ハウス・オブ・グッチのレビュー・感想・評価
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事実を基に着想を得たストーリー
この「出だし文句」は映画によく見られますが、当然、この文句自体サスペンスドラマのフリです。
「噓でしょ?」とちょっと笑えるくらいドラマチックなストーリーは、余計な人物や出来事を端折って巧くまとまっており、159分に無駄は見当たらず、また長くも感じません。
そして、実力と個性が光るキャスト達がこのストーリーに厚みを持たせています。
まずはマウリツィオ役のアダム・ドライバー。彼が演じる3代目お坊ちゃまはエレガントな所作と素敵な笑顔でチャーミング。でも実際にはファッションに対する信念も、ビジネスに対する理念もない上に、財産(自分で稼ぎ出したわけでない)狙いの女性からの誘惑に見事に落とされる「ぼんくら」なのですが、アダムは見事にマウリツィオを「憎めない男」にしてしまいます。
そしてもう一人の3代目、マウリツィオの従兄パオロ役はジャレッド・レト。レトは役作りのために体系や食生活を変えて挑む「カメレオン俳優」として有名です。今回の髪型はさすがに特殊メイクですが、毎回6時間かけていたとのこと。パオロは個性豊かな面々の中でも抜きんでたユニークさを持つ人物。劇場でも彼の演技で時折笑いが起きるほど振り切っていました。
そして何と言っても"レディーグッチ"ことパトリツィア・レッジャーニ(グッチ)を演じたレディー・ガガ。22歳から49歳までのパトリツィアを演じていますが、見た目だけでなくパトリツィアが状況と共に変化していく心情と言動をシームレスに表現していくことで、どこか同情的にというか贔屓目に見てしまいそうになる私自身、パトリツィアの毒牙にかかりながら観ていたのかもしれません。
映画には含まれなかった(パトリツィア達が逮捕される決め手となった)「カルロス作戦」や、獄中での特別優遇「(刑務所の)勝利の住人」(釈放後のニックネームは「ブラックウィドウ」)、そして実の娘たちとの「法廷闘争」など、パトリツィアの人生にはまだまだ映画になりそうなことだらけですが、現在73歳の彼女は『ハウス・オブ・グッチ』映画化について「絶対に喜んで賛同できない」としつつも、レディー・ガガが演じることは良しとしているそうです。
名を残すは三流・財を残すは二流・人を残すは…
GUCCI
1921年にイタリアでグッチオ・グッチが
創業した皮革製品の企業
戦時中に皮革が使えなければ竹を使う
などアイデアとデザイン性を両立させ
昨今の「ブランド」という存在の元祖と
言ってもよい存在だったが
90年代のお家騒動で
一族が誰も残らなくなった
事でも知られている
今作はそこをクローズアップし
「王朝」がいかに崩壊したかと
言うストーリー
こんな内容にもかかわらず
グッチが衣装協力した
ビジュアルは素晴らしかった
んだけど…
演出に一貫性が無くBGMもちぐはぐな
感じがどうにも辛かった
やっぱり音楽の統一性は大事ですね
1970年代後半
パトリツィア・レッジャーニは
父親の運送業の事務所を手伝いながら
アルファ・スパイダーに乗って
おしゃれを頑張る日々
ある日のパーティーでウブそうな
青年に声をかけるとその男は
「マウリツィオ・グッチ」と名乗り
弁護士志望だとは言うものの
直感でグッチ家の跡取りだと確信した
パトリツィアは猛アタックを仕掛け
マウリツィオと恋人になり
ついには結婚を決心させます
しかし父のロドルフォ
(創業者グッチオの五男)は金目当て
の女だとバッサリで結婚も反対
しますがマウリツィオは引かず
勘当されてしまいます
マウリツィオは仕方なく
パトリツィアの会社で働きますが
二人の仲は変わることなく
結婚式には新郎の親戚が全く
来ないアンバランスな結婚式
でしたが全く気にせず
純粋な愛の炎で燃え上がっていた
ようです
そんなある日
三男アルドがロドルフォの元を訪ね
マウリツィオとの仲の修復を求めます
アルドは父の反対を押し切って
NY進出を実現したり商売方な気質
上客の日本人相手に御殿場への
進出も考えていたようです
一方のロドルフォは芸術家肌で
