ナイトメア・アリーのレビュー・感想・評価
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面妖で絢爛、デルトロ印の大人向け寓話
邦題のカタカナタイトルだけ見て、アリーという魔性の女が出てくるんだと漠然と思っていたアホな私ですが、alleyなんですね。原作の日本語タイトルは「悪夢小路」。確かにこれは、主人公のスタンが欲と悪事の危険な小路に迷い込んでいく話。
第二次大戦が始まった1939年、人権的にアウトな獣人(ギーク)の見せ物をやる怪しげなカーニバル一座にもぐりこんだスタンは、そこで出会った老人と彼の持つ一冊の本から、読心術とそのからくりを知る。恋人モリーと独立してオカルティックなショーで売れるが、心理学博士のリリスとの出会いから、一線を超えた霊媒師詐欺に手を染める。
デルトロ監督らしい、暗く怪しい華やかさに満ちた映像に終始圧倒される。序盤のギークと鶏のシーンは、世界観の宣言であり、とびきり辛いスパイスだ。「シェイプ・オブ・ウォーター」で半魚人が猫を食べたシーンを思い出した。鶏さんには申し訳ないが(というかもちろん本物ではないが)、こういう容赦ないアクセントは、本来のグリム童話のように人間の本質に蓋をしてない感じがあって結構好みだ。
(あのカーニバルは昔縁日で見た見世物小屋を思い出した。ダミ声のおじさんがさあさあ怖いよ怖いよと呼び込みをやってて、蛇女や火のついた蝋燭の束を飲み込む芸を見せる。氷点下の世界とかいう、中が冷凍庫状態の小屋もあった。平成の話です)
中盤から出てくるリリスの執務室兼カウンセリングルームの豪華すぎるしつらえ。アールデコで隙がなくかっこいいが、彼女の金銭欲の象徴のようにも見える。とはいえ、その舞台に負けないケイト・ブランシェットのこの世ならぬ美しさに目が眩んで、これはもうスタンと組めば面白い、いや組んだらやばい、とアンビバレントな気持ちになった。
疑い深いグリンドルとのやり取りは、終始緊迫感があった。見破られるかとはらはらさせてからの全幅の信頼関係、でもやっぱモリーを幽霊がわりに立たせて(これがまた絵になる)ってのは案の定無理があった。バレるや否や殴り殺す……あーあやっちゃったよ。人生がまさに暗転する。
配役は全員適材適所だが、個人的にはウィレム・デフォーのハマり具合が好きだ。悪い生業に就く小汚い脇役でものすごく光る、というと失礼な響きだが、本当に上手いなあ、こなれているなあと思う。
酒は、身を滅ぼす欲と悪意の象徴なのだろうか。断片的に描写されたスタンの父親への憎しみが飲酒に絡むものなのかははっきり分からないが、当初の彼は憎んだはずの父の形見の腕時計を身に着け、頑なに飲酒を拒んでいた。その頃の彼は、野心はあるがギークにかすかな優しさを見せる一面も持っていた。クレムからギークの”作り方”を聞いた時も、こちらが共感できる範囲の嫌悪感を見せた。
そんな彼が、リリスの持つ情報を利用することで、同じ手練手管で金持ちから桁違いの利益を得られることを知った頃から酒を拒まなくなり、人の孤独や悲しみに深く立ち入り、付け入ることをいとわなくなる。悪事の泥沼にはまるにつれ進んで酒を口にするようになり、最後は酒を求めて腕時計を差し出し、ギークへいざなう酒も飲み干した。
スタンがギークへの道をたどることはラスト手前からうっすら見えてくるのだが、”一時的な仕事”への誘いと酒で暗示してストンと切る終わり方がいさぎよく、美しい。彼の未来の姿が、序盤に出てきたギークへループする。ありきたりというマイナスイメージではなく、昔話の因果応報エンドのような様式美を感じた。彼が踏み込んだ悪の道は、ギーク候補が拾われる悪夢小路にそのまま繋がっていたのだ。
