「望まない妊娠と「女性」という立場」あのこと talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
望まない妊娠と「女性」という立場
<映画のことば>
大半の医師は中絶に反対だ。
女性には選択権がないと考えている。
(中絶藥ということで他の病院が注射したエストラジオールは)流産防止の藥だ。
別に「セクハラ」とかなんとかいう意図は、評論子にはまったくないのですけれども。
物理的に妊娠して子供を産む機能が備わっているのは女性の側だけであって、その機能が(状況によって)入れ替わったりしないというのは、高等動物としての人間についての客観的な事象であると思います。
(その点、雌雄同体になっているような原始的な動植物とは、決定的に違うわけで。)
まして、女性は、その機能維持のために、毎月毎月、頭痛や体のだるさなど、男性にはない不快な体調不良を我慢してもいる―。(男性である評論子には、もちろん経験はありませんが、人によっては、動けなくなってしまうほど重いこともあると聞きます。婦人科系の病気で外科的な処置(手術)を受けた女性から、反面、いつでも気兼ねなく、好きな温泉入浴が楽しめるようになったと聞かされたこともありました。男性の評論子には想像すら難いのですが、そんな不自由・気苦労もあるようです。)
そういう物理的な「違い」というのはどうすることもできない訳ですし、これからも、未来永劫そうでしょうから、その中で真の「ジェンダーフリー」を実現するのならば、そういう物理的な「差異」を認めた上で、意識の上での「フリー」を図っていくしかないことになるのだとも思います。
(その意味では、「女性医師が産前産後休暇をとると、ただでさえ長時間労働が恒常化している医療現場は回らなくなる」―などという近視眼的な理由から、男性受験者に加点したり、女性受験者を恣意的に減点したりしていたという某医科大学の入試は、論外。)
本作は、私が参加している映画サークルが、地元で公開された作品の中から毎年選ぶベストテンの一本として、2022年に選ばれた作品でした。
上掲のようなジェンダー問題も背後に透けて見えるかのような本作は、充分に、佳作と評することができると思います。評論子は。
(追記)
ちなみに、日本でも人工妊娠中絶は、妊婦自身がすることでも(自己堕胎)、医師が行う場合でも(業務上堕胎)も、原則としては違法行為であると言ったら、レビュアーの皆さんは、驚かれるでしょうか。
(実際には、母体保護法の、いわば拡大解釈によって、その手の手術は広く行われていることは、周知のことと思います。)
(追記)
ものの本によると「堕胎罪の保護法益については、胎児の生命・身体、母体の生命と身体、性風俗、人口維持に対する国家的利益など種々のものを考えることも可能であるが、現行刑法は、胎児の生命・身体と母体の生命・身体の双方を保護法益としていると考えるべきである。自己堕胎・同意堕胎を処罰しようとしていることは、胎児の生命・身体を保護法益としていることを示すものであり、第三者堕胎を自己堕胎より、また、不同意堕胎を同意堕胎より、さらに妊婦を死傷に致した場合、重く処罰しようとしていることは、母体の生命・身体を保護法益としていることを示すものである」(斎藤誠二編著、八千代出版「改訂刑法各論」1990年)とされています。
残念ながら、そこでは、産むこと・産まないことについての女性の側の意思(決定権)は、微塵も省(かえり)みられてはいないようで、法律は(少なくとも刑法は)、その水準のことは何も考えていないということに、どうやらなりそうです。
はい、日本でもです。
今の刑法では、「堕胎の罪」として、212条から216条までに、妊婦自身による自己堕胎、第三者による堕胎、業務上堕胎や致死傷について、罰則が定められています。
ただ、母体保護法という法律で一部の人工妊娠中絶が認められているのですが、ケースとしては「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」と「暴行若しくは脅迫によって又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの」の二つだけです。
このうち「経済的理由により母体の健康を著しく害する」という部分が拡大解釈されているので、世の産婦人科医師は、警察に捕まらずに済んでいるというのが実情ということになっています。