グリーン・ナイトのレビュー・感想・評価
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「お前に私の首斬らせる代わりに1年後、今度は私がお前の首を斬るから...
「お前に私の首斬らせる代わりに1年後、今度は私がお前の首を斬るから緑の礼拝堂に来い」「Yes」緑の騎士からの提案「死のゲーム」に了承したガウェインは、約束守るべく緑の礼拝堂に向かうのだが…。
旅の途中、色んなトラップがガヴェインを襲う。とにかく次々に試される倫理テスト。そこで顕になる、怠惰な自分との葛藤。
果たして、ガヴェインは倫理テストをクリアし、無事礼拝堂にたどり着けるのか。そして、自分の首を守るのか、あるいは差し出せるのか否かー。
己の矜持とは何かがテーマでもあり、全体的に幻想的で抽象度が高く、夢との境も曖昧。モノに仮託した哲学や試される倫理の内容も、説明が少なく、分かりやすい何かではないし、物語に大きな起伏があるわけではない。
性に飲まれ、欲望に負け、倫理に叛き、約束の瞬間に怖気付く主人公。怠惰なキャラクターは漢らしさへのアンチテーゼのようでもある。
光と影、闇の使い方が上手い。圧倒的映像美。アリシアビキャンデルが妖艶。主人公を惑わすバリーコーガンの好演。
赤と緑の生涯をどう歩むか
キツネという誘惑の象徴がつきまとう偉大なる探求の旅路の果てに、たかが遊び事の守らなくてもいい約束を律儀(バカ正直)に守る騎士道を貫き通せるのか?名誉よりも人間の腐敗…愛や血、欲望の赤のあとに腐朽の緑が来る。それはどれだけ拭い去っても気付けば広がっている、恐ろしく身近なもの。始末の悪い、美徳さえも侵される切っても切り離せない人間の汚さ。
素晴らしい撮影やプロダクションデザイン、そして豪華キャストが織り成す壮大で厳かながらシンプルな物語は、人間の弱さと本質を炙り出すように惹きつけられる魅惑的な、一遍の"詩"。"人の振り見て我が振り直せ"ならぬ自分の行く末を疑似体験することによって深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。覚悟が試される。
The Journey Out
実に見事なゲーム。ある意味では『素晴らしき哉、人生!』要素もある、非常に見応えのあるお一人様(?)内省"クリスマス映画"だった。ホリデーシーズンに自分自身と向き合うのにピッタリ。日本の宣伝で"A24史上〜"とか言う前にデヴィッド・ロウリーだろ!首≒アイデンティティー?権力?
デヴ・パテルという天才的なキャスティング。王家の血を引きながらも、必要だったいわば証明の場。その結果、わざわざ自ら首を切り落とされに行くことに。有言実行に他人の目、昔はとりわけ記録するものが無いこともあって生き残った勝者によって都合よく語られる物語=権力の歴史。
The Journey Home
例えば『ロード・オブ・ザ・リング』等のように、いざとなれば人間の弱さが露呈するように試される己の決意。この旅がショーン・ハリスに始まり、ジョエル・エドガートンに終わるの最高すぎるし、日本公開のタイミング的には二人の共演作であるNetflix映画『ザ・ストレンジャー:見知らぬ男』を思い出した。大好きバリー・コーガン君とアリシア・ヴィキャンデルも流石。
Friends, boys and girls all!
P.S. 好きな監督だし、本国公開時から見たかった作品やっと見られた!
神話の類似性?
