ナイトメア・アリーのレビュー・感想・評価
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時間が経つにつれてより面白く思えてきた…
フリークショウな前半とケイト・ブランシェットをファムファタルとしたフィルム・ノアールな後半、テイストの全く異なる話が語られるのだが、全体を貫いているのが〝獣人〟。獣人をキーワードに全体が微妙に入れ子構造になっている。
ブラッドリー・クーパー演じるスタンは獣人の口上に釣られカーニバルへと入って行く。そこで座長の口から語られる「獣人の作り方」を後半でブランシェットが実践して行く…。
タイトルが示す通りスタンは〝悪夢の小道〟にはまり込んでしまうのだが、その悪夢は誰が見ている悪夢なのだろうか…?
全く救いの無い暗く重い話なので好き嫌いは分かれると思うが、スルメみたいな魅力が有り、時間が経つにつれ段々面白さが見えて来る作品である…。
_φ(・_・勘違い
カーニバルの背徳的な雰囲気、、、、日本にもありましたよね、見せ物小屋。
なかなか雰囲気を出していて良かったかと思います。
私も小学生の頃高い金払ってヘビ女見に行きました。怖かったなぁ、、、この映画の獣人と同じように蛇食べていましたよ。
映画はこの見世物小屋の獣人の話ではなく、読唇術を使う男の物語というか顛末というか。
相当勘違いしてました。
エレファントマンみたいな展開か?移動遊園地のサクセスストーリーか?と思ってましたが全く違っていて驚きの連発。
読唇術の男の顛末はあまりにベタで眠くなってしまいました。
特に自分の愛人に幽霊の役をやらせるの、、、そりゃバレるってと冷めてしまいました。
ケイト・ブランシェットはちょっと厚めにメイクするだけで普通に恐い
父親殺しの浮浪者がたどり着いのは気味悪い見世物小屋もやっている移動遊園地(カーニバル)。
ピートの手帳に書いてある読心術のコツを番号付で何度も繰り返して読み上げるシーンがキリスト教の七つの大罪に対応するように感じられ、読心術とインチキ降霊術で人を操るペテン師がやがて獣人の見世物に身を落として行く因果応報的なストーリー(ミイラ捕りがミイラになるみたいな)がなんとも説教臭くて、いやーな感じだった。キリスト教とくにカトリックの人はどんな風にとらえるんでしょうかね。
そんな解釈でいいですか?
まぁ、あんまり、楽しくない。
ブラッドリー・クーパーの青い瞳は如何にも異界の住人らしくて、怖くもあり、美しくもあり。
ケイト・ブランシェットとトニ・コレットは普通に恐かったです。
奇形のホルマリン浸けの標本はもっとおどろおどろしい本物をたくさん見せて欲しかった。
あと、見世物小屋といえば、やっぱりヘビ女。生きたヘビを食べる半裸の女。メズゥーサのお化けみたいな。
ルーニー・マーラの電気椅子の場面が色っぽいので釣られて見ましたが、予告編だけでも充分だったような。
ルーニー・マーラが三谷監督のマジックアワーでの深津絵里の雰囲気に似てるなぁなんて思って見ていましたが、ディズニーでしたか。なるほど。
個人的にはもうちょっと、大人の映画にしてもらいたかった。R15+ぐらいの。
気になったのはウィリアム・デフォーから見世物小屋を受け継いだ新店長が首からさげていたのは保安官のお母さんの形見のブレスレットたったような。もしかしたら、保安官も酒浸りになって獣人にされて殺されてしまったんじゃないか?と考えるとスタンの罪深さが倍加しますね。
純粋な瞳に悪は宿る
彼はその無垢なる瞳とともに、人々を魅了しつつも、多くの悪をなした。それは「騙す」という不義。
観ていて不安しか起こらない展開が続いて、ようやく肝心なセリフ。「あなたは金のことしか考えていないチンケな男なのよ」。この映画も悲劇的ではあるが愛についての物語だったのだ。
しかしついに自分を騙し続けることが不可能であることを悟り笑いだす。「宿命」という言葉が落ちかと思うと、これに2時間を使ったことに軽く絶望的な気分になり席を立った。
彼が妻を心から愛することができなかったことに胸が痛む。「騙す」とは「愛する」と対極にあるらしい。
ともかく、常に金儲けを考えている自分にとって必要な映画であることは間違いない。
よかった
大金持ちをだましてお金を取るなら、そこに到達したら逃げるというようなゴールを設定しておくべきだ。上限なしにやっていたら破綻するのは当然だ。そしてゴール金額を設定してもらった方が見ているこっちもハラハラできる。
ラストで人獣になることを「宿命だ」と受け入れ、人殺しの末路というような話で、教訓みたいだ。
主人公のキャラが薄くて、もうちょっと愉快な側面などがあったら感情を揺さぶられただろう。薄くて応援する気にもならず、かと言ってさほど憎くもない。遠い存在として眺めているようだ。
タロットカードで、おじいさんを殺した犯人であることは分からないものだろうか。
ドミノ式の宿命に翻弄される人生!
