キャンディマンのレビュー・感想・評価
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ジョーダン・ピールの脳内が、そら恐ろしい!!
2021年(アメリカ)監督:ニア・ダコスタ。原作:クライヴ・カーターの小説「禁じられた場所」
キャンディマン」1992をベースに、こんなメッセージをホラーに仕上げて来る、
流石のジョーダン・ピールの製作と脚本。
まさかまさかの続編でした。
はじめ、中盤、ラストと3回出てくる《影絵》
(それも操り人形の影絵です)
最初の影絵は1992年作品の主人公のヘレン・ライルが黒人の居住するアパートに
踏み込んだ事により、大型犬の首を切り落とした犯人にされる。
そしてキャンディマンの傀儡(かいらい=あやつり人形)として殺人事件の犯人に祭り上げられる・・
までをコンパクトに説明する。
「キャンディマン」が誰なのか?という問い?の答えが中盤の影絵。
実はキャンディマン、
彼は1890年。肖像画家だった青年が、モデルに描いた白人令嬢を愛して、
彼女を妊娠させます。
怒った白人たちは彼をリンチにして、右手首を切り落とし、
その手首に鉄の鉤爪をくっ付けた。
そして蜂に襲わせて、彼を焼き殺した。
その男が「キャンディマン」でした。
鏡に向かって5回、キャンディマン!キャンディマン!・・・
と、叫ぶと彼が出てきて殺人がはじまる。
前作より《白人vs黒人》が話の中心にデーンときます。
長い歴史で黒人は虐げられてきたんだ。
そのメッセージですね。
主人公のアンソニー・マッコイ(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)
新進アーティストの役です。
実は彼こそ、前作のヒロイン・ヘレン・ライルが命と引き換えに助けた赤ん坊なのでした。
その彼が、この続編では成人して主人公になっている。
シカゴのカブリーニ・グリーンという高層住宅は、黒人のスラム街を立ち退かせて壊して
作った高級マンションなのですね。
ともかくジョーダン・ピールですよ。
キャンディマンが明白な悪のヒーローに変わってます。
「ゲット・アウト」や「アス」の流れを受け継ぐ作品。
スタイリッシュに高級感溢れる映像やインテリア、富裕黒人層を描きながら、
その分断たるや恐るべしです。
その根底を流れる思想は、黒人対白人は、
食うか、食われるか!
殺すか、殺されるか!
で、かなり暴力的です。
伝えて行け!語り継げ!!
(黒人の歴史を・・・そう告げていました)
前作に較べて娯楽性はやや薄いと思います。
テーマ性とエンタメ性のバランス
オープニングでいきなり配給会社のロゴが反転して出てきたのは期待できた。こういう遊び心でエンタメ性を匂わせ(おもしろそう)と思わせつつ、映画のテーマが黒人に対する差別や迫害されてきたシリアスな歴史なので、映画として鑑賞者への負担は重くなりすぎないようにしつつ、発信するメッセージがぼやけないようにバランスを保っている。
キャンディマンという存在は、鏡の世界から現世(?)へ「キャンディマン×5回」を現世の人間が唱えると現れる。唱える=殺されるのだが、好奇心で言っただけで殺されてしまう。劇中では黒人以外。
キャンディマンは、迫害を受けてきた黒人の象徴であり、個人ではなく「迫害されてきた歴史そのもの」であるということ。黒人が味わわされた人間の所業とは思えない酷い仕打ちに対して復讐を…ではなく、これからも続くであろう繰り返されるだろうと踏んで、キャンディマンという存在を作り上げ、迫害に対抗する手段として「呼んだだけで殺される」という理不尽で対抗する。
果たして、キャンディマンを生んだのは黒人なのか。迫害をした連中なのか。
「生贄」として赤ん坊のころ差し出されそうになったが、ある女性に助けてもらった主人公。しかし結局その末路は、「生贄」という形になってしまい、キャンディマンになってしまった。「〇〇マン」というのは、ヒーロー色が感じられるのだが、ダークヒーローとも言い難い理不尽さは、例えば肌の色だけで迫害されてきた理不尽さとのバランスをとっている気もする。
