アリスとテレスのまぼろし工場のレビュー・感想・評価
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瑞々しいととるか、生々しいととるか
試写会にて鑑賞しました。
閉鎖された町での鬱屈とした感情など色々あったとは思いますが、思春期の性への興味とそれに合わさる感情ばかりが印象に残ってしまいました。
中身は年齢を重ねているにせよ、感情は成長はしていないようなので性に興味を持ち始めた子どもの恋愛を見せられているようで鑑賞中はムズムズしました。可愛らしさはなく、中途半端に大人で子どもで痛い。そういう描写をされたかったのであれば手中に落とされたということですが…
私にはそれが生々しく、言葉悪く言うと気持ち悪いと感じてしまいました。
壮大で美し過ぎる絵空事の街
初秋に観た不思議なアニメのレビューを、結局、物語世界と同じ冬の季節に投稿することになってしまった。映画と同じく、冬でも凍てつく感じではない。
◉風景のこと
まず、校舎を照らす夕陽の影や川沿いの道、廃工場の赤錆びた鉄骨や線路脇の微かな草地のことを書かねばならないと思う。ノスタルジックな景観が、本のページを風がめくるように次々、現れてはひと時わだかまって、また消えた。霞んでいく様も滲んでいく様も、とてつもない美しさと、途方もない儚さ。
逃げ水のような実在感の希薄な景観。それはそうか。まぼろし工場の生産するものと言えばある意味「絵空事」だ。
◉街の人のこと
人々の姿や表情も、何故かノスタルジーたっぷりに見えて仕方なかったのですが、彼らが未来をなくした時空の漂流者なのか、死を忘れた死者なのか、終盤まではっきり分からずに観ていました。五実が祭で迷子になって街に紛れ込むシーンに至って、死に気づかない死者たちの物語だったのだと、一瞬、判った気がした。「天間荘の三姉妹」に登場する三ツ瀬のような。
ところが正宗が列車から飛び降りて街へ戻るのを見て、あぁこの人々は死者ではなくて生者ではあるが、時を失ってすくんだまま霞んでいく存在なのだと気がついた。
正宗と睦実と五実が存在する時制と、三人の関わりが最後まで判りにくかったのは、私にはやはり辛かったのですが。
それにしても、亀裂の向こう側に見えているのが現実であると知ってからの気持ち悪さ。不快感ではなく、不安感。崩壊しているのに、季節は冬のままの一見、穏やかにも見える魔法の街。ハッピーエンドとかバッドエンドとかとは、全然違う収束になるなと思った。全てがなくなる、あるいは初めから何もない。見続けてはならない、目を伏せて生きるのだ。だから見伏?
◉激情のこと
自らの命と引き換えるように、生きる歓喜と苦悩を、激しい叫びと泣き声で表す五実。壊れてしまうまで止まらない、獣みたいな激しく自由な生のままに育っていった。彼女が突き破ろうとする壁が、やたらに眩しかった。
正宗と睦実の執拗なまで、いや執拗を越えた抱擁と口づけを見ているうちに、人を思う熱い気持ちと、人から思われる温かい気持ちは、それっきりに縋りつく哀しい感触はあろうとも、取りあえず生きる糧にはなる、魔法は一瞬のために存在すれば、それで良いのだと感じました。
ただ、他のどんな場所とも隔絶されていたら、経済や社会は成立しないのに、人々は自給自足ではなく生きていた。ここで、街の生活はこうした手段で成り立っていると言う、何でよいから説明が欲しかったかなと、思いました。魔法にも更なる現実感があったら。
濃密な世界観、空気が濃すぎて息ができなくなる、そんな作品。
濃密な世界観で、久々に匂いまで感じられそうな作品でした。 映像の情報量も多い、さすがMAPPA。 変わってはいけない世界。閉じ込められた世界。 でもそこに灯ってしまった微かな熱が、運命を動かしていく。 空気が濃すぎて、息ができなくなるようなそんな作品でした。 これって、リアル中学生が観たらどういう感想を抱くのでしょうか。 大人になってしまった元子供とは、きっと感想が変わってくるんだろうな、と、映画館の3分の1は占めていた10代の子たちを見て思いました。 それにしても、中島みゆきの主題歌が耳から離れなくなる…
宣伝不足が惜しい
工場事故をきっかけに、町ごと外界と隔絶されてしまった世界で生きる少年少女の物語。朝、夜など時間の概念はあるものの、季節はずっと冬のまま、住民は歳をとることも無い世界で自分を見失わないよう生き続ける。 ストーリー自体は、主人公たちの恋愛を主軸にしたジュブナイルでテーマ性よりもキャラクターの感情などに重点がおかれた良作です。 ちなみに作中登場する体操服。女子がブルマなのは作り手の趣味、ではなく時代考証です。彼らは我々が想像したよりはるかに永い時間、閉じ込められていたのです(歳をとらないのは羨ましい、なんていってられません。作中、妊婦さんも登場しますが、彼女はこの世界にいる限り永遠に赤ちゃんと会うことはできないのです)。 映像、音楽、ストーリー、キャラクターすべてが高い水準の作品なのに、宣伝不足のためあまり話題にならなかったのがもったいないです。
