パワー・オブ・ザ・ドッグのレビュー・感想・評価
全39件中、1~20件目を表示
能ある「犬」は牙を隠す
男性同士の秘めた恋愛ものと思いきや、サスペンスに変容してゆく物語。中盤までは当時のマイノリティの文学的な心情描写のみで終わるようにも見えたが、この変容が新鮮で意外とエンタメ的な面白みも味わえた。
本作はアカデミー賞レースの目玉と言っていい評価を受けているが、古いアメリカの土着の話で、聖書のエピソードを取り込んでいて(タイトルに引用した他、ダビデとゴリアテの要素もある)、マイノリティが登場して、といった特徴は「ミナリ」を思い出す。意地悪な言い方をすれば、賞レース受けのよい手堅い設定だ。だが本作は静かな筆致ながら、こういった形式の話などどこかに飛ぶような、独特の後を引く余韻を残す。暗く不穏だが不快ではなく、もう一度観て、考えてみたくなる良作の余韻。
タイトルは旧約聖書の詩篇の一節「わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください」に由来するが、この「犬」が作中の誰にあたるかという点について、色々な解釈が出来るのが本作の醍醐味だ。
物語の中盤までは、「犬」はフィルであるように見えた。弟の新妻ローズとその息子ピーターを、正当な理由もなくしばしば貶める。その動機が判明しないうちは、くだらない場面でマチズモを振りかざすただの偏屈な親戚だ。「わたし」にあたるピーターは、この段階で母親と自分の身を「犬」から守ろうと思ったのだろう。
一方フィルは、秘密の場所での水浴びをピーターに知られた後、急速に彼と距離を縮めようとする。
実際のところ、出会った当初からピーターのことが気になっていたのではないだろうか。体裁のためと興味の裏返しでからかっていたが、秘密の場所で裸を見られたことで、ありのままの自分を知られた気持ちになり、虚勢を張る気持ちが緩んだのかも知れない。
ピーターがフィルを意図的に炭疽菌に感染させたことは、一見ぼかしたような描写で、彼の行動を順番に振り返ってやっと確信出来た。
ネイティブアメリカンが皮を買いに来るところなど偶然の事象も絡んでいて、どこまでが彼の計画なのかは分からない。だが、フィルの死という結末を知ってからもう一度見返すと、ピーターの冷徹なほどの強さが際立っていてぞくっとする。
生皮の入った水にフィルが傷のある手を浸すところを見つめて一服するシーンなどは、初見ではうっすら滲むエロティックな雰囲気に目がいったが、見返すとピーターがひと仕事成した一服を味わっているように見えてとても怖い。
原作ではピーターの父の自殺の一因もフィルにあるという記述があるそうで、映画よりもピーターの行動原理が見えやすくなっているのかも知れない。だがそこをぼかしたことが、むしろ人物像の解釈に豊かな幅をもたらしているように思えた。
フィルはブロンコとの思い出に生き、山に犬の姿を見出すピーターをブロンコに重ね、彼を母親から守ろうという独りよがりな思いを抱いた。そのくだりは一見、強い男が青年を精神的に独り立ちさせようとする健全な物語のように錯覚させられる。
ただ、結果的にはピーターがフィルにとっての「犬」だったとも言える。自分自身の気持ちに翻弄されて、フィルはそのことを最後まで見抜けなかった。
当時のマイノリティの内心の描写に終わらず、人間の強さや弱さの本質について考えさせてくれる作品。
男性器というモチーフを駆使して西部劇を解体。
知性も感性も豊かながら、歪んだマスキュリニティにとらわれた男がたどる、奇妙な悲劇であり、西部劇に多く出演してきたサム・エリオットが「(男性ストリップショーの)チッペンデールかと思った」と嫌悪感もあらわに揶揄したことで批判を浴びたのが記憶に新しい。
ジェーン・カンピオンという映画作家は直接的にも隠喩としてもセックスに執着があって、この映画でも男性器を匂わせる描写がそこかしこに登場する。おそらくサム・エリオットはそういう部分に敏感に反応したのだろうと思われるが、実際に「そういう話」を「カンピオンらしいあからさまさ」で描いている以上、当然出てくる反応だったのではないか。そして、その執拗なほどの性の匂いへの執着が、映画がテーマやメッセージ性に縛られるのでなく、原作にあった匂いをさらに増幅させた個性を獲得させているのだと思う。