テーマ性が強いにもかかわらず、映画としてエンタメも盛り込まれていることは、すごいと感心します。勉強になります。
キャンディマンの矛盾
タイトルから飴を配る殺人鬼というインパクトが強いのに、実は白人に虐殺された黒人達の具現化、集合体のようなもの。
キャンディマンの皆がみな、飴を配るわけではないらしく、???と混乱した。
昔は黒人が迫害されたのだろうが、現代では成功している黒人も多い。アンソニーは成功者であるのに、生贄に選ばれたが故に全てを喪い、殺人鬼キャンディマンへと成り果てる。
迫害から生まれたキャンディマンなのに、アンソニーは成る理由がない。単に前のキャンディマンに選ばれたというだけで、黒人が黒人を苦しめるなら、キャンディマンは存在する意味がない。
ストーリーが矛盾してるので、混乱する。
ホラーに整合性を求めるのは、無意味なのかも。影絵を効果的に使う映画の雰囲気は好きだし、監督の人種差別を訴えるテーマはシンプルに伝わった。
アフリカ蜜蜂の怒り
やぁ元気かいと笑って現れる
壁から現れたキャンディマンに目を見開く少年や、トイレの個室の中で震える少女も、キャンディマンは黒人は殺さない。
そうか。これは人種問題への別視点からの取り組みの作品。
初めキャンディマンは、少年・少女たちの自己防衛本能が生んだ魔物とも思いましたが、それよりもっと普遍的な、白人への恨みや怒りが具象化した怪物とみます。
蜂は敵意の象徴
キャンディマンが人を依り代として選んだことを示すために、アンソニーの身体の周りを1匹、2匹と、蜂は飛び回っていた。しかし筋書きの進展につれて、敵意剥き出しに数が増えて、群になっていったのは、やっぱり生理的に強烈な恐怖感でした。
ところで、本作の蜂は大きさや形からして恐らくは蜜蜂でしょう。でも普通の蜜蜂はあんなに凶暴ではないから、これは危険な虫の一種であるアフリカミツバチかなと。集団で人を襲うらしい。
怒りが神に昇華する
キャンディマンの唯一の武器であるフックの湾曲した刃で、あそこまで自由自在に首を掻き切れるかなと思いましたが、もはや無敵に相手を殲滅していましたね。
怒りが神となってアンソニーに乗り移り、恋人に我が存在を長らく語り継げと宣言して、去って行く。強靭極まりないエンディングでした。
怖いのはキャンディマンではない
見所はエンドロールの紙絵だと思います。本作のホラー要素はキャンディマンというキャラクターではなく、キャンディマンを生んだ背景です。
1992年のキャンディマンを観ていないので、「結局キャンディマンって何だったの?」となりましたが、情報整理した結果、黒人の白人に対する憎しみを一手に引き受けるダークヒーローというところに落ち着きました。ジョーダン・ピールさんの作品は毎回興味深く観させて頂いていますが、製作を通して人種迫害に向き合い、そしてひょっとしたら劇の中で白人に対して復讐も兼ねているのかもと想像してました。
盛り上がりには欠ける
まず、ホラー映画ではない。全く怖くない。
眠くなるホラーってすごくない?まあ、
ホラー映画としての盛り上がりには欠けるが、アメリカの根深い黒人差別への警告的映画としてみたらなかなかのできだと感じた。ただ主人公の役者に狂気じみたものをあまり感じられず、シャイニングのジャックニコルソンのように狂っていってくれたらよかった。笑
そういえばイケてる?(イケてるのかわからんが)高校生たちがキャンディマンと唱えるシーン、アジア人だけ途中で辞退していなくなって、白人だけ殺されるあたり、アジア人は一軍(スクールカーストに象徴される)にはなれず、どこか蚊帳の外てきな扱いを受けていて、かつアジア人自体もこういう差別ごとに他人ごとな意識をもっていることを揶揄しているように受けとりました。確実にありはするのに、アジア人差別って、やっぱりそこまで自分ごとに受け取れないもんなあ。
あとは影絵はなかなかよかったですね。
観終わったら蜂と鏡が怖くなっちゃった(個人的ですが)…というホラー...
