「人生に敗北した中年男の贖罪と再生をめぐる運命劇」スティルウォーター 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
人生に敗北した中年男の贖罪と再生をめぐる運命劇
1)主人公は贖罪と再生を求める人間
主人公ビルはまともな仕事もカネもない、貧相で人生に敗北した中年男。妻とは死別し、一人娘アリソンはビルを嫌がって仏マルセーユの大学に留学したが、同棲していた女性を殺害して現地の刑務所に収監中という最悪な状況だ。
彼は定期的にフランスに行って娘に面会するのだが、これは若い頃に荒んだ生活をしていて、彼女や母親に何一ついいことをして上げなかった罪滅ぼしのためである。彼女を救うことは自分の贖罪と再生につながる訳だ。
ところで殺人罪で有罪のアリソンは初めから無実の罪を主張していた。そして、ひょんなきっかけから微かながら真犯人の手掛かりが浮かび上がるのである。
2)フランスで訪れる運命のいたずら
弁護士は相手にしてくれないため、ビルはあらゆる伝手を辿って犯人を捜し回っていく。その過程でフランス人母子と知り合いになり、犯人捜しを手伝ってもらう。
手掛かりはごく小さなものでほとんど絶望的なのだが、贖罪と再生のかかったビルは諦めるどころか、知り合いになった母子の家庭に間借りし、現地で仕事まで見つけて働きながら探し続けるようになる。
ビルと娘の女児は大の仲良しになって、やがて3人は親子のように暮らし始める。若い頃とは反対に、善き父の自分にすっかり満足していくのである。
ところがそこに運命のいたずらが訪れる。女児と行ったサッカー試合で、ビルは観衆の中に真犯人を見つけてしまうのだ。
彼は犯人を追跡、拉致して、母娘と棲むアパルトマンの地下に監禁する。するとその男は自分が殺害したと自白する。やはりアリソンは無罪だった…と思いきや、彼は「同居娘をいなくさせるようアリソンに頼まれた」から殺害した、というではないか。
ビルの贖罪の努力は徒労に終わった。そればかりか監禁していたことが母にバレて、部屋を追い出されてしまうのだ。
3)二転三転する運命
ところが運命は二転三転し、真犯人の証拠が出たことからアリソンは釈放される。揃って帰国した後、彼女は「自分が依頼したのは同居娘を追い出してくれということで、殺してくれということではなかった」と泣いて告白する。
しかし、アリソンの依頼が殺人のきっかけとなったことは間違いなく、法的には無罪としても道徳的には大きな責任を負っている。ビルの努力は彼女にとってよかったのかどうか、はっきりしない。ということはビルの贖罪が果たされたのかどうか、不明確だということだ。
しかも、ビルはフランスの母子からも追い出されてしまった。彼のやったことは何だったのかという疑念が、ラストシーンを見た観客の心中にモヤモヤと湧いてこざるを得ない。
4)最後のモヤモヤをどう捉えるか
映画のテーマや製作者の意図を検討したくなるのは、既存映画のパターンにあまり当てはまらない場合だ。『スター・ウオーズ』や『ジェイソン・ボーン』シリーズなど、そもそも検討する必要がないw しかし本作の場合、モヤモヤをどう考えるかという疑念から、整理し直したいという欲求が生じてくる。
そこで効いてくるのがビルの最後の言葉。彼は地元の変わらない風景に「以前とはまったく違って見えるよ」と語るのである。
ビルは娘アリソンの救出に向けて精一杯努力したものの、アリソンは彼の努力に値する人間ではなかった。しかし運命は皮肉にも彼の努力とは無関係に、フランスで彼が愛情を注いだ女児との交流から、過去のひどい生活でズタズタになった心を再生させていたのだ。それがこのセリフに込められた意味であろう。
ここから結論をまとめれば、本作は「人生に敗北した中年男の贖罪と再生をめぐる運命劇」ということになるだろうか。