揺さぶられる想い
狭間で抗うパワーに圧倒。葛藤も素晴らしく優美な描写の一部となり。製鉄所のレトロさが哀愁を。時代を経て窮屈になるその様は人間にも似たようで。どんなに巡っても悩みは尽きない。それでもいつの日か笑い話に。Life is beautiful。
取り残された世界
1つの事象により並列世界の様にひとつの地域が時間軸から取り残されたこととにより起こる物語。
そしてその世界へ偶然訪れた少女との触れ合いにより彼らが何者なのか、そして未来について選択する人生。
何を目指すことも出来ない同じ日をくりかえす日々の中、徐々に紐解かれるこの世界と未来の選択を登場人物の心情と合わせて上手く描かれてた。そしてこの世界の表現方法も面白かった。
『ハッピーエンドにならなかった方』の物語
中盤まで話が進むとなんとなくわかってくるのですが、普通はある事件がきっかけでいくつもの世界線に分かれるようなお話は『未来に進めた方』、ハッピーエンドになれる方の物語が多くの作品で描かれるのに対し、本作は『取り残された』方が主に描かれているのが新鮮でした。
岡田麿里さんの作品はなんとなく食わず嫌いしてたのですが、思春期独特の苛立ちや焦燥感、嫌悪感を大人と言われる年齢になってもあれだけ描き出せるのはすごいなあと思いました。情緒的なところばかりでなくSF要素が多かったのも自分の中で見やすさに繋がったかもしれません。
アニメらしい幅広い表現力で独特の運命感を描いた一本
自由で柔軟な表現手法の中に、独特の運命感が色濃く滲んだ一本だったと思います。評論子は。 その「表現力」という点では、アニメーション映画は実写映画と比較にならないほどのパワーがあると思いますけれども。 そのパワーを活かして、実写では表現し切れないような独特の運命感(ある日突然に寂れてしまって、その日から変化することがなくなった地域社会の中でも、成長(より良い明日?)を求めて奮闘する若者たちの姿)を描いたということだと評論子は理解するのですけれど。 その意味で、製作者に独特の運命感を描き切ったという点では、別作品『すずめの戸締まり』と同様、評論子には印象的な一本でした。 うらびれて、シャッター通と化した商店街などを形容する常套句として「時が止まったよう」というのがありますが。 それが実際に、しかもある日を堺にして急に止まってしまったとしたら、人々の生活感というのか、運命感というのか、そういうものは、いったいどうなるのか。 直接に製鉄業に従事しているわけではありませんが、製鉄業を基幹産業とする「鉄のマチ」に住む評論子としては、製鉄工場が爆発事故を起こしたあとで機能を停止するという設定には、いささか忸怩たる思いもありますけれども。 そういった個人的な感情はて別として、映画作品の設定としては、「大きな変化のあと状況が一変する」ということの象徴としては、受け取れなくはないと思います。 (前述のとおり、できれば別の業種にしてほしかったとは思いますけれども。個人的には。) 爆発事故を契機として、時が止まってしまい(基幹産業が停止して寂れてしまっい)、それを契機として変化することがなくなった街ででも、人々の生活は連綿として続いていく。「まぼろし」でもない、その現実と人々はどう折り合いをつけていきていくのか。 (もっとも、技術者がまだ残留しているということは、製鉄工場の機能停止は一時的なもので、人々の努力によっては、再開の可能性があることが示唆されているのかも知れませんけれども。) そんな街で暮らしていても、時が(正常に)流れる世界から迷い込んで来た少女・五実だけでも、元の時が流れる世界に戻してやろうとする―。 いかにも若者らしい、その正義感というのは、観ていて気持ちの良いものであります。 (時が止まってしまっても、人々は成長するという設定のようで、事故当時は中学生たった彼・彼女らも、免許を取ってクルマの運転ができるようになるというのも面白い。→人は、どんな逆境でも成長できるという暗示でもあるのかも。) アニメーションならではの表現の自由さと相俟って、そういうストーリーも、評論子には、好感が持てました。 佳作としての評価に、充分と思います。 (追記) 本作の題名については、他レビュアーの間でも諸説あるようですけれども。 評論子としては、次のように推測します。 つまり、まぼろしの工場(爆発事故を起こした製鉄工場)をモチーフにして、独特の運命感を描く本作のこと。 「内容として、かなり哲学的な方面に傾きますよ。」ということを、著名な哲学者の名前にひっかけて表現したかったのだと。 直接の関係もないのに、具体的な固有名詞(人名)を用いることは憚られたので、いかにもありそうな女の子と男の子の名前に、軽くすげ替えたと。 そこには、製作者側の、ある種のウィットも込められているのかなぁと思います。 いち私見としてでは、ありますけれども。
