ハウス・オブ・グッチのレビュー・感想・評価
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華麗なる一族VSレディー・ガガ
高級ブランドには縁も興味も無いため、FやCの羅列だけのものを良いデザインと呼べるのかと思ってしまうし、三角のプレートが付いただけで何であんなに高いのか不思議です。LVはシックで素敵と思いますが、持っていません。
だからグッチのお家騒動の事は全く知らず、野次馬的な興味で観ましたが、とても面白かったです。
私はイタリアについて詳しくは無いですが、旅行した時に知ったのは、イタリアの職人は革へのこだわりが強くて皮をなめすのに凄く手間をかけるのに製品ははがれたり取れたりしがちです(高級ブランドはそんなこと無いのでしょうが)。
サン・レモ音楽祭(日本のレコード大賞のようなもの)を観た時は、開演前から司会者たちがしゃべりまくり、オープニングの合図(ジャジャーンとか)も特に無くいつの間にか本番に突入していて開始時間も適当だったので驚きました。これをイタリア時間と言うらしいです。
本作はアメリカ映画ですが、イタリア人をうまく表現していたと思います。もちろん誇張してるでしょうが。
主演のレディー・ガガは歌抜きで抜擢されただけあって、豪華共演者の中でも存在感と演技が光っていました。
ファッション業界の話なので華やかで美しい映像で音楽も沢山使われています。最初の方はカンツォーネが多く流れていたのに結婚式ではジョージ・マイケルの”faith”、なんで?と後で確認したら、歌詞がピッタリでした。
タイトル通りのGUCCI家の話です
富とブランドと才能とは
一言で言ってしまうなら、富とブランドと、持って生まれた人間の才能には使命がないと開花しない、ということでしょうか。レディ・ガガとアダム・ドライバーの二人の好演に魅せられました。レディ・ガガは富とブランドを奪取するために、グッチに近づきますが、最終的にグッチのファミリーには入れません。そして恨みを抱き罪を犯します。あまりにも哀れですが、彼女は結局自分の欲望に取り憑かれた夜叉のごとく振る舞いで、人生を壊します。彼女は自分を俯瞰して冷静になることができなかったのです。逆に言えば彼女がいなければ、グッチの歴史は変わらなかったので、必要な人物だったかもしれません。グッチという帝国も、軌道修正しながら、現在のメガブラントになった軌跡は決して偶然ではなく、周りを固めた極めて正常な人間の経営に行き着くまで、必要な過渡期であったのかもしれません。思うにこの世の栄枯盛衰は、善もなく悪もなく滔々と流れる川のように、濁流も清流も飲み込んで流れて行くような気がした映画でした。
期待以上だった
レディーガガ、圧巻。そして、ブランドビジネスの化けの皮を剥がす。
GUCCIの創業家の実話ということだが、要は、能力のない3代目とファミリーが会社を手放したという、
いかにもよくある話。
殺人までは、行き過ぎだけど、それ以外の部分は、どこにでも起こる、相続のゴタゴタと、お金に目が眩んだ2代目、3代目とその家族ということ、
それが、世界的に有名なラグジュアリーブランドだというだけで、ドラマティックに見えているだけのように思う。
レディーガガの熱演と、GUCCIのアーカイブ的なコレクションは、見どころなのかも。
日本は、世界の中で、最も古い会社があり(創業578年の金剛組という建築会社)、創業100年以上、200年以上続いている会社が一番多い国だそう。
長く続ければいいってもんじゃないのかもしれないけど、長く続けるということは、ただお金に目が眩んで、会社を大きくしたり、
ファミリーだけで、会社を独占しても、人が続かないということが起こるように思う。
長く続いている会社ほど、会社の規模は小さくとも、本業から外れず、ものづくりにこだわっていたり職人を大事にしていたり、
グローバルに展開するより自分たちのできる範囲内を理解し、無駄にビジネスを広げないということにこだわっているように感じる。
結局のところ、今のGUCCIに伝統なんてないし、見え方として、トム・フォードのグッチが、アレクサンドロ・ミケーレのグッチに変わっただけ。
ビジネスとして、GUCCIという屋号を買った会社が儲けているというだけだし、今のラグジュアリーブランドビジネスっていうのは、そういうものの上に成り立っているだけなんだよね。
