パワー・オブ・ザ・ドッグのレビュー・感想・評価
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面白いのに主題が見えない。
ストーリーとしては、見応えのある話だった。
女手一つで息子を育てる未亡人が、ある日見初められて資産のある家の次男に嫁ぐ。
幸せになれると思って嫁いだ家には、昔ながらの古きアメリカの男らしい兄がいた。その男に追い詰めらるてお酒に溺れる女。その母の息子はそんな状況の母をじっと見ていた。
息子が男と仲良くなったのは、最初からこの映画の結末をもたらすためだったのか。あるいは、男の抱える秘密に気づいて、気持ちをよせてしまったか。闇は深い。
この映画のタイトルは聖書からきているらしい。
それが、この話にどう絡むのか、微妙にわからない。宗教が絡むと必ずこういう気持ちになる。それが残念だ。
母への愛…
ラスト30分くらいまで陰湿で抑圧的な雰囲気なまま展開し、ずっとすっきりしない。結局この時代、ゲイをカミングアウトすることはできず、ましてやカウボーイは絶対にそうあってはならない。だからこそ、家族として近づいてきた親子に必要以上に冷たく当たり、自らを引き離していた。この映画の怖いのはその更に上をいくピーターの存在。色白な綺麗な顔でか細く、中性的であり、どこかミステリアス、しかしながら、兎の解剖はラストの炭疽症殺人に繋がる狂気さを持つ。ピーターはその秘めた妖しい存在に心を開き出したのだが、時すでに遅し、母親の存在には勝てなかった。
男らしい振る舞い
弟と2人で暮らしていた牧場主フィルが、弟の結婚を快く思わず奥さんと連れ子の息子をいびる話。
カウボーイで頭も良く音楽も嗜み、語学もでき牧場で周囲をまとめる力もあるフィルは、行動がいかにも"漢(おとこ)"という感じ。弱い男を馬鹿にし、女を見下す。でもこの感じが逆に、そういう男になろうと努力してマッチョな振る舞いをしてるように見える。
でもそうやって弟を馬鹿にする言葉が全部フィル自身にも当てはまるところがちょっと可愛い(笑)「女々しいな」って言った後に弟と同じベットで横になったり、弟に「金目当てで騙されてるだけ、自分の顔をよく見ろ」という言葉も結局ね。
さらに、奥さんイジメも明らかにやってることが姑の嫁いびりだし、そのいじめ方もネチネチしてる女っぽいイジメ方。この姑息な感じがね、フィンを嫌いになりきれない所でもある。
そもそも奥さんが病んでしまったの、半分はフィンのせいで半分は弟のせいだからな。自分は良き旦那って顔して平然としてるの腹立つ〜〜まぁ次の標的は弟っぽかったからいっか(笑)
思えば最初から「お母さんは自分が守る」と言っていたので結末は至極同然だけど、こんなほっそりして弱そうな息子にも男性性は最初から健全。たぶんフィンより男らしい。君がお母さんを守らなきゃと思ったと同時にお母さんも君を守らなきゃって思ってたと思うよ。
てか周りこんな男しかいないって地獄かよ?開拓時代地獄だな??
便宜上男らしいとか女っぽいとか使ったけど、こういう言葉がこの映画に出てくる人達を生み出すんだよ(笑)
マッチョ主義がはびこる中での本当の強さとは?
Deliver my soul from the sword; my darling from the power of the dog.