ややこしい書き方になったが、わざわざ数えてみたところ、直接的にせよ隠喩的にせよ、男性器を思わせる描写は27箇所あって(全部が意図的でないにせよ)、これってかなりの数である。その過剰さこそがこの映画の面白さにつながっており、過去にも作られてきた「同性愛的視点から西部劇を描き直す」系の中でも異様な迫力を伴ったのではという気がしている。ヘンな映画なんだけど、目が離せない。
ストーリーは退屈、演技と間の使い方が絶妙
ストーリーは退屈、演技と間の使い方が絶妙
何が言いたい分からない作品だった。序盤から中盤までは起伏が少なく退屈で、誰にも感情移入できない。文章でいったら結論のない文章を延々と読ませてる感じ。つまらなかったので途中で観るのやめようと思った。最後まで鑑賞できたのは、俳優の演技と間の使いた方がウマかったのと、意味深なカットの連続で先が気になったからだ。台詞が少ないので、俳優の表情や仕草で登場人物が何を考えているのか、推測する楽しみ方もできる。
特に印象的だったのは、ピアノを練習するローズに、フィルがギターで演奏してマウントするシーン。台詞は一言もなかったのに、フィルのローズに対する嫌悪感がメラメラと伝わる。もし私がローズの立場だったら、怒りが頂点に達するのと同時に、心が折れて立ち直れなくなるだろう。
恐怖がボディーブローのように効いてくる
衝撃的な最後のシーンはもはやホラー。ピーターがフィルを殺すなど予想できなかった。思い返してみると、縄や動物の病気のシーンなど伏線はあった。まさかそれらが最後のカットにつながってるとは思わなかったな。鑑賞後にフィルとピーターが会話してるシーンなどを思い出すと、恐怖がじわじわ襲ってくる。
最近は動きが激しくて、音楽が多用されるような映画ばかりを観ていた。本作は台詞やBGMは少なくとも、充分鑑賞できるということを教えてくれた。面白い作品では無かったが、嫌いではない作品。
一番恐ろしいのは…
最恐のマザコン息子爆誕!フィルはひねくれてはいるけど物語が進むにつれてただの悪いやつというわけではないことがわかるよね。
あの息子を最初おちょくったりしているのも、自分がホモなのを隠すためやよね。そして兄の妻に対してわざと反抗的な態度を取るのも兄への愛と嫉妬なんやろうなと。息子に関してはウサギの解剖から片鱗は感じてたけど、馬を乗りこなしてわざわざ炭疽症の牛の皮を剥ぐところとか、粘着質やなあ…
カンバーバッチは忙しい、色々な映画で引く手数多。
2021.11.25(木)
NETFLIXで12月1日から配信される「パワー・オブ・ザ・ドッグ」の配信前劇場公開。UPLINK吉祥寺で。
ディズニーとかも配信限定ではなくて短期間でも良いから劇場公開もしてくれれば良いのに。
1925年のモンタナで牧場を経営している知識はあるが粗野なカゥボーイのフィル(カンバーバッチ)と温和な弟、そして弟の妻となった女性とその連れ子ピーターのドラマ。色々と深い。見方によって評価が分かれそうな作品だ。下に恐ろしきは医学生の母親への愛か、カンバーバッチへの恨みか。
ピーターはフィルに邪険に扱われ、母親もフィルの弟の妻となったのに辛く当たられ、嫌がらせを受け酒に溺れる。ある事を機にフィルはピーターには優しくするようになるが、ピーターはフィルの性的な秘密を知る。
ピーターは医学生だけに病気に関する知識があり、病死した動物の死体から皮を剥ぐ。そして、その皮でフィルは綱を編み、怪我をした手から入った菌で病死する。
100年前のモンタナだが、現代のロスならコロンボ警部の登場だな。炭疽病は人から人へは伝染らないそうだ。意味が判らない?映画を観て下さい。
母を守るために
リーダーシップはあるが、粗野で横柄な牧場主フィルと、親切だが口下手で鈍感な弟のジョージ。
彼らは牧場を引き継いで25年になるらしく、フィルは今でも牧場を引き継いだ時の恩人である亡きブロンコ・ヘンリーという馬乗りを崇拝していた。
ある日フィルは仲間を連れて一件の食堂を訪れる。そこは未亡人であるローズとその息子ピーターが二人で切り盛りしていた。
女性のように繊細なピーターをフィルは散々馬鹿にする。
その様子を見ていたローズは、ピーターの苦しみを思い一人涙を流す。ローズに気があるジョージは彼女を慰めに訪れ、そして結婚を承諾させてしまう。
ピーターは医学生になるために家を出ていくが、ローズはジョージの元へと嫁いでくる。
しかし彼女を気に入らないフィルは、回りくどいやり方で彼女に嫌がらせを始める。
そしてローズはストレスからアルコール中毒になっていく。
とても骨太なドラマだが、よく登場人物の行動を観察していないと意味が分からないシーンが多くなってくる。
