ナイトメア・アリーのレビュー・感想・評価
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時間の流れをじっくりと味わえます
予告もポスターも高級感があってすごく面白そう。試写会を除き、久々にちゃんと映画館で映画を見る。なんと3月12日のウェディング・ハイぶり。ただいま、映画館と言うのに相応しい作品だろうと思い、公開初日に劇場へと足を運んだのだが、かなり期待を裏切られてしまった。思ってたんのと全然違う。シンプルに面白くない...。 孤独な男が変貌していく姿はそこそこ面白く、予想通り品と重厚感のある作品ではある。ラスト20分間はえげつないほど緊張したし話としても結構良くて、締め方も悪くない。ただ、そんな映画ありふれている。 最大の欠点としては魅力的なキャラクターがゼロだということ。なんだこれと思っちゃう始まり方で引き込み方は弱いし、主人公が終始好きになれず感情移入出来ない。痛い目に遭おうが、苦しんでいようが、他人事にしか思えない。サーカス会場の3人は結局なんの意味も齎さずに退場。もっと親密に絡んでくれよ。 とにかく長い。一分一秒と時間が流れるのがしっかり感じられてしまう。時が経つのが遅すぎて本当に苦しかった。演出だけ一丁前で中身がスカスカ。何が起こるのか予想出来るし、何が起こってもふーんって感じ。もっと捻りのある映画だと思ってた。こんなシンプルでつまらないことあるのか。 ハラハラドキドキワクワク皆無。 人を楽しませようとする気があるのかこの映画は。中盤からミステリー要素が垣間見えるけど、結局は主人公の自己中映画。どう楽しめばいいんだ、これ。 平凡な映画過ぎて何を語ればいいのか分からない。ただただ時間が過ぎるのを待っていた。少し言いすぎましたが、雰囲気としてはすごく好きです。ショックに感じたのは予告が煽りすぎていたからかな...。もったいない気がしました。 ※追記 レビュアーの方からご指摘を頂きました。 多くの映画に対して、大変失礼なことを書いてしまったことを謝罪いたします。申し訳ございませんでした。上記の内容は削除させて頂きました。
そして歴史は繰り返される。
原作既読。エロさを全摘してパンズラビリンス的なお伽噺感をくっつけた感じ。ギレルモ監督よくまとめたなと思ったが、やっぱり内容的には前後編にした方が良かったのでは。冒頭に繋がる絶望的なラストの見せ方はさすが。
予告編がミスリード
主人公は獣人ではない。心に傷を負っている男の成り上がりと破滅の物語。 画面は暗く重厚でキャステイングも豪華。中でも一番キャラが立っていたのが、ケイトブランシェット演じる極悪の精神科医。 しかし、視覚的、心理的に不快なシーンが多々あり、ラストもバッドエンド。ストーリー展開も冗長なので、鑑賞後感は良くない。
〝芸は身を助く〟ではなく〝芸が身を滅ぼす〟映画です
スタンは野心家なんかではありません。 ただ、お金が欲しいのと、自分の詐術の凄さを見せつけたかった、今で言うところの〝承認欲求〟が強いあまりに、判断力を欠いたまま、方向性を間違った人です。 野心家というのであれば、判事やあの大富豪とは、一時的な報酬で終わる関係ではなく、セレブの世界での地歩固めに活用する方を選ぶはずです。 野心家というからには、チマチマとした稼ぎを繰り返すのではなく、一定の名声と近い将来の地位(例えば、ゴッサム市長になるとか…あ、違う映画だ😂)への執着があるとかのイメージです。 チラシやサイトのあらすじ紹介で、〝野心溢れる青年〟なんて書くからガッカリしてしまうのです。 映画からの情報だけであれば、『シャーロック・ホームズばりの観察力と洞察力を身につけたが故に、その技に溺れて身を滅ぼした』男の話だと思います。 あれほどにも清楚で可憐なルーニー・マーラと恋仲になれたのだから、後は彼女を悲しませない程度の収入があれば、もう十分に幸せなのに❗️ 野心とも呼べない程度の目先の欲得で転落した男の話なので、さして感動することはありません。 ただ、3人の大物女優の存在感、美術、衣裳、カーニバルの不気味な雰囲気などを味わうだけでも映画館で見る価値はあります。 ※チャップリンみたいなドイツ野郎っ❗️ には笑えました。
