劇場公開日 2021年10月29日

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「恐怖や不安、暴力によって人生にどのような影響をもたらすのかをブギーマンを通して描き出す!!」ハロウィン KILLS バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0恐怖や不安、暴力によって人生にどのような影響をもたらすのかをブギーマンを通して描き出す!!

2021年10月29日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

2018年版『ハロウィン』からスタートした新3部作の第2部にあたる今作のテーマは、前作が「因縁」とするなら「暴力」といったところだろうか……。

「ハロウィン」というシリーズは1978年に低予算で制作されたにも関わらず大ヒットとなったことで、その後『13日の金曜日』『エルム街の悪夢』『プロム・ナイト』『血のバレンタイン』などなどスラッシャー・ムービーをジャンルとして定着させる基盤となった作品である。

ところがオリジナル版から一貫して描いてきたことは、ブギーマンことマイケル・マイヤーズという存在を通して、単純に不死身の殺人鬼によるスラッシャーの側面を持たせつつ、ブギーマンの被害にあった者の遺族、生還した者、遭遇した者……といった、ブギーマンによるトラウマや概念によって、人生が狂わされてしまった者たちを描いてきたことだ。

実は主人公のジェイミー・リー・カーティスが演じるローリーは、2作目以降「ハロウィン」シリーズからしばらく離れていたこともあって、の人生におけるトラウマを真正面から描いたのは1998年の『ハロウィンH20』とその続編の2002年の『ハロウィン レザレクション』しかなかった。

一方でルーミス医師は、マイケルへの執着が凄く、一応マイケルキラー的な立ち位置にはいるものの、マイケルの行動原理に興味を持っている変態であり、別の意味でマイケルに人生を狂わされた人物ともいえる。

その他にも1作目でローリーがベビーシッターをしていたトミーも『ハロウィン4 ブギーマン復活』以降、ルーミスとセットでマイケルキラーとして登場することから、マイケルを倒すことが使命のように感じてしまっている。これは『チャイルド・プレイ』のアンディや『スクリーム』のシドニーにも通じる部分がある。

このように、今までもマイケルによって、人生が狂ってしまった人々を描いてきていたが、フランチャイズ化されていくにしたがって、そういった要素はネタ的なものとされ、どうしてもスラッシャー要素が強調されてきてしまったため、見え辛くなっていた。

ロブ・ゾンビによるリメイク2作もあったが、あの2作はマイケルという感情があるか不明な殺人鬼に対して、少し人間性を持たせてしまったという難点がなり、『マーダー・ライド・ショー』や『スリー・フロム・ヘル』などのように、徹底的なゴア描写など画的なおもしろさのある作品ではあるが、「ハロウィン」は、マイケルは感情があるか不明な不気味な存在でないとならない。

そこでデヴィッド・ゴードン・グリーンがマイケルを通して、人生が狂ってしまった人々を徹底的に焦点を当てたのが2018年からの「ハロウィン」新3部作だ。

1作目はローリーとマイケルとの因縁が描かれた。ローリーはマイケルの魔の手から逃げ延びた後、恐怖と不安に囚われ、いつしか「復讐したい」という意識が強くなったことで、それを感覚的に娘のカレンにも受け継がせてしまった。そして実際にマイケルが現れたことで、その不安は現実のものとなり、カレンも自分自身で閉じ込めていたはずの「暴力」のトリガーを引いてしまう。これは「暴力性」が親によって受け継がれる構造を描いているのだ。

カレンは自分の娘アリソンには、そういった概念は受け継がせたくないと思っていたがあまり、ローリーから引き離そうとしていたが、マイケルの登場によって、アリソンも関わらざる得なくなってしまう。

このように1作目はストロード家の「因縁」を中心的に描いていたのだ。

今作は1作目のラスト直後からはじまる。1作目の評でも書いた通り、包丁のアップで終わることからも、2作目は「暴力」の拡散もしくは、覚醒だということを予想していたが、正にその通りであった。

だからこそ今作のテーマは、やはり「暴力」だ。

マイケルによって人生が狂わされてしまったのは、何もローリーやルーミスだけではない。78年版の悲劇の舞台となったイリノイ州ハドンフィールドの人々も同じである。

78年版で娘アニーをマイケルに殺されたリー・ブラケット、ルーミス医師の助手的存在だったマリオン・チェンバース、トミーの近所に住んでいて遊びに来ていた際にマイケルに遭遇したリンジーをそれぞれ78年版と同じ俳優が演じる他、役者は違うものの、トミーと当時トミーをいじめていたロニーも再登場する。

さらには親から知ったり、都市伝説的に知っていたりという感覚的に伝わった世代も加わり、恐怖に立ち向かおうと一致団結する姿は、感動してしまいそうになるが、その「正義」が暴徒と化してしまう構造は、現実社会における911テロ以降のイスラムヘイトやトランプ前大統領の発言によって巻き起こったアジアンヘイトといった、恐怖や不安から人々を間違った正義に向かわせてしまうという構造そのものであって、決してフィクションと言っていられない、現実にアメリカで起きていることを描いているのだ。

ネタバレになってしまうからあまり言えないが、暴力に依存した結果、マイケルにとどめをさすよりも「復讐」を優先してしまった結果、散々なことになてしまう。これも間違った正義、行き過ぎた正義がもたらす結果という皮肉である。

こうなってくると、3作目のテーマは「浄化」ではないだろうか……。デヴィッド・ゴードン・グリーンが、どうこのシリーズに決着をつけるかが気になるところだ。

今作を観て、改めて感じたのは、例外的なものもあるが、シリーズにおいてマイケルは子供をあまり殺さないということ。

もちろん映画のレーティング的な裏事情があるのは間違いないが、それは6歳の知能のままだから、子供には手を出さないという考え方もできる一方で、ブギーマンの恐怖を後世に伝えるために、子供はあえて生かしているのだとしたら、『キャンディマン』的な意識を持っているのかもしれない。

6歳から精神病で隔離されていた割に車の運転はお手の物だったりするし、殺した後の演出の数々。そして恐怖拡散のために子供をあえて生かすという行為を考えると、マイケルはかなり頭がいいとも考えられる…….。

バフィー吉川(Buffys Movie)