パワー・オブ・ザ・ドッグのレビュー・感想・評価
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去勢
ガニ股気味にゆったりと歩く様が決まっているベネディクト。彼の存在感が画面を支配している。男々しさを背負わされ、秩序を保守せんとする者の悲哀に満ち満ちている。テーブルの前で造花が一目で入り、バンジョーを愛する繊細な男。理解されたくも周りからは理解されず、その期待を弟には躱されて、不安な表情を浮かべる。ロープに想いを託し、虚ろにふらつく。
女はアル中と思いを寄せる余地もなく、むしろ男の言い分の方が道に行っているようにも思われる。しかし、それでも抜き取られる。ピーターの動機が語られぬところではあるが、幾つかの解釈の幅を持たせている。
フライドチキンを作るのに鳥をつぶす。牛の皮を剥ぎ乾かす。山肌、馬肌、人肌と生々しさと血生臭さが共存する世界にあって、このドラマの生命感も際立つ。
急な変化球
カンバーバッチ演じる頑固一徹の牧場経営者のフィルが、弟の結婚を訝しみ、弟の婚約者とその息子に執拗な嫌がらせをする。
なんでそんなに意地悪なんだいと思ってしまうほど、フィルは最悪で観ていて嫌になった。きっと変わるチャンスがあるんだよなと思い観ていたら、ちょっと心情変化が急に感じて?が湧いてしまった。
だんだん良くなっているように見えたらまさかの事態に…あまりの変化球に気持ちがついていけなかった。
配信だと集中出来なかった。
残念です。
カンパーチとダンストの演技は、Netflixでは
集中出来なかった。難しく難題だな。
1920年代のモンティアが舞台。カンパーチは、
大卒だけどなんか冷たい。キルティンダンストは、
やや年老いた雰囲気をだしていたね。
息子役の方も弱々しさがでてました。
やはり、劇場で観るべしだね。
えっ、これって復讐物語なの!?
冒頭のナレーションで、母親を守るのが僕の務めとナレーションが入る。財産目当てで弟の嫁となった母をなじるフィル(カンバーバッチ)は、正鵠を得ているんじゃないか思えてきた。実の父が縊死だと告白してから、母親は魔性の女で、男を駄目にする女に見えてきた。お前の障害物は母親だと喝破したフィルに復讐するなんて、母親からの自立物語なのかと思ったら、外れました。フィルの親や弟の関係が今ひとつ不明で、原作を読まないとわかりません。
Netflixだから、家でもう一度見よう!
大事な所で寝てしまった。寝たけど、退屈な映画ではなかった。多くを語るとネタバレになるので、話せないが、これが西部劇なんだよね。荒野の用心棒とは違うなって思う。どちらが良いと言うわけではないけど。
犬の力が終わる時
また新しい犬の力が支配する。
人は誰しも隠し事があり、闇がある。緊張の最も高まっているときに、この犬の力を解き放つと悲劇は起きる。
物語は静かな不協和音を奏でつつ進み。不穏な空気を維持し続けるこの重々しい映画は、それらに耐えに耐えて登場人物の隠し事を見つめ、紐解いて見るしかない。
肯定も否定もない。善も悪もない。見えない呪縛がそこにはあるだけ。
ベネディクト・カンバーバッチだから観たんだけど、あまり楽しい映画ではなく、やはりアメリカのこれらの嗜好に対する考え方は難しく。これだけ苦悩する倫理観は誰のためなんだろう。
なぜこれを旧約聖書の犬の力に喩えるのかも、日本人には難しい。。これ日本で言ったら何だろう。。。
強烈な臭いを放つ心理サスペンス
《障害物》= 男を強くするのは苦悩と忍耐 ---【男"らしさ"】(社会における固定観念)に囚われてベネディクト・カンバーバッチ × ジェーン・カンピオンが凄い!
