「フィル vs ローズとピーター」パワー・オブ・ザ・ドッグ 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
フィル vs ローズとピーター
《母を守る》
映画の冒頭。
ピーターのモノローグではじまる。
「父が死んだとき、
「僕は母の幸せだけを願った」
「僕が母を守らねば、誰が守る?」
考えてみれば最初にこの映画のテーマが述べられているのだ。
ピーターがこの映画の隠れたキーパーソンで、
母親のローズが彼の一番大事な人である。
1925年。モンタナ
牧場を経営している兄弟がいる。
兄のフィル(ベネディクト・カンバーバッチ)と、
弟のジョージ(ジェシー・プレモンス)。
事務的な経営は弟のジョージ。
カウボーイを束ねて牛の放牧責任者が兄のジョージ。
2人は25年かけて牧場をここまで大きくした。
兄弟の絆は強く、同じベッドに寝てる程だったが、
ジョージがホテル兼ダイナーの店主ローズ
(キルスティン・ダンスト)と突然結婚する。
ローズのことを、連れ子のピーターの
《学費と財産目当てメス狐》と
フィルは罵る。
ジョージを奪われて悲しかっただろう。
ジョージは上昇志向が強く結婚披露に両親と知事夫妻を招く。
その席でローズにピアノの腕前を披露させるために
グランドピアノを買うジョージ。
しかしローズのピアノ練習する「ラディキー行進曲」を
妨害するフィル・・・子供じみた男だ。
フィルのバンジョーはローズのたどたどしいピアノより、
よっぽどリズムに乗った「ラディキー行進曲」を爪びく。
夫婦の寝室の隣がジョージの部屋。
フィルの嫌がらせと、ストレスから
ローズは酒に逃避してアルコール依存症になって行く。
一方で、
夏休みに牧場に帰ったピーター(コディ・スミット=マクフィー)
「お嬢ちゃん」
とカウボーイたちに揶揄われるほど線が細い。
痩せて背が高く色白、瞳が大きく目立つ美貌だが、
女の子のようだ。
しかし医学生のピーターは、ウサギを解剖したり不気味。
やがてフィルとピーターは急接近してゆく。
「あの山は何に見える?」
「吠える犬でしょ!はじめからそう見えた」
フィルは驚く。
もしかしたらピーターは俺の同類。
乗馬を教えるようになり徐々に距離は縮まって行く。
ジョージの師匠で「意中の人」ブランコ・ヘンリー。
ジョージにゲイの世界を教えた男でもある。
ブランコ・ヘンリーは16年も前に死んでいるのに、
ビリーの魔法(呪い?)に、かけられているジョージ。
(・・・あの日が懐かしい・・・)
(ジョージは過去に生きる男である)
ピーターの夏休みが終わる頃、事件が起こる。
ジョージが干していたら牛の毛皮を先住民が買いたいと言う。
それまでずっと、ジョージは毛皮を決して売らずに
燃やす主義だった。
先住民を見たローズは、追いかけて行き、
「牧場主の妻だから、貰ってほしい」
と毛皮をくれてやる。
怒るジョージ。
(ピーターに編んでいる縄の仕上げに毛皮が必要なのだと言う)
ピーターは「毛皮なら自分が持っている」とフィルに言う。
病死していた牛から剥いだ毛皮だ。
結果としてフィルは炭疽症らしき症状で突然亡くなる。
この経緯はかなり無理クリで、
ローズの行動(毛皮を先住民にただで渡す行為・・・
に、意図はあったのか?)
とか、
ピーターが病死した牛から毛皮を剥いだ時、
これでフィルに炭疽症に
感染させようと思っていたのか?
とか、
一連の流れがローズとピーターの連携プレイなら、
計画的と言われても仕方がないではないか?
(こんな事で人が死ぬなんて、3流ミステリーのようだ)
しかしフィルの葬式の席で、ジョージの母はローズに
有りったけの指輪を手渡す。
フィルの父親は、クリスマスの招待を嬉しそうに受ける。
そしてフィルのいない庭でジョージとローズは伸び伸びと
幸せそうに抱擁を交わす。
(フィルは、実は、小うるさい変人の余計者だっただろうか?)
伸び伸びした解放感が、牧場に広がるのだった。
(ベネディクト・カンバーバッチの存在と演技力、
(役にのめり込み、役に成り切る力量。
(他の役者では、これだけの没入感は示せないだろう)
本作品はアカデミー賞監督賞を受賞した。
ジェーン・カンピオン監督の「ピアノレッスン」1993年作品。
その完成度、独創性、官能性、映像美、詩情。
どれをとっても、比べ物にならないと思ったのは、
私だけだろうか?
> 最初にこの映画のテーマが述べられているのだ。
ああ、たしかに。言われて気づいたレベルですが、本当にそうですね。
フィルが炭疽菌で死んだ経緯は、ピーターが山で死んで腐敗していた牛から取得しておいた炭疽菌を、フィルが縄を担う水に加えておいたから、ということなのかな、と思っていました。医学生だし。