映画のタイトルは、聖書の「詩篇」第22章20節の「わが魂を剣から救いたまえ、わが愛しい人を犬の力から救いたまえ」から取られている。(原語のヘブライ語では、「my darling」は「my only」を意味し、孤独で大切な存在という意味で、「dog」は十字架にかけられたイエスを苦しめる者たちのことである) そのため、この映画のタイトルは、微妙なネタバレとなっている。 ~IMDbより抜粋~
さて、本作は愛の渇望と嫉妬、秘密の共有を描いており、ある意味復讐劇と言ってもよいだろう。カンピオン監督のねじ曲がった愛憎表現が光っている。
亡き父が言ったという「障害物を取り除けば強くなる」という教えに従って、母親を守るという固い意志に導かれた行動をとるピーター。繊細で女性的にも見えるピーターだが、劇中一番強いのはピーターであり、コディ・スミット=マクフィーは強烈なインパクトを与える目の動きと視線でその内面の優しさと強い意思を上手く演じていた。
また、登場はしないものの大きな存在であるBH(ブロンコ・ヘンリー)とフィルの語られていない物語にも想像力を掻き立てられる。崇拝すらしているBHが見たもの(崇高で繊細な人にしか見えないもの)をピーターにも容易に見えるというフィルの動揺とBHとのすり代わり(憧れ)。
フィルが牛を素手で去勢する行動は、自身への嫌悪感の表れでもあるのだろう。
リーダーとして君臨しているようだが実は弟を頼りにし、愛を求めてさまよう兄フィル(カンバーバッチ)、はいくつかのシーンで強さの表現は素晴らしかったが、秘密を隠しながら強くあろうとする淫靡でねじ曲がった心理描写は弱い。しかしBHの形見であろう布で体を包むシーンはもの悲しく孤独感があふれていた。
風呂に入りパジャマでベッドに入る弟ジョージは、上質なスーツに身を包み礼節をわきまえる。教育はありそうだが風呂どころか、着替えすらしない兄フィルとの対比も面白く、結婚したことでやっかいな兄から解放され一人ではなくなる幸福感と、寡黙だがまっすぐで不器用な男をジェシー・プレモンスはよく演じた。
キルステン・ダンストは、夫亡き後、息子を危険から遠ざけたいという母親ローズの心理描写や、安心と安定を手にはしたがそれを奪われるのではないかという恐怖心もよく演じていた。墓石に刻まれた「Dr. John Gordon」という文字から、ピーターの父親も医師であったと想像するが、医学を学ぶピーターの行動に、ローズは助けられるのだった。
第Ⅴ章は見せ場であり、エロティシズムにも溢れている。
・BHの鞍にまたがるということ
・ピートが吸ったタバコをフィルに吸わせるという(みせかけの)愛の交感
・馬の見通すような瞳と滑らかな体躯
これらはフィルの欲情とピーターに対する心の解放であり、一種の依存である。この一瞬の隙にピーターは入り込み意思を遂げるのだ。
「一人じゃないっていいな」。登場人物はみなそう思いたいのだ。ありのままの自分を安全な環境に置いておきたい。ただ、疎外感、孤立感、承認欲求、社会的立場に操られて行動してしまう。「障害物を取り除けば強くなる」、しかし、本当の強さとは何なのだろう。
カメラワークは、ニュージーランドでのロケとのことだが、広大なモンタナの荒野と山並み、牛たち、納屋の窓から見える広いけれども封鎖的抑圧的な風景、室内の暗めのライティングなど、素晴らしい雰囲気を醸し出している。
音楽も、ピーターのシーンでは繊細なピアノや、フィルの口笛やバンジョーなど印象的に使われている。
ところで、第Ⅳ章でフィルが棚にしまったものは何だったのか?よく分からなかった。
さびしがりや
(批評家がまったく解っていないので概説しておきます。因みにわたしはじぶんだけが解っていると思っている勘違い男です。)
荒々しさを信条にしてる人っていませんか。
(たとえば)職場の厳しさを教えたい上司や先輩。仕事が厳しいのは正論だし、それを垂範するのは先達の役目だけれど、なんか妙に尊大・誇張になっちゃう人。
あるいはヤフコメによく湧く、昔語りや苦労話で盛っちゃう人。
虐待の報道に「おれなんかまいにちブン殴られてたもんだぜ」とか。
いじめの報道に「おれなんかまいにちブン殴られてたもんだぜ」とか。
その他の報道でも「おれなんかまいにちブン殴られてたもんだぜ」とか。
──言ってしまう人。なんとなく、わかりますよね。荒々しい時代・環境をサバイブして、今の厳しいおれがいる──と言いたいタイプの人。
フィル(ベネディクトカンバーバッチ)はそんなタイプ。今は亡きブロンコヘンリーを師・友人と仰ぎ、神格化し、その教えを実践しているのですが、その頑なな態度によって弟、弟嫁とのあいだに軋轢が生じます。
フィルは牛飼いの生活を荒々しいノマディズムでとらえています。
