笑いのカイブツのレビュー・感想・評価
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泥臭くカッコ悪く最後まで往け!!
岡山天音さん、仲野太賀くん、菅田将暉くんと大好きな俳優さんが揃って3人もご出演とあって、昨年末から公開をとても楽しみにしていた作品です。
ハガキ職人のツチヤタカユキさんの実話くらいの浅い知識で鑑賞しましたが、十分に見応えがあり、今年の映画第1作目として大変楽しめました。天音さんは、人間関係不得意で笑いに取り憑かれた鬱屈不安定な主人公を見事な憑依的演技で快演。まさにカイブツ…。待ちに待っていたピンク髪の菅田くんは、中盤に登場し出番こそ少なかったですが、大事な役どころで存在感がもはや眼福。主演でもなくこういう役どころの菅田くんは、大変力が抜けていて観ていて気持ちいい。そして仲野太賀さん、どんどんいい役者さんになられてお父様もきっと喜んでいることでしょう。
私の目的としては、大好きなこのお三方の演技を堪能したという時点で既に合格点なのですが、ストーリー的に見るとなかなか重たいお話ではありました。実話ということもあり、サクセスストーリーなのかと思いきや、最後まで鬱屈としていて希望はない。映画用に体裁よく整えられたラストのある物語とは違い、私たちは現実を思い知らされる。
成功とは、運を掴んだ者だけに与えられるものなんだと。チャンスは等しく誰にでも与えられる。人生の大事な局面では、助けてくれる人も現れる。大切なのはそれに気づくこと。そして掴もうと必死にもがくこと。そして最後まで決して諦めないこと。
鑑賞後、原作本やツチヤタカユキさん、モデルとなった芸人さんについて調べました。その上で思うのは、主人公の才能を信じて応援してくれる人がいることを忘れずに、最後まで泥臭くカッコ悪く闘い続けてほしいということ。本作が映画公開となったことは、不器用にこの世の中を生きている人たちの光となるのかもしれません。主人公の今後の生き様こそが、本当のこの映画のラストになるのだと応援して見守っています。
“カイブツ役者”岡山天音さんの狂気が主演作で開花
まさに“カイブツ”。「伝説のハガキ職人」と呼ばれた実在するツチヤタカユキ氏を演じられるのは、役者・岡山天音さんしかいなかったではないでしょうか。単なる奇人か、稀代の天才か―。笑いに取り憑かれた男ツチヤを、岡山さんがその役に憑かれたように演じ、痛いほどに純粋で激しい生き様と魂の叫びが観る者の心に突き刺さってきます。
本作の岡山さんの演技は、これまで主に主演作で演じてきた役のひとつの到達点であり、そしてその殻を突き破って“カイブツ役者”の狂気が主演作で開花したと言える演技をスクリーンに叩きつけています。役を突き詰め、役に追い込まれて演じたことが伺えます。
自分に嘘をつけず、“やるだけやって、燃え尽きたらそれまでじゃ”という生き様は、何者かになりたかったすべての人の心を震わすに違いありません。
ツチヤも辛いだろうが、見るコチラもメチャ辛い‼️
正直言って面白かったのは、
ラストのベーコンズの漫才シーンの7分だけ。
ここは笑った、面白かった。
でも構成のところには、氏家と下にツチヤタカユキの名前。
氏家は先輩作家さんだよね。
ちょっと複雑な気持ちになる。
ツチヤの七転八倒をひたすら見せられる映画。
やや拷問に近く、「笑い」からは程遠い内容でした。
辛かったです。
笑いの台本、大喜利ネタを一日24時間中、48時間苦悩して
考えている若者=ツチヤタカユキ。
