「越えたらどうなるかを知っていても、「つい」越えてしまうのがヒー兄という人間だったのかもしれません」i ai Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
越えたらどうなるかを知っていても、「つい」越えてしまうのがヒー兄という人間だったのかもしれません
2024.3.25 アップリンク京都
2024年の日本映画(118分、G)
憧れのミュージシャンに傾倒する若者が抱える喪失を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はマヒトゥ・ザ・ピーポー
物語の舞台は兵庫県の明石市
そこで空虚な生活を送っていたコウ(富田健太郎)は、地元で有名なミュージシャン・ヒー兄(森山未來)に声をかけられ、その人柄に惚れ込んでいく
彼からギターをもらい、ヒー兄は「弟のキラ(塚家一希)と一緒にバンドを始めろ」と言い出す
コウはキラ、ベーシストのなみちゃん(イワナミユウキ)、ドラマーのエン(KIEN)を引き入れてバンド活動を始める
ライブハウスでの演奏など程遠い、鳴らしたい音を鳴らす日々に埋没していった
ヒー兄には恋人のるり姉(さとうほなみ)がいて、彼女も訳のわからないうちにヒー兄のペースに巻き込まれていた
ヒー兄のバンドは「微々」という名前で、行きつけのライブハウスにてライヴ活動を行なっていた
彼らに興味を示すレコード会社もいて、レーベルとの契約も間近と思われていた
だが、そんな折、ヒー兄は事件を起こしてしまい、契約の話も流れてしまうのである
映画は、破天荒なヒー兄を描き、それに翻弄される周囲の人間を描いていく
何を考えているのかわからず、何をしでかすかもわからない
そんな不安定さの裏側には人に優しいという側面があって、周囲の人々は飾らないヒー兄を慕っていた
だが、そんな彼らの想像をはるかに超える出来事が起こってしまうのである
映画は、衝動だけで生きているように見えるアーティストを描き、心理的に何が起こってああなったのかなどの解説は一切しない作品になっている
それでも、劇中で「わからないことが普通」「映画のように説明はされない」という言葉があったり、最終的には第四の壁を突破して、コウが観客たちに語りかけるというシーンもあった
総じて、歌詞になりそうな言葉選びをそのまま映像に落とし込んでいる感じがして、普段は結びつきそうにない単語をくっつけて、既存の出来事を説明しようとしているように思える
かなり特徴的なキャラが多く、強そうに見えてごめんなさいを繰り返す大男(大宮イチ)がいたり、昔バンドをしていた店長(小泉今日子)が歌い出すシーンもあったりする
シーンの整合性とか意味を考え始めるとキリがないのだが、「整理されていないはずの本棚の中からこっち見てる本があった」みたいな映画になっていて、感覚的に捉えることが必要なんだと思う
ヒー兄がなんで死んだのかを紐解く映画でもなく、訳がわからねえとキラに言い放たれる顛末になっているのは、「実際に事を起こす人の背景はわからないままになっていることが多い」からだと感じた
タイトルの「i ai」は登場する犬の名前だったり、絵本の中の境界線を飛び越えることができるキャラだったりと、色んな使われ方がされていた
個人的にはヒー兄のことを指していて、彼はこの世とあの世を行き来できると考えていたように思えた
死んだら見える世界を現実世界に落とし込みたくて、というような理由らしきものもわからないまま、ただ「つい」越えてしまったように思えた
いずれにせよ、感覚的に捉える作品になっていて、理詰めでシーンを説明する意味はあまり無いように思えた
わからないことが楽しいと思える反面、わからないから悲しいということも起こるわけで、人生とは不正解な後付けで成り立っているものだったりする
その答えらしきものの正解にはあまり意味がなくて、自分自身が納得できればなんでもありなのだろう
ヒー兄はちょっと向こうの景色を見たかっただけだと思うので、それがどうなるかを考えないところも、彼自身の魅力なのかもしれません