暗い時代で、まさに太平洋戦争が始まる頃(1940年代)のアメリカのお話です。一言で言えば、サスペンス・スリラーなのですが、個人的には宿命論を根底に置いての、因果応報的なストーリー展開に見えました。宿命の原点的なものは、憎んできた父親を凍死させ、その遺体と家を焼き尽くすという残酷なものです。もう一つの原点は、しばらく仕事をしていたサーカスの見せ物の獣人との出会いです。それらの原因がドミノ式につながり、最後に獣人の姿になるのです。しかし、私は単純に行いの報いというイメージはありませんでした。ただ、本当にドミノ式に繋がっているだけなのだと、この作品を俯瞰して観ていました。そして最後まで行き着く間に、脚光を浴びる興行師(詐欺師)になり、成功を収めます。しかし、ある時を境に奈落の底に向かって突き進みます。破滅のカントダウンにハラハラドキドキが止まりませんでした。それでもそんな暗さも、花を添える妖艶な女性たちの登場で、バランスの良い面白い傑作になっていると思います。
このキャストで、デル・トロで、これ?
ってのは正直言って、ある。いや、コレがデル・トロじゃなきゃ、すごく良かった!って思えるんでしょうけど。なんせ。期待値、かなりの高さだったもんで。
タブーを冒し、人を騙して生きて来た男が、騙されて獣人となる立場に転落する。自業自得の物語りです。これは天罰なのか運命なのか。諸悪莫作の「戒め」の物語りは、見終わった後、諸行無常を感じざるを得ません。あな哀し。
でも、デル・トロなのに...
もうちょっと。こう。何か、欲しかった。
ってだけ。
フツーに良かったけど。
期待は、フツーじゃないんですもん。
次は、はっちゃけ映画に戻るとか。
一作だけで良いんでw
読心術は出来ても人を見る目はなかった
ルーニー好きのツレに誘われて観に行きました。
デルトロといえばパンズラビリンスが好きな作品てくらい。
この作品は寓話的に野心家が踏み越えちゃいけない領域に手を出しその報いを受ける話。そうなってしまうまでに何度も何度も踏み止まるチャンスはあった。主人公は悪人ではなく獣人に対しても憐れみを感じたり良識があるのは窺い知れる。また最後の表情、台詞によって自分でも今やめておけばと思う事があったのは想像がつく。
金、名声に惑わされると今まで自分を見守ってくれた人の言葉も入らなくなるし、成功する度に大事な何かを見失う。
読心術でファムファタルの心を折ればそりゃ倍返しに合う。スキルを身につけた事で奢り高ぶると関わってはいけない人との接触機会は増えるもの。人を見る目は大事だ。
スピリチュアルな領域は神(またはその様な何か)が決める事であって人間が決める事じゃない、人がコントロール出来ない事に手を出せば必ずその報いを受ける。
あるか無いか不確定なものはわからないが業は巡る。
成果主義への偏り、数字が全て、質や人情を見失いつつある現代に見て欲しい作品。
寿命を縮めるアルコール
バスで寝てしまい辿り着いたサーカスの見世物小屋で仕事をすることになった男が拗らせる話。
前作も原作も知らずに観賞。
見世物小屋でみたギークに始まり、様々なショーをみる中で、アイデアを膨らませ、読心術を教わりメンタリストになっていくストーリー。
その2年後がメインだけど、そこに至るまで1時間ぐらい?