拡大路線は反対の手堅い性格
グッチ家の一族はバラバラなのです
アルドの息子パオロは自称芸術家で
デザインセンスも認められず
アルドにはあまり期待されておらず
むしろ弁護士志望のマウリツィオに
期待していたようです
病気で余命いくばくかの
ロドルフォに関係を修復するのも
わからない話ではありません
結局アルドはマウリツィオに
グッチ家へ戻るきっかけにと
自分の誕生日に呼びます
そこでパトリツィアも気に入り
ロドルフォの死後に二人へ
NYへ来るようオファーします
当のマウリツィオはグッチ家の
重圧にうんざりしていたようで
経営等に関心はなくこの話も
乗り気ではありませんでしたが
この辺からパトリツィアは
メラメラと富と名声を手にする
欲が生まれたようです
ふとテレビでやってたピーナ
と言う占い師の悩み相談に
リモート会話のような感じで
選んだ道を進めと
アドバイスされ決心を固めていきます
(この映画急にコントみたいに
なるんですよね)
NYで最高のオフィスと住居を
用意され新生活に燃える
パトリツィアですがある日
ブランドにはつきものの
「偽物」の存在を発見します
生産工場から型落ち品が流れたのか
まるまる偽物かわかりませんが
パトリツィアが追及するべきだと
アルドらを集めて意見すると
「偽物を買う客と我々の顧客は
全く違うから相手にしなくて良い」
という拍子抜けの答え
(今でも偽ブランドによる被害額
は全世界で4000億ドルにも
上るそうですが)
この無関心さに加え余計な事を
するなとクギまで刺してくる始末
パトリツィアは薄々
アルドも邪魔かと察知し始めます
マウリツィオが実権を握るべきだと
意識し始めたパトリツィアは
現状50%持っている株式を増やす
(=アルドとパオロの株を買収する)
事を考えるようになります
マウリツィオは一族同士で対立する
のを拒絶しますが実権を握ることで
自由が得られると思ったのか
少しずつパトリツィアの言うように
動きます
まずパオロにアルドが実権を失えば
パオロのデザインによるラインを
展開してあげると誘いアルドの弱みを
探らせると脱税の証拠がわんさか
ちなみにロドルフォも逝去時
幹部のドメニコから知らされた
株券の署名をしていなかったなど
この一族経営感覚はスッカラカン
パトリツィアはここを逃さず突き
アルドはあえなく脱税容疑で逮捕
軽くすむかと思ったらじゃんじゃん
容疑が出てきて実刑を
食らってしまいます
そんな大事になると思ってなかった
パオロはアルド逮捕にショック
を受けつつ約束通り
ブランドを作ってもらえましたが
案の定売れずグッチ家の名称を
私的に用いた点を著作権違反で
告発され結局グループから外されれて
しまいます
マウリツィオとパトリツィアの
実権は大きくなっていきますが
この流れでロドルフォの株券の
署名をズルした容疑で捜査され
マウリツィオはスイスへ逃亡
パトリツィアは署名偽造を
知るのはドメニコだけなので
もう誰も信用できないと
疑心暗鬼になります
一族の人間を陥れて実権を得た
マウリツィオは苦悩
そこへドメニコも切れと迫る
パトリツィアにもうんざり
しかし幼少期に過ごした
サンモリッツで再会した
幼馴染のパオラに徐々に
魅かれていきます
やがてパトリツィアは娘と
合流しますがパオラといちゃつく
マウリツィオに当然憤慨しますが
もうそこには自分の為に
マウリツィオを利用しようと
している姿しかありませんでした
またそんな時に初めて
恐らく作中で初めて「愛してる」
とマウリツィオに告げるのです
ここはこの映画で一番
いい(?)シーンでした
そういえば愛してるって
言ってなかったんです
結局マウリツィオと
パトリツィアと娘は離別
妻子の面倒をマウリツィオが
最後まで見る確約でパオラと
新しい人生を歩もうとします
グッチの株式も中東の
投資グループを介して
アルド親子の株式を取得し
完全に実権を握りました
トラディショナルだが
若手のデザイナーからは
「ダサい」と言われていた
グッチのデザインを刷新すべく
若手のデザイナーの
トム・フォードを抜擢するなど
伝統にとらわれない
イメージの刷新を図ります
…しかし!