そしてブラッドリー・クーパーの、さまざまな解釈を喚起する最後の笑い。私的オスカー候補に推したい。
余談だが、パンフレットに坂本眞一とヒグチユウコの書き下ろしイラストが掲載されている。まさにこの二人しかいないだろうという絶妙なチョイス。
映像の素晴らしさと安定のタイプキャスト。
ギレルモ・デル・トロが描くサーカスや読心術ショーのいかがわしくて禍々しい世界観は、かつてティム・バートンに期待されていたがもはや観られなくなった(もしくはセルフパロディぽく見えてしまう)ものを正面から引き受けてくれていて、目のご馳走だと思う。古い映画のリメイクというより原作小説に忠実という触れ込みだが、ギークの看板なのは旧作のものをほぼそのまま再現していたし、冒頭のシーンはアンドリュー・ワイエスの印象であるし、たぶん自分なんかでは気づけないほどオマージュが詰まっていそう。全部わかる必要もないと思うが、豊潤な映画や文化や芸術をふまえて出来上がったリッチが映像が美しい(個人的には『パンズ・ラビリンス』のゴシック感の方が好みではあるが)。
物足りないと思うのは、もうこの顔を出しておけば間違いなしくらいの、鉄板のくせ者たちが揃っていて、ロン・パールマンやウィレム・デフォーやケイト・ブランシェットは笑うくらいパールマンでありデフォーでありブランシェットだし、デヴィッド・ストラザーンとリチャード・ジェンキンスはお互いの役を入れ替えても気づかないかもと思うくらいポジションが似ている。キャスティングがイメージそのままの安心感が、いささか物足りなさにつながっている部分はある。あと情念みたいなものが、あまり迫ってこないのはデル・トロの作家性なのかも知れないなと思うようになってきたが、今度はいかに?
清々しいほどスタンの転落ぶりがエゲツない
2時間30分あっという間だった。全く苦じゃない。もっとこの世界に浸ってたかった。サーカスの雰囲気と、スタンの転落ぶりが面白い。
ちょっぴりダークなサーカスの雰囲気が好き。見せ物、読心術という馴染みのない要素が刺激的で、冒頭から引き込まれた。
子供の頃、遊園地の見せ物ショーで蛇を食いちぎる女を見て楽しんだ記憶が蘇る。
清々しいほどスタンの転落ぶりがエゲツない。分かりやすい成功からの失敗ぶり。いるよね、天狗になって調子乗って破綻する奴。スタンは典型的なそれだから反面教師として見習いたい。
まあでもイケメンで人の心読めてモテモテだったら、天狗になっちゃうのは分からなくもない。
やってることは悪人なんだけど、なぜだが応援しちゃうのはスタンのカリスマ性ゆえか。あそこまでやったら、最後は逃げ切って欲しかったかも。
最後自分が獣人になっちゃうエンドはキツかった...笑ってるのか泣いてるのか、分からない笑い声が切ない。「一時的に」と言われ、全てを悟った時の心境はどんな感じなんだろ。
歌舞伎の四谷怪談如きなり♥
ポール・バーホーベン監督と思って見ていた。
『ブラックブック』ぽく感じる。
話のベースは『グレート・ショーマン』とか、フリークが出てくるファンタジーとしては『鵞鳥湖の夜』とかなんか臭う。
だだ、当該演出家の作風であるのかなぁ。
『親の因果が子に祟り』なんか日本の裏社会見たいな感じ。カトリック教徒の考える話なのかなぁ。親殺しってカラマーゾフの兄弟じゃないか。それもカラマーゾフの兄弟のウマシカ親父とは違う弱々しい親父。しかも、なんで?殺されたの?
