グレタ ひとりぼっちの挑戦のレビュー・感想・評価
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アスペルガーという個性が、温暖化に苦戦する世界の“ジャンヌ・ダルク”を生んだ
スウェーデンで生まれ育ったグレタ・トゥーンベリ、2018年8月当時15歳。気候変動に対する政府の無関心に抗議するため、1人で国会議事堂前に座り込んで学校ストライキを始めた初日から、本作のカメラは彼女の姿を追う。グレタに賛同して座り込む若者たちが増え、SNSで拡散したことで、彼女の影響力は国境を超える広がりを見せる。早急な温暖化対策を訴え毎週金曜日にデモを行う「Fridays For Future」(FFF)など、賛同者は今や世界で700万人に及ぶという。
このドキュメンタリーは、グレタが抱えるアスペルガー症候群についても率直に伝えている。症状の中に、ひとつの物事に執着する、こだわり続けるという特徴があるそうだが、それこそが彼女が気候危機にこだわり続け、若くして気候正義のムーブメントを主導する存在にまでなった要因であったことを本作は教えてくれる。
周知のように、“地球温暖化との戦い”は長らく苦戦が続いているが、グレタは敗色濃厚で意気消沈していた人々や、未来に対して無力だと感じていた若者たちを奮い立たせたという意味で、百年戦争で劣勢だったフランス軍を導き奇跡の逆転をもたらしたジャンヌ・ダルクのような存在になるのかもしれない。ただしグレタは、温暖化を否定する大人たちの多くから反感も買っていて、殺害予告まで届いているという。ジャンヌ・ダルク同様に殉教者となることだけは、あってはならない。
アンチも多いが、グレタちゃんは本物だと痛感
国連での怒りのスピーチであまりにも有名になったグレタちゃん。環境問題を若者の立場から辛辣に発言し、「若いのに生意気だ」などアンチなオヤジも多数呼びよせてしまった彼女ですが、このドキュメンタリーは、国連に呼ばれるずっと前、スウェーデンで登校拒否ストライキをたった1人で行っていた頃からの密着案件です。世界中で人気者になっていますが、その反面、本人の葛藤もシリアスです。これ見て、応援したくなりました。ブレずに成長して欲しい。
地球人の民度
持続化可能な社会。
不勉強な私にはグレタさんの危機感を感じ取る知識はないが、この行動は確実に地球人の民度を上げる行動に違いない事はわかる。
本作には演出的な編集も多く、どういった効果を狙って作られたかは分からない。ただグレタさんがキリストが殺された様に、社会や信者から抹殺され神格化されそうなのが、ひしひしと伝わった。
ナウシカの様に人間の味方か、または対局の存在か。
現実の世界でこんな人間もいるのかと驚かせれる。
言うのはさほど難しくなくても行動するのは大変なこと
スウェーデンの若い環境活動家グレタ・トゥーンベリを追ったドキュメンタリー作品。
2018年8月、15歳のグレタは気候変動に対する政府の無関心に抗議するため、ひとりで国会議事堂前に座り込み、学校ストライキを始めた。毎週金曜日に行っていたこの活動は世界中の多くの若者の心を動かし、数カ月のうちに国内外へ広がった。その後、2019年のニューヨーク国連本部での気候行動サミットで涙ながらのスピーチでさらに注目を浴びた。
気候問題に関する知識と行動への覚悟をしている彼女が国連のグテーレス事務総長やフランスのマクロン大統領、ローマ教皇ら世界のリーダーたちと議論をする様子を映し、注目を集める前から彼女に密着し、動物たちと戯れる姿や、アスペルガーの症状について分析する様子、重圧と向き合い葛藤する姿、彼女の行動を支える家族の姿も映し出したドキュメンタリー。
最後に近いシーンだが、ヨーロッパからアメリカまでヨットでいくシーンが有ったが、ほとんどギブアップ状態だったように見えた。飛行機や動力船を使わない移動の大変さを身をもって体験して何をどう感じたのだろうか。
言うのは大変だが、行動することはもっと大変なことだと思う。みんなそんなに時間を十分持っているわけじゃないし、経済的に十分な生活を送れているわけでもない。
ただ、自分の行動について考えるきっかけにはなった。問題提起としては素晴らしいと思う。
現代のシモーヌ・ヴェイユ
断片的にしか伝わってこなかったグレタ・トゥンベリのこと、気にかかっていました。
この女の子のこと、もう少し詳しく、その人となりを知りたくて塩尻市の東座に。
見ごたえありました。
ご両親の姿や、愛犬や厩舎の馬との心の通わせ。そしてぬいぐるみがたくさんのファンシーなmy room のご紹介。