メンタリストは良いけれどスピリチュアルなところに走るなよと。
わかりやすい成功と破滅の物語で、締めに至るまでなかなか面白かったけれど、ちょっと自分には長過ぎて、山場前少しダレた。
ハッピーエンドじゃないけれど、オールドスタンダードというか、ストーリーのまとめ方という意味では終わりよければ全て良し…なのかな。
一人の男の数奇な運命
男が父親を殺し、逃れた先で読心術を得て、その力を元にリッチで有名になる。だが、更なる上を目指したばかりに更なる殺人をしてしまい、どん底の人生を送るハメになってしまう。波乱な人生だが、男としてはわかる部分もあった。
ケイト・ブランシェットが良かった
興行ビジネスでの成功を夢みる青年スタンは、人間か獣か正体不明な獣人を見せ物にするカーニバルの一座に合った。そこでスタンは読心術を学び、人をひきつける才能を武器に、興行師として成功した。しかし、大富豪の過去を暴き自分の妻モリーをその女性の代役に当てとことからイカサマがバレ、追われる身となり・・・てな話。
いつバレるかドキドキしたけど、所詮イカサマ師なので殺されても自業自得と冷めた眼で観てた。
ケイト・ブランシェットの素晴らしい演技が良かった。
ルーニー・マーラは可愛かった。
獣人とは
ケイトブランシェットと出会ってからストーリーが加速していく本作。
クライマックスの『I do love you』を軸にテーマを考察すると、女性の愛情を顧みずに私欲(金と保身)だけに走る男性=獣ということなのでしょうか。
2022年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️✨
スタンが酒を口にしてから、"世界"が変わった?
スタンはケイト・ブランシェット演じる心理学者のセッションを実は受けていただけだった…というオチ?
そこのところ、よく分からなかったんですけど…笑
原作読んでから、もう1回観よ…笑
ガックリ。スタンが人間としてカス過ぎて感情移入できない。『パンズ・ラビリンス』や『パシフィック・リム』のミラクルよ、今一度。
①ギレルモ・デル・トロは好きな監督なのだが、作品の出来に波があるのが残念。全監督作を観ているわけではないが、『パシフィック・リム』萌えさせてくれた後の『クリムゾン・ピーク』ではガッカリ、『シェイプ・オブ・ウォーター』は良かったが、今回はまたガッカリである。②デル・トロの演出力が衰えたわけではないが、何せ話がつまらなすぎる。サーカスを舞台にした前半はデル・トロ映画らしい悪趣味ギリギリのダーク且つファンタスティックな雰囲気と味があってまだ楽しめるが、スタンが芸人として成功したのに欲をかきすぎて自滅する後半はよくある展開で平凡。③これだけの豪華キャストなのにそれぞれ役不足。ルーニー・マーラーは彼女でなくてはならない役ではなかったし、トニー・コレットはさすがに彼女らしい味が出ていたのに途中から消えてしまってつまらない。④ブラッドリー・クーパーのスタン役は彼のキャリアに何のプラスにもならないだろう。この作品のファム・ファタールに当たるケイト・ブランシェットの悪女ぶりはさすがだが、それでも彼女の実力からすれば深みのない役である。唯一懐かしやメァリー・スティーンバージェンがたったの2シーンながら中々印象的な役で出ていたのが嬉しい驚き。
極上の心理戦
来日したら行きたい場所は中野ブロードウェイと発言していた素敵なデル・トロ監督の最新作。
仕事も金もないスタンがカーニバル一座に拾われて読心術を武器に成り上がる。毎回、読心術を披露する場面での心地よい緊張感が堪りません。
そして肥大した野心で大勝負を仕掛けるスタン。彼の破滅する姿が観たい…といつしか激しく望み始める歪んだ自分がいました。自業自得や因果応報を理由に他人の破滅を正当化する歪んだ自分。
騙されることによって救われるのならスタンの言い分にも一理あると思えましたが、キンボール夫妻の選択を見せられ結果に対しての責任は負えないとも感じました。
興行(ぺてん)師と精神科医と大富豪による極上の心理戦をデルトロの美しいけど体温を感じられない画作りで堪能させて頂きました。
ギレルモデルトロが描くべき映画だったのか疑問
予告映像などから鬼才ギレルモ・デル・トロが見世物小屋を舞台に描くダークファンタジーと勝手に思いこみ、得意の独特な世界観や気味の悪いクリーチャーが出てくるのを期待していたが完全に裏切られた。
この監督が大好きな戦中のイメージは映像や衣装で楽しめ、主役級の俳優陣も雰囲気を十分に出す事には成功したと思うが(ルーニー・マーラーのウエイトコントロールには役者根性を感じた)、如何せん話自体がつまらないし、尺も長過ぎて観ていて集中力を維持するのに苦労した。
途中で何度も中だるみを感じた理由の一つは不要なシーンが多いこと(昔の仲間がホテルに来るシーンとか)と、構成が上手くないこと(見世物小屋パートか読唇術以降のパートかどちらに比重を置きたいのか?)だと思う。
また、ラストで主人公が街を逃げ出してから獣人(ギーク)になる事を運命と感じ受け入れる?まではあまりにも早足すぎて説得力を感じるには至らなかった。
才能ある希代の映像作家だけに少し残念に思った。
エノク怖いよー😱
ストーリーを完結に言えば、チンケな男が一度這い上がってまた地に落ちるまでのドラマ。
ブラッドリークーパー演じる主人公のスタンが最初に見た見世物小屋のギーク(獣人)に最終的には自分がなるんだろうなと序盤ですぐわかってしまうのに面白い!