さぁ~僕は問題作に感じるが。素直には喜べない作品。勿論、駄作じゃない。
人生における気づきとは
主人公のクーパーは類稀な奇術の才能を持ち容姿淡麗、美人で気立ての良いモリーと順風満帆に見える生活を送っているが彼の心は常に苛ついている。金に執着してるように見えるが散財するわけではなく、本人も薄々気づいているのかいないのか心の乾きは金ではどうすることもできない。がしかし目の前の金の魅力に抗することができず周りの人々の忠告にも耳を傾けずどんどん道を踏み外してゆくクーパー。ラスト新しい劇団で得意の読心術で起死回生を狙うクーパー、だが団長に提案されたのは獣人間。ここでやっと真に気づくことができます。全て終わってしまったことに。何故か安堵しているようにも見える彼の表情が印象的でした。
お酒は絶対に飲まない
と。言っていたの…に
一人の男の輝ける時と破滅していく
様が哀れに感じる
見世物小屋で
読心術(心が読める)を知り彼の人生が好転していく
しかし、読心術はペテン師、詐欺師
いつまでも続かない
いつかバレるときがくる
リリス博士と出会って
ある意味この出会いが
破滅に繋がっていく
絶頂の時は
タロット占いや
妻の助言も聞き入れない
やがて妻にも見放され
博士の餌食に。
ラストはまた冒頭のような
見世物小屋で仕事を…
小さな仕事と言いながら
酒を飲むその中にアヘンが入って
いたのか一口飲んだ時は
多分断ろうと思っていたと思うが
二杯目を飲んだ時は
幸せな顔で。
雇われた仕事は”人間か獣か"の
見世物だと思った
彼の辿りつく先は・・
酒は人生を狂わすものだと
本人もどこかで思っていたはず
…酒が
感覚を鈍らせ
博士の思うままに。
ケイトブランシェットの存在で
危うさ華やかさが作品を輝かせる
一番の悪を演じていた
カーニバル一座見世物小屋が
興味あってそそられたし
読心術にもオモシロさを感じた
堕ちていく主人公にも。
人間の本質について問う作品だが、一般受けするにはやや難しいかもしれない。
なかなかよかった。
ギレルモ・デル・トロ監督作品だが超常現象やクリーチャーが登場しない。
ジャンルとしてはネオ・ノワール映画になるそうだ。
1945年~1960年ごろに流行したフィルム・ノワールの復興を目指したものだという。
物語としては、
流れ者のスタン・カーライルが、場末の見世物小屋に転がり込む。
獣人と呼ばれる人間のなれの果てのような人物が鶏を食べるのを見せたりするような場所だ。そんな場所だが、スタンは仕事を得て、ピートという男からコールド・リーディングを習ったりしていた。そのとき、コールドリーディングを使い続けると、正常な判断力を失い、自分が失敗していることもわからなくなるから、使ってはいけないと釘を刺される。
やがて、見世物小屋で働いていたモリーという若い女性とともに旅立つ。
高級ホテルでショウをするようになったものの、成り行きでコールドリーディングを使用して、霊と話をするふりをすることになる。それが真に迫っていたため、富裕層相手の個人的なセッションを依頼されるようになる。
しかし、それは破滅のはじまりだった。
といったもの。
ある意味「ゆきてかえりし物語」のプロットを使っている。
前半で手品のやりかたを学んで、後半ではそれを使って人をだます。
自分が望んでいた華やかな生活を手に入れる。
しかし、逆にそのネタを次々にバラされていき、最後は自分の本質に向き合うことになる。
この流れがうまい。
また、フィルムノワール的な雰囲気というのもよく出ている。
とくに主演のブラッドリー・クーパーと、精神科医役のケイト・ブランシェットなどは本当にハンフリー・ボガードの映画に出てきそうな演技をしている。
製作費は90億円
興行収入は59億円。
ちなみにアカデミー賞で作品賞等を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」は20億円ほどの製作費だった。
本作のほうが製作費が高いわけだが、興行収入も含めて、やや地味な印象だ。
それはネオ・ノワールというジャンルが華やかなものではないし、ストーリー的にも暗いからかもしれない。
それでも、映像を含めてとてもよくできた映画だと思うし、クリーチャーなしのデル・トロ作品というのもいいものだなと思った。
ブラッドリー・クーパーの最期
野望を抱えた主人公
ふらりと立ち寄った見せ物小屋で聞いた獣人(ギーク)の真実
そしてそのギークと成り下がる転落人生
秀逸な伏線回収
最期、全てを理解した主人公
この結末を観るための2時間半だったかと思うと余韻が凄い
堕ちゆく運命…
父親を殺し、暗い過去を捨てて飛び込んだサーカス一座で読心術を身に着け、周囲に止められた詐欺まがいの霊感ショーで金を稼ぐことを覚えてしまった男。人生の絶頂期から転落していくさまをブラッドリー・クーパーが好演している。嘘は結局はバレる。氷のような視線を送るケイト・ブランシェットが怖い。ギレルモ・デル・トロ監督の美しく、どこか不気味な映像、演出が良かった。
天職です
こわー終盤にかけてはこれ一択。何となく途中、いや最初の獣人の詳しい作り方を語っている所から薄々は感じていたのよねー。ただ、途中のゆるゆるとした所から急転直下に結末に進んだので唖然茫然、心理士は結局なんなのさーだった。話の半ばまではまだ良かったが段々と盛り下がりこんな感じ。ケイトブランシェットどんな役でも美人だけど怖いな
ナイトメア・アリー よかった。楽しかった。 読心術だか透視のパフォ...