そうそう!たくさんの泣き言も彼女の口から聞かせてもらいました。
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「人に拠らず、事(言)に拠る」
というテーゼがある。
誰がそれを言ったか ではなく、
“何がそこで語られていたのか”
という、発せられた言葉のみに向かって聞き手の覚醒を促すテーゼ。
言葉にこそ向かいあうべきだ、とのチャレンジ。
とかく人類の歴史はそれを苦手としてきた。
・〇〇人のくせに
・女のくせに
・年下のくせに
・子供のくせに
・障がい者のくせに
・親にも問題があるらしい
・プロ市民
だから
グレタは黙れ。
グレタはわきまえるべきだと来る。
大人たちの当惑と嫌悪、そして生理的拒否反応が記録されていてすごい。
グレタの矛盾や欠けを暴いて「だからこの小娘の人格は信用出来ない」それゆえ
「その言説も一切聞くに値しない」と切り捨てるスタンス。
国連での「あなたたちはよくも抜かしたものだ」の稀代の名台詞も、発せられた状況がよく解った。
大人たち、とりわけ男たちの激昂ぶりは、彼らのうろたえる心中をあぶり出すものだろう。
「家に帰りたい」
「学校に戻りたい」
「責任が自分には重すぎる」
と、
震えながら荒ら海の大西洋を渡ってきて、マンハッタンの港に上陸しての第一声。世界中の大人たちに向けての国連でのあの第一声だったわけだ。
ガンジーもマンデラも、
キング牧師も、
武器を持たずに、ただ言葉と行いによって世界の歴史を変えたことを想い出せるのであれば
スウェーデンの少女が一石を投じ、その行為が正しかったのかも知れないことは、彼女にも同様に加えられた妨害の大きさに反比例して逆説的に証されたと言えるのではないかな。
「環境問題についてはみんなも私のようにアスペルガーであったらいいのに」・・
しかめっ面だけどこんな砕けたセリフで笑わせてもくれる女の子。
明るさとユーモアを感じさせるグレタ。
地球の環境破壊を知り、食事も喉を通らずに痩せ細って伏せってしまったグレタ。
頑固さも柔軟性も兼ね備えていて、魅力的な人だと思う。
(パリに暮らして、遠くインドシナの子供たちの飢餓に共感し食を減らした=行動する哲学者、シモーヌ・ヴェイユを思い出した)。
注意すること。
物事を見つめること。
傷ついた地球に寄り添うこと。
この一点一点に固執するグレタ・トゥンベリ、
今週もあの子は金曜日には、スウェーデンで、議事堂の前に座っているわけだ。
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コロナ禍で
《こぢんまりと生きる道》を示された我われ。
我慢と節制を受け容れる生活も、心ならずも実現出来ている今日日。
コロナの自粛は、ある意味生活を省みる“好機”だったのかも知れない。
地球からの“ギフト”だったのかも知れない。
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【人前で話すことが苦手な女の子が、たった一人で学校ストライキを始めた訳。自分の性格に悩みつつも、世界各国の首脳に激しい怒りと哀しみを叩きつける演説シーンが心に残るドキュメンタリー作品。】
ー 2018年、新聞にグレタ・トゥーンベリが、”大人たち”の気候変動対策の緩さにたった一人で抗議活動を開始し、大きな動きになって行った事。
それに対し、トランプが揶揄するようなツイッターを発した事は、良く覚えている。
だが、彼女がアスペルガー症候群を持ち、鬱症状にも苦しんでいた事は知らなかった・・。ー
◆感想
・当初は、グレタ・トゥーンベリの活動は親か環境団体に担がれているのではないか?と、懐疑的に思っていた。多少の懐疑的な想いを抱きながら。
だが、今作を観てその様な、下衆な考えは吹き飛んだ。
・グレタ・トゥーンベリは、何故に気候変動対策の緩さに、危機感を抱き、勇気ある行動を取ったのだろうか。このドキュメンタリーでこの核心を、もう少し描いて欲しかった気持ちはある。
・彼女の行動は、国連や各国の首脳(仏蘭西のマクロン大統領やローマ教皇との対話のシーンが描かれている。)に波紋を起こしていく。
- だが、彼女は冷静に自分に群がる国連、政治家、メディアを見ている事が分かる。彼女の問いに、正面から誠意をもって答えていないからだ。
あのままでは、彼女は単なる客寄せパンダになってしまったであろう。-
・印象的なのは、彼女を必死に支える父親を含めた家族の姿である。
- 殺害予告などが来たら、活動を止めるように説得するだろう。だが、父親は彼女を支え続ける。-