何日も牛を追い、野じゅくし、宿場では娼婦を抱き、配下を手なずけ訓練し、着のみ着のまま風呂にも入らず、それがおれたちの仕事・生き方なんだぜ、──と弟ジョージ(ジェシープレモンス)に垂範しますが、ジョージはまったくそのようには考えておらず、宿場の未亡人ローズ(キルスティンダンスト)と結婚してしまいます。
(最近知ったのですがプレモンスとダンストは現実でも夫婦です。)
ブロンコヘンリーの教えを伝える相手だったジョージが所帯持ちとなったので、いわば孤立したフィルは、ますます依怙地になり弟嫁のローズに八つ当たりするようになります。
その当て付けがましさ。カンピオン監督がうますぎて、見ていられないほど嫌らしい関係が展開します。
──だいたい、わたしほとんど弾けないって言ったよね。なんで知事に嫁はピアノ弾けるなんて言っちまうのよ。(byローズ)──という感じで、ジョージもたいがいに察しの悪い愚直すぎる男で、兄に当てられ、弟に巻かれ、ローズは酒浸りになってしまいます。
孤立したフィルが、己の求道心を満たすために目を着けたのがローズの連れ子ピーター(コディスミット=マクフィー)です。
フィルにとってピーターは性的欲求の対象でもあったはずです。
なぜなら(途中で判明するのですが)この映画の根本的な前提で、かつ秘匿された前提は、フィルがくどいほど仰ぐブロンコヘンリーが師でも友人でもなくフィルの情人(性愛関係のタチ)だったこと──だからです。
それゆえフィルがピーターに関わりはじめると、やべぇ、掘られちまうんかよ──と予感(というか悪寒)させます。
ローズはじぶんに近寄ってくることなく嫌気を発するフィルに(なんとなく)ゲイ気配を感じてとっています。それゆえフィルとピーターが癒着することにすさまじい嫌悪を感じていますが、どうにもできず酒量が増します。
しかしピーターは地雷でした。
さいしょから、もっとも脆弱なキャラクターとして描かれます。ひょろり、なよなよ、紙で花をつくり、腕タオルのウェイター姿をおちょくられ、落ち込んで独りでフラフープします。
が、一方でカンピオン監督はピーターのふてぶてしさも描きます。ふてぶてしさとは特殊な耐性と戦略性です。医学をまなんでいてウサギを捕らえて平気で開胸します。絞めるのもためらいません。一見よわよわしいのですが、かれは生類を屠ること、母親を守ること──に関してはひるまない、のです。
で、縄結いの湯桶に炭疽を仕込む──わけですが、さらに、したたかなピーターはじぶんがフィルの性的な欲望の対象になっていることを利用さえします。その描写は曖昧ですが、個人的には、そのように感じられました。
ただし。その謀殺劇に映画の焦点は(まったく)ありません。
カンピオン監督が言いたいのは孤独な男の末路です。
彼(フィル)はブロンコヘンリーの教えやカウボーイの克己主義を伝承しようとしていた、のではなく、寵愛をうけていた情人(ブロンコヘンリー)を失って寂しがっていた、だけです。
かれの荒々しさは寂しさの裏返しであり、カンピオン監督は愛と清潔感を失った時代遅れのカウボーイが身を滅ぼしていくようすを残酷に描写したのです。
フィルは髭を剃って死化粧をほどこされ生きていたときよりもずっと清潔になって棺におさまります。この映画は死んでやっときれいになった男の話です。
パワーオブザドッグが旧約聖書からの引用とか、メタファーがどれなのかとか、そういうこまっしゃくれたことを知ったからとて本作の解釈に寄与しません。映画はまったく難解はことは言っていません。
冒頭に、荒々しさを信条にしてる人っていませんか。──と言いましたが、わたしたちの身のまわりにいる、荒々しさを信条にしている人や昔語りや苦労話で盛る人ってのは、実はたんなる寂しがり屋なのかも──映画はその凡例を描いている、わけです。
(カンピオンは清潔にしていないひとも寂しがり屋だと示唆しています。)
気分が晴れる映画ではなかったけどね。
(原作は知りません。映画でカンピオン監督が言いたかった(であろう)ことをまとめました。)
救いか、犬か
オーストラリア人女性監督とイギリス人俳優主演で描く、異色の西部劇。
決闘などのアクション要素は一切ナシ。愛憎渦巻く濃密な人間模様と、その果てに…。
牧場を営むフィルとジョージのバーバンク兄弟。
開幕早々、兄弟の性格が分かる。
弟ジョージは穏やかな性格。…いや、兄に対し畏怖すら抱いている。
兄フィルは弟を“太っちょ”と呼ぶなど威圧的な性格。周囲からも恐れられているようだが、カウボーイ仲間からはカリスマ的に尊敬されている。
西部の全てを叩き込んでくれた亡き親友、ブロンコ・ヘンリーを崇拝。西部の男こそ、男。男は男であるべき。
牧場の仕事で町へ。ジョージが手配してくれた食堂で食事を取る。
未亡人とその息子が営むが、フィルは繊細な息子を散々からかう。ナヨナヨした男は男じゃねぇ!