正直があんまり面白く無かった。
アーサー王伝説は結構好きなんだけど、よくよく考えたら、アーサー王の後の治世というのは良く知らなかった。
この話は、アーサー王の後の治世を少し描いているのだけど…。作り話という話もあるし…。
5世紀後半なら日本だと聖徳太子の時代だけど、当時のイギリスに文字で書かれた歴史書がなかったということを、物語っている気もする。
そうなると、仮に実存の人物であったとしても口述伝承ということになり、それって日本でいうところの神話な訳で…。
よくギリシャ神話と日本の神話(古事記とか)の類似性が指摘されるけど、この話って、なんとなくではあるが、『古事記』の大国主神話を彷彿させた…。
大国主命も実は何度も死んでたりするし…というようなとりとめもない感想でした。
結局、よくわかりません。
大いなる駄作
本来良いテーマと映像を台無しにした、脚本と監督の無能さにはあきれます。
最初の30分と終わりの20分以外は不要では。
1.母親と恋人が作ってくれたお守りはなんの役にもたっていない。
2.悪少年達にあまりにあっけなく捕まり、ただ放置される
3.オオカミ/キツネがでてくるがほとんど役割がない
4.巨人達に至ってはでてくる意味がまったくない
5.助けてくれた城主ややけに色っぽい奥方はなんの意味があるの
少し暗すぎるきらいはあるが映像は良いのにね。
デビッド・ロウリーとかいう監督はとことんだめな人ですね。
上映館が少ない理由がよくわかりました。
オトコを捨てに行く旅
アーサー王のぐうたらな甥ガウェインがクリスマスの晩餐で緑の怪物と首を切りゲームにのってしまったことから、1年後首を切られるために旅に出る話。
A24らしく、無駄に重厚な音楽とアートな画作りで小難しそうに見えるけど、私は「どうしようもない道楽息子を次期継承者にするための身内のお節介」の話として捉えた。
アーサー王の息子は戦争で死んだ?っぽくて、次の継承者が甥しかいないのに毎日堕落した日々をダラダラ過ごしている上に、男性としての機能も不全で次の跡継ぎも危うい、このままガウェインに継がせるのは無理だと判断したアーサー王とその妹の策略が、あのゲームだったのかなと。あの手紙書いてたのガウェインのお母さんだったし。
ガウェインの想定される結末は3つあって、1つは本篇のラストちゃんと覚悟を決めて騎士になる、2つ目は夢オチで提示されたように途中で逃げ帰って王位を継ぐ、3つ目が普通にあっさり首を落とされて死ぬ。どの結末になっても王家にとって悪いことはあまりない気がして、2つ目の夢オチもとりあえず女の子は残ってるから王家の血統は途絶えないし、殺されちゃったら殺されちゃったで正当な理由をつけてちゃんとした別の継承者を探せる。まぁ、ガウェインは最良の選択をできたわけだけども。
ずっと適当に生きてきた男が試されて、最良の選択をする時、ガウェインは男らしさの象徴的な、つけてるとEDが治る魔法の腰巻きを手放す。この瞬間、『指輪物語』よろしく宝物を捨てに旅に出る話だったんだって妙に納得した。英雄譚も持ってないし男としても機能しない男が、一人前の騎士として"男になる"話じゃなくて、"男を捨てる"清々しい話だった。
永遠の相の下に生きる
2021年。デビッド・ロウリー監督。アーサー王伝説に連なる伝説を映画として翻案。アーサー王の甥でありながら怠惰な男が、「緑の騎士」という不思議な騎士の挑戦を受け、人生の意義を探究する、という話。事後的にウィキペディアをさらっと見たが、結末以外はほぼ伝説の物語をなぞっていたのだとわかる。欧米の人たちにはどの程度知られた話なのだろうか。
カット・イン・アクションがあるかと思えば長回しもあり、CGと実写を混ぜ合わせた映像もある。音楽とも自然の音とも言い難い音響もあり、光と闇のグラデーションもある。生きている者と死せるもの、人間と人間以外の物に境がない物語内容も相まって、多彩な映画技術、映画体験が詰め込まれた贅沢な作品。
主人公を守ったり、助けたりする多くの人物や動物や死者が現れるが、それらに頼ることをやめる「覚悟」が問われるという物語。単に後悔しない人生の「覚悟」程度のことではなく、永遠の相の下で今を生きる「覚悟」。「永遠の相」を映像として見せる技術がすばらしい。この映画をみれば誰もが哲学者になってしまうのではないか。
血縁であっても適正の無い者を王にはしないのよ。
A24なのね。やっぱり良くも悪くも一筋縄で行かない映画です。
高校の頃にアーサー王伝説にはまり、この話も目を通したはずなのに黒騎士や聖杯の話とごっちゃになって忘れてました。実績のない人間が王様になれるのだろうか?王の資質とは?って話なんだけど改めて今回見て映画用に誇張されてるとは言へ、寓話的、示唆に富む話だなぁと思う。確かこの話もいくつかの民間伝承が円卓ファミリーに吸収されてアーサー王伝説体系に後から組み込まれた物だったと思う。
少々長いかなぁ、、と思ったけど諸説ある話は端折ると色々言われるからね。お腹いっぱいになる中世の寓話、監督に付き合ったA24がえらい。
ケルト系古代の香りプンプン。グゥイネヴィアとか、ガウェインとかキャステングも思いっきり掘り込んでる最新の解釈だと思う。
私だけだと思うがデーブパテルがイギリスのGentle Giantという古いプログレバンドのThe Power and the Gloryというアルバムのジャケイラストそっくりで笑ったww。スラムドッグも大きくなったもんじゃ。
あとバリーコーガンは気になる数少ない男優です。
お経を面白いと思うなら、これも面白いのでは
面白かったー!