・グレタ・トゥーンベリが大人たちの誹謗中傷により、悩み、ベッドから出れない状況も、このドキュメンタリー作品では、キチンと映し出している。
・又、活動を進める中で、彼女の症状が改善していく過程も、キチンと映し出されている。
序盤は殆ど表情の変化が無いグレタが、後半では時折、声を上げて笑う姿が映し出されているシーンは、心を動かされた。
- 彼女の祖母と思われる女性の、彼女が楽しそうにケーキを作る姿を見て涙する姿・・。-
<地球温暖化による気象の激甚化は、作品中でも描かれているように、明らかに世界各国で多発している。
だが、プーチンやトランプはその事実を否定し、彼女を子供扱いするようなコメントを述べている。これが、世界の実情であろう。
私が所属している会社でも20年前からCo2排出量削減に取り組んでいる。
が、申し訳ない限りだがナカナカ進まない。
只の言い訳だが、製造業にとっては、電気・ガスを使わずに活動をするのは、至難なのだ。
グレタ・トゥーンベリさんには、私を含めたダラシナイ大人たちの動きをしっかりと把握し、自らの信念を貫き、時に叱咤して欲しい。
くれぐれも、彼女の活動が、政治的に利用されない事を望みます。>
<2021年12月19日 刈谷日劇にて鑑賞>
〈狂っている〉のは、どちらか?
気候変動の危機を伝える番組を学校で見て衝撃を受け、何日も言葉を失い、学校を休み、ストライキを始め、やがて国際会議などで必死に危機を訴えるようになるグレタさん。そのグレタさんに「世界の複雑さを学んだ方が良い」と威厳と余裕を持って応えるプーチン大統領。恐らく私たちのほとんどは、両者の間のどこか、あるはプーチン側の場所に立っているであろう。
気候変動の報道を見ると「ヤバい」と思いながら数分後には忘れている。国内あるいは国際の場で様々な利害関係を調整しながら〝出来る範囲〟で二酸化炭素の削減を図る様子を眺めて、思考を停止する。グレタさんは、どんなに自分がもてはやされ、国際会議の場に招かれて怒りを表明しても、この〝出来る範囲〟を出ようとしない各国のリーダーに絶望し怒っている。
私たちは気候変動を心配しても、政治のリーダーに怒りをぶつけたり、自分の生活を大幅に変えたりはしない。グレタさんの怒りが「正気の沙汰」ではないのだろうか?怒りまくるグレタさんが「正気」で、気候変動の事実を知っていても平常心でいられる私たちが〈狂っている〉のだろうか?放射能を心配するあまり南米に移住しようとする男性が周りに狂人扱いされ、最後は病院に入れられてしまう黒澤明監督の映画「生き物の記録」を思い出した。
この映画は、監督が偶然グレタさんの両親の知り合いだったことで、無名のグレタさんが一人で道端に「気候のためのストライキ」というプラカードを首から下げて座り込む姿を捉えている。アスペルガーの症状ゆえ、学校では孤独だったと語られるが、道端に一人で座り込む姿も孤独そのものである。しかし、グレタさんに話し掛ける人や一緒に座り込む人々が現れる。そして、たちまち大きな運動となって行く。グレタさんの怒りこそが「正気」と共感する人がたくさんいたのである。
「怒り」は、日本社会ではネガティブな感情として表に出さないことが礼儀のように思われている。また、「怒り」は自分の余裕のなさを見せているようで恥ずかしい。しかし、この感情なしには社会は変えられないのだろう。
フィクションのようなドキュメンタリー
面白かった。過不足ないバランスの良い構成で、優れたドキュメンタリーだと思いました。
たった一人ではじめた気候変動対策を訴えかける運動が世界へひろがっていき、無名の少女がカリスマ的な活動家に変化していく過程は、まるでフィクション(劇映画)を観ているようで迫力がありました。
グレタさんのパーソナリティー(彼女がアスペルガー症候群で、過去には場面緘黙などの症状もあったということをはじめて知りました)を窺い知る映像や、家族とともに過ごす姿、また国際的な要人たちと堂々と会談する場面、また「私には荷が重すぎる。家が恋しい」と弱音を吐く様子など、様々な角度からグレタ・トゥーンベリという一人の人間に迫る試みがなされていて見応えがあった。彼女が有名になる前から、よく密着撮影していたものだと、監督の熱意とその慧眼に敬意を表します。
やはり、グレタさんは、時代が選んだ人、時代に選ばれた人なのでしょう。この映画を観て、あらためてそう感じました。
とにかく、我々は変わっていかなくてはならない。
当たり前だと思っていることを、変えていかなくてはならない。それは確かなようです。
