キャンディマンのレビュー・感想・評価
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☆☆☆★ 『アメリカン・ユートピア』とは、とんでもない程に真逆の内...
☆☆☆★
『アメリカン・ユートピア』とは、とんでもない程に真逆の内容で悩む_| ̄|○
『アメリカン・ユートピア』には最後にメッセージが入る。
〝 Utopia Starts with You 〟
《あなたの1票から社会は変える事が出来る》
それに対し、この作品にも最後にメッセージが入る。
一応は人種差別に対して支援を行っている団体が有るから通報して下さい…的なメッセージだったのですが。何だか映画本編を観終えた後だと、このメッセージの文言が、、、
〝 是非通報してくれよな〜 〟(やってやるかんね〜)
…的な言い回しに見えてきちゃうんですよね〜💦
何ったって最後にキャンディマンが言う台詞が
「◯ん◯に◯えてくれ!」なんだからなあ(´-`)
同じBLM問題を孕みながら、ここまで真逆の作品になるんだね〜と、ちょいと考えこんでしまった(´・ω・`)
そんな問題を孕むこの作品。映画の中でキャンディマンは無差別に殺人をしている風には見える。
殺される登場人物の大半は白人だ!
一応、黒人も殺されるのだが、その殺される瞬間等は画面には映らない。
何しろキャンディマンとゆう怪物の背景には、白人の警官に殴られた差別的な内容が有った。
更に遡ぼってのキャンディマンの前身は、白人に迫害され死んで行った黒人の怨念が乗り移ってもいた。
作品の時代背景は2019年。
一応は続編にあたるらしいので、前作がどの様な内容だったのか?未見の為に分からないのですな、いわゆるBLM運動が盛り上がって行った時期にグリーンライトが(映画製作のゴーサイン)点滅したのだと思いますね。
もしもそうだとしたら。差別主義に復讐を…的な雰囲気が充満するこの作品を、Sammy Davis Jrはどう思うのだろう?
更には主人公は画家で、彼の作品が殺戮に関しての重要な意味として関係していた。
その絵の題名がまた意味深過ぎて心配になる。
『アメリカン・ユートピア』を観た人ならば【あの】曲を意識しない訳にはいかない。
元々アメリカ映画には(昨今だとアメリカ映画だけではないけれど)極端な受け取り方をしては狂気に走る人が稀に居るのも事実。
実際に世界中では《神の名の下に》奨励し、幾度となく悲劇的な出来事は絶えない。
その火種が蔓延しているだけに。ついつい悲観的な気持ちが、最後に胸の中を渦巻いてしまった。
全くもって困ったよなあ〜。もっとルンルンした楽しい気持ちで、ホラー映画を存分に楽しみたかったのになあ〜(-_-;)
2021年10月16日 TOHOシネマズ流山おおたかの森/スクリーン3
キャンディに釣られてはダメです‼️
可もなく不可もなくって感じ?