未亡人も息子も気に食わないフィル。
涙する未亡人。深く傷付く息子。
慰めるジョージ。
フィルは誰かが陰に隠れてコソコソコソコソやってるのも気に食わないようだ。
最近何かと町へちょくちょく繰り出しているジョージ。
突然の告白。兄に内緒で結婚した事を。相手は、あの未亡人ローズ。
彼女を牧場暮らしに招く事になるのだが…
ローズからすれば、夫との死別後、息子と二人三脚。やっと巡り会った優しい男性。
ところがその男性の兄が…。
暴力を振るったりはしない。精神的な圧。気付くと、憎悪に等しい目で見ている。重々しい足音すら心地悪い。
極め付けは、ピアノが趣味のローズ。その音色に合わせ、フィルはギターで邪魔をする。執拗な嫌がらせ。
一応“奥様”として周囲の使用人やカウボーイに扱われているが、まだ食堂で額に汗して働いてた方が満ち足りてたかもしれない。
夏。都市部へ留学していた息子ピーターが“里帰り”。
あの一件以来の再会。ピーターはフィルに対し未だ恐怖と苦手意識、フィルはピーターに対しこちらもやはり女々しくナヨナヨした“お嬢ちゃん”。
が、後半はこの二人がドラマを大きく動かしていく…。
本作で第78回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞。
ジェーン・カンピオン、『ピアノ・レッスン』以来の大傑作の評判に異論ナシ! オスカーノミネート落選はまず100%有り得ず、『ノマドランド』のクロエ・ジャオに続きアカデミー賞史上初の2年連続の女性監督賞受賞に期待が掛かる。と言うか、私なら迷わず一票入れる!
何が素晴らしいって、一見取っ付き難そうに思える西部劇というジャンルと重厚なドラマだが、見事な語り口で引き込まれる。静かな作風だが、ピンと張り詰めた緊迫感。
章分けも見易い。脚本も自身で担当。
登場人物一人一人の性格、内面、変化、それらの掘り下げも完璧。
雄大なモンタナの自然の中に。緑の大地、美しき森林、何処までも拡がる地平線と山々…。
そして、耳に残るはジョニー・グリーンウッドの不穏を煽る音楽。
監督を始めスタッフの仕事ぶりにも一切の抜かりナシ!
物語を動かす登場人物は4人といったところ。各々、キャラ描写や背景を体現。名アンサンブルを見せる。
高慢な天才役が多いベネディクト・カンバーバッチが粗野なカウボーイを力演し、圧倒的存在感! イギリス人ながら西部の男に見える。
完全に役に同化、パワハラ言動には見てるこちらも恐れおののく。少しずつ揺れ動く感情の変化はさすがの名演。
子役のイメージを完全に脱したキルステン・ダンストも本作で新境地。未亡人の苦悩、苦難を魅せてくれる。
受け身の好演を見せてくれるジェシー・プレモンス。4人の中で出番は控え目。前半はフィルやローズとの絡みがあったが後半はほとんど出番が薄くなってしまったが、それでもしっかり脇固め。
この二人、実生活でもカップルとは…。
子役として活躍し、大作や大ヒットシリーズにもチョイ役で出演していたらしいが、本作で大きく飛躍!
ピーター役のコディ・スミット=マクフィーが素晴らしい。
繊細な演技。この実力派たちに囲まれて、一際印象に残る。
動のカンバーバッチに対し、静。堂々と渡り合い、全く見劣りしない。
後半は本当に二人の関係とピーターの動向から目が離せない。
登場人物皆、コンプレックスや弱さを抱えている。
ローズはフィルからの嫌がらせとジョージの両親との関係。そのストレスからアルコールに溺れてしまう…。
兄に見下されているジョージ。
そんなフィルにも誰にも絶対打ち明けない“秘密”があり…。
フィルやカウボーイに嘲笑されているピーターこそ実は芯の強さがあると感じた。
タイトルの意味は、聖書の詩篇から。
“私の魂を剣から、私の命を犬の力から救い出して下さい”
犬は“邪悪”を表すという。
聖書には疎いので、正直ピンと来ず。が、印象に残ったのが…
牧場から望める丘をよく見渡すフィル。
問う。
何に見える?
