「2人の抱える“孤独”と“居場所”」流浪の月 TSさんの映画レビュー(感想・評価)
2人の抱える“孤独”と“居場所”
当事者以外の人間が知る「事実」。当事者である更紗と文だけが知る「真実」。
事実と真実の間には、渡れそうで決して渡れない断絶の川が流れる。
最終的に、彼らは、真実が事実になることを諦め、真実を知る者同士で生きる道を選ぶ・・・
既に読んでいた原作小説。
読み進めるにつれて、浮かび上がってくる孤独という2文字。「誰もが他人にはわからない痛みを捨てられずに抱えている」という意味の表現が出てきたとき、「ああ」と思わず溜息が出た。
2人はもう十分すぎるほど、わかっているのだ。それを分かった上で、居場所を求めている。苦しみや悲しみを分かち合いたいなどとは、最初から考えていない。ただ、そばに居ることで、息をすることができるから、そこに居たい、というだけなのだ。
私は原作小説の文章から、生々しく、鋭い痛みを感じた。この小説が、どんな風に映像化されているのか、とても気になっていた。
映画は、印象派の絵画のように原作小説を映像化していたように思う。重要な場面をクローズアップして、余分な話はカット。説明を極力排し、静かで印象的な風景と寡黙な俳優の演技だけで1つの物語が紡ぎ出されているように感じた。語弊を恐れずに言えば、ある種のイメージ映像を観ているような感覚になった。雨、川、湖、堀といった水と、空と月。その映像が残像のように残った。
俳優について言えば、何と言っても白鳥玉季。無邪気さと、どこか大人びた雰囲気が同居した不思議な存在。これは彼女の素ではなく、演技力のなせる技ではないかと思った。末恐ろしい。
大人の更紗を演じた広瀬すずは、暴力を振るわれて家を飛び出したシーンや感情を爆発させ、エネルギーを使い果たしてぐったりするシーンに、ぐっと魅入ってしまった。こんな演技もできるのかと思った。
松阪桃李は、アップで顔が映し出される度に、目で訴えかけるものがあった。ほとんど目で語っていたように思う。
映画では、更紗の家族の話と、抱えている傷がほとんど描かれていない。
しかし、それはそれで、よかったのではないか。原作を忠実に映像化しようとすると、なんだか非常にバタバタした作品になっていたと思う。
監督の脚本と演出、俳優達の演技が光る、とても印象的な、絵画のような作品だった。
共感を有り難うございます。そうですね。事実と真実の間には大きな隔たりがありますよね。事実は原則一つ。でも真実は、そんなことはないと思います。
フッと登場人物の姿が描かれて、また不思議な空白の後に人物が現れたと感じたのは、仰るように絵画的なイメージ映像のせいかも知れないと、改めて思い出しました。