彼女は何一つブレちゃいない
スウェーデンの若き環境活動家グレタ•トゥーンベリ
最近気候変動問題がものすごく取り上げられるようになった昨今、世界に広く気付きを与えるきっかけになった彼女の人となりを知っておきたくて観にきてみた
一番世の中で喧伝されたのが、2019年ニューヨークCOP25でのあの "How Dare?" っていう強烈な演説と、その往路の移動手段に飛行機でなくヨットを使ったこと
なにも知らずに見ていたたあの頃はえらくエキセントリックな人だなと思ってたけど、アスペルガーだったことも含めていろいろ初めて知ったこのドキュメンタリーで、彼女はそのはるか以前から、何一つブレてないことを知った
逆に、いろんな人達が出てくるけど、彼女を発掘して取り上げることで自分のポジションに活かそうっていう汚れた大人の思惑ばかりがチラチラと見える
この辺のサステナビリティの話の一番ややこしいところは、急いで対応しないと洒落にならないと科学的にほぼ確定されてるのに、今の意思決定者層の多くは将来の顛末に責任を負わないこと
グレタ•トゥーンベリが繰り返し指摘してるのもそこで、若手が意思決定責任を握れるまで待ってる余裕はない、ということ、そいつらを変えるか外すかするために声をあげろということ
だから、この映画の邦題に、"ひとりぼっちの挑戦" ってつけたヤツらはとっとと放逐して更迭すべき、なぜならそれがこの作品のメッセージだから
ダメなおじさんたちには嫌われてナンボ
大人の言うことを聞かない、突かれて痛いことを言う、物怖じしない。おじさんから嫌われる若手ってこんな感じだと思う。こんな若手をかわいがるおじさんがいたりするのも確かだけど、そこには自分が言いにくいことをその若手に言わせていたりすることがある。おじさんって怖い(自分もおじさんなんだけど)。
グレタ・トゥーンベリっておじさんに嫌われる若手みたいな子に見えた。彼女を嫌うおじさんたちって、彼女の正しさと真っ直ぐさの怖さを知っているからなんだと思う。だから、痛いところを突かれたくないから潰そうとしているんだ(たぶん)。
本人はまさに真っ直ぐに気候変動の問題に危機感を持って、ほかに選択肢がないくらいの気持ちで行動に移しただけなんだろう。その行動があれ程の反応を引き出し、多くの若者を動かしたってところがすごい。
もちろん、ただ盛り上がっているだけだったり、既存の運動家に利用されているだけだったりしている側面もある。スターってこんな感じで生まれて、影響力を増やしていくんだろう。本人にしたら、セルフィーを撮ろうとするお偉方たちに辟易としてしまうに違いない。いや、自分もグレタさんに会ったら一緒に写真いいですか?って聞いてしまう気がするんだけど。
でも、若干ミーハーな感じからでも社会は変われるんじゃないかと思う。彼女が感じている焦りや責任の重さを考えるとそんな悠長な話ではないんだろうけど。
自分が思った以上の事態になって戸惑っていても、今の立場が彼女をより大きく強い人間にしていくに違いない。今後も自分が正しいと思うことを真っ直ぐに発信してほしい。
【勘違いしてはいけないこと】
この作品における気候変動問題は、かなり副次的なテーマだ。
大きな比重を占めるのは、グレタ・トゥーンベリという女性の為人(ひととなり)や、彼女に対する攻撃、アイコンとして利用とする大人たちのエゴ、そして彼女の苦悩、更に、こうしたことを通じて、僕たちにアスペルガー症候群をはじめとする発達障がいに対する接し方を問うているのだ。
程度の差こそあれ、僕たちの社会にはアスペルガー症候群を含む発達障がいの人は相当数いて、軽度の人は問題なく過ごせている反面、相当なストレスを抱えながら戦っている人も多いと言われている。
こだわりの強い科学者などに多いことは言われがちだが、アインシュタインはそうだったという説もあるし、フィールズ賞を獲得するような数学者は相当数が該当するという意見もあって、発達障がいは、人間の進化形態のひとつという説だってある。
映画「ビューティフル・マインド」のジョン・ナッシュは、統合失調症を取り上げられることが多いが、もともと発達障がいであったと考えられている。
こだわる対象が科学や数学、或いは、岡本太郎さんのように芸術分野であれば許されるが、気候変動など社会問題だとダメということはあるまい。
これは明らかだ。
なぜ、グローバル・ウォーミングにこだわるのはダメなのか。
グレタ・トゥーンベリさんを攻撃するような人は、物事を一方向からしか観察していないからではないのか。