ジョージは平凡な答え。
しかしピーターは、口を開いた犬。
そう答えた人物は初めてなのだろう。
そしてフィルもそうなのだろう。
フィルがピーターに対し、心境の変化があった瞬間。
ピーターに乗馬、縄の作り方、縛り方などを厳しく叩き込むフィル。
ピーターもフィルの鬼指導に死に物狂いで食らい付く。畏怖がいつしか憧れに。
ローズはそんな息子を案じる。ますますアルコールに溺れる。
二人でブロンコ・ヘンリーが辿った道程を旅。その道中、フィルはナイーブ過ぎるピーターと弱いローズを非難。暴力的だった亡き父の話に及び、ピーターの思わぬ冷酷さを知る…。
人は一つの感情で生きられやしない。
強さと弱さ。
穏やかさと哀しさ。
優しさと冷酷さ。
良くも悪くも。
ローズがついしてしまった事がフィルの怒りを買う。これまでもうんざりだったが、いい加減大爆発!
そこを救ったのが、ピーター。思わずピーターを抱き締めるくらい。
ピーターを侮辱していたフィルが。他人に対し威圧的で恐れられていたフィルが。
そこには、“人間”としてのフィルがいた。
ここで特筆なのは、安直なお涙演出などではなく、自分の中にある人の心を求めた事。
自分もまだ人の心、愛する事が出来る…。
最後は意外な結末。二つの意味で。
フィルは亡くなってしまう。死の間際まで、自分を救ってくれたピーターを求めた。
しかし、その死の原因は…?
フィルの死後、牧場で平穏に暮らすジョージ、ローズ。
それを見つめるピーター。
そこに、OPのピーターのナレーションが重なる。
それが本当…いや、本気だとするならば。
ピーターは救いだったのか、犬だったのか。
余韻が暫く後引く。
似てない
ジョージとフィルは本当の兄弟?
ローズとピーターは本当の親子?
似てないんだけど〜
ま、それはおいといて。(気になるけど)
カンバーバッチさん、シャーロックホームズのイメージが強くて、あんないや〜なやつだったんだ。(役だけど)
しかし、ジョージの鈍感さとか優柔不断さにイライラ。兄ちゃんに言われっぱなし。カリスマ性はないが、弟だから特別扱い?
あとは両親との関係もいまいちわからない。(理解力がない)
ジョージがもっとビシッとすればローズも救われたはず。
気になるのは、なんといってもピーター。
あの目!視線!目線?目だけでもいろんな表情。
母を守るためにやったこと。後悔はなさそう。
一気に観終わった。見応えあった。
カンバーバッチさん、ハリソン・フォードとかイーサン・ホークに見えて仕方がなかった(笑)
まあまあよかった
弟の奥さんが苦手なピアノを弾くように言われる場面がつらい。あんなに深刻に捉えず、せっかくアル中なんだから酔っぱらって適当にやればよかったように思うのだが、根が真面目なのだろう。だからこそアル中になってしまうのかもしれない。
ベネディクト・カンバーバッチがゲイであることを匂わす。だからこそ男っぷりをアピールしてひ弱な男をからかったりするのだろう。弟と狭いベッドで一緒に寝ているほど仲がいい。当時はそういう生活習慣が当たり前だったのだろうか。
よくわからなかった
•主人公が誰かわからず、どう観ていいのか全くわからなかった。ピーターがフィルを多分、殺してようやく始まったと感じたら終わった。ブロンコビリーはフィルと恋仲だったのかな?とか何で皮を先住民の人たちにあげたのか?何でフィルは急にピーターに優しくなったのかとか諸々、謎のままでモヤモヤした。
•弟から兄に風呂に入ってくれ、って言わないといけないのはしんどいなぁと思った。
簡単な映画ではない
最初のナレーションが表すように、子供が母親を守るために間接的に殺人を犯す物語だ。ではそれは何を表現しようとしているのか?