ナイトメア・アリー
よかった。楽しかった。
読心術だか透視のパフォーマンスでアシスタントの言葉が情報になってるトリックはどこで知ったか覚えてないが知ってた。
相手を観察して言い当てるところは、シャーロック・ホームズを思い出した。こういうの好き。もっと見たかった。
面白かった。ただ、展開は布石が丁寧で先が読みやすい。
ピートは主人公の未来の姿なんだろうなと思いながら見てた。
獣人に仕立て上げる方法を聞いたときは落ちぶれた先はこうかと予想がついた。
周りの人の度々の忠告もあるし、破滅へ向かうのがわかりやすい。
そこへケイトブランシェットが来ると怪しいと思ってみてしまう。裏切りに驚きがなかった。
いやそもそも驚かせる気はとくになかったのか。
全体的に私は驚きというかワクワクがもう少し欲しかった。
終盤にモリーが電流に耐えるパフォーマンスのトリックを話してて徐々に慣れさせたと。その日の限界がわかるって引き際を話すところが好きなシーン。徐々に慣れさせて耐えてただけなんだ!と一番驚いた。リアルキルア。(リアルじゃないか)
ピートがなんでああなっていたのか、彼の過去のことは出てこないけど主人公に起こったことと同じようなことがあったのだろう。
主人公のその後は描かれないけど、すでに見ているようなものでわかる。
霊視は危険なのか…。その考えはなかった。現実の霊媒師たちはどうなんだろう気になる。なんとなく本当だと信じてる。
作中で牧師とかと一緒だって言ってたけど、牧師やカウンセラーは前を向けるようになる手助けで、人の死に何も影響できないから亡くなった人と距離が自然と開く。
霊媒師は霊と交流できるから霊媒師を通して関係が身近なままで、亡くなった人にとらわれ続けるイメージを持った。
霊媒師がコントロールしているようで、依頼者は必死で制御できなくなると危険になるよう。
最後、ワルにも上には上がいる。
映画「サイド・エフェクト」でもあった、
精神科医に嵌められてヤバい奴に仕立て上げられたら怖い。必死に訴えれば訴えるほど空回るやつ。
他に似てるものでアル中の妻が自分に問題があると夫に信じ込まされる映画もあった。
ローゼンハン実験というのがあるらしい。興味深い。色々な映画を思い出す。
因果応報
ギークを見たとき、最後は誰かがコレになるのかな、、、と、咄嗟に思いました。
見せ物小屋は、私が子どもの頃のお祭りなどでもありました。ここまで乱暴で、非人間的な扱いは、もちろんされていなかったと思いますが。白装束の傷痍軍人の方が、物乞いのような事も、、、
今は撮影の時も、倫理規定とかあるだろうから、鶏もまさか食いちぎられてはいないと思いつつも、私は目を伏せていました。
昔の映画で、夥しいウサギの死体が映されるエル・トポみたいなのは、もう作られる事は無いでしょう。でも、鳥インフルの事とか思うと、現実の方が怖かったり。
儚すぎる命。殴られて、ピストルで、車で、自らたち逝く人も。
埃っぽいクラッシックなトーンの中、主人公は悪夢の小路へと堕ちて行きます。それは、身近な人達を大切にしないから。かつて自分がそうされていたから?でも、サーカス小屋の人達は、粗野であっても互いを思い遣ってもいた。
ギークは、、、誰か1人は犠牲にならないとバランスは取れないのかな。「オメラスから歩み去る人々」のように。
ケイトやトニ・コレット、ルーニー・マーラーがあまりに美しく、魅力的に撮られています。
自業自得をただひたすら2時間かけて見せてくれる。
まぁ、いわゆるよくあるペテンの自業自得映画で、このありふれたテーマで2時間越えはしんどいかなぁ。。前半の見世物小屋パートが冗長で、物語の方向性がいまいち見えない前フリにいよいよダルくなってきた所で、ケイト・ブランシェットの登場。そこからやっと展開にアクセルがかかってくるが、それでもやっぱり目新しさがない。結局は主人公をミステリアスに描き過ぎていて、こういう自業自得的なテーマの作品は、主人公の動機にもう少し面白い所が見えてこないと、作品全体の推進力と厚みに欠けてしまう。「異形への変質的ともいえる愛」が特徴のギレルモ・デル・トロらしさも今作では期待していたほどではないし、ブランシェットのゴージャスで圧倒的な存在感が唯一の見もの。