アリスとテレス
タイトルから、アリスという女の子が出てきて、哲学的で考えさせるラストなのかなと思っていました。 映画が終わってイデアを思い出しました。 イデアにせよフィロソフィアにせよ、作中でそうした哲学的なことはあまり感じませんでした。 私としては少し物足りなく感じました。 とは言え、映像は美しく、女性キャラはみんな魅力的で、男性キャラはみんなちょっと頼りないところが可愛いらしく、学生の頃を懐かしく思いました。 ※学生の時は睡眠学習だった哲学、プラトンとアリストテレスについてもう一度勉強してきます。
岡田麿里の世界に魅了されてきた人には刺さる作品
脚本家として歩んできた岡田麿里監督の力が今作においても遺憾なく発揮されています。 岡田麿里に魅せられたクリエイターが集まり、他に類を観ない作品を作り上げたことに感謝するばかりでした。 過去の岡田麿里監督が関わってきた多くの作品の要素が詰まっているようにも感じて、岡田麿里の世界に魅了されてきた方なら絶対に心に刺さる作品です。
ツッコミどころ満載な映画
この監督の前の作品でもそうだったけど、いまいち、作品に入り込めなかった。
・キャラクターに一貫性がない
主人公をパンチラで誘っていたヒロインが、そのあと、主人公と工場の少女(娘)がじゃれあっていると、「お前も所詮は男なんだな」と激怒しているが、元々パンチラで主人公を誘ったのは、ヒロインなのに、その感覚はおかしく感じた。
・悪役がバカっぽい
悪役の父親自身に、もっとした高さが欲しかったけど、作品上ではただただ、神に逆らうなとかバカっぽい発言ばかりだったのも、残念。
・大事なネタをセリフだけで説明してしまう
主人公が工場の少女を、自分たちの娘と気付いたことを、映像的に見せるでもなく、ヒロインとのやり取りのセリフだけで見せている。それだと、印象に残りづらくなる。
父親の日記も何故か終盤に出てくるのも都合良すぎるし、なんか、色々と残念な作品だった💧
おかしな状況と、おかしな人物
いいところ
プロの声優さん、特にその中でも上手い人達の演技
ラストシーンは色々に解釈できる余韻
ダメなところ
タイミング良すぎるいつみの出番(ゲームセンター)
生活時間と精神年齢の乖離と成長の歪さ
声優は上手い人がやれば誰がやってもいいけど、わざわざ作り上げた作品を台無しにするような配役がおおいオリジナルアニメ作品のなかで、普通に配役するだけで評価したくなる。それでもむつみといつみの2人はホントに上手い。むつみの感情を押し殺したような希薄さから感情的に切り替わるところや、いつみの本当の子供のような演技はさすがとしか。
基本的にSFというかあの手の異空間みたいな話はおかしな状況に普通の人か、普通な状況におかしな人でないと説得力や現実感がなくなって嘘っぽくなると考えてるので途中までおかしなところでおかしなことやってるな、という冷めた目線だったけど、親子の手紙あたりからはごくありきたり反応になって、異常な状況が生きて来たと思う。特にラストはそれぞれの感情が単純で共感出来るものであるし、そうであってほしい流れである意味ハッピーエンド。物語はこうでなくては、という終わり方だった。
時間と変化とかが語られてたけど、あの神隠しの三伏と現実の三伏はある時点から分かれて同時に存在し、神隠し側だけがループしていても時間進んでるとすれば、現実でゆうに10年以上経ってるなか神隠し側は冬を延々とそれこそ10年以上も繰り返してる訳で、いくらなんでも悠長すぎんか?発狂する人間は全て煙に呑まれてるにしてもなあ。もしかしたら神隠しの一年は現実の数年とかか?物資はどこから供給されてるとか、電気や水道は?とかいろいろ疑問はあるけど、まず間違いなくそこらへんは意図して無視してるんだろうな。
ダメ映画だが、青春の残滓としては
中島みゆきの歌謡曲の流れるなか、スタッフロールのラストですべてが腑に落ちました。
「脚本 監督 〇〇〇〇」
OK,これですべて説明がつきます。同一人物でしたか。
私はこの作家さんを存じ上げません。過去作を見ないでの鑑賞でしたが、ああなるほど。
作家と演出家が同一人物でしたか。成程合点。
ずっと苦笑しながら、首を捻りながら、鑑賞した120分の長かったこと長かったこと。
設定も緻密に見えて雑、そして登場人物の演技も台詞も謎だらけ
絵のカットもあまり良くなく、音楽もそれほど心に残りません。
SFの文脈でいえば、「フリクリ」や「ママは小学四年生」の匂いを残しつつ、
新海監督のような、極めて自己中心的な、(こういうのをセカイ系と呼ぶのでしたっけ?)
