「1人の人間として生きること、とは」ある男 TAKA44063484さんの映画レビュー(感想・評価)
1人の人間として生きること、とは
映画の冒頭、ルネ・マグリットの男の後ろ姿の向こうに同じ男の後ろ姿が鏡に写したように、だが並列して描かれている不思議な作品がクローズアップされる。
愛する子供の死の果てに離婚し、遺された幼な子と共に故郷の文具店を継いだ里枝。
その後に出会った孤独な男と再婚し、1児に恵まれたものの、幸せな家庭に突然の夫の死が訪れる。
その後、愛されつつ逝ったその男はその名を語る別人だったことが判明し、悲しみの中、里枝の家庭に訪れた混乱を描く。
別人を装わざるを得なかった、悲しい人生を決定づけられた男の生涯は一体何だったのか。
人が別の人になることができてしまうという特殊な人生をあえて選び、そうすることによって、本人にしか理解できない、1人の人間として生きることに新たな希望を持つことができるという複雑な心理がそこにある。
弁護士の城戸役の妻夫木聡は、役者としての光が人一倍で、存在するだけで見入ってしまう。
大祐役の窪田正孝、ボクシングジム会長役のでんでんとの師弟としての絡み、ファイティングシーンの演技は迫力ある場面を作っている。
反面、里枝役の安藤サクラは、原作とはイメージが異なったばかりか、「万引き家族」の時と同様、表情が乏しく粗雑さが垣間見えるのに、評価が得られている不思議な役者で、私はあまり評価しない。
大阪刑務所の囚人・小見浦役の柄本明は、怪演といえるが、なぜか無茶苦茶な関西弁で違和感が強い。
城戸の妻・香織役の真木よう子は原作のイメージを踏襲し、美涼役の清野菜名は、原作に負けている感あり。
本作は原作者・平野啓一郎の描くそれぞれの濃いキャラクター設定が映画でどのように描かれるか、が興味の対象にもなるが、幾分違うタッチで描かれるも、軸となる心理面や、簡単に他人を装ってしまう怖さのようなものが見事に描かれている。