「アニメらしい幅広い表現力で独特の運命感を描いた一本」アリスとテレスのまぼろし工場 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
アニメらしい幅広い表現力で独特の運命感を描いた一本
自由で柔軟な表現手法の中に、独特の運命感が色濃く滲んだ一本だったと思います。評論子は。
その「表現力」という点では、アニメーション映画は実写映画と比較にならないほどのパワーがあると思いますけれども。
そのパワーを活かして、実写では表現し切れないような独特の運命感(ある日突然に寂れてしまって、その日から変化することがなくなった地域社会の中でも、成長(より良い明日?)を求めて奮闘する若者たちの姿)を描いたということだと評論子は理解するのですけれど。
その意味で、製作者に独特の運命感を描き切ったという点では、別作品『すずめの戸締まり』と同様、評論子には印象的な一本でした。
うらびれて、シャッター通と化した商店街などを形容する常套句として「時が止まったよう」というのがありますが。
それが実際に、しかもある日を堺にして急に止まってしまったとしたら、人々の生活感というのか、運命感というのか、そういうものは、いったいどうなるのか。
直接に製鉄業に従事しているわけではありませんが、製鉄業を基幹産業とする「鉄のマチ」に住む評論子としては、製鉄工場が爆発事故を起こしたあとで機能を停止するという設定には、いささか忸怩たる思いもありますけれども。
そういった個人的な感情はて別として、映画作品の設定としては、「大きな変化のあと状況が一変する」ということの象徴としては、受け取れなくはないと思います。
(前述のとおり、できれば別の業種にしてほしかったとは思いますけれども。個人的には。)
爆発事故を契機として、時が止まってしまい(基幹産業が停止して寂れてしまっい)、それを契機として変化することがなくなった街ででも、人々の生活は連綿として続いていく。「まぼろし」でもない、その現実と人々はどう折り合いをつけていきていくのか。
(もっとも、技術者がまだ残留しているということは、製鉄工場の機能停止は一時的なもので、人々の努力によっては、再開の可能性があることが示唆されているのかも知れませんけれども。)
そんな街で暮らしていても、時が(正常に)流れる世界から迷い込んで来た少女・五実だけでも、元の時が流れる世界に戻してやろうとする―。
いかにも若者らしい、その正義感というのは、観ていて気持ちの良いものであります。
(時が止まってしまっても、人々は成長するという設定のようで、事故当時は中学生たった彼・彼女らも、免許を取ってクルマの運転ができるようになるというのも面白い。→人は、どんな逆境でも成長できるという暗示でもあるのかも。)
アニメーションならではの表現の自由さと相俟って、そういうストーリーも、評論子には、好感が持てました。
佳作としての評価に、充分と思います。
(追記)
本作の題名については、他レビュアーの間でも諸説あるようですけれども。
評論子としては、次のように推測します。
つまり、まぼろしの工場(爆発事故を起こした製鉄工場)をモチーフにして、独特の運命感を描く本作のこと。
「内容として、かなり哲学的な方面に傾きますよ。」ということを、著名な哲学者の名前にひっかけて表現したかったのだと。
直接の関係もないのに、具体的な固有名詞(人名)を用いることは憚られたので、いかにもありそうな女の子と男の子の名前に、軽くすげ替えたと。
そこには、製作者側の、ある種のウィットも込められているのかなぁと思います。
いち私見としてでは、ありますけれども。