経営センスの無さはもはや遺伝
金遣いの荒い放漫経営でグッチの
業績はみるみる悪化
マウリツィオも結局経営センスは
ありませんでした
トム・フォードの成功の陰で
投資家たちはマウリツィオからの
株式を買い上げ経営から
手を引くことを提案されます
マウリツィオは激高しますが
不向きな経営から離れ
株の売却で数百億を手にし
自由になれる話を吞んでしまいます
結局最後までこうです
ただ自由になりたかっただけ
この買収話を持ち掛けていたのが
ロドルフォに使え「グッチに仕える」
と自負したドメニコ・デ・ソーレ
だったのです
マウリツィオは映画冒頭にあった
カフェでニヤニヤしながら
自由の身になった自分を満喫し
自転車で職場に戻るシーンに
戻りますがここで玄関前で
パトリツィアが雇ったマフィアに
銃撃されて絶命してしまいます
彼の人生は結局この世で
自由になる事は…
何より救いがないのは
少なくともグッチ家の人間の誰が
実権を握ったとしても結果は同じ
だったんだろうなと思わされる部分
結局ドメニコの買収後今では
100億ユーロ売り上げる企業に
なっているわけです
グッチ家の一族は一切かかわって
いませんし一族の人間は
グッチの名を使う事も認められて
いないそうです
パトリツィアもこの映画では
任せたら多少うまくやったのでは
なんて思ってしまいますが
現実にパトリツィアも自分の
デザインしたバックを出して
全然売れなかったり
やっぱり才覚は無かったようです
会社の規模に対して
家族経営の限界とも言えます
日本も家族経営の会社のお家騒動が
よくニュースになりますが
良し悪しなんですよね
クルマ業界なんかで今頑張ってる
トヨタはスズキはトップが一族
苦しんでる日産やホンダは社員
お国柄やグループの規模
色んな要因で違うと思いますが
ブランドに対するイメージを
より受け継げる体制というのが
あるのでしょう
そんなこと考える
機会を持てる映画でした
その演出のマズささえ無ければ
プラス★1個あげられました
長い映画ですがそこはあまり
感じなかったとこはさすが
リドスコ監督でしょうか
華麗なる一族VSレディー・ガガ
高級ブランドには縁も興味も無いため、FやCの羅列だけのものを良いデザインと呼べるのかと思ってしまうし、三角のプレートが付いただけで何であんなに高いのか不思議です。LVはシックで素敵と思いますが、持っていません。
だからグッチのお家騒動の事は全く知らず、野次馬的な興味で観ましたが、とても面白かったです。
私はイタリアについて詳しくは無いですが、旅行した時に知ったのは、イタリアの職人は革へのこだわりが強くて皮をなめすのに凄く手間をかけるのに製品ははがれたり取れたりしがちです(高級ブランドはそんなこと無いのでしょうが)。
サン・レモ音楽祭(日本のレコード大賞のようなもの)を観た時は、開演前から司会者たちがしゃべりまくり、オープニングの合図(ジャジャーンとか)も特に無くいつの間にか本番に突入していて開始時間も適当だったので驚きました。これをイタリア時間と言うらしいです。
本作はアメリカ映画ですが、イタリア人をうまく表現していたと思います。もちろん誇張してるでしょうが。
主演のレディー・ガガは歌抜きで抜擢されただけあって、豪華共演者の中でも存在感と演技が光っていました。
ファッション業界の話なので華やかで美しい映像で音楽も沢山使われています。最初の方はカンツォーネが多く流れていたのに結婚式ではジョージ・マイケルの”faith”、なんで?と後で確認したら、歌詞がピッタリでした。
タイトル通りのGUCCI家の話です
富とブランドと才能とは
一言で言ってしまうなら、富とブランドと、持って生まれた人間の才能には使命がないと開花しない、ということでしょうか。レディ・ガガとアダム・ドライバーの二人の好演に魅せられました。レディ・ガガは富とブランドを奪取するために、グッチに近づきますが、最終的にグッチのファミリーには入れません。そして恨みを抱き罪を犯します。あまりにも哀れですが、彼女は結局自分の欲望に取り憑かれた夜叉のごとく振る舞いで、人生を壊します。彼女は自分を俯瞰して冷静になることができなかったのです。逆に言えば彼女がいなければ、グッチの歴史は変わらなかったので、必要な人物だったかもしれません。グッチという帝国も、軌道修正しながら、現在のメガブラントになった軌跡は決して偶然ではなく、周りを固めた極めて正常な人間の経営に行き着くまで、必要な過渡期であったのかもしれません。思うにこの世の栄枯盛衰は、善もなく悪もなく滔々と流れる川のように、濁流も清流も飲み込んで流れて行くような気がした映画でした。
期待以上だった
レディーガガ、圧巻。そして、ブランドビジネスの化けの皮を剥がす。
GUCCIの創業家の実話ということだが、要は、能力のない3代目とファミリーが会社を手放したという、
いかにもよくある話。
殺人までは、行き過ぎだけど、それ以外の部分は、どこにでも起こる、相続のゴタゴタと、お金に目が眩んだ2代目、3代目とその家族ということ、
それが、世界的に有名なラグジュアリーブランドだというだけで、ドラマティックに見えているだけのように思う。
レディーガガの熱演と、GUCCIのアーカイブ的なコレクションは、見どころなのかも。