なのでストーリーはそれほど込み入っていないが、難解な作品ともいえる。
説明的な台詞は少なく、常に腹に何か鬱屈したものを抱えているフィルの姿が印象的だった。
物語が進むにつれてフィルの秘密が少しずつ分かってくるが、最後まで明確な言葉で語られることはない。
序盤でも彼がジョージと同じベッドで寝る時の仕草や、ブロンコ・ヘンリーを敬愛する時の表情から、彼がゲイであることは予想できる。
彼が頑なに身体を洗わないのも何か関係があるのかもしれないと思った。
フィルには秘密の水浴びのスポットがあり、そこにはブロンコ・ヘンリーの肉体美が露になった写真が隠されていた。
そしてフィルは秘密の姿をピーターに見られてしまう。
ピーターに秘密を知られた途端に、彼に優しく接しようとするフィルの姿が滑稽だった。
彼はピーターのためにロープをプレゼントしようとし、彼に乗馬のノウハウを教える。そして彼に母親からの束縛から逃れるように諭す。
フィルはピーターのことをずっと弱い存在だと見くびっていたが、実はこの映画で一番怖いのはピーターだ。
彼は冒頭のモノローグで、何としても母を守ると誓う。
とても繊細で芸術的なセンスのあるピーターだが、時に残酷な姿を見せる。
彼は母を慰めるために野うさぎを捕まえてくるが、それを医者になるための参考にと解剖してしまう。
そして彼はローズがフィルの嫌がらせのせいでアルコール中毒になってしまったことを心の中で恨めしく思っていた。
ある日、フィルは牧場の柵に干していた家畜の生皮が全て失くなっていることに気がつく。
実はローズがフィルへの仕返しのために生皮を全部先住民に譲ってしまったのだ。
フィルはピーターにプレゼントするためのロープに生皮が必要だったのだと嘆く。
ピーターはフィルに近づき、実は生皮を切り取って保管してあることを彼に告げる。
それはピーターが山で病死していた家畜から切り取ったものだった。
フィルはその好意を有り難く受け取るが、それが彼の運命を決定づけてしまった。
彼は手に深い傷を負っており、さらに病死した家畜の生皮に素手で触れたために炭疽病にかかってしまう。
そしてそのまま呆気なく彼は亡くなってしまう。
さて、色々と偶然は重なったものの、ピーターが明らかに殺意を持ってフィルに生皮を渡したことは間違いない。
完成したロープを手袋をつけた状態でベッドの下に隠すピーターの薄気味悪い笑顔が印象的だった。
彼はジョージと仲良く抱き合うローズの姿を見守り笑みを浮かべる。
それはローズの幸せを喜んでいるようにも見えるが、実はジョージをも殺そうと企んでいるのではないかと思わせるぐらい不気味だった。
タイトルにある犬の力が何であるかは、ピーターが最後に唱えた呪文で分かる。
牧場の前に聳える山の形もブロンコ・ヘンリーは吠える犬のようだと話していたらしい。
淡々としているが、見応えのあるドラマで、フィル役のベネディクト・カンバーバッチの圧倒的な存在感が見事だった。
ここまで表情だけで饒舌に語れる俳優は他にいないのではないか。
ラスト1分でガラッとひっくり返るめちゃくちゃ怖い西部劇。
西部劇スタイルの感情の機敏に満ちた人間ドラマかと思いきや、なんとも恐ろしい復讐劇だったという、ラスト1分でガラッと引っくり返る鮮やかさ!めちゃくちゃ怖い映画やんけ(笑)。キャラクター同士の歯車が常に噛み合っていない不穏さが全編にスリルをもたらしていて、更にモンタナの広大な自然の美しさすらも映画の緊張感に寄与させたジェーン・カンピオンの手腕は見事。ワイルドさを押し出しつつ秘めたるトラウマを繊細に滲ませる複雑なキャラクターを演じたカンバーバッチの存在感がこの作品の軸になれば、助演のコディ・スミット=マクフィーの不気味なサイコパス感とジェシー・プレモンスの生真面目さが華を添える。見応えたっぷりの素晴らしい完成度で唸った!。
人間関係に焦点を当てたサスペンス
1920年代のアメリカを舞台に、牧場を経営する兄弟を取り巻く人間関係を描いたストーリー。
まず序盤では兄弟のすれ違い度合いがわかるようになっています。兄のフィルは弟のジョージを言葉に表さないけれど大切に思っているシーンが目立ちますが、ジョージはフィルの粗雑に見える振る舞いを嫌悪しているように見えました。そんなジョージが結婚したのち妻のローズ対して「孤独でないのは良いものだな」と涙ながらに言うシーンでは常に隣にいたフィルとジョージの心は通っていなかったということが彼自身の言葉で明らかになります。それまでの雰囲気で察していたけれど、実際にセリフとして表現されたこのシーンはとても見ごたえがありました。
