「希望とは、生きている者が見る現実だ」アリスとテレスのまぼろし工場 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
希望とは、生きている者が見る現実だ
2020年、レバノンの首都ベイルートで大規模な爆発が発生。
原因は、港の倉庫に保管されていた硝酸アンモニウムの杜撰な管理による引火。
死者218人、負傷者7000人以上、被害者30万人以上。ベイルートの町を半壊。
爆発の規模は1キロトン。遠く離れたアメリカの地震計にも観測され、爆風は宇宙空間にまで達したという。
人類が引き起こした爆発としては、核爆発を除いて史上最大。
別に本作はこの事件を題材にした訳ではないが、ふとこの事件を思い出した。
本作の物語もある爆発事件がきっかけ。
それによって変わってしまったもの、変わらないもの…。
時代設定はいつか分からなかったが、現代でないのは確か。昭和の名残りを感じる。Wikipediaによると、1991年頃だという。
巨大な製鉄工場がある町、見伏(みふせ)。
ある冬の日、工場で突如爆発。
その爆発によって、町の全ての出入口が塞がれ、町から出る事が出来なくなった。トンネルも海からもダメ。なら、空は?…と早々に思ったが、後々衝撃の理由が分かる。
時折空を青白い閃光のビビが入り、狼のような姿をした煙がそのビビを埋める。奇妙な現象。
奇妙なのは町や住人たちも。毎日毎日が同じ。例えではなく、文字通り。
町にも住人たちにも一切変化ナシ。あの爆発から幾年か経っている。
まるで時が止まったかのよう。
そうなのだ。あの爆発で町から出られなくなってしまったどころか、時すら止まってしまったのだ…。
岡田麿里の監督前作『さよならの朝に約束の花をかざろう』のような異世界舞台のファンタジーかと思ったが、異世界ではない。異空間ではあるが。
最初は設定を把握するのに一苦労。
キャラは皆日本人。“アリス”と“テレス”は誰…?
これはある意味、言葉遊び。“アリス”と“テレス”ではなく、“アリストテレス”。古代ギリシャの哲学者で、劇中で言葉が引用されている。
「希望とは、目覚めている者が見る夢だ」
脚本作『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』『心が叫びたがってるんだ。』のような少年少女たちのリアルな感情が迸る。
14歳、中学3年生の菊入正宗。
14歳の多感な時期に、この時が止まった町での暮らしは心中察しが付く。
日々をエンジョイしているバカ友やクラスメイトもいるが、正宗は複雑で悩み多き。
画が上手く、密かにイラストレーターを夢見ているが、そもそも町を出られない。大人にもなれない。
この町では変わる事は許されない。絶対的なルール。
もしまた時が動いた時の為に、自分を見失わないようにする為学校で書かされる“自分確認票”。
矛盾すら感じる。そんなものを書いて何になるのか。
何も変わらないのに。町から出られないのに。大人にもなれないのに。
悶々とし、窮屈で、この叫び出したいほどの心や感情を、何処に何に向けたらいいのか…?
正宗には嫌いな人物がいる。クラスメイトの睦実。謎めいていて、学校でも一人でいる事が多い。
「退屈、根こそぎ吹っ飛んじゃうようなの、見せてあげようか」
そう睦実に誘われ、製鉄所へ。そこで出会ったのは…
睦実に似ている一人の少女。姉妹…? 親戚…? いずれでもないようだ。
見た目より幼く、あどけない言動。小さな子供のように無邪気。自由奔放。正宗は少女を“狼”と形容する。“五実”と呼ぶように。
少年少女が出会った時、必ず何かが動く。変わらぬ彼らと時の中で、何かが変わっていく衝動が…。
最初は設定を把握するのにちと難だったが、見ていく内に。
正宗と睦実のボーイ・ミーツ・ガールな青春ラブストーリー。
止まった時の中で、唯一成長する五実。彼女は何者なのか…?