日本は、世界の中で、最も古い会社があり(創業578年の金剛組という建築会社)、創業100年以上、200年以上続いている会社が一番多い国だそう。
長く続ければいいってもんじゃないのかもしれないけど、長く続けるということは、ただお金に目が眩んで、会社を大きくしたり、
ファミリーだけで、会社を独占しても、人が続かないということが起こるように思う。
長く続いている会社ほど、会社の規模は小さくとも、本業から外れず、ものづくりにこだわっていたり職人を大事にしていたり、
グローバルに展開するより自分たちのできる範囲内を理解し、無駄にビジネスを広げないということにこだわっているように感じる。
結局のところ、今のGUCCIに伝統なんてないし、見え方として、トム・フォードのグッチが、アレクサンドロ・ミケーレのグッチに変わっただけ。
ビジネスとして、GUCCIという屋号を買った会社が儲けているというだけだし、今のラグジュアリーブランドビジネスっていうのは、そういうものの上に成り立っているだけなんだよね。
多分、あと2、30年後は、そういうブランドビジネスに全く興味のない世代が主流になってくるんじゃないかな。
だからこそ、考えさせられるのは、200年も300年も続いているっていうことから学ぶところはあるんだろうなと思う。
平家物語を語り継ぐ琵琶法師
グッチ家の崩壊
スキャンダラスなゴシップは
リドリースコットが描くドラマチックなワイドなシネマショーでした。ソープオペラ的な。。
脚本はいいと思うんだけど、編集が良くないのか、主役はなんだろうと迷っちゃう作り。映像と音楽のセンスは素晴らしく良かったです。ただ、ファッションへの理解はイマイチなのか色彩が良くないのが残念。トムフォードは褒めたそうですが、、、。そっかぁ
イギリス人の監督にシーズンごとに流行りが変わるイタリア随一の高級ファッションは理解しきれないね。ただ、リドリースコットが作るとゴシップさえも大作っぽさが出るところが凄い。
家族経営しかしたがらないイタリアブランドらしい栄枯盛衰物語、今やアメリカ人のトムフォードが作り上げたGUCCIだけどね。
カールラガーフェルドのシャネル、トミーヒルフィガーのラルフローレンなどなど、エンブレムだけの帝国だらけ。
どうせゴシップなら、それら現在の立役者の物語が見たい。
有害な女らしさを描いた令和の怪作
これは悪女による傾国の物語だ。正確には傾いたのは国ではなく会社だし、最終的にグッチ一族がグッチからいなくなったのは悪女と関係ない部分ではあるが。
しかし作中で描かれる乗っ取りプロセスは傾国の悪女そのもの。時には自ら手を下し、時には夫を唆し、次々とグッチ一族を会社から追放する。その基準は自らの欲望の障害となるかどうかでしかない。恩義があろうが容赦なく切り捨て、思い通りにならなければ愛する人ですら殺害する。
悪女としかいいようがない。権力者にそっと耳打ちして忠臣を始末する様は妲己や末喜のを彷彿とさせる。その悪女を見事に演じきったレディーガガの胆力。悪女に騙されても仕方がないかな、と思わせるアダム・ドライバーの役柄。見事なキャスティングだった。
しかしTRUST WOMAN時代においてこのような「有害な女らしさ」全開の映画を作ったリドリー・スコットの慧眼に感嘆させられる。
この映画では、パトリシア・グッチは純然たる被害者なのだ。被害者が自らの権利救済のために家父長制に染まった男連中に復讐するのは成功譚ではあるが、悪女列伝ではない。途中で夫のマウリツィオから悪行(のように描写されたパトリシアの言動)を詰められるシーンがあるが、あれはハラスメントであり、女性を傷つける悪しき行為だ。パトリシアが己の被害に涙するのも仕方ないだろう。
…と、ハリウッドのポリティカル・コレクトネス好きたちはそう解釈する。「女の遊びじゃないんだ」という言葉も飛び出したことだし、間違いないだろう。普通の人達からしたら悪女以外の何物でもないが。とにかくこれで堂々と「有害な女らしさ」を描けるというわけだ。
パトリシアの卑劣な乗っ取り作戦は「ハンバーガー帝国の秘密」を彷彿とさせる。しかしあちらと異なるのは、徹底的に目的が名誉であることだ。金ではない。自分がキラキラしていることが何よりも大事だった。金はその要素のひとつでしかない。
その欲深さがこの映画を上等なサスペンスへ昇華させている。美女の強欲が物語の魅力として異質な光を放つ瞬間を見せてもらった。
面白い。だがサスペンスではないのにサスペンスと煽らないで欲しい。
GUCCI&実話を元にしたサスペンスと聞いて楽しみにしてました。実話ベースのGUCCI一族の話、としては面白いので、このポイントだったら4点でした。
しかし煽りのキャッチコピーに「サスペンス」と書いたのはいただけません。
その気持ちで楽しみにしていたので、肩透かしを食らったのですよね。日本プロデューサーがいらん事してますね。
GUCCI一族の物語としてコメント。
これは自分の好みの問題ですが、もう少しパトリツィアとマウリツィオの心の変化を丁寧に描いて欲しかったですね。どこから富と権力に囚われていったのか?どこから軽蔑し始めたのか。ここら辺がふわっとしているので、全体としては面白いものの、思い出に残るシーンはあまり無いなぁ、という印象です。
余談ですが、実話のパトリツィアの獄中生活や生き様の方が、人間離れしてて面白そうなんだよなぁ。。
期待を裏切らない!