世界一美しい「ケルズの書」の丸みを帯びたハーフアンシャル字体。動物、紐、円環の十字架。精霊も死者も動物も永遠に循環する存在だ。人間が朽ち果てようが、緑の新芽が地球を覆う。人間の存在などものともしないケルトの森林、地球の力強さに救われるような思いがする。
ロウリー監督は、魔法とスピリチュアルな中世の騎士物語を、見事に現代の若者に巻き直してみせた。最高過ぎる映像で!
ガウェインには栄誉や偉大さが「ない」。今の時代で言えば、立派な仕事や夢だろうか。
これには自分が一番がっかりしてしまう。しかし、いつまでもがっかりしているのは、まずい。こんなとき、人生には何かが向こうからやってくるときがある。これが「やってくる偶然」だ。
ある日グリーンナイトがやって来た。「やってくる偶然」は自分の意思じゃない。向こうからやってくる。
グリーンナイトは1年後のクリスマスに迎えに来るように約束をさせる。そこで自分はどんな展開が望むのか。「迎えにいく偶然」には自分の意思がいる。
1年間、自分が何を求めているのかを試行錯誤しておくという準備が必要だが、若者にとって時間はあっと言う間に過ぎ、冒険の旅が始まる。
「やってくる偶然」と「迎えにいく偶然」が鍵と鍵穴のようにピタリとハマったとき、人は何かを察知し覚悟するようだ。
このまま帰って、死んだような表情で王座に座っている自分を察知したとき「傷つかない紐」を自分の意思で手放した。自分が求めていたもの。それは人生を自分て決めることだった。
グリーンナイトは死と再生。怖いけど、とっても有難い精霊なのだ。
ひょっとして、ボヤっとした息子に、魔法使いのママが遣わした?
動物と一緒の旅はいいね
A GHOST STORYではゴースト・ライト、ゴースト・ミストとでも呼ぶべき、日常生活で時々出会う不思議な光たちに魅了されました。
本作でも、特殊効果でない、幻想的な自然現象がふんだんに写しこまれていて
同じく大変魅力的だった音響・衣装も堪能でき(ゴーストの美しいシーツが衣装デザイン賞をとればいいのにと思っていた!)最高に楽しかった。
ストーリーも私にはエンタメ性がありました。
ただラスト近くのお話のまとめ?は、急に覚醒を求められ、そこはちょっと苦痛を感じてしまったかな。
個人的にはただもんわりと霧につつまれるように終わっても良かったです。
とはいえ、とても満足。
デヴィッド・ロウリー監督の次回作も楽しみにしています!
物語自体は説明が少なく、分かりにくいけど、圧倒的な映像がそんな不満を帳消しに。大人の心にこそ響くダークファンタジー。
本作の原作は、中世文学の最高傑作との呼び声も高い14世紀の作者不明の叙事詩「サー・ガウェインと緑の騎士」。「指輪物語」の作家J・R・R・トールキンが現代英語に翻訳し、広く読まれてきました。この魅惑的な原典を、自分の内面と向き合って成長してゆく若者の幻想的で奇妙な冒険物語へと大胆に脚色したのは、『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』で知られるデヴィッド・ロウリー監督です。
本作のバックボーンには騎士道精神があり、冒険の旅をする若き主人公に 「人間としての品格をいかにして、自分自身の中に見いだすか」というテーマを託したそうなのです。
根本は「スター・ウォーズ」に通じる英雄譚ですが、波瀾万丈の活劇よりも独特の世界観と映像美に圧倒されました。
物語の主人公であるサー・ガウェイン(デヴ・パテル)は、アーサー王(ショーン・ハリス)の甥であるというのに、まだ正式な騎士ではありませんでした。彼は人々に語られる英雄譚もなく、ただ空虚で怠惰な日々を送っていたのです。
クリスマスの日。アーサー王の宮殿では、円卓の騎士たちが集う宴が開かれていました。その最中、まるで全身が草木に包まれたような異様な風貌の緑の騎士(ラルフ・アイネソン)が現れ、“クリスマスの遊び事”と称した、恐ろしい首切りゲームを提案します。
それは勇気ある者に、見事騎士の首をはねることできたら、騎士の持つ斧を与えるというものの、その代わり「1年後のクリスマスに、私を捜し出し、私からの一撃を受けるのだ。顔への傷、喉の切り裂き…やられたままやり返し、信頼と友情と共に別れよう。」というのです。居並ぶ騎士たちが尻込みする中、その挑発に乗ったガウェインは、彼の首を一振りで斬り落とします。 それでも騎士は悠々と首を拾い上げ、1年後に待っていると馬で立ち去るのでした。
。それは、ガウェインにとって、呪いと厳しい試練の始まりでした。1年後、ガウェインは約束を果たすべく、未知なる世界へと旅立ってゆきます。気が触れた盗賊、彷徨う巨人、言葉を話すキツネ…生きている者、死んでいる者、そして人間ですらない者たちが次々に現れ、彼を緑の騎士のもとへと導いてゆくのでした。
