土を喰らう十二ヵ月のレビュー・感想・評価
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あるがままの死
どうりで編集者役の松たか子が「ツトムさん、ツトムさん」と作家役の沢田研二をなれなれしく呼ぶと思ったら、この映画ベストセラー作家水上勉の『土を喰らう日々』が原作だったのである。同作家原作、川島雄三監督の怪作『雁の寺』を以前拝見した時に、水上が幼き頃口減らしのため寺の小僧に出されトラウマをかかえさせられた事実を知っていた私。本作は、水上がその寺を13才で脱走するまでに、厳しい和尚さんから学んだ四季折々の精進料理をもてなす様子が、ツトムんの死生観とともに語られる禅問答なのである。
水上は軽井沢で原作小説を認めたというが、心筋梗塞を患い移住した長野の小村が映画の舞台となっている。奥さんを亡くして13年、未だに自宅に遺骨を置いているツトムさんには、マチコさん(松たか子)という担当編集者兼恋人がいる。蕨に筍、紫蘇と梅干し、ほんれん草や大根、なすにキュウリ。自宅の畑や近くの森林から収穫した食材を、沢田研二に吹き替えなしで調理させているらしい。その料理監修は土井善晴が担当している。
中江裕司監督が土井に監修をお願いしにいった時「どの程度本気なんですか?」と逆に突っ込まれ、なかなか監修を引き受けてもらえなかったのだとか。どうせだったら、半分タレントのような仕事をしている土井をカメオ出演させるぐらいの“遊び”があってもよかったと思うのだが、とってもマジな土井先生「料理は器が命」とばかりに入れ物にも相当こだわったそうなのだ。そのせいかツトムさんの作る素朴な素人精進料理と豪華な器の組み合わせが、かなりアンバランスに見えてしまうである。
肝心の沢田研二の料理の腕前は、シロさんには遠く及ばず、見た目にも普段やってない観丸だしだった。が、食い専門のマチコを演じた松たか子はあえてその料理の腕前を封印したそうなのである。まあ実際作家先生の腕前も、ちょい役で登場している檀ふみのお父さんに比べれば月とすっぽん、沢田研二と大差はなかったのかもしれない。時折小説に書かれているであろう文言を、沢田自らが読み上げる禅問答が、むしろこの映画の白眉といえるだろう。
「あるがままの死がわからぬゆえ、一度死んでみることにした」それは恋人マチコさんとの別離によるボッチ生活であり、一人で生まれ一人で死ぬ人間本来の姿にたち戻る、ということだったのではないだろうか。「身体を動かせば腹が減り、腹が減れば飯が美味しい」こんな単純な生活習慣が、今の日本人からすっかり失われてしまっている現状をご覧になったら水上勉はどう思ったことだろう。完全自給自足とはいわないまでも、せめて外食やコンビニ弁当は週半分にして、残り半分自炊で旬の“土”を味わいたいものである。
お料理映画なので
やはりお料理そのものが美味しそうに見えないといけないです。
囲炉裏を囲んで漬け物つまみつつ日本酒をいただくシーンは、自分もしたいと思いました。
主人公の生活を丁寧に描いていてよいのですが、若い恋人がいる設定がいまいちピンとこなかった。
一緒に見た人は松たか子のことを「亡くなった奥さんの連れ子??」と思っていたようです。
当初の予定通り、志村けんさんが主演ならしっくりきていたのかもしれません。
素朴で素敵な暮らしです
私は施設で働いているのだが、ほぼ寝たきりの老女がいる。壁には若かりし頃のジュリーの写真が貼ってある。
老女のケアをする時はジュリーの話を振る。映画好きの私「いま彼の映画やってるんですよ」老女「見てきて」
…老女の楽しみの為に、まぁ私も興味はあったから早速映画館へ。
こんな生活力のある男性素敵じゃないですか!土間・囲炉裏の設えられた古民家で彼女を手作りの料理でもてなす。滋養たっぷり!&酒。私にはインスタレーションアートです。どんな旅館より最高ー。
ジュリーのどアップ数秒間は凄みがあった。これを見て何を思えば良いのだろう…と思いながらも目をそらさず。壁の写真と違いすぎる。…成長したのだなぁ!