さすがデルトロ監督という仕掛けがいっぱい。
無駄にグロかったり(でも後は引かない)感じもやっぱり好き。
ホルマリン漬けのエノクはどことなくペールレディに似ててキモくて怖いけどなんかかわいい😂
周りのキャクターたちも魅力的で今回もデルトロワールドに引き込まれました‼️
異形のカルト・ノワールを現代のエンタメとして見事に蘇生させた、ウェルメイドな人間ドラマ
原作は既読(扶桑社版)。
本作のリメイク元の『悪魔の往く町』(タイロン・パワー主演、エドマンド・グールディング監督)も、昨年シネマヴェーラで鑑賞済み。
結論から言うと、想像していたより、ずっと「まっとう」なノワールだったし、ものすごく「ちゃんとした」エンタメだった。
『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー賞も獲って、功なり名遂げて好きな映画を撮る自由を手に入れたデル・トロが、次回作で自分の偏愛する往年のフィルム・ノワールのリメイクをやるってきくと、どうしても「個人的」で、「マニアック」で、「趣味的」な映画になるんじゃないかと思ってしまう。
でも、実際に観た本作は違った。
むしろ、如何に「古い中身」を「現代のエンタメ」の器に注ぎ込んで「再生」できるかに腐心したような、とてもよくできたウェルメイドな人間ドラマに仕上がっていた。
デル・トロ、大人だなあ。
『ナイトメア・アリー』の原作は、かなり変わった小説だ(傑作だけど)。
出だしは、カーニヴァルの見世物小屋から始まる。芸人や猛獣使い、占い師、フリークスたちの居並ぶ一座に、若いマジシャンが入ってくる。上昇志向の塊のような彼は、とある経緯で女占い師とコンビを組んで読心術の舞台を務めるようになり、遂には秘伝のタネ本を手に入れ、一座で知り合った電気椅子芸の女性とボートヴィルに進出、夫婦で出演する読心術ショーで大成功を収める。
しかし、彼の野望はそこで終わらなかった。彼は「降霊術」を用いたペテンで、より大きな金と成功と名声が見いだせると気づき、霊媒稼業と宗教的活動にのめり込んでいくのだ。やがて彼は、とある女性精神分析医と運命的な出会いを果たす……。
各章の頭にはタロットのカードが掲示され、物語が運命に支配されていることを示す。キーとなるカードは、「吊るされた男」。貧困層の野心家が犯罪行為に手を染めて成り上がろうとする筋立てと、典型的な「ファム・ファタル」の登場という、ノワール特有の枠組みをもちながら、ショービジネスの内幕ものとしても、コンゲームものとしても読める独特の世界観を示す。なんというか、ネタのビザールな異形のノワールというか。やたら詳細にカーニバルの隠語や、手品のタネ、降霊術のトリックが明かされる、ある種の(『白鯨』的な)「情報小説」としての個性も強い。フロイト流の精神分析がふんだんに出てくるのはいかにも40年代的で、『白い恐怖』や、マーガレット・ミラーあたりのニューロティック・スリラーを想起させる。
主人公のスタンが切羽詰まったり、酒びたりになったりすると、思考の流れに則して「文体まで壊れてゆく」という、ジェイムズ・ジョイスのごとき文学的実験を、一般向けの小説でやっている点も面白い。さらには、アルコール依存の末、舌がんになって、最後は無一文で野垂れ死に同然で自殺したという著者ウィリアム・リンゼイ・グレシャムの人生も、作品と呼応するようで興味深い。
タイロン・パワー版の『悪魔の往く町』は、小説のヒットを受けて、翌年の1947年には公開されている。
112分と、当時としてはかなりの長尺の部類に属する映画でありつつも、とても原作の全部は入りきらなかったと見え、マジシャンとしての活動期の話や、スタンの過去と家族との関係性、霊媒師として積み重ねるペテンの数々などが、大胆にカットされている。また、ヘイズ・コードの影響で、ラストが大きく変更されている。
総じて、スタンという野望に燃える色男が、三人の人生を変える女との出逢いを受けて、どのような流転の生涯を送っていくかに、ぐっと焦点を絞った作りとなっているといえる。主人公も、明らかに犯罪者気質の強いピカレスク・ロマンである原作と比べると、かなり善なる部分をも内に併せ持つ穏当な描き方となっている(そうしておかないと、あのラストにつながらない)。