物語は不可解。まずゲームの意味が分かりません。勝ってもなんの見返りもないのです。なんでわざわざ相手を捜し出して、首を切られに行かねばならないのか。見ている方の疑問をよそに、1年後にガウェインは約束通り旅立つのです。
ものものしい緑の騎士をはじめ、登場人物はことごとく謎めいています。冒頭からの30分。アーサー王や女王(ケイト・ディッキー)は重々しく、舞台となる円卓のある大広間は薄暗く、光が闇に沈んでいた邪悪な魂、不気味な気配を浮かび上がらせるのです。
加えて、振る舞いが普通ではなく魔女のようなガウェインの母親(サリタ・チョウドリー)や、旅の途中で出くわす盗賊(バリー・コーガン)、そして裸の巨人との遭遇。さらには、たどり着く城とその主人。そんな異形の者たちが、説明なしに次々と登場し、通り過ぎていくのです。
登場人物も彼らとの挿話も、神話的で寓意に満ち、さまざまな解釈ができそうです。
緑の騎士を自然の象徴として、1年の間に死と再生を繰り返す緑の循環と、人間との相克を読み取るというような解釈もできることでしょう。でもそんな解釈は、後からゆっくり考えればいいのだと思います。本作は怪奇でありながら映像美に溢れた独特の雰囲気にどっぷり浸るべき作品なのです。
ガウェインも、原作の立派な騎士から、まだ騎士にさえなれない、未熟な若者に改変されていました。アーサー王にまつわる壮大なストーリーと思って見始めると、ガウェインが言い訳ばかりのなかなか怠惰な人間として描かれていて、神話や英雄を捉え直すような試みに監督の独創性を感じることができます。
まだ語るべき物語を持たない主人公だからこそ、冒険を通して自分と向き合っていく過程に引き込まれることでしょう。緑の騎士からのゲームの提案も、ガウェインが次の王に相応しい人物としての試練を与えるものだったと解釈すれば、スッキリ腑に落ちるのではないでしょうか。
そんなガウェイン役のパテルが見せる情けなさが漂う表情も、この旅に説得力を与えていると思います。最後までガウェインの冒険は続きます。言葉を話すキツネやさまよう巨人などのキャラクターや、幽霊のような少女に泉に導かれるエピソードや、たどり着いた城で城主の妻に誘惑されるエピソードなども、光と闇が印象に残ります。
一方、盗賊と出会う荒れ野の場面や世話になった城主と別れる森の場面などはロケ撮影が素晴らしかったです。荒涼とした原野と広い空、うっそうとした森に人物を配した映像は一見すると絵画的だが、実は映画的だと思います。
盗賊と馬上のガウェインのやりとりを捉えるカメラは、後退しながら2人の歩行に延々付き添います。森の風景をじっと静止画のように見せ続けることはせず、短くカットすることもちゅうちょしない。デヴィッド・ロウリー監督の独創的な映像は、美しいだけではない。あくまで映画的であることにこだわった成果といえるでしょう。
本作でガウェインの物語自体は説明が少なく、分かりにくいことでしょう。ちりばめられた象徴を読み解くのも容易ではありませんが、圧倒的な映像がそんな不満を帳消しにしてしまいました。大人の心にこそ響く映像美あふれるダークファンタジー。傑作ではあります。
最後に原作の最後のシーンを紹介しておきます。本作の結末とは全く異なりますが、緑の騎士のゲームが意図したものは何だったのか、ヒントにはなるのではないでしょうか。
●『ガウェイン卿と緑の騎士』第四部より抜粋(WIKIより)
実は、緑の騎士はガウェインが逗留した城の城主、ベルシラック(Bercilak)だったのだ。城に泊めたのも、后に誘惑させたのも、すべてガウェインの度量を試すために仕組んだ罠だったことを打ち明ける。寸止めを二度したのは、ガウェインが約束通り、物品の交換に応じたことと、后の誘惑を礼儀正しく固辞したからであると述べ、傷を負わせたのは、今ガウェインが身につけている緑の帯がベルシラックのもので后から譲られたものという過ちを戒めるためだと説明する。さらに、自分が緑の騎士に姿を変えられているのは城に住む魔法使い「モルガン」(Morgan)の術によるものであると打ち明ける。二人は互いの度量と礼節、武勇をたたえ合い、ベルシラックはその功を称えるためそのまま帯を交換することを提案する。ガウェインは快諾し、ベルシラックは今一度、城でもてなすことを申し出るが、ガウェインは固辞し、アーサー王宮殿に帰る。緑の騎士の帯を身につけたガウェインは、王をはじめ宮中の者から溢れんばかりの賞賛を受けて物語は終わる。
●追伸
それにしてもエンドロール中に現れる、主を失った王冠と、それを弄ぶ女の子が登場するシーンはどんな意味があったのでしょうか?女の子は何者?