わかりやすいんだか、わかりにくいんだか……
『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー賞4部門を受賞したギレルモ・デル・トロ監督の最新作。豪華キャストを迎え、第二次世界大戦直前の不穏な時代を舞台にしたサスペンスだ。 どうもこの監督との相性は良くないようで、『シェイプ〜』の作品賞は大いに不満だったし、本作も“ゲテモノ趣味”(初期のデヴィッド・リンチ監督作品のような)だなと思ってしまった。 地を這うようなカメラや、役者陣の演技は評価したいが、メタファーや様々なコンプレックスが目白押しのシナリオのため、内容を理解するには時間がかかりそうだ。
エノク怖いよー😱
ストーリーを完結に言えば、チンケな男が一度這い上がってまた地に落ちるまでのドラマ。
ブラッドリークーパー演じる主人公のスタンが最初に見た見世物小屋のギーク(獣人)に最終的には自分がなるんだろうなと序盤ですぐわかってしまうのに面白い!
さすがデルトロ監督という仕掛けがいっぱい。
無駄にグロかったり(でも後は引かない)感じもやっぱり好き。
ホルマリン漬けのエノクはどことなくペールレディに似ててキモくて怖いけどなんかかわいい😂
周りのキャクターたちも魅力的で今回もデルトロワールドに引き込まれました‼️
超豪華な見世物小屋映画ですが、
凄い豪華なキャストだ。テーマは見世物小屋裏町人生、みたいなのだけど。日本でもこういうテーマのコミック、小説いくつかあるな。やっぱりデルトロと日本カルチャーは通じるところはあるのかも。 個人的にはあまり乗れなかった。見世物小屋にあまり禍々しさがなかったんだよな。装置も人も。この辺うまい映画は邦画でも過去にもたくさんあるし。そして早々にたぶんラストはこうなると思える通りのラストになった。でもこういうラストのアメリカ映画はあまりない。原作がそうだからだろうか。悪夢小路、いいタイトルだ。 前半からの人のさばきかたがあまりうまくない。逃げ込んできた罪人と悪夢古路の住人との連結があまり印象強く繋がらない。なんとなく接点となる何かがカットされてるくらいに。大好きなルーニーマーラもそんなによくなかった。1時間であそこを飛び出させなきゃいけないので端折ったのだろう。それは失敗な気がする。 結局、ルーニーマーラとケイトブランシェットとのドラマが勝負どころだったと思うし。 それにしてもキャストが豪華だった。メアリースティンバージェンまで!だった。
観に行くのか、観られに行くのか動物園
よく、オバケ屋敷は怖くない、オバケ屋敷の外が怖いから、て言いますが、まさしくこれですな。見世物小屋の獣人より、検事夫人、金持ち、精神科医、そして主人公。多分、見世物小屋に入った人達、心安らかになるんではないでしょうか。
色々、現代での倫理観に抵触しやしまいかと
ひやひやしたけれど160分余りの長さも全然長く感じませんでした。展開が自分の予感から大きく外れなかったのはちょっと拍子抜けでしたけど。 造形として怖かったのは「エノク」ですね。この名前聞き覚えありました。似鳥鶏氏の小説、戦力外捜査官シリーズの新興宗教のホーリーネームにあった筈。耳にした時鳥肌立ちました。
欲に溺れた男が迷い込んだ悪夢の小道