多分、あと2、30年後は、そういうブランドビジネスに全く興味のない世代が主流になってくるんじゃないかな。
だからこそ、考えさせられるのは、200年も300年も続いているっていうことから学ぶところはあるんだろうなと思う。
平家物語を語り継ぐ琵琶法師
グッチ家の崩壊
スキャンダラスなゴシップは
リドリースコットが描くドラマチックなワイドなシネマショーでした。ソープオペラ的な。。
脚本はいいと思うんだけど、編集が良くないのか、主役はなんだろうと迷っちゃう作り。映像と音楽のセンスは素晴らしく良かったです。ただ、ファッションへの理解はイマイチなのか色彩が良くないのが残念。トムフォードは褒めたそうですが、、、。そっかぁ
イギリス人の監督にシーズンごとに流行りが変わるイタリア随一の高級ファッションは理解しきれないね。ただ、リドリースコットが作るとゴシップさえも大作っぽさが出るところが凄い。
家族経営しかしたがらないイタリアブランドらしい栄枯盛衰物語、今やアメリカ人のトムフォードが作り上げたGUCCIだけどね。
カールラガーフェルドのシャネル、トミーヒルフィガーのラルフローレンなどなど、エンブレムだけの帝国だらけ。
どうせゴシップなら、それら現在の立役者の物語が見たい。
有害な女らしさを描いた令和の怪作
これは悪女による傾国の物語だ。正確には傾いたのは国ではなく会社だし、最終的にグッチ一族がグッチからいなくなったのは悪女と関係ない部分ではあるが。
しかし作中で描かれる乗っ取りプロセスは傾国の悪女そのもの。時には自ら手を下し、時には夫を唆し、次々とグッチ一族を会社から追放する。その基準は自らの欲望の障害となるかどうかでしかない。恩義があろうが容赦なく切り捨て、思い通りにならなければ愛する人ですら殺害する。
悪女としかいいようがない。権力者にそっと耳打ちして忠臣を始末する様は妲己や末喜のを彷彿とさせる。その悪女を見事に演じきったレディーガガの胆力。悪女に騙されても仕方がないかな、と思わせるアダム・ドライバーの役柄。見事なキャスティングだった。
しかしTRUST WOMAN時代においてこのような「有害な女らしさ」全開の映画を作ったリドリー・スコットの慧眼に感嘆させられる。
この映画では、パトリシア・グッチは純然たる被害者なのだ。被害者が自らの権利救済のために家父長制に染まった男連中に復讐するのは成功譚ではあるが、悪女列伝ではない。途中で夫のマウリツィオから悪行(のように描写されたパトリシアの言動)を詰められるシーンがあるが、あれはハラスメントであり、女性を傷つける悪しき行為だ。パトリシアが己の被害に涙するのも仕方ないだろう。
…と、ハリウッドのポリティカル・コレクトネス好きたちはそう解釈する。「女の遊びじゃないんだ」という言葉も飛び出したことだし、間違いないだろう。普通の人達からしたら悪女以外の何物でもないが。とにかくこれで堂々と「有害な女らしさ」を描けるというわけだ。
パトリシアの卑劣な乗っ取り作戦は「ハンバーガー帝国の秘密」を彷彿とさせる。しかしあちらと異なるのは、徹底的に目的が名誉であることだ。金ではない。自分がキラキラしていることが何よりも大事だった。金はその要素のひとつでしかない。
その欲深さがこの映画を上等なサスペンスへ昇華させている。美女の強欲が物語の魅力として異質な光を放つ瞬間を見せてもらった。
面白い。だがサスペンスではないのにサスペンスと煽らないで欲しい。
GUCCI&実話を元にしたサスペンスと聞いて楽しみにしてました。実話ベースのGUCCI一族の話、としては面白いので、このポイントだったら4点でした。
しかし煽りのキャッチコピーに「サスペンス」と書いたのはいただけません。
その気持ちで楽しみにしていたので、肩透かしを食らったのですよね。日本プロデューサーがいらん事してますね。
GUCCI一族の物語としてコメント。
これは自分の好みの問題ですが、もう少しパトリツィアとマウリツィオの心の変化を丁寧に描いて欲しかったですね。どこから富と権力に囚われていったのか?どこから軽蔑し始めたのか。ここら辺がふわっとしているので、全体としては面白いものの、思い出に残るシーンはあまり無いなぁ、という印象です。
余談ですが、実話のパトリツィアの獄中生活や生き様の方が、人間離れしてて面白そうなんだよなぁ。。
期待を裏切らない!