また物語全体を通してフィルの存在感が凄まじく、序盤は謎めいているフィルの行動は、物語が進むにつれて彼の言葉で合ったり秘密が明らかになることで説得力が生まれます。そしてフィルはローズに対する仕打ちが原因でピーターに殺されてしまいますが、それでも最後までフィルに対する嫌悪感を感じることは無かったです。かといって作中の誰かに肩を持ちたくなるような感情も生まれず、ただフィルを取り巻く人間関係にひたすら注目してしまいました。
物語のラスト、窓からローズとジョージを眺めるピーターの構図も見ごたえがありました。フィルの存在に悩まされてきたローズとジョージが葬式の帰りにキスをするというのは決してフィルの死を悼んでの行いではないだろうし、それを見たピーターの笑顔は母の苦しみを取り除いた達成感によるものなのでしょう。ラストのピーターの表情は強烈な印象残すいい演技だったと思います。
時代は1920年代ですが、同性愛であったり、円満ではない家族関係など現代に生きる人々でも直面する問題がテーマとなっていました。ただ個人的にはテーマについて考えさせられるというより、人間関係を表現したエンタメを楽しめたというのが一番の感想です。
フィル vs ローズとピーター
《母を守る》
映画の冒頭。
ピーターのモノローグではじまる。
「父が死んだとき、
「僕は母の幸せだけを願った」
「僕が母を守らねば、誰が守る?」
考えてみれば最初にこの映画のテーマが述べられているのだ。
ピーターがこの映画の隠れたキーパーソンで、
母親のローズが彼の一番大事な人である。
1925年。モンタナ
牧場を経営している兄弟がいる。
兄のフィル(ベネディクト・カンバーバッチ)と、
弟のジョージ(ジェシー・プレモンス)。
事務的な経営は弟のジョージ。
カウボーイを束ねて牛の放牧責任者が兄のジョージ。
2人は25年かけて牧場をここまで大きくした。
兄弟の絆は強く、同じベッドに寝てる程だったが、
ジョージがホテル兼ダイナーの店主ローズ
(キルスティン・ダンスト)と突然結婚する。
ローズのことを、連れ子のピーターの
《学費と財産目当てメス狐》と
フィルは罵る。
ジョージを奪われて悲しかっただろう。
ジョージは上昇志向が強く結婚披露に両親と知事夫妻を招く。
その席でローズにピアノの腕前を披露させるために
グランドピアノを買うジョージ。
しかしローズのピアノ練習する「ラディキー行進曲」を
妨害するフィル・・・子供じみた男だ。
フィルのバンジョーはローズのたどたどしいピアノより、
よっぽどリズムに乗った「ラディキー行進曲」を爪びく。
夫婦の寝室の隣がジョージの部屋。
フィルの嫌がらせと、ストレスから
ローズは酒に逃避してアルコール依存症になって行く。
一方で、
夏休みに牧場に帰ったピーター(コディ・スミット=マクフィー)
「お嬢ちゃん」
とカウボーイたちに揶揄われるほど線が細い。
痩せて背が高く色白、瞳が大きく目立つ美貌だが、
女の子のようだ。
しかし医学生のピーターは、ウサギを解剖したり不気味。
やがてフィルとピーターは急接近してゆく。
「あの山は何に見える?」
「吠える犬でしょ!はじめからそう見えた」
フィルは驚く。
もしかしたらピーターは俺の同類。
乗馬を教えるようになり徐々に距離は縮まって行く。
ジョージの師匠で「意中の人」ブランコ・ヘンリー。
ジョージにゲイの世界を教えた男でもある。
ブランコ・ヘンリーは16年も前に死んでいるのに、
ビリーの魔法(呪い?)に、かけられているジョージ。
(・・・あの日が懐かしい・・・)
(ジョージは過去に生きる男である)
ピーターの夏休みが終わる頃、事件が起こる。
ジョージが干していたら牛の毛皮を先住民が買いたいと言う。
それまでずっと、ジョージは毛皮を決して売らずに
燃やす主義だった。
先住民を見たローズは、追いかけて行き、
「牧場主の妻だから、貰ってほしい」
と毛皮をくれてやる。
怒るジョージ。
(ピーターに編んでいる縄の仕上げに毛皮が必要なのだと言う)
ピーターは「毛皮なら自分が持っている」とフィルに言う。
病死していた牛から剥いだ毛皮だ。
結果としてフィルは炭疽症らしき症状で突然亡くなる。
この経緯はかなり無理クリで、
ローズの行動(毛皮を先住民にただで渡す行為・・・
に、意図はあったのか?)