1940年代のアメリカを舞台に、デルトロならではの怪しく魅惑的で危険な世界観の中で、自らを過信し欲に溺れた愚かな男の姿の物語が、おぞましくも美しい悪夢のように描かれていました。 美術や舞台背景、衣装の一つ一つが素晴らしく、本作の世界観を作り上げています。特に前半のカーニバルの不思議で怪しく可笑しな空気感がとても魅力的。一見スタンは賢く器用で、一座の人間は危険で胡散臭いように感じますが、そう単純な話ではなく…。 そしてスタンが独り立ちしてからの、危ないと分かっていながら惹かれてしまう・やめられない、そんな中毒性のある危険な橋を渡る様は、俳優陣の完璧な演技と空気感も相まってとても見応えがあります。 読心術と名ばかりの詐欺師によるアメリカンドリームの成れの果ては、踏み込んではいけない悪夢の小道に誘われた結果のように見えました。
闇に落ちていく主人公が悲しい。
◇暗い映画だ。主人公のスタンが自分の中にある闇のままに落ちていく。だけど回りはスタンが道をはずさぬよう、闇に落ちないよう、何度も何度もたしなめてくれる。それは言葉だったりゲンコツだったりタロットだったりする。だけどスタンが自分で運命を変えていってしまうのが見ていて悲しい。ケイト・ブランシェットと出会った後半も、彼の恋人 ( 妻 ?) が何度もブレーキをかけてくれるのにスタンは落ちていく。原作小説がノワールだから見終わってから暗い気持ちになる。 ◇アカデミー作品賞にノミネートされている。ストーリーは分かりやすくて、本命の『パワー~』の「なんじゃコリャ?」感はないけど暗すぎて2度見る気にならない。(『パワー~』のほうはもう一度見ようかなという気にはなったが結局見てない ) 蛇足 アカデミー賞ってアメリカ映画を盛り上げるイベントだとずっと思ってたのに、何年か前に外国の作品が作品賞にノミネートされててビックリした。私は映画関係者じゃないから日本の作品が受賞しても別に嬉しいとは思わない。(『ドライブ・マイ・カー』は面白くて2度見た。ちょっと長いけど。)
なんとなく読めるオチ
物語は全体的に伏線が多く、しっかり回収されるものと、匂わせるだけにとどまるものとあり中にはなんとなく先が読めてしまうものもあったが後から思い返してこの伏線はひょっとしてここに繋がってたのかな?と考察に浸る余地も残されており、そういうのをあれこれ考えるのが好きな人は楽しめるでしょう。
異形のカルト・ノワールを現代のエンタメとして見事に蘇生させた、ウェルメイドな人間ドラマ
原作は既読(扶桑社版)。
本作のリメイク元の『悪魔の往く町』(タイロン・パワー主演、エドマンド・グールディング監督)も、昨年シネマヴェーラで鑑賞済み。
結論から言うと、想像していたより、ずっと「まっとう」なノワールだったし、ものすごく「ちゃんとした」エンタメだった。
『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー賞も獲って、功なり名遂げて好きな映画を撮る自由を手に入れたデル・トロが、次回作で自分の偏愛する往年のフィルム・ノワールのリメイクをやるってきくと、どうしても「個人的」で、「マニアック」で、「趣味的」な映画になるんじゃないかと思ってしまう。
でも、実際に観た本作は違った。
むしろ、如何に「古い中身」を「現代のエンタメ」の器に注ぎ込んで「再生」できるかに腐心したような、とてもよくできたウェルメイドな人間ドラマに仕上がっていた。
デル・トロ、大人だなあ。
『ナイトメア・アリー』の原作は、かなり変わった小説だ(傑作だけど)。
出だしは、カーニヴァルの見世物小屋から始まる。芸人や猛獣使い、占い師、フリークスたちの居並ぶ一座に、若いマジシャンが入ってくる。上昇志向の塊のような彼は、とある経緯で女占い師とコンビを組んで読心術の舞台を務めるようになり、遂には秘伝のタネ本を手に入れ、一座で知り合った電気椅子芸の女性とボートヴィルに進出、夫婦で出演する読心術ショーで大成功を収める。
しかし、彼の野望はそこで終わらなかった。彼は「降霊術」を用いたペテンで、より大きな金と成功と名声が見いだせると気づき、霊媒稼業と宗教的活動にのめり込んでいくのだ。やがて彼は、とある女性精神分析医と運命的な出会いを果たす……。