15歳から5年もラジオの大喜利コーナーに大量にハガキを
出し続けて、ついた名前が
《伝説のハガキ職人〉
とにかく笑い以外に脇目をふらない。
他には何もしない・・・こんなんで良いわけがない。
病んでるようで不気味だ。
ツチヤ役の岡山天音は命懸けの熱演でした。
カイブツの片鱗はみえたかも。
投稿ハガキを
選考するベーコンズの西寺(仲野太賀)が、ひたすら暖かい人で、
仲野太賀が存在しなければ、長時間の鑑賞はキツかったですね。
幼なじみのピンク(菅田将暉)も出ていたけれど特に印象には
残らない。
松本穂香も特に恋人ってわけではない。
ショッピングモールのフードコートの売り子さん。
お笑い作家は、こんな狂気をもつほど自分を追い込むとしたら、
大変な仕事ですね。
吉本芸人の世界を少しだけ覗ける映画でした。
好きなことのために生きる人の、生きづらさと熱
社会というものは常に人間関係が付きまとっていて、自分の世界でしか生きられない人にとって、それはときにとても苦しいことです。
ツチヤはまさにそんな人間で、自分の世界にこもり、ひたすらネタを書き続けます。けれど、どれだけ自分の世界を守ろうとしても、人は結局、他者との関わりの中でしか生きられません。そのことに彼が気づくのは、物語の最後でした。
自分の書いたネタがウケなくても、クレジットに自分の名前が載ることに何を思うのか。
その表情には、諦めと、なお消えない情熱が混ざっているようで、とても印象的でした。
すべてを失っても、一度死んでもなお、「自分にはこれしかないからまたやる」。その覚悟が胸に刺さります。
ラストで壁を蹴り破ったツチヤが覗き込んだ先にあったのは、洗濯物がぶら下がる見慣れた部屋でした。そこにはただ「生活」があるだけ。
それを見たツチヤは一言、「しょうもな」と笑います。
お笑いも何もかも、その背後には生活があり、生活があれば誰かとの関係が生まれ続ける。
おもしろいことだけではやっていけない。その気づきでツチヤは挫折を経て、少しだけ大人になります。
同じく漫才を題材にした『火花』とは、主人公の性格が違うことにより毛色が異なります。
社会に馴染めず、それでも夢を追い続けて足掻く人にとって、とても共感できる映画です。
序盤ではハガキ職人としてコツコツと積み上げ、嫉妬や冷笑、孤独に耐えながらも東京へ向かうツチヤ。
社会的な光景などどうでもいいほど自分の世界にのめり込みながら、他人と関わり、少しずつ努力していく姿が描かれます。
挨拶もままならなかった彼が、少しずつ変わっていく。けれど、人生はそう簡単にはうまくいきません。
ネタを書く場所を追い出され、チャンスを失い、苛立ちと希死念慮のはざまで生きるツチヤの姿が痛々しくも印象に残ります。
普通なら濡れ場にしてしまうような中盤の、女性の家に行くシーンを一瞬のカットで終わらせる演出も印象的でした。
不必要なものを潔く切り捨てた、そのストイックさが作品全体に通じています。
そして、大阪に帰り、居酒屋で感情を吐露するシーンは本当に泣けました。
好きなことがあって、それでつまずいて、社会が苦手で、死ぬことを考えたことがあるような人には、きっと響くものがあると思います。
逆に、「最初から挨拶くらいできるだろ」「痛すぎる」と思うような、コミュニケーションで苦しんだことのない“普通の人”には、彼の行動が理解できないかもしれません。
けれど、そんな不器用な生き方をしてきた自分のような人間には、深く突き刺さる映画でした。
ツチヤが笑わせたい人は
岡山天音演じる主人公ツチヤの笑いにかける情熱は、狂気の人と形容してもいいほどだ。