最初キャンディマンって聞いて、殺人鬼でなんでキャンディなんだろうって思ったら、単純にアメくれるからなんですね。アメリカでは有名な都市伝説らしいですが、アメリカってこういう都市伝説を基にした映画がよく出てますよね。まあ、映画としてはB級とまでは言わないけど、高く評価しがいのある見どころが溢れた作品でもなく、かといって別にケチつけるほどつまらないわけでもなく、それなりにはよく仕立て上げられた話ではあったと思います。
スラッシャーホラーの1作ということで、まあまあグロデスクではありました。後半になるほどきついシーンが多くなりましたかね。映画ではよくある陰惨な殺し方だなっていう印象です。ただもうちょっとキャンディマンそのものの出番を増やしても良かったですね。鏡から出てきて呼び出した人を殺すのも、殺害のシーンがあるのは良いとして、キャンディマン自体をもっと全面的に見たかったです。ジェイソンとかもっとドカーンって出てこなかったっけ?笑
ストーリーも、ホラー色はあんまりなく、どちらかといえばサスペンススリラーでしたね。一応殺人鬼の話なのでホラーではあるでしょうけど。前半の淡々とした進み具合がキャンディマンによる最初の犠牲者が出た中盤からは速くなって、次はいつキャンディマンが呼ばれるだろうっていうちょっとしたドキドキを味わえたのは素直に良かったと思います。
正直星3か3.5にするか迷ったけど、特別残念な映画ってわけではないと思うので、この映画の製作に関わった方々への敬意も込めて3.5としました。
🍬🧔🏾♂️
まさかのリメイク、そして続編
まさか!なぜ今更?と思ったリメイク。
評判が良かったので早く観たかったけど、3まであって1しか観てない…
3まで観てからと思ってたけど、配信ないし日本語字幕のブルーレイやDVDもない…
渋々あきらめ、1だけ観た状態で観ました。
期待よりは良くなかったけど、オリジナルより全然いい。
撮り方とか、いろいろセンスいい、エンドロールもオシャレ♪
1では流れなかった、サミー・デイヴィスJr.の「THE CANDY MAN」も、少しだけ口ずさまれてます。
良リメイクだと思う。
てか、1の続編です。
1が過去の事として語られ明確に、つながってます。
1を観てないと分からないかも?
(2や3は観てないので、つながりは分かりません…)
ジョーダン・ピールが脚本に関わってるけど、監督は黒人の女性ニア・ダコスタ。
白人ヘイトぽく感じた部分が多々あり、あまり気分は良くなかったな…
むろん、それ以上の黒人ヘイトの歴史を知っていますが…
日本人の僕には、分かったようで分かってない、黒人と白人の根深い問題を感じました。
ちなみに、僕はジョーダン・ピールが大好きで、
『ゲット・アウト』『ブラック・クランズマン』『アス』『ノープ』
も好きです。
長くなってしまったけど、まとめると…
良リメイクで1の続編☝️
1を観ておいた方がいい☝️
ホラーファンならオススメ☝️
ジョーダン・ピールが好きな方も観ときましょう☝️
トゥース☝️
焼き増しではあるが・・・
日本の学校の怪談にも通ずる様な、鏡の前でその名を5回唱えると・・・という都市伝説。ビジュアル的にはエンターテインメント性抜群なそのキャンディマンは、92年のオリジナル作品を更に深化させた"社会派''キャラへと変貌を遂げた。 オリジナルのプロットは残しつつ、黒人への差別をテーマとした作品だ。近年、白人警官による黒人容疑者等への不当な銃殺事件が発生する中製作された本作は、随所に黒人に対する不当で陰湿な扱いを描写したものが多く写される。冒頭で子どもに飴を与えようとした黒人を射殺したのも白人警官であり、それが物語の大きな鍵となっている。回想シーンで人を白と黒に分けたのも大きな象徴のひとつだ。 キャンディマンの周囲を飛び交うミツバチについても特に説明はなく、ただ不気味さが漂う物だったが、主人公がそのハチに刺されてから起こる異変を考慮すると、今まで犠牲になった黒人の魂の様にも思えてくる。
そうした社会的なテーマの物語だが、きちんとしたホラー映画である事には変わりない。ホラーの定番、エロシーンに関わった人間は絶対に殺られるだとか、物語もベースはド定番という形だ。そこはやはり本作がリメイク作品である事が大きな要因だろう。あまりにも変えすぎてしまうとそれはリメイクである必要が無い。 静かに迫ってくる演出も良く、どちらかに傾倒されすぎずに観やすい作品だった。流石に続編まで製作される事は無いだろうが、それはそれでまた趣の違う物語になるのだろうか。
ジョーダン・ピールの脳内が、そら恐ろしい!!