タイトルは旧約聖書からの引用で、「剣から命を守り給え。犬の力から魂を守り給え。」から来ていて、ここで「犬の力」は邪悪な心を表しているらしい。確かに母親を守るためとはいえ、その解決方法が間接的な殺人というのは邪悪ではある。
ここからは想像だが、監督が描こうとしたのは男性原理と女性原理の対立ということだろう。20世紀初頭の米国の西部を支配していたのは暴力や知性に象徴される男性原理であったが、時代の流れなどにより女性の社会的地位は徐々に上昇しつつあった。20世紀は女性原理が社会の表に現れた時代だ。そうなると当然男性原理と女性原理は対立することになる。それが主人公による弟の妻に対するいじめとして表現されている。
一方、主人公は男性原理のみで生きているようで実は内心女性原理への憧れを隠し持っている。それがやや女性的な雰囲気を持つ義理の甥に当たる青年への好意として表されている。ただ、この女性的な雰囲気を持つ青年は医学の知識と、母親を守るという強い意志を持っていた。一見犬のように従順に見えながら、その内面は目的のためであれば殺人もためらわない邪悪な心の持ち主でもあったのだ。
映画において男性原理の主人公は炭疽菌で死に、母親は主人公の弟と幸せになることが暗示され、それを窓から見守り、炭疽菌による殺人の道具として使ったロープを手袋で慎重に扱いベッドの下に隠すシーンで終わる。
21世紀は女性原理が勝利を収めつつある世紀であり、それは必ずしも優しさや愛情だけによって象徴されるのではなく、男性原理と同様に邪悪さを持つこともある。その邪悪さは水面下に隠す必要があるというのが監督の結論ということだろうか。
【「見えないのは、いないも同じ」/映像だからこそ伝わるもの】
Netflixで12月1日から配信となるので、レビュー・タイトルに、映像云々と書いてしまったが、可能であれば是非映画館の大画面で観ていただきたいと思う作品だ。
それほど、カンバーバッジをはじめ、俳優陣の表情を中心にした微妙な感情の揺らぎが、作品に重厚感を持たせていて、大画面で観る方が良いと思うからだ。
映画.comのあらすじには、"無慈悲な牧場主"という表現が使用されていたが、そんな簡単な言い回しでは語れない人間ドラマが、ここにはある。
個人的には、今、賞レースの中心にいるのではないかとさえ感じる。
(以下ネタバレ)
「見えないのは、いないも同じ」
果たして、そうだろうか。
フィルの序盤でのこのセリフが、ストーリー全体を通して、画面から目を離せなくする。
見ようとして見えてないのか。
初めから見てないのか。
言われて、案外、なーんだと気が付くこともあるかもしれない。
よく近づいてみたり、俯瞰してみたり、観察して見えてくるものもあるはずだ。
それは、対象が人でも同じではないのか。
様々な人の感情には、それぞれ理由があるはずだ。
そして、中には逃れようにも逃れられないものもあるはずだ。
それを見て見ぬふりをするのか。
理解を拒絶するのか。
また、自分を見つめることも同じだ。
実は、他者を見つめ、理解することも、自分自身を見つめ、理解することも同じではないのか。
虐げられ、孤独で抑圧に苦悩し、アルコールに逃れようとするローズ。
典型的な家父長制社会の中で、女性を蔑視することによって、かろうじて自我を保ち、同性愛をひた隠しにするフィル。
心優しいローズの幸福を願うピーター。
ピーターの密かに、単独で実行に移される冷静で且つ冷酷な計画。
フィルとの交流、牛の死骸、ロープ、牛の皮、炭疽症、フィルの死。
ピーター自身の復讐心もあるのか。
ローズはやっと抑圧から解放されると信じているかのようなピーターの表情。
きっと、この後も、ずっと隠されることになる事実。
映し出される場面のピースと、微妙な表情を逐一読み解いていく、人間ドラマの、実は重厚なミステリー作品でもある。
粗暴で妖艶なカンバーバッチと犬の力。
フィル、ジョージ、ピーター、ローズの主要な登場人物それぞれのキャラが立ってるから、どうかすると単調になりがちな作品の進行も背景も全く退屈しません。
美しいモンタナの荒野を舞台に、荒々しさと引き換えにどこか脆さもあるフィルというキャラを目線や仕草ひとつまで完璧に演じたカンバーバッチの好演にいつの間にか魅入られてました。
フィルのブロンコ・ヘンリーに対する敬愛を超えたあの「秘密」はたぶんそういう事なのかなと途中で予想はしてましたが、まさかあんな黒いエンディングが待ってるとは。。
