「有権者の責任には何も触れずじまい」スイング・ステート 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
有権者の責任には何も触れずじまい
選挙に金がかかること、金をかけた方が勝つことは、2019年の参院選広島選挙区のふたりの自民党候補である河井案里と溝手顕正の結果を見れば明らかだ。日本にも選挙のプロみたいなコンサル業者がいて、インターネットでネガティブキャンペーンを展開して相手候補が不利になるように仕向けたりする。そして相応の報酬を受け取る。夫の河井克行が安倍晋三から受け取った1億5千万円はそのたぐいに使われたのだろう。河井案里はまんまと当選した。
本作品の舞台は架空の田舎町ディアラケンの町長選である。普通なら中央政界が見向きもしない選挙だが、現職の対抗馬として大衆受けしそうなキャラクターをネットで発見したとして、選挙参謀の男がスタッフから報告されると、俄然ストーリーが動き始める。
そのキャラクターはクリス・クーパー演じる退役軍人のジャック・ヘイスティングスである。民主党の選挙参謀である本作品の主人公ゲイリー・ジマーは、紹介された動画を見るなり、ジャックのキャラクターは民主党の格好の宣伝材料になると直感する。早速ジャックのリクルートに出掛けるのだが、一晩泊まって翌朝街に出ると、住民の殆どがゲイリーの名前を知っていて挨拶される。
そのシーンを観て、この街のネットワークはどれだけ凄いのかと、ゲイリーと同じように訝ったのだが、切れ者のゲイリーなら、もう一歩踏み込んで、どう考えてもその状況がおかしいことに気づいてもよかった。気づけなかったのは、選挙参謀が仕事で獲得票数の数字にしか興味がなく、人々の気持ちに関心を寄せなかったからである。選挙参謀が如何に非人間的な職業であるかがわかる。そして選挙そのものも、非人間的な票読みに堕していることがわかる。
日本の選挙では組織票が票読みの重要な資料となる。しかし考えてみれば、そもそも組織票などという言葉があるのがおかしい。有権者は本来、自分自身の判断で投票を決めるものだ。その前に投票しないと決めるか、あるいは選挙があること自体を知らない人もいるだろう。国会議員の選挙の投票率は50%そこそこだ。
50%の中に組織票があれば、1票の重さは2倍になる。票読みをするのにまず組織票を考えるのも当然だ。しかし所属する組織や団体の指示で投票するということは、選挙権を売り渡していることに等しい。これは憲法違反ではないのか。
投票率の低さと組織票の存在というふたつの理由で、日本の選挙は歪んでいる。そしてアメリカの選挙は、宗教が絡むから更に歪んでいる。選挙参謀が商売になる訳だ。
本作品もある意味では選挙の歪みにメスを入れていると言えなくもないが、選挙の歪みはそもそも有権者の自覚不足が原因だ。組織票は結局自分の利益だけを優先している投票行動である。本作品は有権者の責任には何も触れずじまいである。ラストシーンに驚きはしたが、ディアラケンの有権者も自分の利益だけを優先しているのがわかって、あまり愉快ではなかった。