ギレルモ・デル・トロ監督の悪夢のルーティーン
ギレルモ・デル・トロ監督らしい、「罪と罰」あるいは「天国と地獄」を描く。
現生を生きつ戻りつ彷徨う男の因果応報の話。
1939年。
見世物小屋(電気オンナand小人and獣人(ギーク)と言ったオドロオドロシイ見せものたち)
その中に紛れ込んだ罪深い男スタン(ブラッドリー・クーパー)
彼は見せもの小屋の霊媒師から、技の秘密を書いた手帳を盗み心霊術師に化ける。
《人の過去と運命を読む術を身に付けた》心霊術師のスタンは、
助手のモリー(ルーニー・マーラー)を従えて、成功の階段を駆け上る。
しかしそこには、悪魔のルーティーンのような陥穽(落とし穴)が待ち受けていた。
ギレルモ監督の仕掛ける美しい罠(ケイト・ブランシェット)
大恐慌のさなかの不穏な情勢の中。
一度は貧しさから抜け出たと思った。
罪から逃れられるとも思った。
罪を犯した男・スタンは一度は見た天国から、因果応報=地獄を見ることになる。
《ホルマリン漬けの一つ目の新生児。》
《鶏の生き血を啜る獣人(ギーク)》
《命を奪う安酒のメチルアルコールの匂い。》
舞台装置はオドロシイオドロシイ。
ギレルモ・デル・トロ監督の世界観が色濃く滲み出る怪作。
(なのに何故か怪奇譚の魔法にかからない私)
天使のようなルーニー・マーラーを、今ひとつ活かせきれず!!
強烈なラストにも、なぜか心が震えず!!
酔えず!!
ギレルモ監督作品にしては、仕掛けがこじんまりした印象。
スタンという男の、罪の重さを描ききれなかった!!
(偉丈夫・ブラッドリー・クーパーの押し出しの良さが、
(良し悪しだった!)
過去鑑賞
現実悪夢の中で繰り返す…己の罪と運命
ダーク・ファンタジーやSFの印象が濃いギレルモ・デル・トロがノワールを手掛ける。意外な気もするが、本人にとっては念願だったという。
過去の監督作の中ではゴシック・ミステリー×愛憎劇の『クリムゾン・ピーク』に近い系統に思えるが、全く違う。
人の心の暗部に迫り、その顛末をダーク・ファンタジーの雰囲気をまぶして魅せる。
あたかもデル・トロに心を読まれ、突き付けられているような…。
大まかな話自体はシンプルだ。一人の男の栄光と破滅。
そこに野心や欲、“読心術”や“深層心理”が絡み、見る者を翻弄し、この悪夢のような世界に誘っていく…。
大恐慌時代のアメリカ。訳ありの放浪者、スタン。
とある駅に着き、一人の小男の後を何気なくついていき、流れ着いたのが、巡業中のカーニバル。
奇妙な催しや見世物が売りのこのカーニバル。奇術や獣人ショー。
ひょんな事から裏方雑用の職を貰い、働く事に。
働きながら、カーニバルのからくりを知る。
相手を透視するジーナとその夫ピート。本当に透視能力がある訳ではなく、ピートが“読心術”でターゲットの情報を合図でジーナに知らせる仕組み。“読心術”の術を学ぶ。
獣人も本物ではなく、頭がおかしくなり、行き場の失った浮浪者を仕立て上げ。
犯罪スレスレの行為や知れば何て事の無いタネ。が、それを取得し、“見世物”にするのは非常に難しいが、スタンはすっかりこの世界に魅了される。
アル中のピート。彼に懇願され、酒を飲ませるが、急死。(スタンのトラウマの一つになる)
警察が踏み込み、廃業の危機を救ったのが、スタン。覚えたての読心術と話術で警察を抑える。
秘められた才能が開花。自分がやりたい事が見つかった。
カーニバルの若い女性キャスト、モリーと恋仲になっていたスタンは、ピートの読心術のメモを手に入れ、彼女と共にカーニバルを去る。
2年後、スタンは都会のショービジネス界で読心術師として成功し、華やかなスポットライトを浴びていたが…。
我々は開幕からスタンの動向を見ている。
読心術さながら、本人より知っている…かのように。
一見、放浪者からの成功者。が、彼の背景は…