思春期の男女の恋愛感情(ですらない、未熟な性衝動=リビドー)ですべてが解決するように出来ている、
刺さる人には刺さるが、まともに映画を評じられる人には最低点という、とんでもない仕上がりに仕上がっています。
かといって、駄作凡作とも思えない、とても尖った魅力のあるダメ映画だと感じました。
この作品は、とても頭でっかちな、理屈くさい脚本の上に成り立っていて、
設定もキャラクターも脚本(というか、脚本家の頭の中)のご都合主義のためにあるのですね。
だから、説明不足でも気にならないし、作者の頭の中では破綻していないのですが、
通常の表現作品としては、世界設定も、人物もまったく血の通っていない
(例えば、その人物の血縁や設定が細かくされているということは、イコール、その人物が深く描かれている、という事ではないのですね。
その背景があるからこそ、この人物はこういった行動をする、発言をする、こういった考え方をして、それに沿った感情の動きがある。
文字にすると、そのままそれは実行されているように見えるのですが、肝心の演技が
声優と作画任せになってしまっていて、これは良い言い方をすれば、脚本家が声優や作画を信頼して委ねているという事なのですが
悪い言い方をすれば、脚本家はともかく、演出家(監督)が仕事をしていないという事になります、
結果、まったく、バラバラな物語の筋に、バラバラな人間が描かれ、乗っかっているように見えてしまいますね
声優、作画の力量はそれなりかと思いましたが、これでは劇作としての順番が違います)
そういったデティールだけの存在が右往左往する、しかし商業主義的にこうすれば感動的に見える、という
感動ポルノに近い強引なまとめ方をされている、謎の怪作に仕上がっています。
いやいや、私は褒めているのですよ。
いやいや、なかなか、こうはならなくて。出来なくて。
作家としての個性が強ければ強いほど、そして、商業主義に迎合すればするほど
こういった謎の仕上がりになるのですね。普通は、そのどちらかに傾向するものなのです。
しかし今作は、その両立が(ものすごい力技で)融合されている。
その熱量たるや、凄いものがあるのです。
ふつう、タイトルからしてもう、これはタイトル詐欺と言われてもおかしくない。
アリスとテレスなのですから、アリスもテレスも出てないじゃないか! というレビューは極めて正しい。
しかし、母アリス(=娘アリス)も父テレスも主人公枠で登場しているのですから、これは(少なくとも作者にとっては)理解できない方がおかしい。
或いは、理解できない者が大多数で、理解できる人だけ理解してくれれば良い。
この映画が、脚本家と、監督が別の方が作った作品なら、こうはならなかったでしょう。
しかし、幸か不幸か、同一人物による狂気的な一本の背骨の通った作品になってしまったからこそ、
この作品が、単なる駄作や感動ポルノではなく、不思議な魅力と力を秘めた怪作となった理由かと思います。
一昔前なら、これが実写や特撮で、カルト映画と呼ばれかねない作品だったはず。
(土俵は違いますが、某「帰ってきたウルトラマン」「ガンヘッド」的な事ですよね、あ、異論は認めます)
映像の進歩とアニメーションの力、様々なものが折り重なって、この映画を謎の改作に仕立て上げているのです。
芸術には時に、こういう面白さもあるのが、とても良いですよね。
まぁ2回も観たいとも思わないですし、40代のおじさんですが、今さら14歳(という設定の中身はオトナ)の
パンチラやブルマ姿やキスシーンを見返したいとも思いませんね。気持ち悪い。
私はとっくに卒業してしまいましたから、まだ卒業する前の、この作品がザクザク刺さる人にはお勧めです。