華麗なる一族の滅亡
私のような庶民には一生縁がないのですが、それでも名前だけは知っている、世界的な有名ブランドのGUCCI。もちろん創業者のことも、お家騒動があったことさえも全く知りません。そんなGUCCI一族の破滅の歴史を描いた本作。事実をもとにして作られたということもあり、なかなか興味深かったです。
ストーリーは、運送会社の娘パトリツィアは、GUCCI創業者の孫マウリツィオを射止め、結婚後は穏やかな生活は送っていたが、マウリツィオの伯父アルドの勧めでGUCCIに入社したところから歯車が狂い始め、ついにはアルドも彼の息子パオロも排除するものの、夫マウリツィオとも険悪になり自身も捨てられてしまい、最後は…という創業家の末路を描きます。
上映時間159分という長い作品でしたが、テンポよく展開したおかげで、途中でだれることなく集中して鑑賞できました。むしろこれだけの内容をよくこの時間にまとめたと思います。一方で、野心が芽生えたきっかけ、それが抑えきれなくなった理由、邪魔者を排除する狡猾さや冷徹さなどを、もっともっと生々しく描いてほしかったし、そのためにはこの尺をもってしてもまだ足らなかったのではないかとも思います。
主演はレディ・ガガで、かわいらしく、美しく、憎らしく、恐ろしくパトリツィアを熱演しています。音楽に疎いので、鑑賞中は彼女と気づかなかったのですが、女優としてもすばらしい才能の持ち主だと感じました。マウリツィオ役はアダム・ドライバーで、純朴な青年が恋に落ち、操られるように野心を抱くも、その才なく失意のうちに退陣させられるまでの変容を見事に演じています。脇を固めるアル・パチーノもいい味出していましたし、ジャレッド・レトの演技も秀逸でした。もっとも、鑑賞中は彼が演じているとは気づきませんでしたが…。
それにしても、金が人を変えるのか、その人自身にもともと眠っていた欲望なのか…、しだいに狂気に侵されていく姿が恐ろしくも痛ましいです。富さえ手に入れなければ、権力さえ目の前にちらつかなければ、本当はつつましやかな幸せで満足できたはず。貧乏な家に生まれ、才能も出世欲もない私は、きっと幸運なのだと思います。
駆け上がる強い意志のある上目遣いにやられた
ガガのイタリアンイングリッシュがたまらない!!
前回のアリー•スター誕生では歌手の役ということもあって“レディーガガ”感が否めなかったのですが、今回はパトリツィアとして2時間半どっぷり浸らせてもらいました。アダムドライバーやアルパチーノと一緒に演技をしているシーンではやはり少し差はありますがとてもカッコ良い女優さんだと思います。
成功や自信を手に入れるにつれて表情が鋭くなっていったり、途中マウリツィオと上手くいかなくなっていくにつれて少しずつ体型も変わっていく所(ボディシェイミングではありません)にもガガのプロフェッショナリズムとリアルさを感じました。
自身のルーツでもあるイタリア系の英語で話している所も予告編から本編まで終始クールでした。
ピーナ役のサルマハエックさんも最近引っ張りだこですね。
サントラもお洒落な映画で、ファッションの映画としても観ていてワクワクしました。
それにしても今回とても楽しかったのでリドリースコット監督とアダムドライバーが組んでいた最後の決闘裁判を映画館で見逃したことが悔やまれます、、
底なしの欲望
グッチの富と名声が欲しかった女と、彼女に踊らされた創業者一族の話。
GUCCIというブランド名ぐらいは知っているけれど、一族の話どころか事件のこともまるで知らずに鑑賞。
1978年、父親の経営する運送会社で働く女パトリツィアがパーティーで偶々出会った弁護士を目指す学生のマウリツィオと出会い、近付き巻き起こって行く。
名前を聞いて最初からGUCCIを手に入れる気満々でマウリツィオを落としにかかり、まんまと操って行くけれど、マウリツィオが擦れてしまったのは計算外?
途中で我慢出来ていれば、もしかしたら今もとも思ったけれど、そんな性格だったら最初からいってないか。
字幕での補足だったけれど、グッチ夫人と呼びなさいなんて、正にそれが彼女の思想を象徴しているよね…。
そして描かれていなかったけれど、なんでバレたんでしょう?