とか、
ピーターが病死した牛から毛皮を剥いだ時、
これでフィルに炭疽症に
感染させようと思っていたのか?
とか、
一連の流れがローズとピーターの連携プレイなら、
計画的と言われても仕方がないではないか?
(こんな事で人が死ぬなんて、3流ミステリーのようだ)
しかしフィルの葬式の席で、ジョージの母はローズに
有りったけの指輪を手渡す。
フィルの父親は、クリスマスの招待を嬉しそうに受ける。
そしてフィルのいない庭でジョージとローズは伸び伸びと
幸せそうに抱擁を交わす。
(フィルは、実は、小うるさい変人の余計者だっただろうか?)
伸び伸びした解放感が、牧場に広がるのだった。
(ベネディクト・カンバーバッチの存在と演技力、
(役にのめり込み、役に成り切る力量。
(他の役者では、これだけの没入感は示せないだろう)
本作品はアカデミー賞監督賞を受賞した。
ジェーン・カンピオン監督の「ピアノレッスン」1993年作品。
その完成度、独創性、官能性、映像美、詩情。
どれをとっても、比べ物にならないと思ったのは、
私だけだろうか?
広大な砂の大地〜冷ややかな眼差し
ベネディクト・カンバーバッチ、キルスティン・ダンスト、ジェシー・プレモンス( 実生活でも夫婦だとは驚き!)、コディ・スミット = マクフィー、それぞれの個性が際立つ。
非情さと繊細さ、容赦ないラストに全てを持って行かれた。
自宅での鑑賞
手袋が当たり前の世界に・・・
最近、マスクのみならず使い捨て手袋をしている人が増えてたりしませんか。やっぱり感染対策として必需品。怪我してても平気だ!というマッチョな人ほど感染しやすいもの。などと考えながら、犬があまり登場しなかったり、牛や馬やウサギがメインの動物となっていた映画だったことに気づきました。
異色の西部劇だという触れ込みもありましたが、西部劇は異色の作品ほど面白いものです。最も驚かされたのは、時代が1925年とは言え、主要な男たちはみんな大学に行ってたこと。酒瓶もいっぱい出てきて、そこでバーボンと書かれたラベルを見て真っ先に思い出したのがバカボンのパパ!バカボンのパパだってバカ田大学を卒業しているのだ(都の西北ワセダの隣)。これでいいのだ!
ブロンコ・ヘンリーという名前。ついついブロンコビリーと記憶してしまいがちですが、それは多分ビリー・ザ・キッドとか混同してるからでしょう。マッチョな男でゲイ。そんな伝説のカウボーイに手ほどきを受け尊敬しているフィル(カンパーバッチ)は男性優位社会に育ち、女性嫌いが徹底している。ブロンコ愛用の鞍を今でも丁寧に扱っているシーンもありますが、あの鞍の先っちょもどこかゲイを思わせる形。そんなフィルは弟ジョージが嫁として連れてきたローズを徹底的に貶しているのです。ローズが練習しているラデツキー行進曲をもバンジョーでメロディを被せるシーンはとにかく凄い。俺の方が上手いぜ!へっへっへ~的な。しかも1階と2階という位置からしても上下関係を暗示している演出の巧さ。
女なんて要らん的なフィルはやがてローズの連れ子ピーターに秘密を垣間見られた辺りから、女々しいギョロ目と蔑んだにもかかわらず、彼を立派な跡継ぎにするかのようにカウボーイの仕事を教え込むようになる。意外な展開。アル中になった母ローズをこき下ろされ、出会った時に丁寧に作った造花を燃やされた恨みも再燃し・・・というか、どこからか復讐を企むようになっていたピーター。投げ縄用のロープをプレゼントしてくれるというフィルに仕組んだ罠がとにかく強烈だった。紙巻きタバコのシーンからは想像できない・・・
まぁ、ラストに愕然とさせられるものの、全体的には抑揚も小さく、感情を揺さぶられることもなかった。山の影になった犬の形は面白いし、主要人物の章ごとの心理変化も絶妙。終盤にはピーター目線ともなるし、4者それぞれの感情移入さえも否定してくるような圧倒される映像には恐れ入った。ただ、やっぱり後味がよくないし、この時代向きではなかったかな・・・アカデミー作品賞を獲ってしまったらビックリするかのような。
冒頭のピートの独白⇒ウサギの解剖⇒三島由紀夫の『午後の曳航』、の連想でやはり予想通りの結末でしたね(さすがに解剖はしなかったけど)。