先般、NHKの「ブラタモリ」で、NHKの博物館が建つ愛宕山の上で、タモリさんが、縄文時代だったら、ここに家を建てたいと言っていた。
なぜなら、世界的に海水面が上昇していた、所謂「縄文海進」の時代は、愛宕山の下は海で、船を停泊させるのに良い入り江が近くにあり、千葉の方まで見渡せるような景色の素晴らしい場所であったことが間違いないからだ。
縄文海進の時代は、横浜駅や川崎駅のあたりはおろか、埼玉県の草加市びあたりも海だったのだ。
内陸部に貝塚が多くあるのは、その辺りまで海が広がっていたといいう証拠だ。
そして、これが、温暖化を危惧する人々への反対派の行動の主な理屈の一つになっている。
海水面の上昇は、産業の発達とは関係なく起こるのだと。
だが、そうだったという事実だけが分かっているだけで、彼らもなぜ縄文海進が起きたのか、現在の温暖化が、それと同じなのかということは全く証明していない。
だから、議論はかみ合わないし、こうした人は、攻撃だけで証明する重要性を理解してさえいないと感じる。
世界が温暖化対策を急務とし、様々な計画を立案、徐々に実行に移されるなか、そこから生まれる産業を想像・創造することもなく、ギャーギャー言っている人の中に、ノーベル物理学賞を取った真鍋淑郎さんのように、スーパーコンピューターを活用して、今の温暖化が縄文海進の時代と同じと証明できる人がいるだろうか。
まあ、いないのだろう。だから、グローバル・ウォーミングのアイコンであるグレタ・トゥーンベリさんを腹いせで攻撃したくなるのだ。
なかにはアスペルガー症候群を攻撃する輩も出てくる始末だ。そんな誹謗中傷は訴訟になってもおかしくない。
さて、グレタ・トゥーンベリさんについて、この映画で、もっとも重要なのは、彼女がどんな人物で、どんな気持ちで生活しているかだと思う。
集中しすぎて、父親に何か食べることをキツく諭され、バナナをほうばったり、同様に一息つくようにキツく促され、拗ねたようにベッドに横たわったりする姿は、普通の親子関係だし、親が娘を心配する様子がよく分かるし、娘として親とどう接するべきなのか腐心しているようにも見えるし、反抗期みたいなものかとちょっと微笑ましくなる場面もある。
そして、国連本部のスピーチに向けて、ヨットで大西洋を横断しニューヨークを目指す中、嵐の恐怖と戦いながら電話で母親に吐露した、本当はこんな風に気候変動のアイコンになることを望んでいたわけではないという気持ち、置かれた立場から感じる恐れ、そして、それでもユーモアを交えて母親に過度な心配をかけないようにする姿を見て、グレタ・トゥーンベリさんは、当たり前のことだが、ごく普通の女の子だということが判る。
彼女をアイコンとして利用しようとするもの、自ら何も証明せずに、これを攻撃する連中、僕たちの世界の問題は気候変動だけではないだろう。
国連本部での、グレタ・トゥーンベリさんのスピーチは、かなり緊張していたように思う。当たり前だ。
だが、映画では記録されてはいないが、その後しばらくして、銃規制を求めるアメリカの高校生のデモ・集会の前で、彼女が話したスピーチは、語り掛けるようで分かりやすく、とても印象的だった。
グローバル・ウォーミングは喫緊の課題だ。だが、もう少し冷静に考えて、自らどのように取り組むのか思料する視点が、多くの人には欠けているように思う。
僕もまだまだだけれども、片道5~7キロ程度だったら自転車で移動するし、公共交通機関も出来るだけ使わない。自動車を利用することはほとんどなくなったし、赤身肉はほとんど口にしなくなって、オフィスのコーヒー用のプラスチックカップや、紙コップは使わずストージョを持って行っているし、他には何かできることはないか、少しづつだけど考えている。
変革は中央からでなく周縁から
「グレタ」は突然現れた現象ではない。グレタという名前の女の子のことを知りたかった。
もっと細かいことも知りたかったがある程度は知ることができた。戸惑って困る親。食べない、笑わないグレタ。いやいや食べる。完璧主義。馬や犬を大事に撫でたり抱きしめるグレタ。ママとレシピ通りにお菓子を作ってグレタが笑顔になってママが涙を流して喜ぶ姿。
グレタのスピーチは短い、直接的、無駄な修辞なし。場合によって涙ぐみ、場合によって怒り。人間的でいい。
グレタは言う:私は普通に学校に行って勉強したい、友達や家族やペットとのんびり楽しく過ごしたい。なのにあんたがた大人が何にもしないから私たちが動くんだよ!私達の未来のこと何にも考えてない大人たちよ!あなた方は先のことを考えなくていいほど充分生きてる。でも10代の私たちは?あんた方の後始末をせざるを得ないの?
