)はイグレシア監督にとって常に「虐げられてきた者」の象徴であり、「攻撃性とペーソス、恐怖と笑い」の要素を兼ね備えた特異なペルソナなのだ。
特徴的なのは、この「道化師」殺人鬼が夜陰に紛れて何かするのではなく、常に陽のあたる日常のなかで当たり前のように動き回り、成り行き次第で辻斬りのように平然と人を殺すことだ。
『赤い影』で「夜」や「路地裏」「地下水路」に封じ込まれていたヴェネチアの「魔界性」は、本作においては、陽の光のもとに拡張されているわけだ。
なぜか。それはこの時期のヴェネチアが「カーニヴァル」だから。
祝祭で聖化された街では、街の表と裏は一体となり、魔界が現実を侵蝕し、仮面の匿名性のもと、数多の魑魅魍魎が解き放たれる……。
船上での斬首殺人に船客が誰も気が付かないとか、街中での殺人を残虐ショーだと思って観光客大喜びといった部分は、流石に現実というより風刺の色が強い感じだが、カーニヴァル期間中に「残酷ショー」の寸劇が行われること自体はあってもおかしくなさそう。
なんにせよ、陽光のもと突拍子もなく始まる惨殺劇は、単に恐怖を喚起するだけでなく、ある種の「笑い」「冗談」「戯画」の気配を身にまとう。
いかにも、恐怖とファルスをつねに表裏一体で考えてきたイグレシアらしい試みだと思う。
あえて深くは触れないが、終盤の半水没した劇場で展開されるグラン・ギニョルも素晴らしい。
その過剰さと悪ノリと美意識は、まさにイグレシア印。
じつに楽しそうだ。
操り人形でしかない「道化師」が、操り人形を操ってみせる。
頓智もきいている。
このあとの展開については(否がだいぶ多めの)賛否両論があるだろう。
ホラー映画としては、明らかに「失速」して終わっているからだ。
だが、だからこそそこにはイグレシア監督の「本当に伝えたかったこと」が含まれているのかもしれない。
『べネシアフレニア』は「オーバーツーリズム」問題を扱った社会派映画でもある。
でも、それは本作の提起する問題の一面に過ぎなくて、本当は「保守主義者による他国民排斥」を扱った映画でもあるわけだ。あるいは、グローバリズムとそれに対峙しようとする右派伝統主義者の「分断」の物語ともいえるし、オーバーツーリズムに対抗しようとするテロリストたちの「テロルの作法」を問う作品でもある。
何かしらの思想的な分断が起きたときに、敵勢力の「暗殺」もしくは「公開処刑」をもって「恐怖(テロル)」をばらまく暴力的手法を是とするのか。それとも殺人を用いない誘拐・拘束・脅迫の範囲で主張を広めることを是とするのか。
実のところ、ここで双子の兄弟によって示される二つの手法的対立は、まさに60年代末から70年代初頭に吹き荒れた「政治の季節」にしきりに問われていた「暴力革命」をめぐる思想対立とパラレルである(この時期が、まさにジャンル映画としてのジャッロの「全盛期」であることもわれわれは見逃してはならない)。
そして、それは元首相暗殺が実行された日本においても、保守とリベラルの分断が臨界点に達している西洋諸国においても、戦火のただなかにあるロシアとウクライナにおいても、決して無縁のテーマではない。
人は暴力をもって、あるいは劇場化された死によって、理想をかなえられるのか。
このいかにもB級の、くだらなそうな、血まみれのジャッロもどきの映画は、そんな切実な問いをさりげなく内に秘めている。
もう一つ付け加えておくと、現在のヴェネチアン・カーニヴァルは、実は古来受け継がれてきた伝統的な祝祭ではない。いったん18世紀に規制によって廃れて喪われた祭典を、1979 年になって「観光目的で復活」したものなのだ。
あえて、そのカーニヴァルを舞台に、こんな話をつくってしまうアレックス・デ・ラ・イグレシアの底意地の悪さが僕は大好きだ。
オーバーツーリズム
ベネチアにやって来たスペイン人観光客一行がヒドいめに遭う話。
サスペンスとしてはB級の域を出ないが、観光地にキャパを超えた観光客が押し寄せるオーバーツーリズムの弊害に注目が集まる昨今、何気に社会批評性のある作品。
緩く浅く
67本目。
ビビるかどうか不安だったけど、女優さんのセクシーさに目を惹かれ、そっちが気になってしまう、いつもの悪い癖。
これじゃイカンと観てたけど、そこでこれはないでしょって演出、BGM。
分かりやすさあるけれど、全体的に緩く浅くで、まあこんなもんかな。
イタリア人はどう感じるのだろう
スペイン人の女3人と男2人の計5人で、カーニバル期間のイタリア・ベネチアへ観光にやって来た。港に着くと観光客反対のデモに遭遇。5人が水上タクシーに乗り込むと、カーニバルの衣装を着た道化師が同乗してきた。その道化師の正体は観光客を狙う殺人鬼だった。さてどうなる、という話。
観光客が増えて環境が悪くなった。だから観光客を殺してベネチアへ来る人を減らしたい。という意図はわかったが、目的がそれなら殺した死体を家の中に引き込んだり、川に捨てたりせず、見えるところに置いておく方が効果あるのでは?