①アカデミー賞作品賞を取ったら劇場公開されるだろうから劇場で観ようと思っていたけれど、取れなかったので急遽NETFLIXの配信で観た次第。②何を勘違いしたのか、カンバーバッチが『There will be the blood』でダニエル・デュ・リュイスが演じたような役をやる映画と思い込んでいたので初めの頃はあれっ?と思いながら観ていたが、ローズがやっていた食堂でフィルがピートの給士ぶりを冷やかしピートが作った造花を燃やし、ローズが花瓶を回収した後に泣き出した辺りからどうも違う方向性を持った映画だなと気付いた次第。③フィルも複雑でかなり屈折した性格だが、ピートも隠された狂気が漂っていて(紙をハサミで細かく切って花弁を作るシーンから何やら変わった男の子という印象)ウサギの解剖シーンで「ああ、これで決まりだね」と思いました。櫛の歯を鳴らす癖といい、ローズは何処かで息子の異常性に気付いていたのかも知れない。だから、フィルとピートとが一緒に過ごす時間が増えることにあんなに怯えていたのだろう。酒浸りになるのも分かろうというもの(フィルに冷たく扱われているだけで浴びるほど酒を呑むようになるか?と思っていたので)。くどいが、食堂で侮辱された恨み→母親を守るという強迫観念→ウサギの解剖→『午後の曳航』→死んだ牛を解剖と来て、途中から“いつどうやってフィルを解剖するんだろう”とそればっかり気になってしまった。④一方、フィルの方も弟がローズと付き合うのを反対したり(“金目当てに決まっている”)、同居するようになったローズを面と向かって侮辱し(“cheap schemer“字幕では「女狐め」)とことん冷たく接して嫌がらせをするのはミステリー?と思っていたら(もしかしらフィルとローズは何かしら関係があったのかしら、と一瞬思ったが)、途中からカウボーイたちの上半身裸のシーンが多くなり鯔のつまり彼らが全裸で川で遊ぶ姿を遠くから眺めているフィルの視線、そのあと自分の股間に当てていた布を嗅いだり?顔に当てたりしたシーンで、「ああ、ゲイでこういうフェチシズムのある人だったんだ」と腑に落ちた次第。女嫌いだったんだ。いつも臭い格好をして社交を嫌い、両親に疎遠で、両親もフィルにはなんとなくぎこちなく接していたのもそういうことだったから。ピートが秘密の隠れ家にあった男性の裸体写真集(ブロンコ・何とかの名前入り)を見つけたが、ブロンコもゲイでフィルとも関係があったのでしょうね。フィルもピートとそんな関係になりたかったのかも知れない。それを知ってか知らずか(知ってたんでしょうね)タバコをフィルと代わる代わる吸うシーンがあるが、直接的な性描写に厳しかった昔のハリウッド映画では男と女が代わり番子にタバコを吸い会うのはキスの暗喩だったことを考え会わせると、意味は明瞭。自分もマチズモの支配する西部の男の中で自分の性嗜好を隠して余計に男らしく振る舞わねばならなかったフィルはピートにも西部の男らしさを教えようとする。⑤しかし、あにはからんやピートは全然違うことを考えていたわけで、死んだ牛の解剖は予行演習だとばかり思っていて(そう言えば、思い返すと皮を剥いでいたところしか映してませんでしたね)、あのトリックに使うためだったとは(アガサ・クリスティの『殺人は容易だ』の中の殺人の一つに同じトリックを使ったものあり)。あちこちに伏線はあったのに見抜けなかったわたしの不肖の致すところ。⑥弟のジョージのこういう不穏で緊迫した人間関係に全く気付かない凡人像が却って印象的。でも兄という人間が解らなくて孤独だったという心情的は結婚直後にローズに告白している。兄弟の父親が懐かしやキース・キャラダイン(♪I'm easy~♪)とは気づきませんでした。⑦会うべきではなかった二人が会ったことで起こってしまった悲劇ですね。“Power of the Dog”ってなんの事?と思っていたら最後に出てきましたね。聖書からの引用で「最愛のものを犬の力(悪)から救う」からとっていたのですね。ピートは正にその通りにして母親を救ったわけだ。⑧のどかで美しい西部の風景の中にこれだけ情報をばら蒔きながら(台詞と映像でと)、ラストに向けて映画を織り上げて行ったカンピオンの演出はやはり称賛されるべきであろう。
4人のそれぞれ
カリスマ的で圧力的な兄のフィルを持つ大人しそうな弟ジョージ。
未亡人ローズも息子ピーター思いの優しい母。
フィルは開拓を教わったブロンコヘリーを崇拝し、弟の妻となったローズへも、まるで仇のようなふるまい。娯楽のバンジョーでさえあんなに意地悪に弾ける。笑