華麗なる一族の滅亡
私のような庶民には一生縁がないのですが、それでも名前だけは知っている、世界的な有名ブランドのGUCCI。もちろん創業者のことも、お家騒動があったことさえも全く知りません。そんなGUCCI一族の破滅の歴史を描いた本作。事実をもとにして作られたということもあり、なかなか興味深かったです。
ストーリーは、運送会社の娘パトリツィアは、GUCCI創業者の孫マウリツィオを射止め、結婚後は穏やかな生活は送っていたが、マウリツィオの伯父アルドの勧めでGUCCIに入社したところから歯車が狂い始め、ついにはアルドも彼の息子パオロも排除するものの、夫マウリツィオとも険悪になり自身も捨てられてしまい、最後は…という創業家の末路を描きます。
上映時間159分という長い作品でしたが、テンポよく展開したおかげで、途中でだれることなく集中して鑑賞できました。むしろこれだけの内容をよくこの時間にまとめたと思います。一方で、野心が芽生えたきっかけ、それが抑えきれなくなった理由、邪魔者を排除する狡猾さや冷徹さなどを、もっともっと生々しく描いてほしかったし、そのためにはこの尺をもってしてもまだ足らなかったのではないかとも思います。
主演はレディ・ガガで、かわいらしく、美しく、憎らしく、恐ろしくパトリツィアを熱演しています。音楽に疎いので、鑑賞中は彼女と気づかなかったのですが、女優としてもすばらしい才能の持ち主だと感じました。マウリツィオ役はアダム・ドライバーで、純朴な青年が恋に落ち、操られるように野心を抱くも、その才なく失意のうちに退陣させられるまでの変容を見事に演じています。脇を固めるアル・パチーノもいい味出していましたし、ジャレッド・レトの演技も秀逸でした。もっとも、鑑賞中は彼が演じているとは気づきませんでしたが…。
それにしても、金が人を変えるのか、その人自身にもともと眠っていた欲望なのか…、しだいに狂気に侵されていく姿が恐ろしくも痛ましいです。富さえ手に入れなければ、権力さえ目の前にちらつかなければ、本当はつつましやかな幸せで満足できたはず。貧乏な家に生まれ、才能も出世欲もない私は、きっと幸運なのだと思います。
駆け上がる強い意志のある上目遣いにやられた
ガガのイタリアンイングリッシュがたまらない!!
前回のアリー•スター誕生では歌手の役ということもあって“レディーガガ”感が否めなかったのですが、今回はパトリツィアとして2時間半どっぷり浸らせてもらいました。アダムドライバーやアルパチーノと一緒に演技をしているシーンではやはり少し差はありますがとてもカッコ良い女優さんだと思います。
成功や自信を手に入れるにつれて表情が鋭くなっていったり、途中マウリツィオと上手くいかなくなっていくにつれて少しずつ体型も変わっていく所(ボディシェイミングではありません)にもガガのプロフェッショナリズムとリアルさを感じました。
自身のルーツでもあるイタリア系の英語で話している所も予告編から本編まで終始クールでした。
ピーナ役のサルマハエックさんも最近引っ張りだこですね。
サントラもお洒落な映画で、ファッションの映画としても観ていてワクワクしました。
それにしても今回とても楽しかったのでリドリースコット監督とアダムドライバーが組んでいた最後の決闘裁判を映画館で見逃したことが悔やまれます、、
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