「語りえぬものについては、沈黙しなければならない。 −ウィトゲンシュタイン」沈黙のパレード TF.movさんの映画レビュー(感想・評価)
語りえぬものについては、沈黙しなければならない。 −ウィトゲンシュタイン
私は小説を一切読んでいない。純粋に映画だけを観た者の感想であるから、その点悪しからず。
そもそもガリレオのドラマと映画とではスタンスが違う。ドラマは超論理的思考を駆使してトリックをあばく爽快サスペンス。映画はむしろ、湯川学の人間性や、理論ではどうにもならない現実の不条理を描く。その点、本作も過去作同様の系譜を辿るが、さらに推理作品の域を凌駕した。
ドラマのそれを期待して観てはいけないのだ。故に、計算式を書き殴る象徴的なシーンは当然登場しない。これについては過去作も同様だ。一方で、前作からの時間の経過は随所で表現されている。それらはドラマシリーズからも引き継がれたものであり、ガリレオ世界の広がりは確かに感じ取れるのだ。しかし前作と決定的に異なるのは、テレビドラマの劇場版としての作品では無くなったという点だ。本作はドラマから遊離し、それ単体で存在するが故に完結性が求められた。しかし、それを成し遂げるには2時間という時間はあまりにも短すぎるように感じるのだ。
事態の説明は実に簡潔だ。舞台の必然性や、登場人物の背景や繋がりも、それらはどうしても淡々と述べられた設定程度に留まり、それが観客の作品への深入りを拒んでいるようにも思えた。描ききれない分については、沈黙を貫く。「ご想像にお任せします」というような、ある種の可能性として捉えることもできるが、語らぬが故に物語が希薄化してしまっているようにも感じる。人間関係という点での語りは、前作の『真夏のパレード』が実に秀逸なものを見せてくれていたがために、少し物足りなさを感じてしまった。ただでさえ、重要な人物が多いというのに、3つの事件が複雑に絡み合う。単純な推理作品ではなく、それを凌駕したというのはこの点である。しかしそのために、彼らについての説明は省かざるを得なかったのだろう。
ガリレオ作品特有の「思い込み」と「視点を変えて得られる真実」については、本作の主軸である3つ目の事件についてかと思われたが、その発想こそが思い込みであると喝破するかのように、見事に裏切られた。犯人の自供が誰かを庇うための嘘であるという構造自体は、ガリレオをかじったことがあれば容易に想像できるのだが、それは全くの見当違いなのだ。誤った推理は2つ目の事件の方だった。しかし、それを観客が推理するのは不可能であると言って良いだろう。確かに違和感はあるのだが、それを解消できるだけの納得材料が用意されていたわけではないのだ。だから、真実が解き明かされても、すっきりとしない何かが残るのである。また1つ目の事件、すなわち15年前の事件についても、犯人が沈黙して無罪となったどころか、1000万円を獲得したという語りがあり、それらが何らかの形で結びついてくるのかと思われたが、犯人が「警察が生み出したモンスター」であることを説明するにとどまった。こうして1つ目の事件の真相も謎のまま終わってしまう。確かに、結果的には3つ目の事件を解き明かす上で1つ目の事件について具体的なことが分かる必要はなかったわけだが、ということはつまり、1つ目の事件は3つ目の事件を複雑にするためだけに用意された都合上の事件、といったような感じを抱く。難解なパズルのために多くのピースは用意されていたが、結局組み立てられたのはそれらの一部分、そんな感じなのだ。
結局、犯人は最初からの犯人であったというのが、本作の肝だろう。紆余曲折して実は真犯人は別に居たというのではなく、遠回りして別解を求めたが、答えは変わらなかったのだ。その画期性は確かに非凡であるが、それは上映時間に押しつぶされてしまった。真実に辿り着く鍵は、紆余曲折して得られたものではなく、初めから存在していた物証であり、真実を裏付けたのは最終盤に語られたバレッタの存在、それも、確実とは言えないような実証の仕方だ。仮説は徹底的な試行による実証の上で真実となる。それは今までのガリレオシリーズで堅持されてきた姿勢だが、今作のバレッタについてはそうは言えない。例えば、確かに公園で殺害されたが、偶然バレッタに血がついていなかったかもしれないし、完全に拭き取ったことでルミノール反応を掻い潜ったのかもしれない(これについては専門的な知識がない私の勝手な憶測)。このように観客が納得できるような解決のされ方ではなかったのだ。
やはり、本作は膨大な要素によって構成される大作になり得たが、時間の都合上、随所が沈黙されてしまい、存分な可能性を残したままエンドロールを迎えてしまったのだろう。どうしても不完全の感は拭いきれないが、しかし十分に満足できる作品であったことは間違いない。ガリレオの世界がまだ続いていることを知れただけでも、大いに価値ある映画なのだ。
追記;
新垣夫妻が歌うま選手権の審査中、手を握った後に通帳?のようなものを渡した場面があったように思うのですが、その点について分かる方がいらしたら教えていただきたいです。