母を圧力から守るため、ピーターが成長してゆくのか、元々の精神の強さなのか。
確かに馬にも乗れなかったピーターが、1人で山を昇り、炭疽菌?で死んでいる動物にも近づいて。
ウサギの解剖をしている時は、大学の夏休みだし研究だろうと思っていたけども、、、次のウサギのシーンでは、顔色ひとつ変えずに。
山々に見える影のことは、最初から気づいていたよーと、さらりと言うピーターに、うっ?と表情が変わるフィル。
葉巻を交換するシーンは、見応えありましたね。
フィルの葬儀を終えて帰ってくる2人に、ホッと微笑む優しい息子ですが、、、
アカデミー助演男優賞が楽しみな役者さんですね。
授賞式はWOWOWかぁ〜、以前のようにNHKBSでも映して欲しいわ、全く。
母ローズ役のキルスティン・ダンストン。決して美人ではないけれど(失礼〜)なんとなく寂寥感の漂う役柄に合ってましたね。「インタビュー・ウィズ・バンパイア」では大人びた子役だったのに。アントワネット役もキュートでした◎
壮大な山々の景色と美しい湖のシーン。大画面で楽しめました。犬の影もね。
そして監督の『ピアノレッスン』ももう一度、観たくなりました◎
重いが面白く見た
事前情報を入れず鑑賞した。
終始薄暗い画面、不穏な空気、淡々と物語が進む。いつも何かが起こりそうで、起こらない。そんな感覚。
最後まで見るとホラー映画だったと気づいた。
構成としていくつかの章に分けさせる必要はあったのか?当方にはちょっと白けさせた。
鑑賞後に監督の詳細を見たが、過去に「ピアノ・レッスン」の作品を手掛けたというところで納得できた。世界観がとてもよく似ていた。
ただ、あの「ピアノ・レッスン」のような衝撃的なシーンはない。
静かに、ジ・エンドを迎える。
面白く見たがオスカー受賞はなるか。
あまりに重く、華々しい受賞作品とはまた違った趣のある作品に仕上がっていると感じた。
蓼食う虫も好き好き
見えるものが同じでも、立場や境遇によって感じ方はそれぞれ。
各物語は章立てになっていて、1つの章が終わる時にキャラクターの裏面が見えてくる。
幸せな結婚の裏側
インテリカーボーイの裏側
大富豪一家の次男の裏側
医学生の裏側
人には言えない、言いたくない側面が暴かれる瞬間に目が離せなくなる。
本作では、カンバーバッチの怪演が光る。
最初は堅物で粘質ネチネチ小姑ポジションブラコン兄かと思いきや、中盤では抑圧された自分の性や人間らしい一面も描れる。
序盤の不協和音と共に嬉々として嫁いびりをするフィルは、小姑の意地悪丸出し、嫉妬丸出しの醜いいやらしさがある。
一人秘密基地で布をすりすりする場面は神々しいくらいに美しい。きっとこっちが本体だと思ったのも束の間、禁制の園を見られて裸で爆走をするフィルのお尻にクスッと笑ってしまう。
そして、後半になるにつれて恐ろしかったフィルに愛着が湧いている。
皮をなめしてロープを編むが、たとえ皮が余っても、原住民には死んでも皮を渡したくないという差別意識が見える。そのへんがリアリティがあって良かった。
精神攻撃を受けて、追い詰められていくローズ。
生活は旦那の財産に依存
精神面はお酒に依存
母性は息子に依存している。
そしてどれも満たされていない。
うまく立ち回れていない、ギクシャクした居心地の悪い椅子に座っているような気持ち悪さがある。
息子のピーター役のコディ・スミットも物言わぬ狂気が漂っていて存在感がある。
受け入れられたと思うか
懐に入り込んで喉を掻き切ってやると思うか
同じ場所で同じ時間を共有していても、感じ方は違う。
人は自分の想像力の外側のことには意外と鈍感で、他人の気持ちなんて分かりっこない。
分かり合えたと思ったら要求が増えたり、傲慢さが出てきたりと厄介な代物が人間の感性というものなのだろう。
フィルがやピーターが見たという吠える犬がどうしても見つけられなかった。
犬が吠えるには二つの意味があるらしい
威嚇と要求だ
おそらく、フィルの見た「吠える犬」は要求だ
自分の抑圧されて生きている状況に対して吠えている。
自分ではどうしようもないセクシャリティの壁に向かって吠えている。
そして、ピーターの「吠える犬」は威嚇だ
余所者に向かって吠える犬とはフィルのことで、自分や母親は邪魔者扱いされていることが分かる。
相手が同じように物事を解釈している
と思い込んではいけない。
他者への期待を抱かずして、何が救いとなり得るのか?