あのパンチラひとつとっても、「むつみ」というキャラクターの行動とはとても思えないのですね。
冒頭で、ヒロインは主人公をパンチラで釣るのですよね。(台本上は、退屈な繰り返される日常を打破する危険な遊びの延長線上だった…のだが! という)
それでいて、男子としての腕力は期待しているという言い方で、女子を求めてこない都合の良い相手として、
主人公の隠れた好意を意図的に利用しつつ、気を引こうとする彼女の根底には、本人にも本音ともいえない好意があって…
しかしその好意はこの特殊な世界線ゆえに素直に認められておらず…
屈折した結果が彼女をこのようなツン風にしてしまっているのである…(あとはこのツンをどこまでどう引っ張って、どうデレさせるかが山場の一歩手前となるのである…)
ほらね。
作者のなかでこれは矛盾していないのですよ。
しかし一般的に、これは難しすぎて、映像作品のなかで、時系列や演技のなかでこれを説明することはとても難しいですよね。
それに果敢に挑んでいると言えば良い言い方ですが、普通は矛盾し、破綻していると思いますね。
(この矛盾性を、「深く、単純でない人間性を描いている」と捉えられる方は幸福です。そしてある意味貴方は正しい)
そしてそのクッソ面倒くさいヒロインに、なぜ主人公が心惹かれる事になるのか。その気持ちを自認するに至ったのか。
そこがちゃんと描かれてる前に、「現実世界で本来結ばれる相手だから」という文脈を先に見せてしまいますよね。
これもおそらく、作者のなかで破綻していないのですね。しかし客観的に、これでは破綻しているようにしか見えない。
(これが破綻していないと言い張れるのは、もはや昭和の少女漫画の文法ですよね)
じゃあ、もうひとりのヒロイン「いつみ」はと言えば、登場シーンも設定加減も謎で、
ネグレクトの具合も、それによる被害の内容や心の傷も、知能レベルも、年齢設定も良くわからないまま、物語が進みます。
それに伴い、悪役の存在定義も曖昧で、ただの変人狂人という描かれ方をしていますが、
極めて閉じたコミュニティにおける狂信的な指導者先導者として描くには、パンチが足りないというか、
ただの道化になってしまっていますよね。彼の存在自体が良くわからないし、残虐性や専制性を描くには物足りない。
(まさかあれで天〇か総〇を描いたつもりでしょうか? だとすれば畏れ多い)
この物語に必要なのは設定なのであって、人間ではないのですね。
ラストシーンなんてもう完全に謎ですよね。
しかし、作者の頭の中ではちゃんと、「いつみは現実に戻った時点で時空を超える前の年齢に戻っているが、あの世界の記憶もちゃんと残っていて、あの世界はパラレルワールドであると同時に時系列的に破綻のない集約をされていて、それが証拠に工場跡にはその名残のメッセージが残されていて、だから、いつみはこの年齢だが、失恋したというモノローグを発している…ほら、ぜんぶ破綻なく説明されているじゃない!」 となっていますよね。
普通はこれは破綻していて、謎なんですよ。(謎を残して含ませる手法はありますが)作者の頭の中でだけ成立している。(多少マリンエクスプレス的な捻りを利かせたのだと思うのですが)
いやあ、言い出したらキリがないので、このあたりで止めますが、
映画としてのメソッドをちゃんと踏んでいないため、様々な設定や人物や感情が伝わらないのですね。
だがしかし、作者の表現したいことはなぜか伝わってくるのです。理解できますよ。
それはかつて私も中学二年生だったからのでしょうね。卒業してしまった身からしたら、気恥ずかしい、卒業文集のようなものなのですね。
(この作者、ちゃんとしてくれたら化けるのかしら? それとも、ダメになってしまうのかしら??)
