「女性版ペニーレイン」ビルド・ア・ガール 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
女性版ペニーレイン
配信に入ってきていたので見た。
ブックスマートの人Beanie Feldsteinが出ていて同じ制作年2019だったが、訛りを聞いて微妙な気分になった。
ブックスマートはアメリカではなかっただろうか。よく解らないがこの訛りはリバプールとかスコットランドとかそっちのほうな気がする。
まったくのところ極東のじぶんは、米英のひとたちの出自/所属をなにひとつ知らずに映画を見ているわけだが、ブックスマートを見ていたせいで本作にはアメリカ人がイギリス人をやっている気配があった。微妙な気分とはそれのこと。
『1993年6月24日、衣裳デザイナー兼スタイリストのシャロン・リンとロックバンドのガンズ・アンド・ローゼスなどを担当していたコンサートツアー専門税理士のリチャード・フェルドスタインの娘として、カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれる。ユダヤ系アメリカ人であり、3人兄妹の末っ子。次兄は俳優・映画監督のジョナ・ヒル。長兄のジョーダン・フェルドスタインはバンド・マルーン5のマネージャーを担当していたが、2017年に血栓のため40歳で逝去した。』
(ビーニー・フェルドスタインのウィキペディアより)
ウィキを見てよかった。見なかったらジョナヒルにくりそつであるという指摘を、まじで言ってしまうところだった。そうか兄妹か。どうりでにているわけだ。
にしてもウィキの紹介文からしてアメリカ人のようである。英語のことを知らないが、アメリカ人がこんな濃い訛りをしゃべることができるんだろうか。けっこうふしぎだった。
映画はあの頃ペニー・レインと(2000)に似ている。15歳で音楽ライターのキャリアをスタートしたキャメロンクロウ監督が自身の体験に基づいて描いた映画。
これもジャーナリストCaitlin Moranの半自伝になっていて、彼女のウィキに『16歳で週刊音楽雑誌である『メロディ・メイカー』でジャーナリストとしてのキャリアを始めた。』とあった。
諧謔的な描写になっているが、自己肯定を是とする楽しい映画になっている。おそらくバランスのいい人だったにちがいない。音楽ライターには文才が必要だが、それ以上にバンドマンたちから好かれる社交性や面白味が素養を生かしめる。
わたしたちは常日頃、自己肯定的な人々を見ている。著名人はそれが前提なので。だけど、自己肯定の気配は、能力とのバランスがとれていないばあい、鼻につくことがある。
すでにそんな人が二、三人思い浮かんだにちがいない。
世の中に、いい文を書く=ライターになれる、という図式はない。なんでもそうだが、その能力以上に、手を挙げ、社交しなけりゃ、何者にもなれない。むしろそっちが重要である。
じぶんは日本の映画監督をよくこき下ろすが、仮に映画監督の能力がなくても「おれが監督をやる」と、業界へ積極的に切り込んでいって人脈をつくるなら、彼/彼女はいずれ日本を代表する映画監督になれる。じっさいに、そういう人たちが日本を代表する映画監督になっている。
よって、わたしのこき下ろしは彼/彼女の自己肯定にたいする歯ぎしり、みたいなもんである。
んなことを言う玉じゃないが、求めよ、されば与えられん。が人間社会の基本です。──という話。
本作は与えられた属性で大きく羽ばたいた人物を描いていた。良心的で楽しかったが出来はまあまあ。なんていうかジャーナリストにもかかわらず「夢見る少女」の値が高すぎる気がした。
──
余談だがジャーナリストの自己肯定はときとしてあぶない。
昨年(2021)ノーベル賞平和賞をロシアの「ノーバヤ・ガゼータ」の創刊メンバー、ドミトリームラトフ氏が授賞した際、氏は「この賞は報道のために命を捧げた同僚たちのものです。私はこの賞にふさわしくありません。」と述べた。
ニュースは『「ノーバヤ・ガゼータ」では、これまで6人の記者が殺害されています。そして今も、プーチン政権は独立系メディアに対し、外国のスパイを意味する「外国の代理人」と指定するなど締め付けを強めています。』と伝えた。
新聞記者(2019)という映画があり、その原案を提供した女性ジャーナリストがいる。彼女も(一種の)報道の自由をかかげて戦った。結果、コロされそうになっただろうか?危険な目に遭っただろうか?とんでもない。与太話「新聞記者」の原作者として映画で儲け、味を占めてドラマへ手を延ばした。とうぜんジャーナリスト稼業以上の儲けが映画/ドラマから転がり込んでいる──にちがいない。(憶測に過ぎません。)
人間社会でわたし/あなたを生かしめるのは積極性である。時の官房長官に23回連続質問するような、積極性である。そして(言うまでもなく)その積極性を行使せしめるのは、より小さい羞恥心だ。無いなら、なおいい。反体制してもコロされない国で、官房長官に23回連続質問し、それを体制との闘いだと勝ち誇る──ほど恥知らずなら、天下をとれる。──という話。