正宗たちが暮らすこの町の真実。
それらが交錯し、謎が明かされていく展開は徐々に引き込まれていく。
まず発端は、ある失恋。クラスメイトの女子が正宗に告白するも、正宗と睦実が付き合ってると思う。心が傷付いた時、少女は光を発して消えた。空にはビビが入り、また煙の狼がそれを修復する。
何が起きても不思議じゃないこの町。おそらく少女が傷付いた事で異常が。それを正す。
平常な時を続けるかのように。信心深い製鉄所職員はそれを“神機狼”と呼び崇める。
動物のように無邪気な五実。顔を舐めてきたり。
ある時正宗は五実を製鉄所の外へ。
久し振りの外なのか、五実ははしゃぐ。空へ手を伸ばし、「もっともっと!」。
すると空間にビビが入り、そこから見えたのは…。
製鉄所。が、場所は同じでも違う。廃工場となり、季節は陽光眩しい夏。
一体、この光景は…?
明かされる事実。知った衝撃。
ビビの向こうに見えた光景は、“本物”の見伏町。“現実”と言った方がいいか。
あの爆発で、現実とは別に出来た見伏町が正宗たちが住んでいる見伏町。
非現実の見伏町なのか、まぼろしの見伏町なのか。それとも、あの爆発で住人たちは死に、ここは生と死の狭間の空間なのか…?
そしてどうやら、この見伏町に終わりが近付いているらしい。
住人たちはパニックに…ならない。至って平静。
そもそも自分たちは現実世界の者たちではない。非現実の自分たちが消えた所で。
これまでと何も変わらぬまま、受け入れる大人たち。
正宗たちは…。
自分たちに何が出来ようか。
大人になれない。何も変わらない。このままいつか消えていくだけ。
ある事を知るまで、大人たちと同じく空虚に受け入れようとしていた。
ある夜、正宗は再びビビの向こうの“現実”を見る。そこには、自分に似た男性と睦実に似た女性が。大人の姿で、どうやら夫婦のようだ。
現実の世界では二人は結ばれている。が、何か悲しげ…。
二人の仲が急接近。口付けを交わす。
それを目撃した五実は「仲間外れ」と泣き叫ぶ。
空間のビビが大きく、至るところに。
そこからまた現実の見伏町の別の光景が。
夏祭り。大人の正宗と睦実と、幼い少女。駄々をこねる少女を二人はわざと置いていこうとすると、少女の姿は忽然と…。
こちらの世界で五実が見つけられた時、“きくいりさき”の名札が。
五実の本名は“菊入沙希”。現実世界からこちらの世界に迷い込んでしまった正宗と睦実の娘であった。
それを知っていた大人たちもいた。製鉄所の数名。その中に、死んだ正宗の父親も。父親の遺した日記に全てが。
現実世界から来たから五実だけ成長する。
この世界では異端の者。彼女の心の動きがこの世界に影響を及ぼす。
信心深い製鉄所職員は五実を“神の女”とし、全てをひた隠した。
正宗は五実を元の世界に戻そうとする。
五実を元の世界に戻した所で何が変わる…?
現実世界の自分たちの為…? この世界の為…? この世界の自分たちの為…?
分からない。何も変わらないかもしれない。
それでも少年少女たちは一つの衝動に突き動かされる時がある。
今が、それだ。
それは大人たちも。大人たちだってただ指を咥えて何もしないなんていられないかった。
消えゆくなら、消えゆくまで生きていく。
正宗の叔父を中心に、ビビの修復を試みる。
各々の目的の為に奮闘する正宗たち、大人たち。
何も変わらないでいたこの世界で、今確かに動き、変わろうとしている…。
岡田麿里の繊細にして大胆な世界観。
寒々とした非現実の見伏町、空を裂く青白い光のビビ、現実の見伏町はまるで別世界のよう。圧巻の映像美。
うっすら新海イズムを感じるが、あちらはもっと万人受けの作風(ユーモアや音楽)に対し、こちらはもっとナイーブ。
少年少女たちの悩み、苦しみ、怒り、悲しみ、そして喜びと温もり。
それら複雑な感情を経て、知るのだ。
あちらの世界でも。こちらの世界でも。
今は変わらなくても。いつか終わりが来ようとも。
今を一瞬一瞬。生きていこうと。