劇場公開日 2022年1月14日

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「あまりにも悲しい恋物語」ハウス・オブ・グッチ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5あまりにも悲しい恋物語

2022年1月21日
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鑑賞方法:映画館

 アダム・ドライバーは背が高くて見栄えのする俳優だが、どこかすっとぼけたところがある。いくつか観た出演作のどの演技にもそう感じられた。それはこの俳優の個性だろうし、いいと思う。
 本作品も例外ではなく、演じたマウリツィオ・グッチは放蕩息子の役の筈だが、すっとぼけつつも真面目で優柔不断な若者に見えてしまう。おかげで中盤までミスリードされてしまった。弁護士を目指すような勉強好きの人間なら、経営もちゃんと勉強するだろうと思ったのだ。

 レディ・ガガが演じたパトリツィアは「業突く張り」という言葉がこれほど似合う女性はいないと思うほど、強欲で独りよがりで強情で頑固である。こういう女性にモデルみたいな体型は似合わない。ちょっと太めで肉感的な女性がいい。レディ・ガガに白羽の矢が立ったのは自然の成り行きだろう。
 イタリア訛りは少し余計だったが、レディ・ガガの演技はなかなかのものである。マウリツィオの父でジェレミー・アイアンズが演じたロドルフォが鋭く見抜いたように、パトリツィアはカネ目当てでマウリツィオに近づいたが、そんな側面をおくびにも出さない強かさがパトリツィアにはある。多分ではあるが、女学生時代も小金持ちの娘として取り巻きに囲まれていたのだろう。人の御し方だけは上手だったという訳だ。そんなパトリツィアに見込まれてしまっては、世間知らずのマウリツィオはひとたまりもない。

 業突く張りだが忍耐力もあるパトリツィアの頭の中では、マウリツィオに出会った瞬間から、将来は自分がグッチを牛耳るのだという遠大な計画が生まれた。なにせ他人を騙して誘導する能力だけはピカイチである。将棋の駒のように誰と誰をどのように動かせばこうなるという読みがあった。将棋に捨て駒があるように、パトリツィアは人を捨て駒にする。

 パトリツィアの唯一の誤算は、マウリツィオを将棋の駒として扱わなかったことである。あるいは贅沢三昧で優柔不断を極めるマウリツィオを扱えなかったのか。彼女の権謀術数はマウリツィオとの出会いに始まり、彼との別れで終わる。それがパトリツィアの恋だったのだとすれば、あまりにも悲しい物語である。

耶馬英彦