「人生なんてこんなものだ」ナイトメア・アリー 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
人生なんてこんなものだ
「衣食足りて礼節を知る」という。しかし宿無しの着たきり雀には縁遠い話だ。
ブラッドリー・クーパー演じる主人公スタントン・カーライルの物語は、父親との凄絶な別れからはじまる。怪しい大道芸人集団に入り込んでからは、欲望と野望に引っ張られるがままに物語が転がる。
本作品の舞台は1930年代である。世界恐慌で人々が一気に貧しくなったが、人は何にでも慣れる。貧しさに慣れて、乏しさに耐える。運のいい者は仕事にありつき、当面の衣食住を得るが、いつまで続くかは分からない。
何かの才があれば、それを活かして生きていけるかもしれない。場合によっては金持ちになれるかもしれない。ここにいたら暫くは凌げるかもしれないが、ジリ貧だ。いずれ誰もが食えなくなる日が来るだろう。行くも地獄、残るも地獄。ならば行く方に賭けてみよう。男なら多分そう思う筈だ。
恋は唐突に訪れる。若い女の艶やかに光る黒い髪と赤い唇は男を魅了し、男が放つギラギラした欲望に、女は自尊心を満たされる。しかし問題はその先だ。男が本当の意味で自分を満たしてくれるのかどうか。裏切らない誠実さがあるかどうか。堕落してしまわない意志の強さがあるかどうか。女は不安に震えながら旅立つ。
男は塀の上に登る。塀の内側は恐ろしい闇だ。決して広くない塀の上を、男は歩いていく。自分は猫だ。軽やかに歩き、決して内側に落ちることはない。
女は塀の外から男を見ている。いつ落ちてしまうかもしれない不安にかられ、早く塀から降りてほしいと願う。しかし男は下りてこない。それどころか、塀の上を自分よりもずっと軽やかに歩く牝猫と出逢い、互いに匂いを嗅ぎ合う。牝猫は察知する。男は野良犬だ。決して猫ではない。不器用な足で塀の上を歩く。そして牝猫よりもずっと上手に歩いていると勘違いしている。馬鹿な野良犬だ。間違いなく内側に落ちるだろう。その日はそれほど遠くない。
本作品には人間の欲望があり、自信と不信と希望と絶望がある。恐怖があり、酒への逃避がある。肉親との確執があり、憎悪と怒りがある。そして物語となる。本作品には人生が詰まっているのだ。150分という長時間の映画だが、波乱万丈のストーリーと無駄のない演出のおかげで飽きることがなかった。獣人の伏線で誰もが結末を予想できたと思う。いいラストシーンである。人生なんてこんなものだ。