乗馬を覚えて炭疽菌まで使って自らの「障害物」を乗り越えたピーターの決意たるや、(彼の表情が変わらなさすぎて…)あの覚悟(≒殺意)は冒頭で大切な花を燃やされた事をキッカケに芽生えていったのですかね。
そんなピーターを見守りつつも精神的にどんどん病んでくローズと反対に、常に冷静なジョージの良心のバランスさが劇中唯一の救いだったような。
ネトフリ作品を劇場で観るのは2019年の「アイリッシュマン」以来かな。
想像以上に重い作品でしたがやはり今回も劇場で観れて良かった(12月にはネトフリで観れるらしい)
【”動物の生皮を剥いで、綱を編む・・。”脳内フル回転で観る映画。今作をミステリーとして観るか、青年の成長物語として観るか、は観る側の感性次第である作品。】
ー 舞台は、1925年 モンタナ州。大牧場を営むフィル(ベネディクト・カンバーバッチ:最近の活躍は凄い。)は横柄で、尊大な態度のカウボーイ。
弟のジョージ(ジェシー・プレモンス)は対照的に、温和な男として描かれる。
◆感想
・フィルとジョージ達が、放牧の途中に寄った、未亡人ローズ(キルスティン・ダンスト)が経営する食堂&宿屋。
卓上に置かれた紙で作った精巧な花。それは、ローズの息子ピーター(コディ・スミット・マクフィー:華奢で、白く、無表情なのが、印象的である。)が作ったモノだった。
だが、フィルはそれを見つけ、火をつけ煙草に火をつける。更には、華奢なジョージの給仕姿も揶揄う。
- 調理場で涙するローズ。慰めるジョージ。だが、ピーターはフィルを冷たい目で見ている。-
・結婚したジョージとローズ。幸せそうである。だが、フィルはローズに対し”俺はお前の兄ではない!女狐め!”と尋常でない罵りの言葉を浴びせる。
- 嫉妬か? だが、違う気がする・・。-
・ローズは、日々のフィルの嫌がらせに憔悴し、アルコールに頼る様になる。そこへ夏季休暇で、戻って来たピーター。口にした言葉【ここには、嫌な奴がいる・・。】
- フィルは当初、ピーターを揶揄うが、ある日、雄大なモンタナの山脈を見てピーターに問う。
”アレは何に見える。”
”犬が大きな口を開けているように見える。”
”お前もか!”
徐々にフィルのピーターに対する接し方が変わって来る。
立派な男にするために、彼が且つて命を助けられた”ブロンコ・ヘンリー”の鞍にピーターを乗せたり・・。そして、そこに掛けられた綱。-
・風呂に入らないフィルだが、自分だけの秘密の土地があり、そこで水浴びをする。そして、フィルをつけて来たピーターが叢の中で見つけた”ブロンコ・ヘンリー”と書かれた木箱に入っていた冊子。冊子には、数々の写真が・・。
ー 更に、ピーターに”ブロンコ・ヘンリー”に助けられた時のことを問われて・・。
ピーターの”裸で抱き合って、寒さを凌いだの・・?という言葉”
そういう事だったのか・・。-
・フィルは、ブロンコ・ヘンリーの様に、馬の生皮を干し、綱を編む。それを見ていたピーターは、ある日、独りで馬に乗り、山に分け入り、途中”死んだ”動物の皮を剥ぐ。
- ピーターが、独りで小動物を解剖している姿。酒に溺れる母の姿。その母を揶揄うフィル。フィルは更に、亡き父の事をピーターに聞く。
ピーターは、冷静な顔で
”父はアル中で、自分で首を吊った。それを抱えて下ろしたのは僕。”
と答える・・。ー
・酒に酔った、ローズはフィルの生皮を勝手に売ってしまう。怒るフィル。だが、ピーターは”大丈夫、僕が”皮””を持っているから・・、と冷徹な目でフィルを見る。
そして、二人で出かけた先で、フィルは手に怪我をし・・。
終幕、彼は”炭疽症”で、急死する事が告げられる、酷い発作を発しながら、息絶えたと・・。
<真の”パワー・オブ・ザ・ドッグ”は誰であったのか。
私には、か細き身体ながら、笑顔無き、動物解体を淡々と行う”人物”に思えたのだが・・。
2時間強、完全に魅入られた作品であった。>
黒い。どす黒い。
殺意の発意は何時だったのか。母を守るため、っての嘘だよね。母親のために作ったペーパークラフトのバラに火が点けられた時に芽生えたどす黒い殺意は、しばし眠りについたかに見えて。
慣れない馬に跨り危険を冒してまでも、炭疽菌を採取に裸山に入って行くのは、殺人への動機付けの強さの表れとしか。
アメリカ文学はNetflixに任せろ。みたいになって来ましたけど。良いんですかね?この風潮。我が国も、そうなりつつあったりしてw
メイJ役の時から、もう十分に「大人のオンナ感」を漂わせてた、キルステン・ダンスト。なんか、老けるの遅くないですか?