観終わったら蜂と鏡が怖くなっちゃった(個人的ですが)…というホラー味を持ちつつ、差別者達の集団心理が1番怖いというリアルさは流石だと思いました。最後の影絵は観ていてとても悲しくなり、余韻の持たせ方も良かったです。
女子トイレで無事だった子のリュックにバッドブレインズのパッチを発見。
けっこうよかった
美術の世界とホラー、黒人差別が嚙み合っており、美術のいやったらしい側面が感情を掻き立てる。もっと嫌な人物が現れて惨殺されてほしいほどだ。
主人公の右手がどんどん悪化しているのになかなか医者に行かない。行ってもさっぱり治療しないし、アメリカの医療制度のせいで料金がバカ高いからなのだろうか、しかしそんな描写はない。そもそも裕福そうな連中だ。
けっこう面白かったのだけど、応援したくなる登場人物がいない。
キャンディマンが鏡の中しか見えなくて、ガラスにうっすら映った感じもかっこいい。
映写機の光量のせいか画面がやたらと暗かった。
BLMし過ぎだす。
よく分からないラストの展開。
これは。
何と言えば良いのやら。
兎に角、差別と虐殺に対する復讐劇だ、ってのは分かった。
シリーズ化しても見に行く事は無い。
と思いました。
何がしたかったのかよくわからない映画。
ジョーダン・ピール脚本のホラー映画。
本作も「ゲットアウト」や「アス」同様に割と裕福で知識階級層のアフリカ系アメリカ人が主人公。
黒人は皆が思っているように一律貧しく、犯罪者ばかりではないよといった世の中へのアピールは相変わらずと言ったところ。
本作は過去にカブリニ・グリーン(多分シカゴ)で起こったキャンディマン事件から数十年後の現在の話。
その都市伝説や惨殺事件の歴史を切り絵で説明していくのは予算面も考慮し良しとするが、目新しさを感じたのはそれだけ。
アーティストである主人公が何かに導かれるようにキャンディマンの都市伝説に惹かれ、作品製作のために調べていくうちに自分の出自を知り、次第にキャンディマンの意志を継ぐ者へと変わって行くのだが、グロめのシーンも品良く処理され映像や演出面でも特別面白みがなく終始凡庸な手法で展開され、何故これを映像化したかったのかよくわからないと言うのが感想。
ジェイソンやフレディにようにマスクや特殊メイクをしていない分、キャンディマン役のトニー・ドットがあからさまに歳を取ったことがわかり隔世の感。
純粋にホラー映画として楽しむのが良いかも
シカゴの黒人労働者層が多く住むエリアに伝わる都市伝説を元にした話ということで、人種差別への抵抗という裏テーマがあるのかと思いきや、そういうメッセージ性は薄い。
鏡を見て、その名を5回唱えると現れて、鍵爪で首を掻き斬られるというのは“いかにも”という感じだが、反面で壁裏に隠れて過ごして子供にはキャンディを渡す優しい面も持ち合わせるというギミックは必要なのか?
鏡がキーアイテムになっているということを示すために冒頭のタイトルロールから反転させていたりする演出も内容の陳腐さを予感させるようで、逆効果じゃないかな?
ギャグ
まさかの大スクリーンかつ音質の良い劇場でこの作品を観れることにまず感謝し鑑賞。評判が芳しくはありませんでしたが、自分はめちゃくちゃ楽しめました。
オリジナルのキャンディマン3部作は全く知らないのですが、その前作を気にしないでも鑑賞出来るのは美点だなと思います。
キャンディマンの挙動が中々に面白かったです。昨今のホラーは突然出てきて驚かすというのが定番になっていますが、キャンディマンは5回呼ばれたあとに殺しにくるので、鏡にニュっと映ってそこから殺しにかかってきます。とっても安心仕様でビビりな自分への救済措置でした。殺し方はかぎ爪で首やら足やらを引き裂くという感じでパターンこそは少ないですが、一撃一撃の殺傷性が半端ないので飽きることはありませんし、画面がズームアウトしながら殺すという斬新な魅せ方もあり、工夫してるなと思いました。
主人公アンソニーがキャンディマンになっていく過程の手を切り落とし、鉢を纏い、かぎ爪を突き刺すという荒唐無稽なことを平気でやってのけるあたり映像映えしていてとても見応えがありました。
ジョーダン・ピールらしい社会派ホラーにも仕上がっており、血統や伝統の縛り、人種間の問題もホラーを食いすぎずに描いてあるので、胃もたれせず観ることができむす。
あと途中途中挟まれる影絵のクオリティが素晴らしいです。人力と分かりやすいけれどテクテク動きますし、エンドロールも一切飽きさせずにストーリーを影絵で振り返っているのも凝っているなと思いました。
正直色々な設定はガッタガタだと思います。名前を5回言ったら死ぬというルールは途中から言ってもないのに関連人物は雪崩れる様に死んでいきますし、アンソニーの母親はいくらなんでも若すぎますし(お姉さんがジャスト)、謎の空飛べるよ飛び降りお父さんだったりと割と難解なものがありました。
でもそこを除けばサクサク進むテンポのいいスラッシャーコメディとして楽しめました。下手したらDVDスルーされそうな本作を大スクリーンで楽しめるなんて貴重な機会、そうそうないので噛み締めておきます。♪キャンディマ〜ン
鑑賞日 10/16