スルメ映画なので、Netflixなど配信で堪能ください
Netflixにて鑑賞。 映画の奥深さというか、、、 ぶっちゃけ私...
Netflixにて鑑賞。
映画の奥深さというか、、、
ぶっちゃけ私には解らない!
なんだこのストーリー!ってのが本音。
作品賞にノミネートされてたから観たんだけど、
やっぱり作品賞って感じ(作品賞はシンプルでは済まない作品が多いイメージ)がした。
後半に行くにつれてどんどん奇妙なBGMになっていき
気味が悪くなる
フィルが男性を好きで、弟の妻の連れ子ピーターに惹かれているのは容易に分かる。
だがピーターはそれを分かりつつ。。
最終的にはワザとフィルの手の傷口から死に至らしめるような感染させたのだろう。
母親を守りたかったのか、
仕返し?
フィルを毛嫌いしていたようには見えなかったのに。
それも演技?だったのか。
何故!?意図が読めなさすぎる!
一般ピーポーには難しかったです
ごめんなさい
好きな作品とは言えません
点数低くて申し訳ありません。
私の個人的な点数なのでご了承下さい。
人の心の闇に思いを巡らすことも映画の醍醐味。
モンタナの荒涼とした大自然の中で、心に闇を抱えたマッチョ風の男とその周囲の人々(弟、その妻、その連れ子)との人間模様。それぞれの心の内について思いを巡らす映画。
実はインテリ、実は繊細、実は赦されない(とりわけ本人自身が)セクシャリティのフィルが弟の妻の連れ子であるピーターの中に忌まわしい自分、でも愛おしい自分、さらに最愛の人ブロンコまで見つけたんだろうな。ピーターはそんな歪んだ男から母と自分を守った、と僕は解釈したんだけど、どうなんでしょうか。
僕は好きです。こういう映画。
2021年年間ベスト
面白い。年間ベスト級の一本である。
メインの4人は皆良かったが、特にキルステン・ダンストが凄い。食堂の女将から大牧場の妻になった戸惑い、そしてお酒に溺れていく様がリアルに演じられている。ピアノを披露するシーンのジリジリした感じとか、いたたまれなくなる。
ピアノと言えばジェーン・カンピオンはピアノと奴隷契約でもしているのか?ある種の内輪ウケなのか?ピアノが出て来た時は笑っちゃった。
マチズモに支配され、男らしくガサツに振る舞おうとするが、実際にはインテリでクィアな存在で有る自分の所在に違和感を感じている(だろう)フィルが、ある種のシンパシーを感じている(自分と同じようにインテリで女性的な繊細さを持つ)弟の再婚相手の息子と少しずつ交流を深めていく様が抒情的に描かれていた…だけに最後のオチは違和感有ったんだけど…息子にとっては復讐の相手でしかなかったのだろうか?
あとトーマシン・マッケンジーの無駄遣い感ね!
マザー
あらゆるものに障害物はない
男らしさとは。
「女っぽい」男を揶揄って馬鹿にして、それで得られるものではない。
フィル(カンバーバッチ)は、弟の結婚相手の連れ子・ガリガリのピーター(コディくん)を女々しいと虐める。女である彼の母ローズ(ダンスト)にも同様に。
奥底にあったのは、抑圧された感情。「らしさ」で隠す本性。
フィルはゲイだった。憧れの恩人と語るブランコ・ヘンリーの裸写真と彼を感じられる水辺の「聖地」でのみ、ひっそりと感情を解放していた。
ピーターが「聖地」に踏み入れ、怒りを爆発させることでフィルのタガが外れたのか。これを境に二人の関係は変わっていく。
The Power of the Dog
「私の魂を剣から、私の最愛の人を犬の力から救い出してください」
旧約聖書の詩篇からとられているらしく、「犬」は「邪悪」を意味するらしい(犬好きの私はなんというか複雑な気持ちではあるがまあそれとこれとは関係ない)。
ピーターの決断、動機が垣間見られる最後。医学のために、楽にしてやるために、ウサギを淡々と締め殺す行為と自殺した父が語っていた「(ピーターは)冷たく、強すぎる」という言葉と繋がってくる。
すべては母のための復讐計画。
ジョン・ウェインタイプの西部劇も好きだが、こういうタイプも好き。
キルステン・ダンストはアルコール中毒がよく似合う。
ピーター役のガリガリの子はサイコパス感がぴったり。
カンバーバッチはシャーロックやストレンジのようなキャラクターもできるし、こういうのもできるから素晴らしい。
全39件中、1~20件目を表示