2021年(アメリカ)監督:ニア・ダコスタ。原作:クライヴ・カーターの小説「禁じられた場所」
キャンディマン」1992をベースに、こんなメッセージをホラーに仕上げて来る、
流石のジョーダン・ピールの製作と脚本。
まさかまさかの続編でした。
はじめ、中盤、ラストと3回出てくる《影絵》
(それも操り人形の影絵です)
最初の影絵は1992年作品の主人公のヘレン・ライルが黒人の居住するアパートに
踏み込んだ事により、大型犬の首を切り落とした犯人にされる。
そしてキャンディマンの傀儡(かいらい=あやつり人形)として殺人事件の犯人に祭り上げられる・・
までをコンパクトに説明する。
「キャンディマン」が誰なのか?という問い?の答えが中盤の影絵。
実はキャンディマン、
彼は1890年。肖像画家だった青年が、モデルに描いた白人令嬢を愛して、
彼女を妊娠させます。
怒った白人たちは彼をリンチにして、右手首を切り落とし、
その手首に鉄の鉤爪をくっ付けた。
そして蜂に襲わせて、彼を焼き殺した。
その男が「キャンディマン」でした。
鏡に向かって5回、キャンディマン!キャンディマン!・・・
と、叫ぶと彼が出てきて殺人がはじまる。
前作より《白人vs黒人》が話の中心にデーンときます。
長い歴史で黒人は虐げられてきたんだ。
そのメッセージですね。
主人公のアンソニー・マッコイ(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)
新進アーティストの役です。
実は彼こそ、前作のヒロイン・ヘレン・ライルが命と引き換えに助けた赤ん坊なのでした。
その彼が、この続編では成人して主人公になっている。
シカゴのカブリーニ・グリーンという高層住宅は、黒人のスラム街を立ち退かせて壊して
作った高級マンションなのですね。
ともかくジョーダン・ピールですよ。
キャンディマンが明白な悪のヒーローに変わってます。
「ゲット・アウト」や「アス」の流れを受け継ぐ作品。
スタイリッシュに高級感溢れる映像やインテリア、富裕黒人層を描きながら、
その分断たるや恐るべしです。
その根底を流れる思想は、黒人対白人は、
食うか、食われるか!
殺すか、殺されるか!
で、かなり暴力的です。
伝えて行け!語り継げ!!
(黒人の歴史を・・・そう告げていました)
前作に較べて娯楽性はやや薄いと思います。
本編が終わったあとが一番怖い
テーマ性とエンタメ性のバランス
オープニングでいきなり配給会社のロゴが反転して出てきたのは期待できた。こういう遊び心でエンタメ性を匂わせ(おもしろそう)と思わせつつ、映画のテーマが黒人に対する差別や迫害されてきたシリアスな歴史なので、映画として鑑賞者への負担は重くなりすぎないようにしつつ、発信するメッセージがぼやけないようにバランスを保っている。
キャンディマンという存在は、鏡の世界から現世(?)へ「キャンディマン×5回」を現世の人間が唱えると現れる。唱える=殺されるのだが、好奇心で言っただけで殺されてしまう。劇中では黒人以外。
キャンディマンは、迫害を受けてきた黒人の象徴であり、個人ではなく「迫害されてきた歴史そのもの」であるということ。黒人が味わわされた人間の所業とは思えない酷い仕打ちに対して復讐を…ではなく、これからも続くであろう繰り返されるだろうと踏んで、キャンディマンという存在を作り上げ、迫害に対抗する手段として「呼んだだけで殺される」という理不尽で対抗する。
果たして、キャンディマンを生んだのは黒人なのか。迫害をした連中なのか。
「生贄」として赤ん坊のころ差し出されそうになったが、ある女性に助けてもらった主人公。しかし結局その末路は、「生贄」という形になってしまい、キャンディマンになってしまった。「〇〇マン」というのは、ヒーロー色が感じられるのだが、ダークヒーローとも言い難い理不尽さは、例えば肌の色だけで迫害されてきた理不尽さとのバランスをとっている気もする。
テーマ性が強いにもかかわらず、映画としてエンタメも盛り込まれていることは、すごいと感心します。勉強になります。
2022年 57本目
キャンディマンの矛盾
タイトルから飴を配る殺人鬼というインパクトが強いのに、実は白人に虐殺された黒人達の具現化、集合体のようなもの。
キャンディマンの皆がみな、飴を配るわけではないらしく、???と混乱した。
昔は黒人が迫害されたのだろうが、現代では成功している黒人も多い。アンソニーは成功者であるのに、生贄に選ばれたが故に全てを喪い、殺人鬼キャンディマンへと成り果てる。
迫害から生まれたキャンディマンなのに、アンソニーは成る理由がない。単に前のキャンディマンに選ばれたというだけで、黒人が黒人を苦しめるなら、キャンディマンは存在する意味がない。
ストーリーが矛盾してるので、混乱する。
ホラーに整合性を求めるのは、無意味なのかも。影絵を効果的に使う映画の雰囲気は好きだし、監督の人種差別を訴えるテーマはシンプルに伝わった。
黒人たちがこの社会に虐げ続けられる限り、“その名”を呼ぶ声は止まない…
日本で言ったら、アンパンマン?