後日、映画を大絶賛して老女に伝えた。ジュリーがとっても素敵だとも。彼女の目はキラキラ輝き、私は映画を見て良かったなぁ、とホッとしたのだ。
筍と木の芽
《今日1日暮らせればそれで良い》
勉の言葉、本当それです。
資本主義的な過剰な消費をするから過剰な労働になるのです。そして、多忙のあまり手軽なコンビニ飯を喰らう毎日。
普段の食事は土井先生の言う一汁一菜に大賛成!旬のものをいかに手を加えないかが和食だと土井先生がおっしゃっていましたが、本作の食事は素材を活かしていました。まさに土を喰らう和食です。
筍に木の芽をどっさりかけたり、おこげごはん、小芋焼き、わらびのお浸し、山椒味噌みたいなのも美味しそうでした。
心が疲れた日に鑑賞すると気持ちが穏やかになると思います。その時には是非和食で。
老人版「リトル・フォレスト」
レンタルビデオで視聴。
沢田研二演じる老作家ツトムのある1年を、食を通して描くというコンセプトは、老人版「リトル・フォレスト」という感じ。もしくはリトル~の方が原作となる水上勉の料理エッセイに影響を受けている可能性もあるけど。
ここ何年かの流行として、洋の東西を問わず老いや死について描く「老人エンターテイメント」的作品が増えている印象だけど、本作もその系譜にあって、前半では食=生をメインに描き、中盤のツトムが心筋梗塞で倒れてからは老い=死が物語を侵食し、そしてラストは再び食=生で〆るという構成になっていて、これは若い人にはピンとこないだろうと。
逆に人生を重ねた中高年には、土井善晴が手掛けた劇中の素朴な料理やツトムの生活も含め、メッチャ刺さるんじゃないかな。里山で採れた山菜の味同様、年を重ねないと理解できない世界もあって、本作はそれを描いているのだと思う。
ただ、劇中で描かれるツトムと編集者で恋人の真知子との関係や距離感が、島耕作的なというかお爺ちゃんの妄想っぽくて、いくら沢田研二とはいえやや気持ち悪さを感じた。
沢田研二の演技に脱帽
ついに200作目。CSで視聴した。
水上勉の原作を映画化したものだが、食への
思いが伝わった。
沢田研二の演技に脱帽。ここまで上手いとは驚いた。
ただ、ストーリーは以外と平凡。
食とは何か考えてみたくなる作品。
「太陽を盗んだ男」から「土を喰らう男」へ‼️
ある老作家が長野県の山荘で悠々自適の一人暮らしを送るさまを描いた作品‼️一年十二ヵ月の美しい四季の風景‼️そして山草をはじめとする四季折々の季節料理‼️沢田研二さんや松たか子さんらの微笑ましい好演‼️義母が亡くなったり、主人公が心臓発作で倒れる以外は事件らしい事件も起きない、淡々とした物語展開‼️しかしその美しい風景と新鮮な料理の数々を観てるだけで心癒されるグルメ映画の秀作ですね‼️
持ってる価値観で感想が変わりそうだが…
タイトル、あらすじから察すれば、噛み合わない観客が観に来る要素少ない。
観ている観客もそれなりに満足そうに帰っていく。「良かったなぁ…」と家族、友人と言い合いながら退場していく。こういう作品を私はよい作品としている。
映画を不特定多数と集まって観るとこう言う要素が加味されて新鮮だったり共感出来たりする。
勿論、前の席のヤツが…とか周りかうるさかった…食べ物が、香水が臭かった…ネタバレし始めた…等色々あるかもしれないが、それもこの間の作品を観に行った記憶として、映画体験として残っていく思い出だと思う。
さて作品についてだが、極めて簡素で地味な雰囲気が全編に渡って続く。
庭の畑や近隣でとれる産物で日々を暮らしている様子が伝わってくる。
山菜に根菜、ぬか漬け、梅干しとか派手さはないが食べたくなる。
器用な物書きジュリーとその彼女松たか子のヘンテコな関係がどうなるのか?とヒヤヒヤしているとやはり…。
人間独りが良いとか言い出したら、最後はだいたい想像つくもんだな。
死んでみると寝ている姿を見ると“人間人生1/3は寝てるから1/3死んでるようなもんだろ?”とは思う。
しかしながら、このおじさんの真似をするのは大変だから、明日からの食事だけちょっと変えたい気分になった。
影響受けやすい自分に笑う。
四季に食べれるものを作って、取って、食べる。素朴な料理だけど、どれ...