当然の怒りだ。グレタは気候変動のデータが全部頭に入ってる。科学やエビデンスに耳を傾けない政治家と大人全てに対して、グレタは疲弊し目立ちたくないと思いながら金曜ストライキを続けている。その一人の行動がまずは豊かである国のたくさんの若い人々を動かしている。
頑なに
ときあたかも日本の次代を考える総選挙も営まれており、早々に期日前を済ませて駆け込んで観てみました。
ニュースのグレタさんをより身近に感じたことは、素晴らしい経験でした。
残念なのは彼女のいろんな国際会議に呼ばれ、より激しい言葉で首脳に迫っても、彼ら彼女はもはや脱炭素のイメージアイドルと化した彼女を、無意識に消費しつくすようなその態度でした。
フランスのマクロンさんに会う前、「各国の首脳には会いましたか?フランスが初めてなんですね」と確認された場面がそれを雄弁に物語っていました。
彼女の顔やしぐさに徒労感を感じたのは、私だけだったでしょうか?
頑なになるしかない、現代の闇を感じた次第です。
そういえば年齢は大幅に違うけれど、わが日本には眞子さん結婚というニュースも流れました。一つのものにこだわれば、言葉も態度も防衛的にならざる得ない。しかし私には彼女たちの物語には現状を打破するすごい力が秘められていると感じます。経済至上の動きに歯止めをかけ、一人一人の個性の発露に重きを置いて、現在という時を見直すべきだと思います。それが私の願いでもあります。
グレタの本当の姿
活動家というものに、尊敬の念と少し偽善者的な疑いを持っていたけれどグレタさんは本物だった!
純粋に真実を伝えて将来の為に環境を良くしたいと強い使命感を持っている。決して格好付けたいとか目立ちたいとかではない。
このメッセージを受け取ったのは多くは若者たち。大人にはなかなか響かない。でもこの映画を観たらきっと響いてくるはず。
私は少しずつでも環境に良い選択をしようと思った。
グレタは子供だと侮ってはいけない。
子供だからこそ見える真実がある。大人の事情があるのは分かるけどグレタさんの望んだ未来になるように少しでも世界を変えようではないか!
多くの人に見てもらいたい映画!!!
