「サイキック+成長譚の定型を外す多様性時代のニューウェイヴ」モナ・リザ アンド ザ ブラッドムーン 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
サイキック+成長譚の定型を外す多様性時代のニューウェイヴ
英国でイラン系の両親のもとに生まれ、幼い頃に家族共々米国に移り住んだというアナ・リリー・アミールポアー監督(Amirpourの発音は英語のインタビューを聞くと「アミアポー」に近い)。2014年に長編デビューし、本作は3作目。2010年代半ば頃から白人男性偏重のハリウッドに対する批判が強まり、キャスト・スタッフ共に非白人と女性の地位が向上し賞や映画祭での評価も高まってきたが、そうした近年の米映画界における多様性尊重の波にうまく乗った一人だろう。
監督がタイトルロールのモナ・リザに起用したのも、韓国人女優のチョン・ジョンソ。村上春樹の短編小説「納屋を焼く」を韓国で映画化した「バーニング 劇場版」を観て惚れ込み、オファーに至ったという。12年間精神病院に隔離されていたせいでコミュニケーションをうまく取れない疎外感と、目を合わせた相手を操るサイキックパワーを発現させた“異質な存在”の設定に、アジア人の外見がプラスに働いている。
若い主人公が特殊な力を身につけたら、人間的な成長とともにパワーもより強力になり、立ちはだかる巨悪を終盤で倒すといった流れが定石。だが本作のモナ・リザは、場末の店で踊るシングルマザーのボニー(ケイト・ハドソン)に庇護されて彼女の幼い息子チャーリーと暮らすことでコミュニケーション能力は多少向上するものの、パワーの使い道はと言えば、病院から逃走する際に職員や警官を自傷させたり、ボニーの金稼ぎ(しかもゆすりたかりや強盗と同等のせこい犯罪)に加担したりするのが大半(例外的にチャーリーをいじめた子らに報復する胸のすく場面もあるが)。パワーを強化する努力があるわけでもなく、異能を備えたことについての葛藤もない。強大な敵も現れないし、ラスト近くのピンチも他者に救われる。敢えて定型を外し、未完の印象を残すことで、続編製作の含みを持たせたのかもしれない。