最後ゾッとした…けど何より怖かったのはまだ始まって1時間くらいしか経っていないと思っていたらもう2時間経っていたこと!正直(一見シンプルながら)難しかった!まだうまく言い表せられないけど凄かった。拒むことなど到底できない力強さで迫ってくる。
時に背筋の凍るような、ただならぬ雰囲気が作品全体を包み込む。胃のキリキリするような、けど目の離せない不穏な空気を演出する。その荘厳さに畏怖の念すら覚えてしまいそう。その中心にいるのは頭が良くて、臭くて、異様な威厳に満ちては、周囲に一目置かれ恐れられる牧場主ベネディクト・カンバーバッチ。出てくると緊張感が走り、作品全体から始終''ただ者じゃない"感えぐい(ex.『ジェシー・ジェームズの暗殺』ブラピ)。と、今回こそベネディクト・カンバーバッチがオスカーに輝く(かもしれない)!英国が誇る演技派 & 人間としても尊敬できる彼だけど、本作でも徹底した役作りをし、キャリアトップレベルの演技を見せている。例えば…
・キルスティン・ダンストとは話し合い、撮影現場で互いに話さないようにしていた。
・バンジョーの練習にも力を注ぎ、作中では(予期せぬタイミングで?)見事な演奏を披露している。
・フィルのように常に体から悪臭を放つため風呂に入らなかった。
・フィルのようにフィルター無しの手巻き煙草をとにかく吸い続け、ニコチン中毒に撮影中3回もなっていた。
「母さんは僕が守る」抑圧。そんな強烈フィルの弟とフィルの嫌がらせに遭う未亡人には、『ファーゴ』シーズン2以来の共演となるジェシー・プレモンスとキルスティン・ダンスト演技派夫婦(実生活でもパートナー)。彼女はフィルの執拗な嫌がらせによりアルコール依存症になっていき…。それを見守る少年の眼差し。タイトルが指す"犬の力"とは何なのだろうか?それは野性的な何か。フィルもローズも"こうあるべきだ"という"らしさ"に囚われている。ジェーン・カンピオン監督が得意の、きれいな風景と(弱く脆く)醜い人間の内側を克明に映し出していく。プロットあらすじなど一見説明することの多くないシンプルさの中に、章立てられた本作のように、幾重にもなり複雑に絡み合った人間模様が混在している。ジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)による音楽スコアは今回もまた素晴らしかった。戦慄。
P.S. ずっと楽しみにしていた本作だったけど、これは確かに映画館でも見たいと普段以上に感じた
いいことだな、ひとりじゃないって
いい旅でした
炭疽症
ロープ
吠えてる犬 You just saw that?!
皮 I needed them. They were mine!
剣と犬の力から私を解き放て
評論家向けのつまらない映画
まあ、この映画を今の時点で映画館で観ようなんてのは、そこそこマニアが多いだろうから平均採点高めですど、普通の人に勧めたらぶっ飛ばされることは保証します。マニアに、観た?どうだった?って聞いてみる程度です。
アメリカ映画というよヨーロッパ映画の雰囲気です。ジトーとした盛り上がない話が、ドラマもサスペンスもなくダラダラ続きます。
最後の30分で話が展開しますが、なんでそうなるのか、何を言いたいのかサッパリわからず、評論家はわかるみたいだけど、「はぁー?」ってカンジですね。
まあ、なんとなく独特の味わいはあるので、好きな人は好きなんでしょうけど、こういう面倒くさいの私には無理です。
空虚で微妙な作品
今や売れまくってるベネディクト・カンバーバッチが主演の西部劇という事で期待して見てきました。
最初から最後まで意味深でシリアスな雰囲気が続く微妙な作品でした。音楽も緊迫感はあり、必ずこの後何か起こるという期待をしてましたが見終わってみると空虚感しか残らない残念な作品。
ダメ嫁に大切な弟をとられて苦悩する兄の話がメインで兄弟愛や同性愛もほのめかしてはいますが・・・。
やっとラストに盛り上がってきたと思ってたら親子のあまりに非道な展開について行けず。
Netflixで自宅で見てたら絶対早送りしてしまうお勧めしにくい作品でした。
心を締めつけられる映画だった
本作品でベネディクト・カンバーバッチが演じたフィル・バーバンクは「本物の男」という言葉を使った。しかし多分「本物の男」は「本物の男」という言葉は使わないと思う。「本物の男」には「本物の男」という概念がないからだ。
主人公フィルはエール大学を卒業した秀才だが、牧場経営者として汗臭いカウボーイの仕事を率先して行なっている。弟のジョージは管理が仕事で、兄弟でそこそこ上手くやっている。
フィルは秀才であるが故に、強さや勇敢さに憧れている。しかし彼にできるのは勇敢なフリだけだ。本当は臆病で繊細な人間である。粗野な振舞いや乱暴な言葉遣いは、弱さを見せないための精一杯の自己演出なのだ。