気候変動の転換点まで、あと少々です。
地球が、元に戻るようなことができなくなる気候変動の転換点を迎えようとしています。
気候変動の転換点は、南極、グリーンランドの氷床、北極の氷の融解、アマゾンにおける
森林伐採、海水温の上昇によるサンゴ礁が死滅によって、引き起こされます。
人々は、気候変動の転換点を直接見て、知ることはできません。
人々は、気候変動の転換点について、注目し、知り、行動することが必要です。
グレタさんは、「人間は、集団の中でそれぞれの役割を担う。
互いに助け合いながら生きて生きています」と言っています。
自分にできる役割を考えされる映画です。
2021年10月31日、日本で総選挙まで「何か」を行うために、国会議事堂の外に座って抗議する人はいません。
自分は、自分にできることは全部やった、思っています。
今、自分にできることは、この映画のレビューを書いて、人々に問題を伝えることくらいです。
自分は、地球が元に戻るようなことができなくなる気候変動の転換点を迎え、地球が破滅する
までは生きていないとしか考えていません。
アスペルガー症候群は、知的レベルが正常であり、言葉の発達に遅れもないですが、こだわりの強さ、感覚の過敏などにより、自分の行動や習慣に関しては自分が決めたルールにこだわりやすく、社会生活を送る際に困難さを伴うという人々です。
奇跡のような、年表です。
2003年1月3日、グレタさんは、スウェーデンの首都であるストックホルムで生まれました。
2011年、グレタさんは、8歳で、小学校2年生の時に、気候変動について初めて知りました。
2014年、グレタさんは、11歳で、小学校5年生の時に、地球を救うことが不可能に思えることに、
落ち込むようになりました。
SDGsは、2015年9月25~27日、国連のサミットで持続可能な開発目標として採択されました。
SDGsは、2030年までに達成すべき、17の目標を掲げ、その一つが「気候変動に具体的な対策を」
です。
2018年8月20日、グレタさんは、15歳で、中学校3年生の時に、2018年9月9日に行われる
スウェーデン総選挙まで「気候変動のための学校のストライキ」を行うために、中学校に
出席せずに、スウェーデン議会の外に座って抗議しました。
この映画が、収録を開始します。
2018年9月9日、スウェーデン総選挙で、気候変動への対策を打ち出していた「緑の党」は
大敗しました。
グレタさんは、毎週金曜日に、「Fridays For Future」と呼ばれるスウェーデンの国会
議事堂前での座り込みを始めました。
2018年12月2日から15日、グレタさんは、ポーランドのカトビツェで行われた、
国際連合気候変動会議(COP24)に招かれ、講演しました。
2019年3月15日、グレタさんは、金曜日の授業をボイコットした世界中の100万人以上の
学生を率いて、気候変動を放置していることに抗議しました。
2019年4月17日、グレタさんは、バチカンで毎週水曜日に行われる一般謁見で、
ローマ教皇フランシスコと話をしました。
2019年4月22日、グレタさんは、ロンドンで行われている気候変動への抗議活動に参加しました。
2019年8月14日、グレタさんは、米国ニューヨーク市で開かれる国連の気候変動サミットに
出席するために、ボリス・ハーマン氏の協力を得て、英国ロンドンからマリジア2という風力と
太陽光発電と水中のタービンで動く帆船で、米国ニューヨーク市に向かいました。
2019年8月29日、グレタさんは、米国ニューヨーク市に到着しました。
2019年9月20日、グレタさんは、161カ国約700万人が参加した史上最大の気候ストライキを
率いました。
2019年9月23日、グレタさんは、国連の気候変動サミットに出席し、演説を行いました。
映画のパンフレットには、この演説が掲載されています。
2019年12月11日、グレタさんは、16歳で、高校1年生の時に、タイム誌の
「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれました。
『普通でないこと』に向き合う
活動の最初からきちんと撮影されていたことに驚く。
グレタさんのお父さんとお母さん、特にお父さんの娘への愛を感じる。『普通でない』ことに対する向き合い方には相当な悩みがあったはずで、娘の学校ストライキは外に出られるようになったことが嬉しかったから見守ることができたのであろう。
ストックホルムの座り込みからからニューヨークのあの演説までの様子を丁寧に映し出す。
環境活動家の外面よりも心の内面を描いて行く。彼女にはこれしかなかったのだと思えてくる。
良いドキュメンタリー映画です。
売名行為
学校で勉強したいと訴えた状況とは程遠い彼女の日常、会議に招かれ売名行為的に利用される様子、ロックフェスの様に沸き上がるストライキ運動。
皮肉にも大量の人々に囲まれていても、本人の訴えをまともに考えている風に見える人がいない。
賞賛されながらも、トイレの節水案で誤魔化されたりする場面は象徴的で驚きを隠せなかった。
15歳の子供に痛いところを突かれた各国の首脳陣、批判する前に行動してほしい。