実際にベネチアはオーバーツーリズムで問題になっているらしい。高潮にも悩まされているとも聞く。これがイタリア映画ならまだしも、スペイン映画というのがちょっと引っ掛かる。イタリア人はどう思ってるのだろう?
スペイン語、イタリア語、英語、の混在は聞いてて面白かった。
スッキリ
いいスラッシャー。
観光客がバカ騒ぎし過ぎ、現地の環境を汚しまくり、というのはかねがねムカついていた事象なので、犯人の行為にすっきりもして。
大型クルーズ船の寄港により起きる波によって歴史的建築物や海洋環境への悪影響が懸念され、地元の反対運動や、ユネスコの諮問機関が世界遺産であるヴェネチアを価値が失われる恐れがある「危機遺産」に登録されてしまった事件を基にしていて、リアリティある背景と思いつつ。
一番怖い(=面白い)と思ったのが、ピエロに仮装した連続殺人犯が、公衆の面前で観光客を切ったり殴ったりして死に至らしめているのに、「ショーが始まるよ」と言いながら行うために、観光客はイベントだと思ってスマホで一部始終を撮影して喜んでいるシーンですね。
思考停止して、何でも都合のいい娯楽として消費するだけの、観光客の醜悪さが最もあらわれていたと思いました。
自分が良いと思える観光地をじっくりと。
「迷惑観光客に、ここまでするか?」というツッコミは無粋として、マスメディアの喧伝に踊らされて(失礼!)、いわゆる「有名観光地」に「オーバーツーリズム」と称されるように殺到するのは、評論子も、さすがにいかがなものかとは思います。
その裏側には、コスト削減のために旅行業界が交通手段の大型化(本作のような客船の大型化、航空機の輸送力強化etc)を進め、それが反面いっそう集客圧となって、また旅行業界に重くのしかかるという「負の連鎖」があることは、見逃してはいけないとしても。
経済成長の鈍化に伴って、日本では、これから労働時間が短かくなることでしょう。
余暇時間が増えるに従い、旅行に出かけることも多くなるのかも知れませんが、少なくとも評論子は、良い映画をたくさん観ることで鑑賞眼を養って、本当に自分が良いと思える観光地をじっくりと見て歩くような観光旅行を心がけたいものです。
劣化コピー
原題は『Veneciafrenia』、英題は『Venicephrenia』で、「ヴェネツィアの心の病」みたいな意味。
※Phreniaは横隔膜の意。昔はこの辺(胸の下)に心があると思われていた。
『「IT」と「Joker」を一緒にしたらどうだ?』
みたいな作風だが、調理下手くそか。
変な化学反応が起こって、味しなくなったわ。
サスペンス寄りなので、ホラー目当てに行くとガッカリする。
舞台はイタリアだが
観光客側のスペイン製作品。
結構イタリアディスってるけど大丈夫か(笑)
実話を元に…って、監督なんかイタリアで嫌なことあったんか?