レディ・ガガ濃すぎ
80年代のスタイリッシュさが出てて、良い雰囲気の映画です。音楽も当時のものが満載。
ただ、レディ・ガガが濃すぎで、2時間半もあるので、お腹いっぱい。豚骨ラーメンとモツ鍋を同時に食べた感じ。10分のミュージックビデオのパワーが2時間半続く。周りが良い俳優なのでもったいない。
ファミリービジネスの物語か、悪妻の物語か、軸を寄せた方が良いと思う。
レディ・ガガの存在感でバランスが崩れたことが理由かも。
オペラを途中で終わらせるところは秀逸で、良きシーンである。
日本のことが時々でてくるが、あの時代はパワーがあったことを思い出させてくれる。現代ならば、中国がでてきて、ニーハオと言うのだろう。
いろいろ批判的なことを言いましたが、基本的に好きな映画です。
◯塚家具… と比べると怒られそうだけど笑
GUCCI には正直あまり興味のない人生を今のところ送っている自分ではあるが リドスコ最新作だし ということで鑑賞。
映画の構造自体はオーソドックスに 栄光と没落 みたいな枠組み(グッチという会社目線で見れば没落⇨栄光の順だけど)になんだけど、最後まで見ると え?そこから冒頭に繋がるの? という飛躍があり面白い。
最後の最後で映画冒頭に戻る と言う仕掛けに関しては個人的には 栄光も没落も関係なく、最初っからそうだったんだよ! と言うメッセージなのかなと思ったり…
ようするに
レディーガガ演じるパトリッツィアのキャラクターは結局は最初から首尾一貫して グッチ という栄光(金目当てはまた違うと言うところが味噌な気もする)に囚われていたと言うことが映画を通していくとよくわかるようになっており、時制をあえて冒頭と最後で繋げたのはその現れ… かなと。わからんけど。
例えばマウリツィオ と出会の場面も今思えば彼の苗字を聞いて え!こいつグッチなの⁈ って一瞬固まっているようにも見えるし、冒頭の父親の会社への出勤シーンからして車やたらぶっ飛ばしてくるわ、男性陣からのヒューヒュー!に普通に喜んだりとか、とにかく彼女の中にある 栄光・賞賛への野心 みたいなものは始まってから終わりまで一貫しているように見える と言うのは本作の重要なテーマかなと思う。
また、個人的に読み解いた今作のテーマに絡んでのレディーガガの出立ちについて。
ミュージシャンとしてはエキセントリックな存在感が売りではあるものの、今作の役者としての佇まいは一言で言うと 生々しい。あまり体型のことに言及するのは時代遅れかとは思うけど、いわゆるモデル的な方向のスタイル作りはしていない、要するに 浮世離れ した出立ちになっておらずそこもまたポイントだと思う。
つまり これはグッチに象徴されるゴージャスな世界だからこそ起こった事件 ではなくて
お前ら!観客たちにも全然関係ある話だぞ!(リドスコなら お前ら! とか言いそうだし)
という事を表す演出の一つなのかなと思う。
某ラジオで宇多丸氏はリドスコの作品にある一貫したテーマとして 神なき世界 つまり 今我々が生きるこの世界や社会とはなんなのか?(正確じゃないけど) というのを挙げていたが、今作もそれに当てはまると言える?かなと。
なぜ、こんなに自信なさげにレビューするかというと、
個人的には今作で起こる事、内容としては飲み込めるしよくできてるなぁと思ったりもするんだけど、基本的には あんまり興味が持てない… というテンションが最後まで拭えず入り込めなかったのが正直なところ。
◯塚家具のお家騒動の強化版というと少し違う かつ 何なら面白そうな気もしてくるが、基本的には最初に書いた 栄光と没落 的な枠組みから大外れもせず進んでいくので起こる事一つ一つが予定調和というか、
そのうちレディーガガが野心全開なせいでグッチ家が崩壊していくんでしょ?
というのが特に裏切りも映画的な見せ方の飛躍もなく進んでいくので個人的には若干退屈…
個人的には
生々しく自分の人生と地続きな何か
というよりは
ぶっ飛んだゴージャス一家に巻き起こったぶっ飛んだ事件!しかも実話!
みたいなものの方が見たかったかな。
まあそういうのはスコセッシが生きてるうちにまた撮ってくれればいいんだろうけど笑
ジャレッドレト とはとてもわからない、パオログッチの突き抜けた馬鹿さは見てて楽しかった。
アルパチーノも狸親父感満載で良いし、アダムちゃんの
良い人なんだけどダメ男感も好き。
と、別にそんなに下手な所とかも特に無く全てうまく行ってはいる けど俺好みの映画では無いかな という映画だった。
もう少し周辺情報を勉強してから見たらまた違うかな。
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