彼が出逢った「本物の男」ヘンリーは、彼の最初で最後の男だった。フィルはそれ以来、ヘンリーの面影が頭から離れない。それはある意味「乙女心」かもしれない。フィルは自分の中の「乙女心」を隠し、無慈悲で冷酷な人間を演じる。知性的な人間が反知性的な人間のフリをすることは可能である。逆は不可能だ。フィルは自分の中の二面性に引き裂かれそうになりながら、あくまでも豪胆さを演じ続ける。この複雑な役柄をカンバーバッチはいとも容易く演じてみせた。凄い演技力だと思う。
不幸のはじまりは弟のジョージが未亡人ローズと結婚したことである。ローズはアル中だが性根は腐っていない。気のいいジョージはローズを救い出したかったのだ。そして第二の主人公とも言うべきローズの息子ピーター。医学生でひょろっとしたピーターは、外見からはいかにも弱そうに見えるが、夏休みにフィルの牧場に来たとき、その本当の姿を見せる。
タイトルの「パワー・オブ・ザ・ドッグ」は解釈がいろいろあるだろうが、フィルとピーターの会話の中で言われるのは、岩山が犬に見えるという話だ。フィルにとっては岩山が犬に見えるのが「本物の男」だ。フィルは犬に見えるまでに長い時間を要したが、ピーターは初見で見えてしまう。フィルが驚いたのはこれだけではない。ピーターの生命に対する無慈悲にも驚く。もしかしたらピーターこそ「本物の男」なのか。
一方のピーターは母ローズに向かって「ボクがママを守る」と約束する。フィルはローズを依存症呼ばわりし、人格を否定する。フィルはママの敵だ。ピーターは馬に乗れるようになると単身で岩山に入り、死んだ野牛の皮膚を採取する。野牛の死因は炭疽菌だ。医学生のピーターにはすぐに解る。
ピーターはフィルと違って能書きを言わない。話すのは事実だけだ。フィルを真っ直ぐに見つめる眼の力強さは、平凡な男のそれではない。いつの間にかピーターはフィルに対して心理的に優位に立っている。フィルは微かな怯えを覚えるとともに、心の奥底にしまってあった「乙女心」がうごめくのを感じる。
本作品は広大な大牧場と牧場主の大邸宅を舞台にしているが、どちらかと言えば自然と人間の関わりよりも、人間同士の関わりあいを表現する心理劇だ。主人公フィルの心の揺れを全身で表現したカンバーバッチはやはり大したものである。観ているこちらの心も揺れっぱなしで、あっという間に終わってしまった。「本物の男」に憧れたフィルと、そんな概念を持ったこともないピーター。心を締めつけられる映画だった。
これは切ない悲劇だった
お久しぶり過ぎるジェーン・カンピオン監督。
そしてこれは今年の外国映画のベストの一本となる傑作。
1920年代のモンタナ、クソ田舎とか僻地とかいった言葉では足りない辺境の地だった。彼の地で牧場を営む兄フィルと弟ジョージ、そして弟の妻となる未亡人ローズとその息子ピーターの物語。
牧場主として、男としてプライドの高いフィルの抱える秘密。当時としては決して口にすることができない禁断の秘密。
ローズは心を許さないフィルを恐れた。
耐えられずアルコールに溺れた。
ピーターには母親がすべてだった。
フィルとピーターの対峙。
ホント緊張した。
父性に目覚めたのか優しくなっていくフィルの幸せを手を合わせて祈ったのだが。
動き出した悲劇を止めることはできなかった。
ピーターの覚悟
人生や人間関係といったものの難解さを切り取って観せられたような作品でした。
フィルとジョージの関係性、フィルのブロンコ•ヘンリーに対する敬愛、ローズ、フィル、ジョージそれぞれの対立、そしてピーターが3人に対して抱く感情。どれも簡単に説明できるものではありませんでした。橋田壽賀子の「渡る世間は鬼ばかり」を思わせるような。
そして、全ては冒頭のピーターの覚悟に集約されました。ただそれもスカッとするものではありませんでした。
でも、28年前に観た「ピアノ•レッスン」で受けた衝撃からの期待には応えてもらえました。
いずれも理屈では説明できない人間の感情がつくるドラマ。それが人生そのものなのか、なんて考えさせてもらいました。
ちなみに、本作のキーとなる、人と動物の共通感染症「炭疽」が傷口から感染する病気だっていう情報をもっていたりすると、より楽しめるでしょうか。
余韻が素晴らしい
大牧場主のフィルと弟ジョージの兄弟は地元の未亡人ローズとその息子ピーターと出会い、フィルは女々しいピーターをからかった。しかし、ジョージはローズに惚れ彼女と結婚し家に迎え入れた。よく思わないフィルは、2人に対して嫌がらせをした。しかし、残忍だったフィルが夏休みで大学から帰って来たピーターに乗馬を教え、丘に連れて行き、ロープを作ってやり、と可愛がるようになっていった。めでたしめでたし・・・ではなく・・・え、って話。
牧場、丘、川、森、空、自然の美しさを満喫できる。
馬の皮膚をここまで拡大してみたのは初めてかも。良かった。
ピーターの怖さを知ることになるストーリーも驚きとともに凄いと思った。
フィル役のカンバーバッチが心の変化を上手く演じてた。肉体美も含めて素晴らしかった。
余韻がすごくて、ピーターはもしかしたら父親も・・・なんて想像してしまった。
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