えっ、このシーンいります?の連続
2022年劇場鑑賞275本目。
アーサー王率いる円卓の騎士の中でもランスロットと双璧をなすガウェインの話ということで
結構楽しみにしていたのですが思ってたんと違う!
A24作品って自分とあんまり相性よくなくてちょっと嫌な予感もしていたのですが
原作の叙述詩にあったから仕方ないのかもしれませんけども、そもそも発端が
「クリスマスの祝いの席に緑の騎士がやってきて「一騎討ちをしろ、俺に勝ったら1年後に俺のところに来い、同じ目にあわせてやる」と1年後にそちらへ行くメリットが全くない提案をされましたが、
王の甥という立場だけで実績のないガウェインが渡りに船とばかりに挑戦を受けることになりました。
ここからソードアクションだ!と思っていたら思い切り緑の騎士が首をのばして「さぁここを斬りなさい」 じゃあ斬れないよ 武器を持て!となりそうなものですが、ガウェインくん王様に「いいの?」とアイコンタクトをして普通に首を切ってしまいます。 いや勇気ってそういう示し方じゃないのよ。
約束通り1年後に殺されに向かう(どういうこと?)旅の途中で色々な不思議な体験をするのですが、特に何かの伏線になっているわけでもなくただ不思議なことが起きたよってだけの話でした。
ダークファンタジー
タイトルなし(ネタバレ)
【良かった点】
章ごとにお洒落すぎて読めない英語が表示されるだけでワクワクが止まらないこの厨二的感覚をくすぐる最高な演出。まるでオープンフィールドRPGをしているような世界観と壮大な自然、そして仲間キツネ。斧を返しに行くだけなのにこんなにも胸踊る冒険は他にない。
【良くなかった点】
戦士、騎士の旅路ではないのでこれといって大きなアクションシークエンスはない。ただ歩き、走り、逃げ、隠れ、キツネと暖を取る。個人的には楽しめたが、派手な展開を期待すると若干ズレが生じる可能性あり。
好みは分かれるかも
怠惰な一人の人間のためにつくられた旅路なので、主人公ガウェンに今一傾倒できず、なかなか入り込めなかった。黒魔術のような雰囲気もあり、悪魔の声に誘惑されながら進む道筋。緑の騎士の約束を守るということは、死を意味しており、はたして行くのか辿り着けるのか、逃げるのか立ち向かうのかと動向を色々考えながら鑑賞しました。
良かったところは、高貴な人と緑の教会に着いて緑の騎士が目覚めるまで待ってるシーンが好き。派手さはないけど幻想的で耳を澄ませたくなるような厳かな雰囲気が良かった。
それから、身ぐるみ剥がれてからのガウェインがひもじくなり、よたよたとして薄汚くなっていくけど、私にはその姿がとても魅力的に見えた。逆に身綺麗になればなるほど醜く見える。
後半はほとんど台詞がなく、映像だけで進むので思案しながら観ることに。場面展開で状況を推察するのにちょっと疲れた。
好みが分かれそうですね。でもあえてそういう風につくっているのかも?
ちょっと待った!はOKです。
原作未読。
名誉を手に入れ騎士と認められる為に旅に出るアーサー王の甥ガウェインの話。
クリスマスの宴の席で語れる武勇伝が無いと言ったガウェイン達の前に緑の騎士が現れて巻き起こるストーリー。
緑の騎士の首を落として1年後のクリスマスに緑の騎士との約束を果たすべく、緑の礼拝堂を目指すけど…騎士道精神とは何ぞやというものが問われている旅ということですかね?
まともに何かしたのは泉ぐらいじゃない?それも対価を気にしていたし。
辱めで少しは成長したっぽいけど、なんだかゆった~り薄暗~いところを旅して誘惑されまくって夢見てはいOK?
スイマセン、私にはこれの面白さが解りませんでした。
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