伝説のカウボーイに憧れる無骨な男がよく似合ってたカンバーバッチ。今回は哀れな役回りでしたが、コレも上手く演じ切ってて良かった。
良かった。
好き嫌いが出そうな一本だとは思うけど。
モンタナの山々、牛、馬、男たちが美しい
モンタナの雄大な山々をバックに牛の群れを追うカウボーイたち、背筋をピンと伸ばして歩くカンバーバッチ。
大きなスクリーンで観ることができる幸せ。
ネトフリ配信前の劇場公開作品、予備知識なしで鑑賞。
ジェーン・カンピオン作品と知らずに、エンタメを期待して観に行ったのが悪かった。
第一章までは面白そうだったけど、期待していたものとは違った。こっちのミス。
キース・キャラダイン気づかなかった。
全裸で川遊びする男たち、珍しい。
女性監督ならではかな?
今まであまり良い役で見たことなかったけど、ジョージ役の俳優さん、いい役で良かったです。
俳優さんて役でこんなに変わるんだ。変わんない人もいるけど。良い役が回ってくるかどうかでキャリア違ってくるだろうな。
劇場で観るべき作品。
ブロンコ・ヘンリーの教えって…
1925年モンタナ州で牧場を経営して25年のバーバンクス兄弟と、弟ジョージと再婚したローズとその息子のいざこざ話。
インテリだけど偏屈で粗暴なカウボーイのフィルと、カウボーイというより経営者な裏方の弟ジョージという兄弟が経営する牧場に、ジョージと結婚した宿屋の未亡人ローズがやって来て巻き起こるストーリー。
牧場のカウボーイ達とローズの宿を訪れた際の
ピーターへの仕打ちに始まり、弟への嫉妬か、本当に蔑んでいるのか、真意はわからないけれど冷たくローズに当たる嫌~な印象のフィル。
ジョージと結婚したローズが牧場にやって来てもそんな態度は続いて行き、そして休暇でローズの息子ピーターがやって来てと展開していくけれど、これは不安定になっていくローズ、どこか危険な臭いのするピーター、変化していくフィルの感情、不穏な関係の変化や成れの果て等々のどれをみるべきなのか。
なんかこの時代設定には珍しい?妖しいものもチラホラみえるし。
つまらなくはないけれど残り30分ぐらいまでドラマとして何をみせたいのか焦点が絞れず、話には入り込めるけれどなぜかいまいちノリきれない。
話がみえてからも明確にはされないので、その行動に至った理由や思いは多分単純で良いのだよね?とはっきりせず…序盤は別として、成り行きから考えたら1番まともな気遣いや考えを持つ理解者だったからメリットがねぇ。
展開は非常に面白かったし、少しは恐ろしさや衝撃もあったけれど、なんかすっきりしなかったかな。
できれば、映画館で全集中で観ていただきたい
なんの予備知識もなく、池袋の映画館で「カンバーバッチの、今日からやってますよね❗️」とチケットを購入。
ただ、Netflixの配信前特別上映というと、ホムンクルスでの悪夢というか苦い経験があったので、TCGカードの割引は今回もダメかな、と思ってたのですが、シネリーブルは1,300円で鑑賞できました‼️
誰に向かって言えばいいのかよくわかりませんが、取り敢えず、天晴れ❗️です。
映画のほうも、ニュアンス的には語義相違のような気もしますが、天晴れな出来でした。
そうです、決して晴れやかな気分では終わりません。鑑賞後はむしろ、ゾッとするような寒気、怖気が余韻となって残ります。
大自然を舞台にした…というと普通だったら、この後に続くのは、牧歌的な、とか厳しい自然との共生を通じて、とかの言葉が続くことが多いのですが、終盤のまさかの展開によって、それまでのヒューマンドラマ的要素でほんわかと温まってきた気持ちが、瞬間冷凍させられます。
天晴れな、というのは、この展開から導かれるテーマについての捉え方・解釈が、たぶん十人十色どころか、百者百様なくらいに分かれると思うからです。
・母親からの嫉妬目線
・寅さんとは全然タイプは違うけど(笑)、叔父さんから学ぶことによる人生の拡がり(と思ってたのに!)
・自分のアイデンティティとも言える自分だけの専門的なスキルや嗜好はやっぱり大切
・ジョージが見せるあの時代においては希有とも言える公正さ
ざっくりと思いつくだけでも、色々な視点から見えてくるテーマが盛りだくさんです。他にもさまざまなのです。
〝テーマ〟なんてしゃらくさいこと言ってるようじゃお前はまだまだ半人前だな、そんな小賢しいこと言ってちゃダメだよ❗️と監督に叱られそうな気分です。
でも、この映画は、訳がわからん、と簡単には放っておけないくらい印象に残るし、じゃあ一体なんだったの?というなかなか答えの出ない問いかけがいつまでも心に残る、とんでもない映画でした。
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