お腹空いたなぁ…。そんな子供たちにキャンディをくれ、悪者をやっつけてくれる。
…って、甘い名前だからと言ってそんな優しいヒーローじゃない!
“奴”がくれるのは、恐怖、血、殺し…。
キャンディマン、キャンディマン、キャンディマン、キャンディマン…
鏡に向かってその名を5回呼ぶと、現れる…。(↑おっと!大丈夫! まだ4回)
日本で言ったら、“こっくりさん”のような都市伝説。
それを基にした1992年のカルト・ホラーをリブート。
…いや、ただのリブートではなかった。92年版の続編でもある。
92年版の話も絡み、オリジナル・キャストも出演。92年版ヒロインのヴァージニア・マドセンの顔写真や声も流用。
昨今の流行りの“新生”であり“続編”。
92年版は未見で、そちらも見ていればより面白いのだろうが、本作単体でも難なく見れる作りになっている。
右手は鋭利な鍵爪。大き目のトレンチコートを羽織り、蜂の大群を従え現れる…。
90年代に誕生したホラー・キャラ故、作品も謎の殺人鬼によるスプラッター系。
鍵爪で切り付け、痛々しい流血。
学校のトイレでの女子生徒数人の殺人シーンは秀逸。落ちた手鏡に殺される様とキャンディマンの姿が映り、直線的な描写より“覗き見”風の恐怖を煽る。
蜂に刺された主人公アンソニーの手が、甲から腕にかけて不気味に変化していく様もグロい。
痛く、ドキドキ、グロい、三拍子揃ったホラー描写はそつなく。
創作活動に行き詰まった先鋭的アーティストのアンソニーが、キャンディマンの都市伝説を聞き、そこからインスピレーションを得ていく…。
主人公の職業が画家なのが特徴的で、キャンディマンの影響受けて描く画も変化していくのが印象的。奇抜な作風が、生々しくおどろおどろしい画へ。
批評家には酷評され、画商の恋人から理解されずとも、画を描きたい欲望に駆られる。それは貪欲に、精神を病むほどに。
“アート”は作風や描写にも表れる。
アーティストとしての苦悩、葛藤の物語でもあり、
画廊での殺人シーンは赤や青の照明を強調した映像美を創り出す。
キャンディマンの伝説や過去の事件を影絵で表現。独創性溢れる。
単なるスプラッター・ホラーの再現だけではなく、アート映画の一面も。
そこには製作スタッフの異才も反映されている気がする。
プロデュース/脚本を担当し、この知る人ぞ知るカルト・ホラーを現代に蘇らせたのは、『ゲット・アウト』『アス』の鬼才ジョーダン・ピール。
オリジナルは当時としては珍しかった黒人ホラーだという。
『ゲット・アウト』『アス』も人種差別や社会風刺などをテーマに織り込み、黒人社会をテーマにしたホラーを作り続けるピールが携わるのは必然だったと言えよう。
米シカゴの黒人たちが暮らす公営住宅“カブリーニ=グリーン”。
周囲との格差、貧困激しく。この地に暮らす黒人たちへ放った白人女性絵画評論家の皮肉は痛烈。
あくまで“都市伝説”のキャンディマン。が、伝説には必ず、曰く付きの秘話がある。
それを知る老人から聞いた、キャンディマン誕生に纏わる悲惨な物語…。
それは単に一つの事件じゃない。アメリカで起きた黒人差別事件が幾重にも重なり合って。
キャンディマンは、この社会が黒人を虐げ続ける歪み、不条理、怒り、悲しみ、怨みの具現。
劇中殺されたのは皆、白人なのである。
キャンディマンの台詞、「私の名を呼べ」はそんな犠牲になった声無き者たちの声。
また、かつての“ヘレン事件”。(92年版の話)
誘拐された赤子、宿命、恋人との関係…。
殺人鬼×スプラッター・ホラーである事は大前提でありつつ、ドラマ性や社会派テーマも重視。
これらは監督の感性なのだろう。
監督は俊英。ホラー映画には異例の黒人女性監督、ニア・ダコスタ。
次回作はMCU作品『THE MARVELS』(『キャプテン・マーベル2』)に抜擢され、注目の存在!