前半のカーニバルの描写から、ラスベガスで成り上がるまでの描写は、ノワールというよりはショービズもののノリで、トニー・カーティス主演のハリー・フーディニの伝記映画『魔術の恋』(54)を思わせる。後半、物語が降霊術関連の話になだれ込んでいくところも両作はよく似ていて、これは『ナイトメア・アリー』の主役の人物造形に際しても、フーディニを参考にした部分が大きいからだろう。
で、本作『ナイトメア・アリー』だが、映画のパンフにあるデル・トロのインタビューによれば、もともとは何十年も前(『クロノス』を撮っていた頃)にロン・パールマンに薦められてから、ずっと温めてきたリメイク企画らしい。
映画としては、明らかに原作準拠というよりは、『悪魔の往く町』準拠。すなわち、映画版のリメイクとしての色彩が強い。
物語の展開も、カットの仕方も、タイロン・パワー版にだいたい準じている。
ただし、前半の見世物小屋の描写、とくに原作にある「野人(ギーク)」の描写を、あえて再度復活させていて、ラストも「ほぼ」原作通りに修正されている。
まあ、「ここがこの映画のキモだ」と、デル・トロ監督も考えたんだろうね。要するに、ヘイズ・コードに阻まれて旧作では割愛せざるを得なかった、究極にビザールで皮肉で衝撃的なラストのギミックを、再映画化に際してきちんと補完してみせた、ということだ。
冒頭からの布石が、きれいに円環を成す、美しいエンディングだ。
なんとなく、ブラッドリー・クーパーの「アレ」は、ちょっと『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のラストのデ・ニーロを思い出したなあ。
ああそうか、直前で「アマポーラ」が流れてたからか(笑)。
序盤のカーニヴァルから、デル・トロらしい映像美は充分発揮されている。
ただ、思っていたほどは、はっちゃけていない、というのが僕の正直な感想かも。
デル・トロなら、ヘネンロッターの『バスケットケース2』や、バーカーの『ミディアム』みたいな乱痴気騒ぎだってやれたと思うのだが、あくまで「控えめに」トッド・ブラウニングの『フリークス』を参照し、心からのオマージュを捧げた、という感じだ。
原作で出てくる「半分人間(ハーフボーイ)」みたいな面白ネタも、映像化を自粛してるし。
なんというか、一般の観客がウゲっとならない程度のマイルドさで、カーニヴァルの幻想性と郷愁を追求していて、『フリークス』ほどのぞっとするような「リアリティ」は、敢えて「封印」して臨んでいる。
主人公の手技の使えるマジシャンとしての要素や、当時のインチキ霊媒における定番だったラップ現象やエクソプラズムみたいなベタな要素も、ほぼ映画ではオミットされていて、あくまで「読心術師」が、そのままの勢いで終盤のアレに進むという構図になっている。
要するに、あんまり珍奇でクセの強い部分や、普通の客が観て趣味に走りすぎていると思うようなところを、監督は非常に注意深く避けて通っているようなのだ。
一方で、後半の「いかにもノワール」と思われる展開に入ってからは、完成度がぐっと際立ってくる。
とくに、ケイト・ブランシェット。彼女がとにかく、圧倒的に素晴らしい。
旧作の映画版よりも。……おそらく、原作よりも(笑)。
この人、台詞の内容と、その言い方の演技と、それを言っているときの表情の演技に、それぞれ「ズレ」をもたせてくるんだよね。
恐ろしいことを言っているときに、悲愴さを漂わせ、
攻撃的なことを言っているときに、弱さを漂わせ、
優しいことを言っているときに、非情さと狂気を漂わせる。
スタンに襲われてるときの演技とか、ちょっと余人に代えがたい壮絶さで、何人ものケイト・ブランシェットがひとつの身体のなかでせめぎ合っているかのようだ。
彼女のおかげで、本作の「ファム・ファタル」登場シーンは、たぶんデル・トロと脚本家が意図していたよりもずっと多層的で、深みのある複雑さをまとうことになった。