各章の頭にはタロットのカードが掲示され、物語が運命に支配されていることを示す。キーとなるカードは、「吊るされた男」。貧困層の野心家が犯罪行為に手を染めて成り上がろうとする筋立てと、典型的な「ファム・ファタル」の登場という、ノワール特有の枠組みをもちながら、ショービジネスの内幕ものとしても、コンゲームものとしても読める独特の世界観を示す。なんというか、ネタのビザールな異形のノワールというか。やたら詳細にカーニバルの隠語や、手品のタネ、降霊術のトリックが明かされる、ある種の(『白鯨』的な)「情報小説」としての個性も強い。フロイト流の精神分析がふんだんに出てくるのはいかにも40年代的で、『白い恐怖』や、マーガレット・ミラーあたりのニューロティック・スリラーを想起させる。
主人公のスタンが切羽詰まったり、酒びたりになったりすると、思考の流れに則して「文体まで壊れてゆく」という、ジェイムズ・ジョイスのごとき文学的実験を、一般向けの小説でやっている点も面白い。さらには、アルコール依存の末、舌がんになって、最後は無一文で野垂れ死に同然で自殺したという著者ウィリアム・リンゼイ・グレシャムの人生も、作品と呼応するようで興味深い。
タイロン・パワー版の『悪魔の往く町』は、小説のヒットを受けて、翌年の1947年には公開されている。
112分と、当時としてはかなりの長尺の部類に属する映画でありつつも、とても原作の全部は入りきらなかったと見え、マジシャンとしての活動期の話や、スタンの過去と家族との関係性、霊媒師として積み重ねるペテンの数々などが、大胆にカットされている。また、ヘイズ・コードの影響で、ラストが大きく変更されている。
総じて、スタンという野望に燃える色男が、三人の人生を変える女との出逢いを受けて、どのような流転の生涯を送っていくかに、ぐっと焦点を絞った作りとなっているといえる。主人公も、明らかに犯罪者気質の強いピカレスク・ロマンである原作と比べると、かなり善なる部分をも内に併せ持つ穏当な描き方となっている(そうしておかないと、あのラストにつながらない)。
前半のカーニバルの描写から、ラスベガスで成り上がるまでの描写は、ノワールというよりはショービズもののノリで、トニー・カーティス主演のハリー・フーディニの伝記映画『魔術の恋』(54)を思わせる。後半、物語が降霊術関連の話になだれ込んでいくところも両作はよく似ていて、これは『ナイトメア・アリー』の主役の人物造形に際しても、フーディニを参考にした部分が大きいからだろう。
で、本作『ナイトメア・アリー』だが、映画のパンフにあるデル・トロのインタビューによれば、もともとは何十年も前(『クロノス』を撮っていた頃)にロン・パールマンに薦められてから、ずっと温めてきたリメイク企画らしい。
映画としては、明らかに原作準拠というよりは、『悪魔の往く町』準拠。すなわち、映画版のリメイクとしての色彩が強い。
物語の展開も、カットの仕方も、タイロン・パワー版にだいたい準じている。
ただし、前半の見世物小屋の描写、とくに原作にある「野人(ギーク)」の描写を、あえて再度復活させていて、ラストも「ほぼ」原作通りに修正されている。
まあ、「ここがこの映画のキモだ」と、デル・トロ監督も考えたんだろうね。要するに、ヘイズ・コードに阻まれて旧作では割愛せざるを得なかった、究極にビザールで皮肉で衝撃的なラストのギミックを、再映画化に際してきちんと補完してみせた、ということだ。
冒頭からの布石が、きれいに円環を成す、美しいエンディングだ。
なんとなく、ブラッドリー・クーパーの「アレ」は、ちょっと『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のラストのデ・ニーロを思い出したなあ。
ああそうか、直前で「アマポーラ」が流れてたからか(笑)。
序盤のカーニヴァルから、デル・トロらしい映像美は充分発揮されている。
