「不幸を餌に愛を釣る」PITY ある不幸な男 maruさんの映画レビュー(感想・評価)
不幸を餌に愛を釣る
映画の冒頭でタイトルがドンっと「oiktos」と出る。この意味がギリシャ語で「哀れみ」という意味らしく、英語のPITYも哀れみという意味らしい。というわけでテーマは「哀れみ」。
「妻が危篤状態」「犬が行方不明」など、自分に近い人物(家族やペット)が不幸にあることで、不幸な環境・不幸な状況・不幸な人物の“隣にいる”だけの自分。
自分は不幸をこうむることなく、誰かの不幸の隣に行ってはまるで自分の不幸かのように振る舞い、その姿を他人に見せつけることで、人からの同情や優しさ=愛を受ける主人公。
妻も完治し、毎朝ケーキを作ってくれた隣人も(当然)来なくなり、クリーニング屋に妻が治っていないとついていた嘘がバレ、ついに自分の周りに不幸がなくなった。不幸だったころ(妻が昏睡状態だった頃)を思い出し、ふと病院に行って名も知らない昏睡状態の男にキスをする。(あぁ…あの頃、妻が昏睡状態だった頃が愛おしい)と思ってしまう。
“愛おしい”と。
そうしてタガが外れた主人公は、自ら“最悪の不幸”をつくりだしてしまう。
“最悪の不幸”とは、自分の父親が死に、昏睡状態から奇跡の復活をした妻が死に、我が子が死ぬという“最悪の不幸”。しかし、それはこの男にとって“最高の幸せ”。
最悪の不幸の隣にずっとい続けられるのだから、この上ない、この男にとっての幸せ。
ただ、それでも本当の涙は流れない。なぜなら、あの時の朝のケーキやクリーニング屋の優しい言葉など「愛情を受けられる喜び」の方が勝っているから。これ以上ない最悪の状況を自らつくったにもかかわらず、本物の涙は流れない。さすがにここで主人公は(自分は満たされない)と気づいたのかもしれない。
オチでは、主人公と一緒に沖までボートに出て海のど真ん中に置いてかれた飼い犬が浜に戻ってきた。
不幸(幸せ)は続かないということを示唆している。
映画としては退屈だし、オチに頼りすぎなきらいもあるが、考えさせられる内容でおもしろい。