開幕シーンのある“罪”。カーニバルでのトラウマ。
どん底に居た者がそこから這い上がり、手に入れた地位と名声。
その甘美や陶酔は麻薬そのもの。
こういう男こそ、愚かにも罠にハメられ、騙され、犯した罪と共に堕ちていくのだ…。
あるショーの最中、心理学者リッター博士の横槍が入る。
即興の読心術で切り抜けたスタン。
それがきっかけでリッターから関心と興味を抱かれる。読心術ではなく、スタンという男自体に。
リッターの患者の判事。リッターからの情報で判事の読心術を行う。
判事夫妻の亡くなった息子の霊を呼び寄せ、声を伝える。
無論、インチキ。が、成功し、判事夫妻は心が救われ、スタンも更なる名声と金を得る。
これが、一線を超えてしまったその後の顛末への境界線…。
次なるターゲットは、資産家。
リッターも手を焼くほど猜疑心が強く、心を開かない。
亡くなった妻への罪悪感。降霊させ、合わせると約束するが…。
資産家の亡き妻とモリーは似ている。モリーにカツラやドレスで演じさせようとするが…、モリーは協力を拒否。こんなのはただの騙し。愛する人を失って未だ悲しむ人を騙してまで金を得ようとするなんて…。
いつまで経っても降霊を行わないスタンに、資産家を痺れを切らす。
準備もままならないまま、降霊当日。直前になって逃げたモリーを説得し、連れ戻し、降霊を行うが…。
デル・トロのビジュアル・センスは言うまでもなく健在。
ダークな映像美、こだわり抜いた1940年代のアメリカやカーニバルの美術。
奇怪なカーニバルの雰囲気を醸し出す獣人メイクや奇形児のフリークス・デザインは、デル・トロの手腕が冴える。
だけど今回はビジュアルよりも、美と残酷の悪夢の中に誘う語り口。スリリングで救い無く。後味は悪いのに、いつの間にか話に引き込まれていた。
成功からの転落、野心と欲、愚かさ哀れさを体現したブラッドリー・クーパー。
可憐なルーニー・マーラ、トニ・コレット、ウィレム・デフォー、リチャード・ジェンキンス、常連ロン・パールマン、デヴィッド・ストラザーン…演技巧者が演じた一癖二癖あるキャラが織り成す極上のアンサンブル。
中でも、ケイト・ブランシェット演じるリッター博士。終盤強烈なインパクトを残し、妖艶なファム・ファタールぶりは作品にぴったりで、さすが!
資産家の思わぬ行動で、インチキがバレる。
スタンのインチキをバラし、今の地位から失墜させると激昂。
スタンは衝動的に資産家を殺す。主人を助けようとしたボディーガードをも殺す。
スタンが抱える罪。開幕シーンで殺めたのは、憎んでいた自分の父。
故意か過ちか、カーニバルでも…。
罪に罪を重ね、またさらに罪を重ねる。
これがスタンの本性。読心術師、成功者、野心家ではなく、罪人。“獣”のような…。
モリーは完全にスタンの元を離れる。
逃げるスタンは逃走資金を得ようと、金を保管しているリッター博士の元へ。
ここで知る衝撃。
お金に興味が無いと言っていたリッターだが、密かに横領。
スタンはビジネスのパートナーであり、お互い惹かれ合う相思相愛と思っていたが…、リッターにとっては彼もまた“患者”。全て彼女の手のひらで踊らされていた。
話術と読心術で彼女を丸め込んだあの時から、実際はこちらが“かけられていた”のだ。
彼女も殺そうとするが、警備員が駆け付け、逃走。
街を抜け出し、姿を消す。
もはや皮肉だ。
罪を犯し、流れ着いたのは、再びカーニバル。
物語の始まりと一見同じ。違うのは…
読心術師として雇って貰おうとするが、そこの主催者は興味ナシ。読心術で客は入らない。
客が見たいのは、奇妙奇怪なもの。
一つだけ仕事がある。身も心もボロボロ、アルコールに溺れ、頭がおかしくなり、行き場を失った浮浪者にしか出来ない仕事が。
かつてのカーニバルで自分にとって“運命”と感じたのは、読心術師ではなかった。
見世物フリークス・ショー。“獣人”になる事が、自分の運命…。
心理学分析。
読心術師として傲慢に溺れ、トラウマと罪を抱える男に甘い誘惑をちらつかせた時、どんな行動に出るか…?