環境保全に抜本的な解決策はなく、貧困問題や新たな格差を生まないよう考えなければならい複雑さをはらむ
CO2を排出する最たる移動手段として旅客機のことがやり玉にあがっているが、庶民が飛行機に頻繁に乗る回数はそれほど多くはないのでは。私も人生で旅客機を使った回数は15往復ぐらいしかないように思う。車も所有していないので、旅はもっぱら電車を利用する。
米国でも、
〉NPO国際クリーン交通委員会の新たな分析結果によると、アメリカ人で飛行機をよく利用するのは少数派で、年に6往復以上利用しているのは全体の12%。この人たちが空の旅全体の3分の2を占めている。(新聞より)
とある。ということは、そもそも庶民に対して年に一回帰省することや、ようやっと貯めたお金で世界を旅してみたい、という夢に罪悪感を抱かせるよりも、一部のビジネスマンや富裕層による頻繁な渡航を制限しなければ、旅客機はより特権階級のものになり果ててしまう。
利用するごとにマイレージが貯まるより、利用する回数が増えるごとにカーボンニュートラル税を支払わせるなどの仕組みが必要では。
またグレタのように世界中の人がヨットで横断できるわけではない。
あれはパフォーマンスの部分が大きいとは思うが、結局クルーやスタッフが移動やヨット回収などのために飛行機を利用したので、批判を呼んでしまった(当の本人は泣き言をいっていたが)。
もし全世界の住民に、移動には船舶やヨット利用を推進したとしよう。小型のヨットでは難破が増えるだろうし、そうなれば船やヘリでの捜索が増える。大型船舶が増えれば、化石燃料に頼ることになる。
旅客機よりも、戦闘機など世界の軍備を減らすほうが手っ取り早い(そうも簡単にいかないだろうが)。
移動せずネットで仕事ができるようになろうとも、サーバー保持のため電力消費が増える。
電力が増えれば、グレタの反対する原発再稼働の見直しをせざるを得ない。
人が移動することが悪になってしまうのなら、人間は生まれながらの土地に縛られることになる。
食料自給率の低い国は輸入に頼っているがそれを制限されると経済が停滞し、輸出に頼る農業大国にもダメージがでる。第一次産業が停滞すれば、第三国の農民や貧困層は働き手として児童労働に頼るため、最たる人口加速を生んでしまう。
結局のところ、何かが減れば何かが増えるのであり、人口そのものが減らなければ抜本的解決はない気もして、暗澹たる気持ちになる。
過度な環境推進は、格差社会を特権階級や国家権力が庶民に押しつける口実にもなり、危険もはらむ。
グレタ支持団体は貧困層の経済的救済策の具体例をどんどん提示していかなければ、アンチが増えるだけだろう。
しかし彼女は一人一人の意識に強烈に訴えかけることには成功した。折しも急にSDGsが推進され始めたことも、追い風になっている(こういう動きは利権により一気に加速する)。
確かに食品ロス削減、家電の安易な廃棄をやめリサイクルする、フリマアプリの活用、農産物の地産地消、個人ができることは限りはあるが、できることはある。
外来種のペットを不買し、動植物を守ることから始めることも、環境保全に通じる道の一つでもある。
しかし来るべく食料危機に備え、家畜を食すことに罪悪感を植え付け、昆虫食を進めようとしている昨今の政府やメディアの風潮は、やや怖いとも感じる。その時代がきたとして、果たして富裕層が昆虫を食べるか? 金の力で上手い食材を確保するだろう。そして下層の人々には昆虫を食べさせればいい、というわけだ。
私も登山をするし、自然破壊には敏感なほうだ。
環境保全活動そのものには大いに賛同するが、その裏で首を傾げる政策や企業活動が邁進しているのも事実。
例えばアル・ゴアが進めているソーラーパネル。日本にとって、水や生態系を保持するために必要な森林を伐採してまで設置することに意味があるのかどうか。熱海のように土砂崩れが頻繁に起きるようになれば、なんの意味もない。
また、レジ袋を有料化も意味があまりないという指摘もある。
結局ゴミ袋としてプラスチック袋を利用すること、レジ袋はプラゴミの全体の2%でしかないこと、マイバッグの製造過程の方が環境負荷が高いこと、焼却炉で燃やすときに別の燃料を入れること(レジ袋の原料は原油であるため燃やすと熱効率を上げられた)などの理由が挙げられている。
レジ袋有料に伴いなぜか紙袋も有料化するなど、環境を口実にした店の便乗値上げなどもあり、消費者は注意深く判断していく必要がある。
グレタは日本が石油燃料から脱却しないことに腹を立てているが、地震大国であり先の原発事故をかえりみれば、この国が原発だけに頼ることの危機意識もある。
その国にとって適切な方法というのは全く異なるのであり、グレタのように理想論を吠えていれば解決するというものではない。
素晴らしいドキュメンタリー
グレタちゃん、15歳の女の子だったんですね!
地球温暖化問題に最初は、一人で学校ストライキから立ち上がったんですね!
様々な会議でのスピーチ素晴らしいです。
気候問題の影響から飛行機を使わず、電車とヨットで移動とは、徹底していますね!
そのグレタちゃんを批判する政治家たちには、ムカつきました!
とにかく素晴らしい作品でした。
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