監督が一番病んでるかも。
オープニング(カッコイイ)見たら帰ってもよし ಠಿヮಠ
ブラボー!!(拍手)
イタリアン・ホラーです。
ホラーってよりスリラーなんでしょうけど、サスペンスの入った。
ジャッロとは言えないと思うけど、ぽいです。
フィルムノワールっぽい、ジャッロっぽい、古めかしく怪しげな音楽で始まるオープニングから、神作?と期待が高まったが、
結果、かなり良かった♪
美しい、水の都ベネチアが、この作品を貫く、不穏な雰囲気、はりつめた緊張感、に不思議と合ってます。
始まりから終わりまで全体的に、天才が作ったと思わせる高い美的センスを感じて、
洗練された、新しい、イタリアン・ホラー、イタリアン・スリラー、の傑作だと思う。
ホラーファン、スリラーファン、に特にオススメです。
いろいろもったいない。
オープニングタイトルはカッコ良いなー。これから起きる事を期待させる滑り出し。ベニスの景色やら仮面や廃棄の劇場とか魅力的な映像がたくさんあるのに致命的にありえんのが真っ昼間の惨劇。あれが全てをしらけさす。残念だー。
一応にもR15指定である点、光の点滅についての注意書きが最初にある点に注意。
今年132本目(合計783本目/今月(2023年4月度)27本目)。
さて、ラストはこちらです。
大阪市内では1か所でしかやっておらず、それも1日2枠というさみしい状況。コナンと東京リベンジャーズ2を入れすぎです…。
この映画、最初に「一部点滅の激しいシーンがあるのでご注意ください」と表示されます。主に記者会見のシーンや、暗闇の中を懐中電灯(の類)で照らしている部分などが該当するのではないか…と思えます。
また、最初に「フィクションではあるが、実際に起きたことがらに着想を得ている」と表示されます。このことは色々調べてみたのですが、実際、イタリアの当該都市へのいわゆる「オーバーツーリズム」(多くの観光客が押し寄せることで、現地の環境や治安が悪くなるなどの現象)に抗議しているという実態は実際存在するものの、それを超える、本映画での趣旨といえる「事件そのもの」ではどうもないようです(それらしい語句を入れてもヒットしない)。
この点は、集会の自由(デモ行進の自由) vs 海外旅行者の快適な旅行の権利、という憲法論的な解釈も可能ですが(日本基準でのお話)、そういう憲法論的な議論は想定されていないように思えます(そもそもそういった話は一切出てこない)。ただ、集会の自由は表現の自由の一類型なので(表現の自由が多数集まった場合に集会になる)、「人権の王様」と呼ばれる言論の自由が強く要請される多くの国においては(イタリアも含む)、この点は「多少観光客の気分を害しても」、「暴力や罵詈雑言等にわたるのでない限り」、それを守る必要はあるだろう、というのが個人的な見方です。
舞台がイタリアでありながら話される言語はスペイン語(一部イタリア語、英語ほか)というジャンルなので、どうとらえるかは難しいものの、結局舞台を優先するなら、イタリアのホラーもの(いわゆるジャッロ)の分類になるのでは…と思えます。この点、R15なので描写はそこそこ厳しいです(なお、大人の営みのシーンはほぼなし)。
映画の趣旨的に犯人捜し、動機探しという部分がかなりあり、その映画の趣旨上、それをうんぬん語りだすとネタバレどころの話ではないのであまり書かないほうが良いかな…。
なお、スペイン、イタリアとも、その文化などに関する知識はほとんど要求されないです(字幕もかなり丁寧で理解ができないことはほぼないです)。R15という条件はつくものの、今週は迷ったらおすすめ(といっても、おすすめも何も、コナンと東京~ばかりで新作なのに1日2枠っていったい…)以上には入るというところです。
減点対象に関しては特に気になる点はないのでフルスコアにしています。今週迷ったらおすすめの一作です(といっても、どこもかしこもコナンと東京しかない…)。
リゴレット
カーニバルで賑わうベネチアで、スペイン人観光客グループが事件に巻き込まれる話。
観光客の増加で環境が悪化することに不満を抱き、大型クルーズ船を排除しようとする団体が講義デモを起こす中、浮かれポンチなスペイン人5人組がやって来て巻き起こっていくストーリー。
まあそれより先にオープニングからいきなり観光客を襲うピエロが登場しますけどね。
ジャッロへのオマージュがどうこういう割には特にクドサを感じないサクッとしたトラップでのゴアをみせつつ、メインストーリーが展開していき、都合悪い方に行き過ぎだけど不穏だし不気味だしで期待値高まりまくり。
そしてピエロとの再会からの展開はテンポが良いしスリリングだしで非常に面白く、なんならもっとやってくれ~!という感じ。
ラストは少々呆気なくキレイにまとめ過ぎた感じはするけれど、なかなか面白かった。
ところで地下はどういうことだったんでしょう…。
🇮🇹人って🇪🇸人の事をうるさくてうざいと思ってるに違いない。
気になったところ
・オープニングの音楽が大袈裟。
・死亡&生存フラグが分かりやすく立ちまくる。
・延々と同じニュースが流れてる。
・あれが街頭のショーだと思うのかな?
・婚約者何で来た?
・殺人ピエロ案外強くない。
良かったところ
・街中誰もがヤバい人達に見えて怖い。
・ホテル受付の女の人の顔が迫力あり過ぎ。
・激シブな水上タクシー運転手。
・操り人形。
・一応犯行理由がちゃんとある。
惜しい!
オープニングは懐かしい雰囲気でテンション上がる!
・・・・・・が、そこが映画のピークだった。
ホラーなのにあまり人は死なないし、グロさも恐さもない。
不気味な仮面や薄暗いヨーロッパの街並みは雰囲気があるから、そこを活かしてほしかったなぁ。
仮面だらけのドアやあやつり人形は好きだな。
ホラーと言うより、サスペンスってカンジかな?
パンフレットが売ってないのが悲しい。
ペスト医師の仮面が欲しい。
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