ただ、思っていたほどは、はっちゃけていない、というのが僕の正直な感想かも。
デル・トロなら、ヘネンロッターの『バスケットケース2』や、バーカーの『ミディアム』みたいな乱痴気騒ぎだってやれたと思うのだが、あくまで「控えめに」トッド・ブラウニングの『フリークス』を参照し、心からのオマージュを捧げた、という感じだ。
原作で出てくる「半分人間(ハーフボーイ)」みたいな面白ネタも、映像化を自粛してるし。
なんというか、一般の観客がウゲっとならない程度のマイルドさで、カーニヴァルの幻想性と郷愁を追求していて、『フリークス』ほどのぞっとするような「リアリティ」は、敢えて「封印」して臨んでいる。
主人公の手技の使えるマジシャンとしての要素や、当時のインチキ霊媒における定番だったラップ現象やエクソプラズムみたいなベタな要素も、ほぼ映画ではオミットされていて、あくまで「読心術師」が、そのままの勢いで終盤のアレに進むという構図になっている。
要するに、あんまり珍奇でクセの強い部分や、普通の客が観て趣味に走りすぎていると思うようなところを、監督は非常に注意深く避けて通っているようなのだ。
一方で、後半の「いかにもノワール」と思われる展開に入ってからは、完成度がぐっと際立ってくる。
とくに、ケイト・ブランシェット。彼女がとにかく、圧倒的に素晴らしい。
旧作の映画版よりも。……おそらく、原作よりも(笑)。
この人、台詞の内容と、その言い方の演技と、それを言っているときの表情の演技に、それぞれ「ズレ」をもたせてくるんだよね。
恐ろしいことを言っているときに、悲愴さを漂わせ、
攻撃的なことを言っているときに、弱さを漂わせ、
優しいことを言っているときに、非情さと狂気を漂わせる。
スタンに襲われてるときの演技とか、ちょっと余人に代えがたい壮絶さで、何人ものケイト・ブランシェットがひとつの身体のなかでせめぎ合っているかのようだ。
彼女のおかげで、本作の「ファム・ファタル」登場シーンは、たぶんデル・トロと脚本家が意図していたよりもずっと多層的で、深みのある複雑さをまとうことになった。
思想的な部分でも、『ナイトメア・アリー』は、現代の思想的な分断だったり、資本家と貧困層の対立だったり、集団のなかでの孤独だったり、今と共鳴できる部分をきちんと強調してきているし、「虐げられる弱者の連帯と精神的勝利」という、デル・トロ本来のテーマにも連関させている。
結果として、本作はピーキーで趣味的なカルト作というよりは、監督が愛してやまない変わり種のノワールを「今の一般的な観客でも咀嚼し、ふつうに楽しめる現代的な感性の映画」に再生させたものとなった。
まあ、それだったら、わざわざこんなクセの強い素材をリメイク元に選ばなけりゃいいのに、どうせやるならせっかくだし、とことんキッチュで、ビザールで、コテコテに頭のおかしい映画が観たかったよ、という意見ももちろんあるだろうが、デル・トロは、「そっちにはいかない」人だったということだろう。考えてみれば、そういうバランス感覚は昔からずっとある監督だよね。
サム・ライミやピーター・ジャクソンと一緒で、自分の出自や偏愛には噓をつかない「誠実なオタク」でありながらも、「ちゃんと」関わったみんながハッピーになれる映画を頑張って撮ろうとしているわけだ。
だからこそ。
本作はノワール好きや、カルト好きや、『フリークス』好きだけでなく、一人でも多くの「一般の人」に観に行ってほしいと願ってやまない。
で、逆にこの手のビザールな世界、あるいはノワールの魅力に目覚めてくれれば。
たぶん、それはデル・トロのいちばん望んでいることだろうから。
ダークな寓話
