「男の子のふりをする女の子のひと夏の冒険。思春期映画なのに幸せで軽やかな味わいは稀少!」トムボーイ じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
男の子のふりをする女の子のひと夏の冒険。思春期映画なのに幸せで軽やかな味わいは稀少!
非常に爽やかで、視線のあたたかな映画でした。
男の身で性自認がどうの少女性/少年性がどうのといった話をすると生臭くなるので辞めますが、フランスには伝統的に子供映画、思春期映画の系譜があるなか、ことさらセクシャルなほうには振らず、かといってジェンダー論を声高に唱えるでもない、いやみのない清々しい語り口が、じつに心地よかった。
テーマとしては、おおむね監督デビュー作の『水の中のつぼみ』(未見)と近しい問題意識を、別の方法論を用いて再話している感じですが、思っていたよりずっと幸せで優しい映画で、個人的にはとてもほっとしました。
まだ男の子と女の子が未分化ではありながら、お互いを意識しはじめる絶妙な時期を扱っている点で、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』あたりを想起しますが、男の子目線の物語でないぶん、ずいぶん呑み下し易くなるものだなあと。「じつは女の子」って話じゃなくて「もとから女の子」って話なだけで、ドキドキ感が失せて、あっけらかんと見られちゃうもんです。
(そうはいっても、このご時世で、よくちゃんと上映できたなと思わないでもないけどw)
最後にはロールにとって少し辛い試練もありますが、全体的に「悩み」や「苦しみ」「痛み」「切なさ」より、「軽み」「愉しさ」「明るさ」「居心地の良さ」のほうが基調となっているのも、本作の魅力でしょう。
とくに、家庭環境の描写にストレスが一切ないのは珍しい(たいていのフランス製思春期映画では両親は離婚の危機にあるw)。これは、「男の子っぽくしているほうがしっくりくる女の子」を真正面から描くために、それを「家庭からの逃避・反抗」だと取られないよう、監督が先回りして配慮してあるわけですね。
お母さんの「ごっこならいいけど」というセリフや、強制的に女の子の服を着せるところに、保守的な印象を得る人もいるかもしれません。
だけど、お母さんが一番問題としているのは、コミュニティに「噓」をついて参加したことですよね。そこはこのお母さん、ホントにちゃんとしてると思うわけです。
自分の性的志向にそぐわないことをするのは、たしかに本人にとってよくないことでしょう。でも、性別と名前を「偽って」コミュニティに参加することのほうが、もっと致命的に危険なのは自明です。その「噓」は決して維持できるものでもないし、本人を近いうちに必ず大きく傷つけます。
別に性志向に限らず、これから引っ越し先のコミュニティに入るというとき、ちゃんとそのままの自分を見せたうえで相手に受け入れてもらえないと、やがてその人は信用も信頼も失ってしまう。
そこをロールは軽く見て、ついこのひと夏の冒険に乗り出したわけだけど、お母さんは大人だから、そのとっかかりの怖さが十分にわかってる。
だから、お母さんは開口一番「このあとどうする気なの」ってロールに訊くわけだし、
まだ「噓の芽」が小さいうちに、荒療治に出るわけです。
画面には出ないけど、ロールにはちゃんとお母さんの真意が伝わってるから、涙を流しはしても従順にお詫び行脚に同行するわけだし、どちらのおうちでもお母さんは子供を外に出して、父兄だけで部屋でじっくり話をしている描写がある。そこで、きっとこのお母さんは、自分の娘がどういう子で、それを周りからどう扱ってほしいかを、しっかり伝えているのではないでしょうか。
いったん新しいコミュニティにロールが自分で「女の子」だと告げて参加したうえで、その後、男の子の格好をしていても、たぶんこのお母さんは大して問題視しない人だと思います。実際、そういう服で生活することを、これまでだって許してきてるんだから。
その意味では、優しいお父さんや空気の読める最高の妹とともに、きちんと人の道理を説くお母さんもまた、ロールが信頼を寄せる家族の一員であり、決して敵ではないんですね。
(できれば、ロールが妹を守るために戦ったことを妹が訴えるシーンか、お母さんがすでにそれを知っていて褒めるシーンなんかがあると個人的にはよりしっくりきましたが、まあ説明的・道徳的になって野暮だからいれなかったのかな。)
それに、たぶん、外で遊んでいた男の子たちも、最初はとまどうかもしれないけど、最終的にはまた一緒に遊んでくれるんじゃないかな。だって、もともとあの悪たれたちは、「リザといっしょに」ふつうに遊んでたんだから。
ラストでロールは、リザに本当の名前を告げます。
リザはその名乗りを、どうやら受け入れたらしい。
ロールの口元にも、あるかないかの笑みが浮かぶ。
僕はやはり、これでいいんだと思います。
「居心地のいい自分に寄せた噓」ではなく、「あるがままの真実」から始めたフェアな人間関係のほうが、最後は「本当に居心地のいい自分」にたどり着ける可能性が高いはずですから。