彼はどうしてそこまでして笑いに全力なのだろうか。その理由はラストシークエンスであっさり明らかになる。
観ている最中は、人とのコミュニケーションをうまくとれないツチヤが、徐々に人間らしくなっていく物語かと思っていた。
中盤を過ぎ、終盤に差し掛かると、もうこれツチヤ死んじゃうしか終わり方なくない?と考えた。しかし原作がツチヤ本人であることを考えてもツチヤは生きてるよなとか、余計な勘繰りまでしてしまった。
結局、メタ的にツチヤは死んだ。そこはうまくやったなと感心する。死ぬしか残されていないエンディングで、一応死んで、というか死ぬような行為をして、あっさり生きて、あっさりと本当のツチヤの望みを果たす。
ツチヤが笑いにかけていたのは笑わせたい人がいたからだ。それは彼の母親だ。
コミュニケーション能力不足なのは母親に対しても同じだ。でもツチヤは母親の幸福を望んでいたのだろう。まあそれは普通の感情だ。そんなツチヤが母親に対してしてあげられることは笑わせること、笑顔にすることだった。
父親は不在のようで、生活も楽ではなさそう。母親は母親で自由に過ごしているようではあるが、ツチヤと母親は互いに遠くから眺め合うような見えにくい絆で繋がっていたように見えた。
死んだとツチヤが言うと、オカンは笑った。アンタなに言ってんの?と。
ツチヤは笑わせるつもりはなかった。しかしオカンは笑った。
狂気に落ちてまで求めた笑いなどオカンには必要なかったのだ。ツチヤの「しょーもな」というセリフはこの作品の中の最も皮肉の効いたコメディセリフだったかもしれない。
そこから火がついたようにツチヤは描き始める。おそらくこの作品の原作を。
ある意味で間違い続けた生き方を修正しようとする情熱に見えた。
気の利いた良い終わり方だった。
ツチヤを演じた岡山天音はもちろん良かったのだけれど、ピンクを演じた菅田将暉が良かった。大事な場面を締める重要な役どころで、居酒屋で怒鳴る場面は作中最も良い瞬間だったかもしれない。
見所として一瞬のきらめきをみせる作品というのは良いものだ。菅田将暉はそれを創出した名演だった。
人間関係不得意
タイトルからグランプリでも取ったお笑い芸人のブラック・コメディかと思ったらお笑いのネタ作りの作家の卵の苦労話、笑いで受けるってそりゃー、人それぞれだから簡単な話じゃないことはわかりますが、何を言いたい映画か一度観ただけでは分からないので2度見ましたが、分かりませんでした。個人的には菅田将暉さんのファンなので落ち込むツチヤを励ます友人役は良かったけれど出番が少ないし、なんで前科者にする必要があったのか疑問でした。ツチヤさんのお笑いネタが披露されるのはこま切れで、最後になってベーコンズの刑事ものの漫才がやっと観れましたが、受けたのはバッファリンのところくらいでした、カイブツというほど凄い作家には思えませんでした。
解説を読んだら主人公のツチヤは実在の人物で自伝が原作、15歳の頃から様々なテレビ、ラジオ番組に大喜利を投稿していた著名なハガキ職人。そうか、笑いづくりで悩んでいるのではなく芸人たちとの人間関係が苦手だったんですね、実話ならつまらない話でも仕方ありませんね、納得。
タイトルなし(ネタバレ)
昨年、劇場で鑑賞。この映画で、オードリー若林さんがとても懐の深い方だと知りました。この紆余曲折の物語の中で、ツチヤさんには共感や同情は全くないですが、「ありがとう」が言えるまでに成長したことが、とても嬉しく幸せな気持ちになりました。
微妙な作品だ。 主人公は大したセンスもないのに自分のこだわりを譲れ...