思想的な部分でも、『ナイトメア・アリー』は、現代の思想的な分断だったり、資本家と貧困層の対立だったり、集団のなかでの孤独だったり、今と共鳴できる部分をきちんと強調してきているし、「虐げられる弱者の連帯と精神的勝利」という、デル・トロ本来のテーマにも連関させている。
結果として、本作はピーキーで趣味的なカルト作というよりは、監督が愛してやまない変わり種のノワールを「今の一般的な観客でも咀嚼し、ふつうに楽しめる現代的な感性の映画」に再生させたものとなった。
まあ、それだったら、わざわざこんなクセの強い素材をリメイク元に選ばなけりゃいいのに、どうせやるならせっかくだし、とことんキッチュで、ビザールで、コテコテに頭のおかしい映画が観たかったよ、という意見ももちろんあるだろうが、デル・トロは、「そっちにはいかない」人だったということだろう。考えてみれば、そういうバランス感覚は昔からずっとある監督だよね。
サム・ライミやピーター・ジャクソンと一緒で、自分の出自や偏愛には噓をつかない「誠実なオタク」でありながらも、「ちゃんと」関わったみんながハッピーになれる映画を頑張って撮ろうとしているわけだ。
だからこそ。
本作はノワール好きや、カルト好きや、『フリークス』好きだけでなく、一人でも多くの「一般の人」に観に行ってほしいと願ってやまない。
で、逆にこの手のビザールな世界、あるいはノワールの魅力に目覚めてくれれば。
たぶん、それはデル・トロのいちばん望んでいることだろうから。
【”人道外れし者、蠱惑的ラビリンスに迷い込み自らの野心を果たすべく謀略を画す。”善悪、美醜、貧富。相反する価値観を包含したサスペンス・スリラー。魅惑的且つ魔窟の如きギレルモワールドを堪能する作品。】
ー 冒頭、荒涼とした一軒家で男が重い荷物を引きずり、床に開けた穴に放り込み、マッチを擦り躊躇なく穴に投げ込み、家は炎に包まれる。男は、平然とした顔で家を後にする・・。-
◆感想
・印象的な冒頭のシーンが、ラストでもう一度”細部まで”映し出される。そして、その男、スタン(ブラッドリー・クーパー)が善性薄き男である事が分かる。
・汚れた姿のスタンは、”獣人”をメインの出し物にする怪しげなカーニバルと出会い、率いる男(ウィレム・デフォー)に気に入られ、タロット占い師ジーナ(トニ・コレット)、後に恋人になる”感電ショー”の人気者モリー(ルーニー・マーラ)とも関係性を築き、を磨いていく。
- ”獣人”は”こんな筈じゃなかった・・”と何度も繰り返し、最後は雨中に放り出され、息絶える。そして、ジーナのタロット占いは、独立するというスタンの不吉な運命を言い当てていた・・。-
・都会に進出した、スタンはモリーを助手にして、読心術師として名を上げる。そんなある日、出会った謎めいた心理学博士のリリス(ケイト・ブランシェット)。
- スタンと、リリスの駆け引きが面白い。観客の前で、”バッグの中身を当てて・・”と挑発するリリス。スタンの読心術で辛うじて危機を脱するが・・。
ブラッドリー・クーパーと、ケイト・ブランシェットの瀟洒な意匠に囲まれた部屋での駆け引きは一見に値する。妖艶とした微笑みを浮かべ、スタンを挑発するファム・ファタール、リリス。ー
・そして、リリスから紹介された”訳アリの富豪”エズラ・グリンドル(リチャード・ジェンキンス)は”亡き恋人”の出現を要求する。
- モリーを”亡き恋人”に仕立てようとするスタンであったが・・。-
<年月は流れ、再び身をやつしたスタンが訪れたカーニバル。主人の脇には、以前にも見た母親を胎内から殺した”クレム”が同じようにホルマリン漬けにされている。
主人は”読心術は時代遅れだ・・。獣のような恰好で舞台に出るのはどうだ・・。”とスタンに告げる。
それを聞いたスタンは、自らを嘲笑うようにヒステリックな声で笑う・・。
今作は、人道を外れた者が、巡り巡ってその報い受ける、シニカル且つ耽美的で蠱惑的な因果応報の物語である。>
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