1940年代のアメリカを舞台に、金と酒で身を滅ぼした一人の男が描かれる。 良くも悪くも万人受けしない作品かと。私は結構のめり込みましたが…。終始薄気味悪く鬱々としている。ジャンルはサスペンススリラーだけど、スリラーというほど怖くもない。そしてラストの展開は大体読めてしまう。やっぱりね、こう来たか〜って。 タロット占いとか、読心術とかそういった類のものが好きな人は引き込まれるはず。とはいえ、描かれるのは人間の本質だったり愚かさで。 スタンは何に怯えたいたのだろうか?何を望んでいたのだろうか? 本作で語られること、例えば父親の影響や読心術の話などは、私たちにも大きく関わることなので意外と学べることがある。 なんと言っても注目すべきはケイト・ブランシェット。彼女の妖艶さに加えた怪演っぷりには息を呑む。そして、ウィリアム・デフォーの凄さを改めて実感した。 ずっと引っかかっているのが、あの大富豪の老人の用心棒を演じた人誰だっけ?(エンドロール見過ごしました)。 めちゃくちゃ見る顔なんだけど、名前が出てこない、、、。知ってる人いれば教えてください🙏
【”人道外れし者、蠱惑的ラビリンスに迷い込み自らの野心を果たすべく謀略を画す。”善悪、美醜、貧富。相反する価値観を包含したサスペンス・スリラー。魅惑的且つ魔窟の如きギレルモワールドを堪能する作品。】
ー 冒頭、荒涼とした一軒家で男が重い荷物を引きずり、床に開けた穴に放り込み、マッチを擦り躊躇なく穴に投げ込み、家は炎に包まれる。男は、平然とした顔で家を後にする・・。-
◆感想
・印象的な冒頭のシーンが、ラストでもう一度”細部まで”映し出される。そして、その男、スタン(ブラッドリー・クーパー)が善性薄き男である事が分かる。
・汚れた姿のスタンは、”獣人”をメインの出し物にする怪しげなカーニバルと出会い、率いる男(ウィレム・デフォー)に気に入られ、タロット占い師ジーナ(トニ・コレット)、後に恋人になる”感電ショー”の人気者モリー(ルーニー・マーラ)とも関係性を築き、を磨いていく。
- ”獣人”は”こんな筈じゃなかった・・”と何度も繰り返し、最後は雨中に放り出され、息絶える。そして、ジーナのタロット占いは、独立するというスタンの不吉な運命を言い当てていた・・。-
・都会に進出した、スタンはモリーを助手にして、読心術師として名を上げる。そんなある日、出会った謎めいた心理学博士のリリス(ケイト・ブランシェット)。
- スタンと、リリスの駆け引きが面白い。観客の前で、”バッグの中身を当てて・・”と挑発するリリス。スタンの読心術で辛うじて危機を脱するが・・。
ブラッドリー・クーパーと、ケイト・ブランシェットの瀟洒な意匠に囲まれた部屋での駆け引きは一見に値する。妖艶とした微笑みを浮かべ、スタンを挑発するファム・ファタール、リリス。ー
・そして、リリスから紹介された”訳アリの富豪”エズラ・グリンドル(リチャード・ジェンキンス)は”亡き恋人”の出現を要求する。
- モリーを”亡き恋人”に仕立てようとするスタンであったが・・。-
<年月は流れ、再び身をやつしたスタンが訪れたカーニバル。主人の脇には、以前にも見た母親を胎内から殺した”クレム”が同じようにホルマリン漬けにされている。
主人は”読心術は時代遅れだ・・。獣のような恰好で舞台に出るのはどうだ・・。”とスタンに告げる。
それを聞いたスタンは、自らを嘲笑うようにヒステリックな声で笑う・・。
今作は、人道を外れた者が、巡り巡ってその報い受ける、シニカル且つ耽美的で蠱惑的な因果応報の物語である。>
業ですかね。
時間労働ではなく、こういった不規則な時間の仕事をしているとアル中になること多いのかな。私は酒が好きだけれど、朝から夜まで仕事してるから昼間に飲む習慣はない。 ベル・エポックでもう一度なんて、タネも仕掛けも分かっている上で乗せられに行く。人の切実さに漬け込むととんでもないしっぺ返しを食らうぞということを先輩は言っていたのかな。ロン・パールマンと怪優揃いなのも楽しい。
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