自身の罪と運命から決して逃れられぬ。
転落と破滅の現実悪夢へ…。
本作はギレルモ・デル・トロ史上、最も残酷で恐ろしい作品であった。
受けを狙い過ぎて、身を滅ぼす
◉奥へ、さぁ奥へ
キャラバン集落は朝焼けか黄昏の中でしか映し出されなかった。惹き込まれるような美しさの薄明は、他人の心や自分の心、世界のしくみなど、とにかく見通せないものを象徴していたように思います。その奥に「悪夢」が広がっていると言うのが、監督の仕掛けでしたね。
◉欲の深い色男
スタンはキャラバンで習得した読心術と心霊術を操りながら、興行師の頂点を目指して、成功を重ねる。だが、スタンの欲望は単なる大金狙いから、人を「たぶらかす」ことの愉悦へと傾く。金だけでは満足できなくなって、要するにバズりたくなった。
◉心霊術が止まらない
富豪に、娘さんの霊に引き合わせましょうとスタンが語ったところで、この物語は終わりに向かったと感じました。
スタンが我を忘れなければ、娘らしき人影を遠くに見せるだけとか、声だけが聞こえるとか、もっと慎重にことを運べたはず。大技を狙い過ぎて、後は破滅への道しか残っていなかった。
◉重厚な人生に押し潰された
舞台がキャラバンから街へ移ってからは、何とも重厚で甘ったるい画面が続きました。スタンやリリスの部屋の中の調度品や、身にまとうアクセサリー、食事の盛られた皿やワインの注がれたグラス。こうしたものが麻薬のように、スタンの身体に染み込んでいく。
現実を見つめていたモリーとは対照的に、スタンは次第に脚が地に着かなくなっていく。ザワザワしたスタンの姿は、破滅への盛り上がりを充分に感じさせてくれました。
父を焼き殺した火の記憶は、そのままの勢いでスタンを飲み込んだことになるのですかね。
判事の妻が夫を撃ち抜いた時は、ケツが完全に浮きました。モンタナの目撃者でガス爆発が起きた時以来のビックリでした。
暗くて怖い
話しの冒頭から怖い!観る前に情報入れずに観たのですがニワトリのシーンはグロ怖くて、話しが展開する中でどんどん怖くなる予感はしてました。怖さで全然眠くならないし、引き込まれていきました。金儲けのため詐欺のショーをしていたけど、見世物小屋からステータスを夢見たんだよね。アメリカンドリーム?てきな。詐欺師毎日、演じるのも大変で必死だったんだろうな。かつら被って白いドレスで現れてって言われても、あたしは無理だ。あの彼女は好きだったんだよね。けど、目の前であんな冷酷な実態みたら、そりゃ無理だよ。最後、どこかで聞いたセリフに展開、、、。俺もか、、、
因果応報だね。欲張りすぎると取り返しつかないことになる。
綺麗に着地したのに後を引く
シェイプ・オブ・ウォーターからパシフィック・リムまで
デル・トロ監督の作品は幅広くていつも驚きます
カーライル演ずるブラッドリー・クーパーのハマりぶりは良かったです
彼は生まれてからの業を背負い続けたままたどり着いた結果だと思っています
映画を観る方には父親との不仲(ケアラーの方も?)等似たようなトラウマ持っている人にはキツイだろうと思いますので注意です
物語の閉じ方は綺麗でここで終了だとわかっていますが
カーライルが初めにたどり着いたカーニバルの団長や彼女のモリー含む仲間達は
何処へ行ったのでしょうか?
時代の流れではバラバラに消えていったとは思いますが
今もどこかで開いて欲しいと思いをはせる作品です
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