鑑賞時間 18:50〜20:30
座席 R-27
【ネタバレですね】結局は黒人差別の怨念な訳ね。オープニングとエンディングのデザインが秀逸。
いきなり冒頭のユニバーサル、MGMのロゴが反転して、鏡を象徴する。キャンディマンの歌声もロゴの時点から被さる。
最初の黒人少年の1977年のエピソードから、スタイリッシュなオープニングテーマで始まり、エンディングも影絵の手法で魅せてくれる。最初と最後がスタイリッシュなのは好感持てる。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」スピルバーグ思い出した。ただ土曜のレイト・ショーで客8人だけは寂しいねぇ。
キャンディマンの怖さよりも、実際に似たような史実があったであろう、1800年代の、理不尽な黒人へのリンチ制裁。酷い差別だ。
その後の黒人の受難が想起されてイタイ痛い。いたい。
地縛霊のような、土着の都市伝説。興味を持った黒人アーティストは、実は出生の秘密を抱え、キャンディマンに取り憑かれていく。宿命のようなモノだ。
挿入される壊れた白人大学院生の話から、どんどんその鍵手で人をあやめて行くキャンディマンの呪縛に囚われて行く。一見想像の産物かと思わせるが、実際に鏡に向かって「呪文」を唱えた人間、大量にヤられているので、リアルな恐怖ということだろう。
最後には蜂に刺された傷が、どんどん膿んで行く主人公画家ににキャンディマンが憑依し、最後は警官に憑依したのか?もう大混乱。なんで黒人の怨念が黒人を襲うのだろう?意味ワカンネ?
初めから、ホラーで、怪物のために大量の血が流れるのが前提で皆観客は観ているので、予定調和であんまり怖くない。何だか、迫ってくる恐怖というか切迫した恐怖、暗闇から不気味に現れる恐怖、そういったものがイマイチ感じられない。
それとアメリカは大学図書館、一般人も極秘資料借りられるの??なんか大雑把なアメリカらしくはあるけども、なんか変?最終的にはあんまり「怖いもの見たさ」充足できなかったよ。
悪名高い、シカゴを舞台に導入から期待感を抱かせただけに残念。それに最後の警官襲ったキャンディマン、一体誰??取り憑かれていた画家アーティストではないし・・・それと人種差別の意図ではなくて、黒人俳優、特に女性、区別つかねぇよ!恋人かと思ったら母親だし・・・あと家だか高級マンションだか場所がイマイチわかんねぇよ。
【"近現代のアメリカに蔓延る差別思想が産み出した哀しき化け物。"ホワイトアメリカに対し、激しい怒りを叩き付けたブラック・ライヴズ・マター社会派ホラー映画。】
ー 劇中、キャンディマンに虐殺される人々は、全て白人である。警察官も含めて・・。ー
◆感想
・冒頭、1977年に、シカゴの”カプリーニ・グリーン地区”の公共ランドリーで起こった事と、それ故に新設されたランドリーに残った怨念。
そして、ラストシーンとの対比の妙に唸る。
ー 冒頭のシーンの叫び声には、途中まで、完全にミスリードされた。
そして、駆け付けた白人警官達の姿。
容易に近年多発する白人警官による、黒人殺害事件を想起する。ー
・そして、”カプリーニ・グリーン地区”が消滅し、新たに建てられたマンションに住んでいる黒人のアーティスト、アンソニーが作品が描けないスランプの中、憑りつかれた都市伝説。
ー 少し驚いたのは、ヴァネッサ・ウィリアムスが絵画評論家として、出演し、望遠であるが、殺されるシーンが映し出された事である。
良く、引き受けたなあ・・。
作品コンセプトに共感したのであろうか。
画廊を営む白人カップルの女性が、大きな鏡の前で虐殺されるシーンで着ていたTシャツにプリントされていたのは、「ジョイ・ディヴィジョン」の”アンノウン・プレジャーズ”である・・。
シニカルだなあ・・。ー
・頻繁に描かれる“蜂”
アンソニーも”手"を蜂に刺され、徐々に皮膚が化膿していく。爪は剥がれ・・。
そして、自らの身体の変容と共に、彼自身の思想も、キャンディマンの恨みに侵されていく。
ー あの”蜂”は”ベルゼブブ”であろうと、勝手に解釈する。ー
<ラスト、完全にキャンディマンに成り代わったアンソニーが、且つて自分を叩きのめした”白人警官達”に報復するシーン。
”ホワイトアメリカ”に対する強烈な社会的メッセージを込めたホラー作品である。>
なにがなんだか
結論から言うと、怖くもなく、面白くもないホラーでした。ピールさんは徹底的に人種差別を描きたい人なので、キャンディマンはカスな白人を成敗する怪人かと思ったらそうでもないみたいだし、事前情報が無いと何が何だかさっぱりわからなかった。どうも以前製作された作品と繋がっているとか。勝手にリブート作品と思いノーチェックで行き失敗しました。ただ今回虐げられた黒人の気持ちを表現ではなく、この主人公のように満ち足りている黒人が、一儲けのためにポリコレを使う事の皮肉を描いている事は理解できた。
にしても、刺されてあんだけ腫れてるのに医者に行かないとか、空を飛べると思っていたお父さん必要?とか、ママ若すぎないですか?とか、そもそもなんで鏡の前じゃないとダメなのか?この辺も前の作品を見ればわかるのでしょうか?