“新生”と先述したが、“継承”の方が正しいかもしれない。
恐ろしくも悲しい運命…。
それを受け入れるしかないのか…?
そうさせたのは、この社会。
今も尚続く。罪無き黒人たちが犠牲になり続ける限り、“奴”はやってくる。
蜂を従え、鍵爪を光らせて。
さあ、呼べ。私の名を。
気付いたら、“その名”を12回も言っていた。
ひょっとしたら、何処からともなく…。
…あッ!
ウギャ~~~ッ!!
人種差別
い~け~に~え~
続編???
作品が終了して、「全体的に中途半端な作りだなぁ・・・」って思ったんだけど・・・
その後、いきなりステーキでハンバーグがやって来るまでに、ハイボール飲みながらこのサイトの映画評論見ていたら・・・
「続編を意識して制作した。」の文字が・・・
・・・
・・・
・・・
リメイクだと思っていたんだけど、続編とはねぇ・・・
今となれば、90年代だっけ?
3作品あったような気がするが、今となれば全然思い出せん・・・
ってか、2000年初期に使用していた、映画日記代わりに使用していた映画サイトなんて、次々閉鎖されて行ってしまって、どんな感想だったのかも調べる事も出来ず・・・
過去の作品がVODでも配信しているのか微妙だし(無料ならいいが、有料なら探すのが面倒)、レンタルビデオ店でも置いている店なんて限られるんじゃないかと。
アメリカ本国だけの上映ならまだしも、世界中で公開するのなら、やり方が間違っているように思える。
褒められるのは、所々、影絵を使った紙芝居のように物語を進めた部分だけ。
シカゴの都市伝説?実在した事件?
1992版をみて
アフリカ蜜蜂の怒り
やぁ元気かいと笑って現れる
壁から現れたキャンディマンに目を見開く少年や、トイレの個室の中で震える少女も、キャンディマンは黒人は殺さない。
そうか。これは人種問題への別視点からの取り組みの作品。
初めキャンディマンは、少年・少女たちの自己防衛本能が生んだ魔物とも思いましたが、それよりもっと普遍的な、白人への恨みや怒りが具象化した怪物とみます。
蜂は敵意の象徴
キャンディマンが人を依り代として選んだことを示すために、アンソニーの身体の周りを1匹、2匹と、蜂は飛び回っていた。しかし筋書きの進展につれて、敵意剥き出しに数が増えて、群になっていったのは、やっぱり生理的に強烈な恐怖感でした。
ところで、本作の蜂は大きさや形からして恐らくは蜜蜂でしょう。でも普通の蜜蜂はあんなに凶暴ではないから、これは危険な虫の一種であるアフリカミツバチかなと。集団で人を襲うらしい。
怒りが神に昇華する
キャンディマンの唯一の武器であるフックの湾曲した刃で、あそこまで自由自在に首を掻き切れるかなと思いましたが、もはや無敵に相手を殲滅していましたね。
怒りが神となってアンソニーに乗り移り、恋人に我が存在を長らく語り継げと宣言して、去って行く。強靭極まりないエンディングでした。
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