これは、作者が渾身の選りすぐりでもって、自分のなかのもっとも良い要素を練り上げて、「名作」を作り上げようとした結果、商業主義の洗礼もあり、「怪作」となってしまったように見受けられます。
ううん、久々に、評価に困る問題作と出会いました。
最後にひとつ。
この映画がいわゆる「失われた30年」を重ねて製作された作品なのであれば、
虚構の世界は消滅して、本来の時間が流れ始めることがトゥルーエンドになる筈ですよね。
しかしこの物語は、虚構の停滞した世界「も」残す事を選択しました。
現代日本にとって、バッドエンドとなる選択肢を残した訳ですよね。
でも、本当、わかりませんよね。
私はこの戦後バブル後の数十年の停滞し安定した日本は、全世界史に残るレベルでの桃源郷だと思っています。
しかし、時間は流れ始めたのですね。
その流れの行き着く果てが正しい選択なのか、それとも、桃源郷に残り続けることが正しい歴史なのか
それは未来の歴史が証明してくれる事なのでしょう。
もちろん、過去も事実もなかったことにはならないし、なのですけれど、やっぱり、作家として
この世界の主人公や生きている人々を、最後に消滅させることはできなかったのでしょう。
その青臭い甘さも含めて、青春の残滓と呼ばせてもらいましょうか。
いやあ、ホント、評価に困る問題作だ。困ったもんだな。
画力が凄い
映像がとても綺麗でした。 世界観を理解するのに時間がかかって、最後の方で徐々にわかってきました。 思春期の、なんとも言えない明るさやもどかしさが共感できて素晴らしかったです。 で、最後はどういうこと? わからなかった。
Dr.マシリトとブライトさん
1991年というより、昭和64年?な感じの世界観 朽ちた工場や風景、世界観に引き込まれる 時間 (季節) が冬で止まっているから、朽ちるのが早いのか? 時が止まっていても、食料、ガソリン等の生活必需品は入手出来るみたい (特に気にしないが) 個人的には、80年代前半な雰囲気の工場建屋に引き込まれた これが描きたかっただけの様な気もする 確信犯なMTパオ ありがちな3ATじゃないのね… ドミンゴ! 超懐かしい… 通学時に1日1台以上、目撃してた気がする 確信犯なプラホイールキャップ これも目と記憶に焼き付いている これ見よがしの黄緑ツートンのS13 S13と言えば、この色しか記憶にない 明らかに、この世代に媚びている… 冬なのに、DSのカブリオレ? 車種名が思い出せない車も多々… 原作者 (監督) が、この世代なのか? 不快ではないが、少々あざとくて鼻につく…笑 コタツの掛け布団の絵柄が、昭和終盤期的で、やはりあざとい(笑) 微妙に平成初期でもない様な…? いちいち思い出して考えてしまう 制作側の罠なのか? 詳しく思い出せないが、バス停のラークをもじった灰皿 アシダスは嫌 小道具が、いちいちもじり過ぎて、何だか微妙… レトロとは対照的なキャラクターデザイン お約束の、わがままで泣き虫な主軸の女の子 工場の代表者的な2人が、Dr.マシリトとブライトさんに似ている 視覚効果的な確信犯? 不自然な程、物分かりが良くて従順な町民たち 予想通り、制作スタッフだけが理解出来る様な、かけ足のクライマックス 観客はやや置いてきぼり…? もう少し丁寧に説明・演出して欲しかった 演出にもヒビが入ったみたい… そして想定内のラスト やや丸投げ感あり 鳥居や神社が敷地内にある工場は嫌… 祀らなければいけない理由がある 難解と言うほどでは無いが、よく解らない、意味不明な内容だったが… 色んな既視感とパクリズムがあったが… 昭和的な世界観と恋愛模様は、凄く好感が持てた 映画館で観て良かった様な… 配信でも良かった様な…? 文字通り、まぼろしの様な面白さだった(爆) 近いうちに、(低予算にする為の) 大胆なアレンジで、実写映画化しそう…涙 削除しないで
不覚にも涙が
賛否両論のこの作品。
まっさらな気持ちで、感じたまま見ました。
終盤、心は多分25歳位の中学生たちが、もとの世界にいつみを帰そうと頑張る場面から、もうぐっときました。
ラジオから、同じ年代の子からと思われる相談内容に叫んで答えるところでは、強烈なメッセージを受け取りました。その応えが単純であろうと幼いと思われようと、今の社会には必要な考え方だと痛感した次第です。
いつみが、この街に迷い込んでからのむつみの心情を説明する場面では、もう自分の孫と重なりどうにも涙が溢れてきてしまった。
この街は、製鉄所の事故の時に、パラレルワールドに入ったのか、もしかして亡くなっているのかと感じました。
いずれにしても、「生きろ!」というメッセージは、「君たちはどう生きるか」よりも、激しく心に響きました。
中島みゆきの「心音」は、素晴らしいです。
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