四季に食べれるものを作って、取って、食べる。素朴な料理だけど、どれも手が掛かっていて美味しそう。その手を描ける過程も楽しい。
毎日のごはんを、生活を丁寧に楽しんでいる姿が素敵です。
淡々と進むストーリーだけど、後半は落ち込みが。それも生きていく中での人生なのかと考えさせられる部分も。
良作だと思います。楽しめました。
生きることと食べることと、そして輪廻
<映画のことば>
人間は不思議な動物で、匂いや味覚で、とんてもない暦の引出しが開く。
口に入れるものが土から出た以上、心深く、暦を経て土地の絆が味覚に絡みついている。
いうまでもなく、人間の体は口から入ったものから出来上がっている訳ですし(ごく一部の栄養素を除いて、人間が自分の体内で生成することはできないらしい)。
そして、本作からは、その人間が口に入れる素材の多くが土から生まれること、そして土から生まれた素材の「素朴さ」「自然さ」を大切にすることの「本物の豊かさ」をたっぷりと教えてもらうことができたように思います。
亜熱帯から温帯、そして亜寒帯と、幅広い気候帯にに属する日本は、春夏秋冬の季節の移り変と、わりがハッキリとしていて、その季節ごと季節ごとの食材の豊かさにも、心を奪われます。
改めて「生きることは食べること」なのであり、「食べることは生きること」なのだという思いをいっそう強く感じました。
本作を観て。評論子は。
同じく料理を素材とする作品として、他作『大統領の料理人』を同時期に観たのは、ほんのたまたまなのですけれども。
同作にたくさん登場する美味しそうな料理とはまた違った「素朴さの豊かさ」みたいなことを味わうことができたことは、幸いだったと思います。映画ファンとしての評論子としては。
「100年フード」を始めとして、食文化の振興に旗を振っている文化庁が配給会社とタイアップしたということで、公共施設等に大々的にボスターが張り出されたりした作品なので、「どんなものだろう」と食指が動いて鑑賞してみることにした一本でした。
文化庁の能書き(ウェブサイト)では、「今回のタイアップを通じて、我が国の豊かな食文化への理解と関心が深まり、四季の食文化を体験するために各地域へ足を運ぶ機会が増えるなど、食文化がより身近なものとなることを期待しています。」とされていたものです。
まずまずの佳作であったと思います。評論子は。
(追記)
邦題は「土」にかかわる事柄で、文字どおり土から産み出される食材の話なのですけれども。
しかし、本作でもツトムが急病で生死の境をさまよいましたが、その土から産み出される食べ物を食べる人間も、行く行くは土に還っていく存在です。
その輪廻を本作から感じ取ったレビュアー諸氏も少なくなかったようですが、評論子も、まったく同じ感慨です。
<映画のことば>
生活することは体を使うことで、体を使えば腹も減る。腹が減れば、メシもうまい!
