「タイトルに込められた意味」ドント・ルック・アップ つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
タイトルに込められた意味
アダム・マッケイが取り立てて好きというわけではないけど、彼の社会派コメディが結構好みなんだなと再確認。しかも今作はラストの下りでホロリと来てしまった。
いつもの辛口考えさせる系コメディというだけでなく、ドラマ性も多分に含んだ「ドント・ルック・アップ」はブラック・ジョーク版「ディープ・インパクト」とも言えるだろう。
大多数の人が理解しているように、人類滅亡という未曾有の危機に瀕しているにも関わらず、どうでもいい事に終始する社会を皮肉る風刺コメディなのだが、なぜそんな状況に陥るのかと言えば、その答えは3つの分断にある。
それは科学と宗教の分断であり、インテリ層と反知性主義者の政治的分断であり、権力者と非権力者の分断である。
最初の段階、「彗星が衝突して生命が絶えてしまう!」という科学的検証に基づく事実を伝えようとするところから、もう分断による不理解は始まってしまう。未来に起こる未曾有の危機より、今まさに危機的状況を迎えている大統領の再選。明言されないが、大統領の支持者層は保守層でアンチ科学であることが、ケイト(ジェニファー・ローレンス)の「あなたに投票してない」というセリフで示唆される。
つまり、彗星衝突のニュースやそれに対する対策が支持者に響かないのだ。だから、「静観して精査する」という塩対応になるのである。
「同じことの繰り返し」という否定的なレビューも見かけた。確かに繰り返しているように見えるが、その都度ランドール博士(レオナルド・ディカプリオ)とケイトの前に立ちはだかる分断は違う。彼らの「彗星が衝突する」という主張の根拠に否定的な態度をとるのは、ある時は信仰であり、またある時はインテリへの反感であり、ある時は金と金が生み出した巨大な権力である。
3つの分断と書いたが、細かく見ていくとそれぞれの分断グループは重なったり分かれたりしていて、「科学信奉・共和党支持・権力者」という要素の人や「神を信じる・共和党支持・労働者」要素の人、「科学・民主党寄り・労働者」要素…のように細分化することも可能だ。
そして皮肉なことに、否定派のカウンターとして先日までの敵が味方になる場合もある。
塩対応だった大統領が、世論を内政問題から逸らすために彗星衝突を利用しようとするのは、まさにそれ。
もう一つ挙げるなら、「彗星なんて来ない気がする」と言っていたユール(ティモシー・シャラメ)が彗星を目視したとたん、神に祈り始めるシーンもそうだ。目にしたことで、科学的計算は神の御業となり、信仰に生きる人々にも事態が受け入れられるのである。
同じようで微妙に違う足の引っ張り合いがゴールポストを動かし、時間だけが空虚に過ぎ去っていく様子は、だんだん観客の表情から笑いを引き剥がして真顔にさせる(と信じたい)。
話が分断から逸れるが、BASHなる最先端スマホの「操作すら要らない。あなたに寄り添い、あなたをサポートする機能」は本当に笑えない。
人とコミュニケーションをとる為のツールを作っている会社のCEOが目の前の子どもとコミュニケーションしていない場面もシュールだが、感情を読み取ったと称して勝手に新曲をダウンロードする下りは最早ホラーに感じる。
最新スマホに付いてくる不要なサービスを放置している人は呑気に笑っている場合ではない。あそこでギャグにされているのは貴方自身なんですよ!
パーソナライズ広告の成れの果てがアレなのか…、という戦慄を感じたシーンだった。
様々な分断の終盤、タイトルでもある「ドント・ルック・アップ」をスローガンにするキャンペーンのシーンがある。
ルックアップには、「見上げる」だけでなく「選ぶ」という意味があるが、「尊敬する」と言う意味もある。タイトルは「選ぶ」「尊敬する」のダブルミーニングになっていると考えるのが妥当だろう。分断で色分けされたグループを「選ばないで」という意味と、「こんなアメリカを尊いと思わないでくれ」という意味だ。
こんなバカなことが実際に起こるわけがない、という観る側の能天気さは、スクリーンの中の能天気さとも重なってしまう。コメディだが、笑ってる場合じゃない現実に、どうか気づいて欲しい。そういう願いの込められたタイトルだと思う。
エンディングは多様性を失った社会の末路を象徴するようでもあった。金持ち権力者だけが集まった脱出船のメンバーは遥か2万年以上の時を超えて惑星に降り立つが、謎の野生動物に襲われあっけなく全滅することになりそうだ。
対照的に、博士の家に集まったのは博士の家族とケイトの他、信仰グループであるユールや黒人でもあるオグルソープ博士(ロブ・モーガン)であり、殆どが科学信奉のメンバーがユールの祈りと共に最期の時を迎える。
どっちも生き残れないのが皮肉だが、どちらの末期がより良く見えるかと言えば、私は断然後者だ。
だが、タイトルに込められた意味を考えるなら、結局分断したまま闘うしかなかった博士とケイトの経験を越えて、どこかのグループを選んで属するのではなく、互いの良いところや得意なことを尊重しあい、力を借りながら問題を解決しなければならないということだろう。
そうすることでしか、大事なものは守れないのだ。