怖くないので途中睡魔に襲われたり、斜め前のオヤジが鼻マスクで終始咳き込んでいてキャンディマンよりこっちの方が恐怖を感じました。
キャンディマンの物語
元になった作品は鑑賞してません。
キャンディマンというキャラクターを作り上げるまでの物語の様で「キャンディマン ビギニング」って感じでした。
ホラー作品には作品ごとのキャラクターが居るがどうしてその怪物が作り上げられたのかという要素を丁寧に語られることは少ないのだが、この作品はその点に比重を置いて作ってます。
なのでホラー作品なんだけど、脈々と積み上げられた人間の物語となってます。
やはり1番怖いのは人間なんだなあって感じました。
朝焼けの光の中に立つ影は・・・キャンディマーン♪
鏡の国からやってきたミラーマンをつい思い出してしまったのですが、キャンディマンのテーマソングのメロディはどちらかというとスパイダーマンに近かった。オープニングのロゴはユニバーサルもMGMも鏡に映った裏返しの映像で攻めてくるなど、本気度が窺える。
基本的には『キャンディマン』(1992)の焼き直しであるけど、ホラー映画の枠を越え、BLM運動のメッセージを訴えてくるかのような作品でした。まずは少年ウィリアムがキャンディマンに遭遇するという過去エピソードだが、彼を中心とした影絵映像が白人警官による黒人暴行死事件を扱っていることに驚きました。影絵そのものは白と黒なので、人種差別撤廃の象徴であるかのようでした。この影絵が最後まで面白く、エンドロール時にも夢中になってしまいました。
登場するビジュアルアーティストの主人公アンソニーと妻ブリアナを中心として、シカゴの一般市民はほとんどが黒人であり、警官はほとんどが白人。さらにブリアナの弟トロイはゲイであり、白人男性と付き合っていてLGBTも普通なんだとさらっと描き、富裕層と貧困層の問題まで取り上げている。団地の高級化によって活性化させるなんて、本当にできるのだろうか・・・
そうした社会派作品の一面を呈しながらも、ホラーとしてもキャンディマンの存在が“人”ではなく“蜂の巣”の象徴のようなしっかりとした描き方。アンソニーが右手を蜂に刺されたことから始まり、都市伝説キャンディマンを追い求めることで事件は深刻化する。すっかり忘れられた存在だったのに・・・なのだ。
鏡に向かって「キャンディマン」を5回唱えれば現れるという伝説。こちら側には現れないのに鏡の世界には現れるキャンディマン。予兆のようなカミソリを仕込んだキャンディ1個。鋭い鉤爪によって首を一瞬にして切ってしまうのだ。そうした恐怖シーンと意外な人間関係が最後までハラハラさせ驚かせてくれるのです。
ヘレンという謎の人物、そして幼少期に酷い目に遭ったウィリアム・バーク。現在と過去が繋がるところも面白いし、オリジナルの『キャンディマン』の登場人物とも繋がるところもいい。もしかするとヘレン伝説継承の物語だったのかもしれません。そして、キャンディマンとは特定の人物ではなく、全ての人間に繋がっている存在といったところもジョーダン・ピールの脚本の巧さが光ってるところなのかも。
と、わかったような書き方しましたけど、最後の最後の人物がわからなかった!アンソニーだったような気がしましたけど。
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