空腹が何よりの調味料であることは、時代の古今、洋の東西を問わないのだろうと思いました。
自然の中の食日記
笑いも泣きも、手に汗握ることもない、盛り上がりが全くない。にも関らず、最後までスクリーンに引き寄せられる。愉悦も歓喜も感動も、つまり何ら感情を昂らせてくれなかったにも関わらず、映画館を出た時に清々しく豊潤な満足感に包まれ、日本人で良かったという思いが自然に湧き上がってきました。
本作は、幼い頃に禅寺で精進料理を学んだ作家・水上勉が、その記憶をもとに一年にわたって季節の野菜を自ら調理し、料理と日本の食文化について思いを巡らせたエッセイ本を脚色して映像化したものです。従いそもそも“物語”になっておらず、恰も滾々と流れる水のように、沢田研二扮する主人公の作家・ツトムの一年に亘る自然と共生する日記、それも誰でも一日三度摂る“食”を記録した、いわば“映像食日記”です。
当然、映像はツトムの一人称で描かれ、ツトムの視野のみで展開します。
食材は、庭の畑や近くの山や川で獲れたものや自家製の漬物を、塩、砂糖、醤油、味噌で味付けして仕上げられ、質素で見栄えはしませんが、しかし、一つ一つに手数を掛けていて、誠に豊かでぜいたくな食生活です。
太陽と水があれば、人は如何ようにも生きていける。寧ろ、自然に己を投げ出し、委ねることで生きる、その清らかさ、その美しさ、その尊さを切々と訴えます。
一年を二十四節季に区切ってその時々のツトムの食を描いていきますが、四季の変わり目にはBGMにアルトサックスのやや甲高いバラード調旋律が響き、冬から春、春から夏、夏から秋、秋から冬への気候の変化、そしてそれに伴って変わっていく食を象徴的に奏でます。日本の四季の華麗で鮮やかな変化が、強く印象づけられました。
ここは管弦楽器では荘厳過ぎ、ピアノでは優雅過ぎ、況してやテナーサックスでは完全にジャズになってしまい、本作には似合いません。
またツトムと松たか子扮する編集者の真知子が二人並んで食事する、やや引いた固定カメラのカットの長回しが所々に挿入されます。殆ど会話や動きのないシーンですが、特に冒頭のシーンは、その静謐な中で物言わず互いの感情が滲み出てきて、嘗ての『駅 STATION』(1981年)の、高倉健と倍賞千恵子が雪の大晦日に紅白をテレビで見ながら銚子を酌み交わすシーンに匹敵する名シーンであるように思えました。
自然の中で自然と共生した生活のようですが、よく見るとあるがままの自然ではなく、人が引き寄せ人の手を加えて食しています。
実は、これこそが、世界遺産に認定された「和食」の原点ではないかという思いに至りました。
生きていくこととその営み
観終わった時に、これで終わるんだってなるけど、でもすぐまた、最初から観ようかなと思うような。
事件もないし、大きな感情の揺れもない。
山の中で暮らす毎日を書く生活。編集者の若い恋人がたまに訪ねてきて彼の作ったものを美味しそうに食べる。
彼も一緒に食べる。
その料理がなんとも言えず美味しそうなのだ。
家の周りで取れた季節のものをシンプルに料理して食す。
それを盛り付ける素敵な器の数々。
あー、いいなぁ。こんな生活と思った。
日本の季節.二十四節気を味わうことのできる映画。
エンディングの歌で、見た目は変わったけれど、ジュリー健在と思った。
良作、空腹時には観ない方がいいです(笑)
真冬の豪雪から牧歌的な真夏まで長野の一年を通して撮影された苦労が滲み出ている作品
雰囲気があってとても好きです
初めは呑気に淡々と流れますが、後半はちょっと切なく深刻なストーリーが展開され、見応えのある仕上がりとなってます
出てくる料理が素朴だけど、どれもメチャクチャ美味しそう
囲炉裏を囲んで焼いた里芋と日本酒をいただくところや葬式で振舞う料理などが特に美味しそうでした
竈のある台所もとてもノスタルジック
一度こういう所で暮らしてみたいです
ジュリー演じるお爺さんと松たか子さんの歳の差カップルいいですねぇ、楽しそうで仲睦まじい雰囲気がすごく良かった、見ていてホンワカしました。。。
ジュリーが歌うエンドタイトルの曲も心に滲みました、何度でも観たくなる良い作品です
現実は自然の中で昇華する
採れたてのものを喰らう楽しみ。
気の合う者同士で。ふたりで。
それも男と女で。
でも、ふたりは父親と娘ぐらいの年の差がある男女。
作家と編集者という原稿でつながっただけの仲。
毎回人里離れたところまで来てくれるのだから、勘違いもするだろう。
男だもの。が、女にも自分の人生がある。
年老いた男との選択肢は、確率として低すぎる。
その背景は厳然としてあるのだが、そこを自然の営みが席巻する。
自然は現実を凌駕する。いや、現実は自然の中で昇華するのだ。
それが正しい、と感じさせる、ジュリー(沢田研二)に脱帽。
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