面白いしキャストもいい
笑わない人が作る笑い。。
なんか、暗い映画だった。
タイトルに笑いと付いた映画なのに、主人公が笑わない。。
とにかく主人公が変な性格というか、四六時中ネタを考えている。
人間関係は不得意で、バイトもネタを考えているせいでまともに仕事が出来ないというかサボっている。
日常笑わない奴が考える笑いって何なのかと思った。
笑える奴、楽しい奴が面白い事を考えると思ったけど違うのかな。。
確かに、サンドウィッチマンは無口な富沢がネタを作っているし、ダイアンはユースケ、オードリーは若林。
明るくて面白い人だけがネタを作れるわけじゃない事は分かるが。。
映画の中のベーコンズはオードリーだろう。
作家はサトミツ。
たまーにラジオを聞いていたので何となくわかった。
ただ、ツチヤタカユキなる人も事は知らなかった。
もっと笑えるところがあっても良いんじゃなかな。
シリアスにチツヤタカユキの事を描きたいなら、なぜ、笑いに執着するようになったのかを描いて欲しかった。
あれでは、まったく、映画の主人公に共感する事は出来ない。
松本穂香は可愛かった。
あんな可愛い女の子をフィクションで出すなら、映画として楽しめるような演出もアリだと思うのだが。。
仲野太賀、菅田将暉の存在感もバッチリでした。
岡山天音は、『劇場版 そして、生きる』の中で有村架純ちゃんを不幸にした奴という事で強い印象が残っている。
良い役者さんだとは思う。
この映画でも強烈のキャラの主人公を演じていました。
岡山天音のサイコパス感、仲野太賀の安心感
実生活でも考えさせられる作品
痛い・・・
岡山天音は好きな俳優です。彼のこの作品のような狂気を帯びた演技は好きなのですが、この作品はあまりにも痛すぎました。ツチヤタカユキ氏の自伝的小説なのですが、彼の現状は知りませんが、彼の土俵はやはり「ハガキ」なのでしょう。
劇中「人間関係不得意」などと自己評価していますが、その割には名声もお金もほしいわけで、だからといって自分の生き方を変えることはしないわけで、あくまでもラジオやテレビに「ハガキ職人」として投稿し評価されるのが精一杯なのでしょう。
もちろんなにもないところから物を作り出す「作家」「音楽家」などは本当に身を削る思いでしょうし、この映画の主人公も現場に行かなくてはいけない放送作家のような道を選ばず、あくまでも机上の原稿用紙を相手に「お笑い」を書けばよかったのかもしれません。
彼を取り巻く菅田将暉、仲野太賀、片岡礼子、松本穂香たちの彼に対する愛情に、全く応えることのできない彼は、やはり「人間関係不得意」なのでしょうね。で、そこで日和ってしまったら彼ではなくなるのかもしれません。
岡山天音の演技がまじで怪物で良かったけど、要所要所で出てくる大喜利...
優れた題材表現に加えて、それとは真逆の視野の広い監督演出の秀作!
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
仮に、自身の狂気や怒りが、社会に伝わるために変化し、それが笑いという表現になるのであれば、この映画『笑いのカイブツ』は、主人公・ツチヤタカユキ(岡山天音さん)を通してそのことを見事に描き切っていると思われました。
特に、主人公・ツチヤタカユキを演じた岡山天音さんの演技は特筆すべき表現で、それだけでもこの映画を優れた作品にしていると思われました。
加えて、劇中に時折挟まる主人公・ツチヤタカユキの大喜利のフレーズはどれも優れていると私には感じられ、この映画に説得力を持たせていると思われました。
さらに主人公を取り巻く登場人物の、特にトカゲ・ピン芸人(淡梨さん)とピンク(菅田将暉さん)は、主人公・ツチヤタカユキと真逆の、コミュニケーションに長けたある意味視野の広さある柄の大きな魅力ある人物の描き方で、作品の幅を広げさせていたと思われました。
主人公・ツチヤタカユキと一夜を共にするミカコ(松本穂香さん)の、ツチヤに対して一途でない振る舞いの描き方も、人間に対する理解の深さが素晴らしいと思われました。
(オードリー若林さんがモデルの)魅力ある西寺・ベーコンズ(仲野太賀さん)含めて、(ともすれば一人よがりの)主人公・ツチヤタカユキとは対照的な、周囲の魅力ある視野の広さと深さの描き方は、おそらくこの映画の滝本憲吾監督の視野の広さと人間理解の深さから来ていると思われました。
(実際の原作者のツチヤタカユキさんがオードリーから別れているからこそ、オードリーに協力を求めていないのもこの映画の誠実さが表れていると思われています。)
この、映画の、優れた意味で視野狭窄の主人公と、それとは真逆の周囲の人物含めた幅の広い描かれ方は、対照的であり、だからこそこの映画は実は大人な作品になっていると思われました。
これはおそらく、滝本憲吾監督の優れた演出力が要因だと勝手に感じられました。
個人的には視野狭窄の題材的にはそこまで好みでは実はないのでこの点数ですが、それを差し引いても主人公の魅力含めて優れた作品で間違いないと思われています。
おそらく個人的には、2024年の邦画の10本の内の1本に入るのではないかと、2024年初っ端の映画ですが今から思われています。
滝本憲吾監督には別の題材でも今後の作品を期待しています。
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